Neetel Inside 文芸新都
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 周辺一帯を監視するかのように、町の中心には地上25階建ての超高層マンションがある。四方はガラス張りで、いつ見ても眩しいことから地域の住民に『太陽の塔』という別称で親しまれているシンボルだ。入り口には常に警備員が立ち、相当な金持ちでなければ住むことはおろか、入ることすら許されないと言われている、上流階級の巣窟である。その最上階に彼女は住んでいた。
 僕は顔見知りの警備員に軽く会釈をすると、予め渡されている鍵で扉を開けた。シャンデリアで照らされたエントランスを抜け、エレベーターを使い最上階に行く。
 そこには洋式のドアに似合わないヒノキの表札が掲げてあった。筆で書かれた『鹿島』という文字がでかでかと踊っている。文字だけで圧倒されてしまいそうだ。
 僕はインターホンを押し、数秒待つ。誰も出てこないのでドアノブを捻ってみると、鍵が掛かっておらず簡単に開いた。
「入ってこいってことか?」
 不法侵入になりそうでなんだか恐い。しかし、このまま待っていたところで誰も出てこないだろう。僕は両者を天秤にかけ、家の中にお邪魔することに決めた。家主とも顔見知りの仲だし、なんとかなるだろう。
「お邪魔します」
 無理矢理自分を納得させ中に入ると、広い玄関に迎え入れられた。そこには色とりどりの靴が並んでいる。どれもヒールの高いものばかりで、ほとんど履いた形跡がないように見受けられるものもあった。
「前来た時より増えてるな……」
 僕は汚さないよう隅の方に靴を脱ぐと、スリッパは履かずにそのまま上がり込んだ。豪華な家具に傷を付けないよう、慎重にリビングを歩く。絨毯を踏むことすら躊躇われたが、そこはどうしようもないので諦めることにした。そもそも絨毯を敷いてあるにも関わらずスリッパが用意されていることが謎だ。玄関からリビングまでの数メートルをわざわざスリッパで歩くのだろうか?
 リビングを抜けて、さらに行くと、突き当たりに一つだけ無骨な鉄のドアが見えた。僕はそのドアの前で足を止める。
「由美、僕だ。開けてくれ」
「開いてるよ」
 ノックをしようとすると、扉の向こうからわずかに声が聞こえた。鍵を掛けていないなんて珍しいこともあるものだ。僕が来ることを見越して開けておいてくれたのだろうか。
 考えても仕方ない。僕は頭を振って重い扉を開いた。
「やあ。よく来てくれたね」
 すぐ目の前に彼女は立っていた。僕の視界を埋め尽くすぐらいの、目と鼻の先に。
「な、なんでそんなところにいるんだよ!」
 慌てて顔を逸らす。予期していなかっただけに少しびっくりした。
「なんでと聞かれるほど大層な理由があるわけじゃないが、今みたいな君の顔が見たくてね。私としてはやった甲斐があったというものだよ」
 彼女に驚いた様子はない。口の端だけ吊り上げて笑うと、僕を部屋へ招き入れた。なんだか自分だけ変に意識しているみたいで気にいらない。ただ驚かせるために何時間も扉の前で突っ立っていたというのか。暇人め。
 気分を入れ換えるため、僕は話題を変えることにした。
「今日は法子(のりこ)さん、いないのか?」
「うん、母は早くから出掛けていてね。君が来る日だったから鍵を掛けないでおいてもらったんだよ」
 答えながら、由美は重厚な部屋の扉に鍵を掛けた。
「つまりは由美の悪戯に法子さんも荷担していたってわけか」
「ファンキーな母だろう? 自慢なんだ」
 口の端を吊り上げてシニカルに笑う由美。この子にしてこの親ありだ。僕は呆れてしまった。現在の娘の状況を容認しているだけあって、頭のネジが飛んでいる。
「自由気ままに生きてる人だよな。玄関のパンプスコレクションも増えてたし」
 由美は怪訝そうな顔で「そうなのかい?」と振り向いた。
「最近は玄関まで行かないからよくわからないな。しかし、君がそうだと言うならそうなのだろう。全く、母の浪費癖には着いていけないな。あれだけは私も理解できないよ」
 由美は溜め息をつくと、部屋の端に置いてあるセミダブルのベッドに腰を掛けた。僕はいつも通り、部屋の中心にあるクッションに胡座(あぐら)をかく。
「それはそうと、今日はいやに来るのが遅かったじゃないか。どうしたんだい?」
 由美が猫目を大きく開いて首を傾げた。耳に掛けた横髪が由美の白い肌にはらりと落ちる。
「買い物に少し手間取ってね」
 僕は鞄を開け、スーパーのビニール袋を取り出す。それを見た由美は目を輝かせてベッドから跳び起きた。
「それを待っていたよ!」
 由美は僕の手からビニール袋を引ったくると、再びベットに戻り、逆さまにして中身をぶちまけた。
「今日はまた一段と豪華じゃないか!」
 一つ一つを手に取り、満面の笑みで見つめる由美。そこいらのスーパーで普通に売っているものだが、彼女にとっては極上のお宝に見えるらしい。金持ちの思考は理解できない。
 放っておくとこのまま僕がいることを忘れて悦に浸ってしまいそうなので、僕は由美の隣に移動することにした。
「ビーフジャーキーにサラミ、コンビーフまであるじゃないか! こんなにたくさんどうしたんだい!? 今日は私の誕生日じゃないぞ?」
 僕がベッドに腰を下ろすと同時に、矢継ぎ早にまくし立てられる。視線は、ぬいぐるみを前にした少女のようにキラキラだ。
