Neetel Inside 文芸新都
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Sweet Spot!
3rd.Match 《後悔と本気》

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「嘘だろ!?」 
 翌朝、走り終えた俺は自分の耳と足とを疑った。
 タイムがいきなり2分近く縮んでいたことを伝えられたからだ。
「でもどうしてだろう……? 俺は別にこれまで通りに走ったぞ?」
 自己ベストをいきなり更新した素晴らしいシチュエーションにも関わらず、俺がリアクションに困っていると、
「何か具体的な目標があるだけで、人って簡単に変わるものなのよ。」
 と、ストップウォッチを見ながら表示されたタイムをノートに書いていたマネージャーは、冷静にそう答えた。
「ねぇ、渡瀬君。これまで外周走ってるときにどんなことを考えてた?」
「うー……。つらい、だるい、長い、だるい、きつい、長い、だるい……みたいな?」
 ……俺の心からの気持ちは、彼女の笑いを誘った。
「あははっ、きっとそんな感じだろうなーと思ってた。でもさ、昨日課題の話きいて、渡瀬君は今日からこの外周コースを走る『意味』が変わったでしょ? ただ漠然と外周コースを走るんじゃなくて、何かのために走るようになった。キッカケは小さなものでも、それだけでタイムって変わるのよ。」
 たった一日でここまで変わることは予想できなかったけどね。
 マネージャーは、うれしい誤算ですとそう続け、俺の顔を見てにこっと笑った。
「きっとね、渡瀬君は自分が考えているよりスタミナがないわけじゃないと私は思う。長距離が苦手、っていう先入観を無くしていければまだまだタイムも上がって来るはずだよ!」
 そう言われると、本当にそうなのかもしれない気がしてくる。長距離をただ走ることに大した意味を見出せなかったことが、走ることへの嫌悪感、ひいては自分がスタミナ不足である、と勝手に自己判断し結論付けた原因になっていたのかもしれない。
「まずは気持ちの持ち方から、か。」
「うん、それが土台。今後は走りながらフォームや他の細かい問題点を探していこうと思う。大丈夫、前向きに頑張りましょうね!」
「…………。」
「ん、どうかした? なんか私の顔変だった? やだ、ひょっとして朝バタバタしたからお化粧厚く塗りすぎちゃってたかなっ!?」 
「あ、違う違う! いや、さすがマネージャーだなって思ってさ。何て言うかこう、人心掌握が上手だなぁーって。だから顔とか全然おかしくないから。いつもと同じで綺麗だから! うん、マネージャーはすごく綺麗です!」
「そっかぁ、良かったー、って、えっ……き、綺麗って……!?」
「ん? あああっ!? あ、いや、この場合の綺麗って言うのは、い、意味が違っていてですね、えと、その普通にいつも通りに綺麗って言うか、その、あの……。」
 何スゴイこと言っちゃってんだ俺……。
 朝っぱらから頭にかぁーっと血が昇ってしまった2人だったとさ。

