4th.Match game2 《赤の誓い》

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 俺が最後の坂を上りきった時には、既に渡瀬の姿は眼前から消え去っていた。
「アイツ……。知らない間にバケモノになってやがる!」
 ここからスパートするなんて、普通はしない。
 いや、できないはずだ。
「この坂がどれだけ苦しいと思ってんだよ。ここでは普通の人間なら体力の回復を考えて流すポイントだろう……?」
 そしてその後の下りでギア・チェンジ。
 それがセオリー。
「まったく、期待に応える新人だぜ!」
 と、思わずニヤッと口元を緩ませていた俺だったのだが、前方の異変に気づくのにそれほど時間はかからなかった。
「アイツ、何かおぶっている……?」
 不審に思ってスピードを上げるにつれ、正体がはっきりと見えてきた。
「……子供か!?」
 渡瀬は、子供を背負って走っていたのだった。
「渡瀬、一体何があった!? って、おい、怪我してんじゃないか!!!」
 突発的な事態に慌てている俺とは対照的に、
「あのキャプテン、ケータイ持っていませんか? 親御さんの名前がわかったんで、病院に着き次第連絡が取りたいんですけど?」
 と尋ねてきた。
「い、いや持っていない。病院の電話を借りよう。それより、1人でおぶって大丈夫か? 俺と2人で運んだ方が―――。」
「いえ、傷が多分動脈までイってると思います。今はハチマキで縛って止血していますが、2人で運ぶと安定性が無くなって傷によくないかと。俺一人で大丈夫なんで、キャプテンは病院への最短ルートをお願いしますね。それにしてもこんな人通りの少ないところで……ブツブツ……。」 
 すごい。こいつのこの落ち着きは一体何だ?
 これだけのことが起きたと言うのに、その場の最善の方法を瞬時に割り出している。
 人通りが少ない道。当然車も滅多に通らない。
 それは外周コースを考える上での必須事項だった。
 ……だから、迷わず走って運ぼうと決めたに違いない。
 俺は渡瀬を導きながら、改めてその器の大きさを感じていた。

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「すみません! 子供が大怪我をしてしまって、かなり深い傷を追ったみたいなんです!」
 病院に着くなり俺は受付の人にまくしたてた。
「わかりました、少々お待ちください。すぐに医療用カートを運びますので。」
 受付の人は落ち着いて下さい、と俺を優しく制して、他の看護師とカートを取りに行った。
 キャプテンは電話を借りて、電話帳で親御さんの連絡先を探している。
「もう大丈夫だからな、すぐ先生が見てやっからよ。」
「ううぅ……、お兄ちゃん、痛いよー。」
「ほれ、これ握っとけ。これ握ってりゃすぐ痛いの治っちまうから。」
 そう言って、俺はハチマキの先を握らせた。
「親御さんにつながったぞ。すぐに来るそうだ。それから先生にも電話した。そっちに帰るのが遅れそうだから、向こうは解散させておくよう言っておいたぞ。大まかにしか状況を話していないから、済んだら先生のところに来るように、ということだった。」
「はい。ありがとうございます。」
 結局、7針を縫う大怪我だったものの、すぐに応急処置が出来たため大事には至らず、後からやってきた親御さんとともに帰れることになったのだった。
 ほっと胸を撫で下ろし俺たちが帰ろうとしていると、親御さんがこちらに駈け寄ってきた。
「ありがとうございました。おかげで大事にならず本当に良かったです!」
「いえ、そんな。とんでもないです!」
「あの、よろしかったらお名前と学校を教えていただけませんか? あのハチマキも綺麗にしてお返ししたいですし……。」
「キャプテン、お願いします。」
 俺が先輩にお願いします、と両手でジェスチャーすると、先輩は真剣な表情で頷いた。
「ああ。星和高校ソフトテニス部3年で主将の岩崎雄蔵です。そしてこっちは期待の新レギュラー、1年の渡瀬功一です!」
 あれ!? 今なんかトンデモナイことを……? 
 イマイチ情報の処理速度が追いつかずにいる俺を見て、先輩は笑った。
 それを聞いていた子供の父親が、うれしそうに口を開いた。
「ほお! キミたち星高軟式庭球部なのか! 実は私もそこのOBなんだよ!」
「「ええっ!?」」
 何たる偶然。2人して驚いていると、父親はさらに続けた。
「そう言えば、もうすぐ市長杯大会があるだろう? 昔は毎年見に行っていたんだが、最近は見に行っていなかったんだよ。今年も星高は出場するんだろう?」
「はい! 渡瀬のデビュー戦なんですよ!」
「や、やっぱり!!!???」
「ほぉー。よし! じゃあ当日応援に行くことにするよ!」
「「ハイ!! ありがとうございます!」」
 こうして、俺たちは病院を後にしたのだった。

