Neetel Inside 文芸新都
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「真人ー、帰るぞー」
 学園祭の議題決めは予想以上に難航し、ホームルームは放課後に食い込むほど長引いた。結局話がまとまった頃には帰宅時間を30分も過ぎており、大成は待ちくたびれた様子で教室に入ってきた。
「今帰る準備するからちょっと待って」
「3分間待ってやる」
「あれー、竹っちじゃん。久しぶり~」
 聞き覚えのある声と共に、清水さんが大成の後ろからひょっこりと顔を出した。無防備に緩んだ笑顔でひらひらと手を振っている。
「竹っちって……」
 昨日までは竹中くんだったのに、いくらなんでも馴れ馴れし過ぎるだろう常識的に考えて……。
「うち今日は先約あるんだ。ごめんね~」
 清水さんは手を合わせて謝ると、前の方の席に座っている女子のところへ行ってしまった。
 ごめんも何も、一緒に帰る約束をした覚えは一度もない。相変わらず無茶苦茶な人だ。
「お前も変なのに好かれたな」
 ケラケラ笑う大成を小突いて僕は教室を後にした。






 僕ら二人には行きつけの喫茶店がある。駅前の商店街を一本逸れた場所に位置する小さなお店だ。こじんまりとした中にもマスターのこだわりが存分に詰め込まれた、まさに隠れた名店である。
 僕らがここを利用するのは、何か長くなる話がある時だけだった。とはいってもくだらない会話で必要以上に盛り上がった場合がほとんどで、真面目な話をすることは滅多にない。要するに僕らの中では、学校帰りに寄り道をして駄弁る激安ファーストフード店のような位置付けの場所だった。
「いらっしゃい。おや、君達か。よく来てくれたね」
 古ぼけた木枠の扉を開けると、マスターが笑顔で迎え入れてくれた。もうすっかり常連で、顔だけでなく名前まで覚えられている。
「いいのかい? 学校帰りにホイホイ来ちまって」
「お久しぶりです。マスターのコーヒーが飲みたくて来ちゃいました」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
 お決まりの文句に笑顔で返すと、マスターは窓際の席を勧めてくれた。僕たちは言われるまま席に着く。
「ご注文はお決まりかな?」
「俺はブレンド。真人は?」
 大成に尋ねられ、僕は少し逡巡した後にアメリカンと答えた。マスターは軽く頷くとカウンターの中に姿を消す。
「久しぶりだな。ここ来んの」
 大成は襟足を弄りながら店内を見回した。僕もそれに続く。机から置物まで、ありとあらゆる家具が独特の存在感を持ってそこにあった。そして、その中で異彩を放つガラスで作られたショーケース。中には古今東西様々な車の小型模型がびっしりと並んでいた。マスターのコレクションである。いつか来た時に自慢げに解説していたのを思い出した。
 ふと気がつくと、大成の視線がある一点で止まっていた。僕もその視線を追う。
 そこには、白い壁を切り抜くように一枚の写真が掛けてあった。黒塗りの額縁に飾られたその写真は、セピア色に染められている。中にはF1カーにもたれ掛かっている二人の男性が映っていた。
「いいだろ? あの写真」
 後ろから声がして振り向く。そこにはコーヒーを持ったマスターが立っていた。
「あれは俺の生きた証さ」
 マスターは遠い目をして写真を見つめる。僕もまた視線を戻すと、映る人物に見覚えがあることに気がついた。
「右に映っているのはマスターですか?」
 ちょうど同じタイミングで、僕が思ったことを大成が代弁する。
「あぁそうだ」
「すっげー! 一緒に映ってるのデイモン・ヒルですよね?」
「お、松本くん知っているのかい?」
「もちろんですよ! 伝説のレーサーじゃないですか!」
 熱を帯びた口調で大成が語り始めた。F1に全く興味がない僕にはさっぱりだ。
「マスター、ピットクルーやってたんですか?」
「そんな大層なもんじゃないよ。ただのしがない自動車整備工さ。遠い昔の話だよ」
 トーンの落ちたマスターの声に大成は押し黙る。再びマスターを見上げると、目尻にうっすら涙が浮かんるのがわかった。
「いや、済まないね」
 見つめる僕らの視線を感じ取ったのか、マスターは涙を浮かべたまま笑顔を作ると、机にコーヒーを並べる。
「しんみりさせちまって悪かったね。年を取ると涙脆くていけないな。胸の中がすぐパンパンになっちまう」
 それだけ言い残すと、マスターはまた後ろに引っ込んでしまった。僕らは少しだけ冷めてしまったコーヒーに口を付けた。