 教室に戻り朝課外を終えた後、俺は早速ゲンキに朝練の成果を報告していた。
「……だから、大事なのは気持ちなんだよな。ゲンキもそうなんだろ?」
「ハァ? どうしたコーイチ。気持ち? 何の?」
「だから、走るときだよ走るとき! お前も何か壮大な目標を抱きながら走ってんだろ?」
 そう言うと、やっと理解したのかゲンキはぱあっと顔を輝かせ、
「そんなの当ったり前だろ! 俺の目標は愛する我が麗しの恵姫をゲットすることに決まってんだろーがあぁぁぁぁぁ!」
 と、どこをどう解釈したのか、クラス中に響き渡る大声でこんなアホな宣言をした。
 畜生、なぜ神はこんな奴に俊足を賜れたのですか? 私でなくこんなお気楽ヤローに!
 などと心の中で毒を吐きながら、俺が血気盛んになっているゲンキをどうどう、となだめていると、こちらに振り返っていたゲンキは急に立ち上がった。
「おい、落ち着けって。お前の気持ちはちゃんとこのクラスのみんなに伝わったぞ。あとは恵姉に言うだけだ! 言うだけだから、とりあえず座ろうか。」
「め、恵姫ぇ……!?」
「ん? ああ、そうだ。そのお姫様に伝えるんだろ。いーから座れよ。……それにしてもあの恵姉をお姫さま、ねー。恵姉は姫って言うより、家来をこき使う女王様ってトコだろwww」
 うむ。手前味噌だが、しかしこれは言いえて妙と言わざるを得ないな。
 俺が密かに自画自賛的微笑を浮かべていると、後ろから聞き慣れた声がした。
「あら、だーれーがー家来をこき使う女王様なのかしら♪」
 えっ??? ちょ、待てよ!!!???
 うふふ……と微笑む声がしているはずなのだが、背後に強烈な殺気を感じる。これはなんという死亡フラグ……!
 う、うしろの正面だーあれっ!
「ゴツンッ☆」
 振り返ると同時に、俺の頭頂部を激しい痛みが襲った。
 教室が静まり返る。
「恵姉……。ぐぉ、ごきげんいかg―――。」
「すこぶる快調よ!!」
「そ、そのようですね……。あの、俺の頭の上にある構造物は何なのでしょう……?」
「さあ、知りません!」
 そう言うと、その謎の構造物を俺の机にドン! と置いて、
「お騒がせいたしました。それでは皆さん、ごきげんよう。」
 と”いつもの”恵姉は教室を後にした。
 ややあって、教室は再び時が動き出したかのように喧騒を取り戻した。
 ゲンキは相変わらずポワーンとした顔で『恵姫ぇー。』だ。もう知るか! ってかさっきの見ただろが! あれが「姫」か!?
 俺はしばらく毒づいていたが、ふと我に返ってさっきの構造物を調べた。
 そして、全てを理解した。
「恵姉……。」
 弁当だった。
 実は今朝、『朝練に行くので弁当はいいです』と俺は書置きを残し、まだ寝静まった家を出たのだった。朝飯はコンビニのおにぎりで済ませたし、昼飯も学食のパンで乗り切ろうと考えていたのだ。
 弁当の横には、
  
  『ちゃんと食べなきゃ体が持たないぞ! あと、ママにあの話したから。明日からは
   朝ごはん作ってお弁当と一緒に置いとくから、食べてってねって。コラ、功。みず
   くさいぞ!! 恵様より』

と書かれたメモが添えてあった。
「あっちゃー……。マジで最低だな、俺。」
 冗談でも言ってはいけないことだった。
 恵姉はいつもはなんだかんだと言っても、心の底では俺を心配してくれている。
 今日だってそうだ。大事な課題だから、こうしてサポートしてくれた。
 ……それなのに、俺は。
「頭下げに行くしかねーだろが!!」
 俺は自分に叱咤すると、教室を飛び出した。

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「か、神崎さん。ちょっといいですか!」
 功に弁当を渡し終えて私が自分のクラスに戻ろうと2年棟を歩いていると、後ろから弾んだ声で誰かが私の名前を呼んだ。
 振り返った私はその声の主にちょっと驚いたが、
「いいけどここじゃなんだから、場所を変えましょうか。」
 そう言って、屋上へ向かったのだった。

「どうしたのよ功? びっくりしたじゃない!!」
「だって、恵姉が気を悪くしたかなって思ったから……。」
 今屋上には、私と功の2人だけである。
 ちなみに一部の人しか私と功が一緒に生活していることを知らないため、学校では必要以上に会わないようにしている。だから当然、校内では苗字で呼び合うことになる。
「さっきは、ごめん。気を遣って弁当持ってきてくれたのに、あんな事言っちゃって……。」
 功は心底反省している様だ。いつもの情けない顔にも拍車がかかっている。
 もう、功ってば別にあれくらいでそんなに謝らなくてもいいのに……。
 私はさっきの件をあまり気にしてはいなかった。
 お互いけんかやバカをやりあうことはあっても、本心では相手のことを大切に想っている。
 功とは付き合いも長いし、人間性も性格もよくわかっている。
「いいよ、あんなの冗談だってわかるっての! ちょっと怒った振りしただけよ、バカ。」
 私は功のおでこをぴんっ、と弾いた。
「っていうかちゃんとママに話しなさいよ! ママ心配してたんだからね。ちゃんと食べないで走って具合悪くなったらどうすんのよ! 家族に大事な話をせずにいることのほうがよっぽどムカつくんだから。わかった?」
「ああ。希さんにも後で謝る。」
「よし。じゃあこの話はこれで終わり! 戻らなきゃ、もう授業始まるよ。」
 私が教室へ戻ろうと促すと、功ははにかみながら、
「ありがとう。恵姉はやっぱり優しいね。でもなんで彼氏の一人も出来ないんかねー?」
 なんて言いやがった。
「うるさい!!!」
 まったく、どうしたもんかねー、このバカ弟は。
 私はふふっと笑うと、渡瀬くんと一緒に屋上を後にした。