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「ハァ、ハァ……。さ、さゆりちゃん、キャプテンとコーイチは?」
「ううん、まだ……。やっぱりいなかったのね……。」
 さゆりの問いかけに、息を整えながらゲンキくんは首を縦に振って答えた。
「ふぅーっ……。ゲンキと色々探して回ってはみたんだけど、駄目だったよ。」
 20分をとうに回っても一向に戻ってくる気配のない2人を心配し、ゲンキくんと上野君はコースを逆側から走ってきたのだ。
「イワっちの奴、ケータイ置いてったからねー……。それにしてもどうしたもんかねぇー?」
「何か悪いことが起きていなければいいんだけどな……。」
「わ、悪いこと……!!??」
 永野さんの一言に宮奥さんたちは一気にざわめきだし、玄関前に集まっていたテニス部員たちは騒然とした状況に陥った。
 そんな中、皆を落ち着かせようと躍起になっていた先生のケータイの着メロが鳴り響いた。
「みんな、静かに!!! 岩崎くんかも知れないから!!」
 先生は大きな声で皆を制すると、ふーっ、と一息ついてケータイをつないだ。
「もしもし……?」
 みんな固唾を呑んで先生を見つめている。
「うん、どうしたの?…………ええっ!!??…………あぁそうだったの…………うん……わかった、皆には伝えておくから。あっ、待って! 一応、戻ったら私のところに来て一通り説明を……うん、それじゃあ。」
 通話が終わると、先生は少し時間を置いて、ゆっくり話し出した。
「……結論から言うと、渡瀬君たちは今片桐総合病院にいるわ。ちょっと事故に―――。」
 事故と聞いた瞬間、再び皆はパニック状態になった。
「みんな! ちょ、まだ続きがあるから……!」
 先生の声がかき消される。
 功が、事故に……。
 あれだけ頑張ったのに、こんなの酷いよ……。
「どうして……。」
 私はぺたんとその場に座り込んでしまった。
「ちょっと、恵!! 大丈夫!!??」
「いづみぃー……功が、功が……。」
「バカ、泣くなっ! まだそうと決まったわけじゃないでしょが!」
 いづみがへたりこんだ私をフォローしてくれている間にも、
「おい、病院に行ったほうが良いんじゃないか?」
「病院までそんなに遠くないし、走っていこうぜ!」
 もはや完全に玄関前は混沌としてきていたのだが、
「おい、テメーらどいつもこいつも好き勝手騒ぎやがって……!」
 突如として言いようのない黒い空気が皆を包みこんだ。
 こっ、この声は………先生……!?
 皆が振り向いたとき、既に先生の表情は変わっていた。
 鬼、に。
「コラーっっっ!!!! バカ共落ち着かないかーーーっ!!!!」
 一瞬にして私たちは固まってしまった。
 先生はその後しばらく”戦闘モード”に入ってまくしたてていたが、固まってしまい動きの止まった私たちの様子に気づいてハッと我に返ると、コホンと1つ咳をして、
「お願いだから、落ち着いて最後まで話を聞きなさい。ね?」
 と元の先生に戻って、続きを話し始めたのだった。