「別にどうもなにも、たまたま特売だっただけだよ」
「スパムまであるじゃないか! これは……ヨーグルトか何かかい?」
「いいえ、ケフィアです」
「幸福とは、こういうことを言うんだろうなぁ……」
 由美は全く僕の話を聞いていなかった。
「いやぁ、こんなに肉が食べられるなんて夢のようだよ。人生で初めての経験だ。なんだか罪悪感すら沸いてくるよ」
 由美はうっとりとして、協会で祈るように手を組んだ。大袈裟なやつだ。
 そんな加工肉じゃなくて、金持ちなんだからもっといい肉食えばいいのに、といつもながら思ってしまう。しかし、彼女曰く「母が極度のベジタリアンで、君に会うまでは数えるほどしか肉を食べたことがなかった」そうだ。金持ちには金持ちなりの悩みがあるらしい。
「こんなに美味しいものを食べないなんて、全くうちの母はどうかしているよ。そもそも自分の食嗜好を子供に押し付けるのは間違っていると思わないかい? 私はまだ年頃の少女だよ? 思春期の子供に肉を与えないなんて、虐待と言っても過言ではないよ!」
 一気にまくし立てながら、口には既にビーフジャーキーを加えモヒモヒやっていた。
「いや、知らないけど……」
 そんなことを言われても、どう答えればいいのか困る。
「あぁ、すまないね。君も食べるかい?」
 僕が返答に悩んでいるのをどう勘違いしたのか、由美はビーフジャーキーを差し出してきた。
「断腸の思いだが今日の私は気分がいい。君には特別に分けてあげよう」
「いや、それ僕が買ってきたんですけど」
「それもそうだな。一理ある」
 一理じゃなくて全部だ。どうも舞い上がり過ぎて冷静に思考が行えてないらしい。
「こんなに買ってきてもらって、何もお返しをしないのは悪いな」
 3本目のビーフジャーキーを口に加えたところで、由美はそんなことを言い出した。いつもならそんなことを言ったりはしないので驚いてしまう。
「いや、別にいいよ」
 見返りを求めて買ってきたわけではないので、お返しなんて貰うとこちらが申し訳ない気持ちになってしまう。
「それでは私の気が治まらない」
 由美はそう言うと首を傾げてなにやら考え始めた。どうやら何をお返しするか悩んでいるらしい。傍若無人なところは相変わらずだ。
「よし、私の出来る範囲で君の願いを叶えてあげよう」
 結論が出たようだ。
「さぁ、君の願いを言いたまえ」
「え」
 急にそんなこと求められても困る。鹿島由美に叶えてもらう願いなんて僕にはない。しかし、由美は期待するような表情で僕を見つめていた。何かを言わなければいけない雰囲気である。
 観念して僕は考えることにした。由美に対する願い……。
 あった。一つだけ。
「じゃあ学校に来てよ」
「それは無理だな」
 即答で断られた。由美の表情が見る見るうちに真剣なものに変わっていく。
「竹中君、私は自分の確固たる意思でこの部屋に閉じこもっているのだよ。私は自分の生きたいように人生を歩む。自分の持てる全ての力を使ってだ。それは親の財力であってもだ。生まれながらに持ったもの全てを余すところなく使って、我が道を歩むと決めた。そして、それはこれからもだ。だから君が言った願いを叶えることは出来ない」
 由美の瞳には先程と打って変わって、強い意志のようなものが宿っていた。僕は思わずたじろいてしまう。同年代の人間が見せることのない、決意に満ちた眼だった。
 だが、それはすぐに元に戻る。
「しかし、それではお返しが出来ないな。どうしたものか……」
 由美はまた首を傾げて悩み始めてしまった。その間も口にはビーフジャーキーを離さず加えている。
「そうだ、いいことを考えた」
 また何か閃いたようだった。
「竹中君、ちょっと耳を貸してくれ」
 そう言って、内緒の話をするように手を口にあてがう。この部屋には僕たち二人しかいないのに、何を気遣う必要があるのだろう?
「早く」
 由美に急かされ、僕はとりあえず従うことにした。横を向き、耳を傾ける。
 由美の手が僕の耳に触れたかと思うと、直後に鋭い電撃が背筋を走った。
「ひゃう!」
 思わず情けない声を上げてしまう。
「どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもあるか!」
 僕は距離を取り、由美と向かい合った。少し及び腰になっているのが自分でも分かる。
「ただ耳たぶを噛んだだけじゃないか」
「なんで急に耳たぶを甘噛みする必要があるんだよ!」
 由美は何を言っているのか理解出来ないという様子で、キョトンとしている。
「なんでって、肉のお礼さ。私のような可愛い女の子に耳たぶを噛んでもらえるなんて、この上ない幸福だろう?」
 由美は口の端を吊り上げ、不敵に微笑んだ。それを見て、僕の背筋はまたゾクゾクしてくる。
「……大層な自信だな」
「事実を言ったまでさ」
 肩を竦める由美を見て、僕は敵わないなぁと思った。正に不遜である。鋼鉄の意志と絶大な自信を持ち、それに足るだけのものを持ち合わせている。
 地上25階の天岩戸に閉じこもった天照大神は、お祭騒ぎ程度では出てくることのない厄介な人物だった。

       

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