「で、話って何?」
 先に沈黙を破ったのは僕の方だった。
 今日この店に来た理由は他でもない、大成が僕に「重大な話がある」と言ってきたためである。大成は苦虫を噛み潰したような顔でカップを口に運ぶと、残りを一気に流し込んでこちらを見た。
「聞いても驚かないって約束できるか?」
「わからない。内容次第」
「だよな。お前ならそう言うと思った」
 大成は短く息を吐くと、眉にぐっと力を入れた。自然と僕も身構えてしまう。
「あのな、実は俺、デートに誘われたんだよ」
「なんだ、そんなことか」
 思わず呆れた声が口から出てしまった。どっと肩の力が抜ける。僕は身構えるのもアホらしくなって頬杖をついた。
「なんだよ。俺的には世界を震撼させるくらいの大ニュースだぞ」
「そうか。存分に震撼させてくれ」
「もうちょっとくらい驚けよ」
 大成は口を尖らせて、ふて腐れてしまった。
「そんなこと言われても……」
 大成は贔屓目を抜きにして見てもモテそうな部類に入る方だ。身なりにだって気を使っているし、スポーツも得意だし、何より女の子と自然に話す。別に本人がアクションを起こさなくても相手が寄ってくるような、そういうタイプの人間なのだ。女の子に声を掛けられることくらいあるだろう。
「じゃあお前は女の子に誘われたことあるのかよ?」
「いや、ないけど」
「だろ? 男から誘うことはあっても、向こうからって中々ないじゃん。これってモテる男の始まりじゃないかな」
 確かに。もう少し年齢が上がればまだしも、多感な高校生時代に、付き合ってもいない女の子からお誘いを受けるというのは珍しい。
「ちなみに相手は誰?」
「清水由香里」
「うわぁ……」
 何と言うか、普通過ぎる。驚きも目新しさもない。
「なんだよ」
 興味がないのを露骨に顔に出してしまったらしく、大成は不機嫌そうに呟いた。
「清水さんなら仲も良いし、いいんじゃない? 僕としてはあれだけ仲良くて今更って感じだけど、当事者が楽しむことが第一だしね」
 一応フォローを入れておく。僕の言葉に大成は面食らったような顔をした。
「真人、お前少し勘違いしてるんじゃないか?」
「……え?」
 大成は深く溜息ををつくと、僕を顎で指して答えた。
「お前も行くんだよ、真人」






 大成の言ったことをまとめると、それは実に単純明快な話だった。清水さんが明後日の土曜日に2対2で遊ばないかと大成を誘い、人数の埋め合わせに僕が狩り出されたと言うわけだ。
「それって、デートって言うの?」
 話を聞いて最初に頭に浮かんだのは、そんな疑問だった。
「どう考えてもダブルデートのお誘いじゃねーか!」
 大成はすっかり盛り上がってしまっているようだった。デートという響きに憧れるあまり、自分を無理矢理納得させようと信じ込んでいるようでもある。どちらにせよ、今の大成には何を言ったところで通じない気がした。
 そもそも、どこからがデートなのかという定義がわからない。
「まぁ、ダブルデートをすることになったのはいいとしよう。で、その相手がどうして僕なの?」
 大成は2杯目になるブレンドを意味もなく掻き混ぜながら僕の顔を覗き込んだ。。
「清水に指定された」
「……なんで?」
 意外だった。
「俺が知るわけないだろ。清水も知ってるからじゃないか? それとも、案外清水の狙いが真人だったりしてな」
 大成はいやらしくニヤつくと、掻き混ぜる手を止め、ブレンドに口をつけた。
「それはないだろう」
 昨日一緒に下校しただけでそこまで気に入られてしまうわけがない。大方、大成狙いの清水さんが埋め合わせに適当な僕を指定しただけだろう。つまり、僕ともう一人の女の子は脇役なのだ。恋のアシストと言うと聞こえはいいが、要するに不要分子なのである。
 なるほど。そう考えてみれば、デートという表現もあながち間違いではないように感じとられた。
「やっぱりダメか? 真人の休日の予定を奪うことになっちまうしな。嫌なら正直に言ってくれ」
 大成は急にしおらしくなった。暴走機関車のように見えて、友達思いなやつなのだ。
「もちろん良いに決まってるだろ」
 僕は満面の笑みで快諾した。自分の休日が無駄に終わることになるが、無駄なことは嫌いじゃない。それに、世の中には『意味のある無駄なこと』だってあるのだ。
「急に手の平を返すとは、怪しいな。お前、もしかして清水から告られるとか考えてるんじゃないだろうな?」
 大成は水を得た魚のように、また勢いよく話し始めた。感情の起伏が激しいやつだ。
「そんなわけないだろう……」
「よし、じゃあどっちが告られても恨みっこなしな! うぉー、デート燃えるぜぇ!」
 勝手にしてくれ。
 僕は心の中で呟き、冷めきったアメリカンを流し込んだ。

       

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