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 病院からの帰り道、俺はキャプテンと並んで歩いていた。
「良かったですね、命に別状なくて。駆け寄ったときの血の出方には驚きましたから。」
「そうだな。でもお前、すごく落ち着いていたぞ? お前のおかげで俺もすぐに落ち着けたからな。」
 はて、そうだったかな……?
 あの時はとにかくあの子を助けることで精一杯だったし。
 課題とか試合とか他の余計なことは一切頭からすっ飛ばしたからな……ん?
 そこまで考えられる余裕が出来て初めて、俺の頭に疑問が湧いた。
「あれ!?」
「ど、どうした?」
「キャプテン、俺完走してないです!」
 キャプテンは突然俺が大きな声を上げたことに驚いていたが、
「ああ、そうだな。」
 と、それがどうしたと言わんばかりに笑って答えた。
「でもさっきキャプテンはレギュラーだって……。」
「あれだけの走りを見せられたんだ、誰が見たって納得するさ。間違いなくあのまま走れば20分は余裕だっただろう。文句を言う奴がいれば、また走って証明すりゃ良いさ。とにかく、お前は星和のレギュラーとしての資格を獲得した。これは決定だ!」
 そう言うと、空に向かって話していたキャプテンはこちらに振り向き、
「渡瀬、残りの3日で完璧に感覚を取り戻せ。ここまで期待に応えておいて、出来ませんでしたとは言わせないからなっ!」
 と言って、俺の胸にトンッ、と拳を当てた。
「大会を見に来るあの子にカッコいいトコ見せてやれ!」
「ハイ!!!」
 病院を出て別れる間際、このハチマキをつけて試合に勝つ、と俺はあの子と約束をした。
 あの子は俺に、絶対パパと見に行くから頑張ってね、と笑って言ってくれた。
 だから、負けるわけにはいかない。頑張らないわけにはいかないんだ。
 俺は学校に向かう道を歩きながら、雲ひとつない青い空に向かって誓ったのだった。


「あぁー、今日は心底つっかれたー!」
「ふふ、ご苦労さまでした。」
 夕方、俺と恵姉は学校から帰る途中にあるコーヒーショップで一休みしていた。
 あの後俺たちは正門で待ち構えていた皆に囲まれ、事の成り行きを説明させられた。
 そして、俺のレギュラー入りも正式に認められた。
 その後解散したのだが、俺は居残り練習の許可を貰ってゲンキと2人で久しぶりのラケットの感触を味わいながらボールを打ちまくり、今に至るというわけだ。
「ごめん、心配かけて。すぐに電話したかったんだけど、通信手段がなかったもんだから。」
「ううん、もういいの。でもさ、その子もホント入院とかにならなくて良かったわね。」
「うん。猛さんのハチマキがあって助かったよ。あれのおかげで応急処置出来たんだし。」
「たまにはパパも役に立つのねぇー。」
 そう言うと恵姉はくすっと笑った。
「でも何で恵姉残ってたの? あの後解散したのに。しかもコート整備までしてくれたし。」
「べ、別に。お、弟がレギュラー取れたお祝いに、ここは姉としてなんか奢ってあげよっかなー、ってちょっと思っただけよ。め、迷惑だった?」
 俺が尋ねると、コーヒーをかき混ぜながら、少し照れくさそうに恵姉は答えた。
「いや、すごく嬉しい。って言うか、サポートしてくれた恵姉にこそ俺が奢らなきゃだろ!」
「アタシは別に何も……。」
「いや、弁当のコトもそうだし、朝起こしてくれたし、それに宿題まで手伝ってもらったし。お返ししなきゃバチが当たるって!」
「そ、そうかなぁ……。」
「そうだよ! ありがとう、恵姉。」
「わ、わかったからそうじっと見るな功、照れるってば!!!」
 恵姉は真っ赤になった顔をメニューで隠して、
「功、試合頑張れよ! 私も頑張るからさっ!」
 そう言ってくれたのだった。