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 教室に戻ると、微妙に周囲の空気が変わっていることに俺は気がついた。
 心なしか、皆が俺を見ているような気がする。
 かといって、視線を感じ顔を向けるとみんな視線をそらすのだ。
「何だ? 気のせいか……。」
 俺は違和感を感じながらも授業の準備をしていた。すると、別に何もこんな時に働かなくてもいいものを、声にもならないような小さな呟きをマイ地獄耳がキャッチした。
「渡瀬君……そうなんだ……無理ね、あの人じゃ相手に……。」
「渡瀬……アノヤロぉぉぉ……くぅぅ。」
「つぶす、ぶっつぶす、ぶっころ……。」
 オーイみんな、心の声がこっちの世界に漏れちゃってきてますよー。
 俺はこの居心地の悪さの原因を探った。
 瞬・間・ピキーン!!  
「そうか、恵姉か。」
 恵姉はこの学校の中ではアイドル的な存在なんだっけか。男子にも女子にもすごく人気が高い様だ。
 俺たち1年生はまだ入学して少ししか経っていないのだが、そういった情報はすぐに知れ渡るみたいで、ゲンキのような”狂”信者もたくさん出てきているらしい。
 そんなアイドルがクラスにひょっこり現れて、俺みたいな特筆すべきポイントのないような奴と会話しにやってきたことに、疑問を抱かないはずもないだろう……って、俺ってばなかなかの自傷。
 かくして俺はこの日、ずっと妙な気配を背中に感じながら過ごしたのだった。

「功、どうしたの? なんか元気がないようだけど……?」
「いや、ちょっと今日は疲れたよ、いろいろとね……。」
 部活が終わり、俺は恵姉、そして近所に住む恵姉と同じクラスで幼なじみの寺岡先輩と3人で帰路に着いていた。
「なになに? 功一くん、なんかやらかしちゃったの!?」
「いえ、別に俺は何もしていないんですけど、その、恵姉が……。」
「え? アタシ?」
 俺は事の成り行きを説明した。
「そんなコト言ったってしょうがないじゃない。弁当持ってかなかったらアンタまともなご飯食べられなかったでしょうよ!」
「それは本当感謝してるけど、さすがにあの視線にはウンザリだね。」
「ふんっ、そんなの自業自得よ!」
「そんなぁー……。何とか言って下さいよ、寺岡先輩~。」
「いづみ! アンタどっちの見方よ!」
「あっははははは!!!」
 俺と恵姉のやり取りを聞いていた寺岡先輩は、声を上げて笑い出した。
「恵ぃ、アンタもっとお弁当うまく渡せたでしょー。メールして屋上で渡すとかさ。何のためにケータイ持ってんのさ?」
「あ、そっか……。」
「まったく。アンタはいつもはしっかりしてるのに、功一くんのことになると見境なくなっちゃうのよねぇー。」
「むうぅー、いづみってば……。」
 恵姉は顔を赤くして頬を膨らませている。
「あははっ。でも功一くん、キミもこんな弟思いのお姉ちゃんがいて幸せ者だぞっ! 文句言わずにそんな視線には耐えること!」
「……ハイ。」
 そうだ、俺は幸せ者だ。
 こんなに恵まれた環境にいるのだから、もっと頑張って皆が喜んでくれるようなことをして恩返ししなくちゃだ!
 俺は夕暮れの空に向かって、改めて明日からの練習に全力で挑もうと思ったのだった。

       

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Neetsha