第三話『だぶるでーと』←New!!

 来るんじゃなかった。その時の僕の感情は、まさにこの一言に集約されていた。
 土曜日の朝、僕はいつもより1時間も早く起きた。サポート役とはいえデートという位置付けな以上、ある程度身なりには気を使う必要がある。僕は昨夜選んだコーディネートに身を包み、髪形をワックスで念入りに整えた。ちょっと気合いを入れ過ぎだとも思ったが、入れないよりはいいだろうという結論に落ち着いた。
 そして集合場所に1番乗りで着き、みんなを待つこと30分。大成の姿が最初に見えたとき、僕はそう痛感したのだった。
「おー、真人気合い入ってるなー」
 そう言って驚く大成は、僕なんか比べものにならないくらい、こ洒落ていた。鞄を含め基調の色を3色にまとめ、清潔感と高級感を意識しているのがわかる。そしてなにより、それを自然体のまま着こなしている。僕のような勘違いお洒落さんとは雲泥の差だった。
「でも髑髏のネックレスは外した方がいいんじゃないか?」
 気さくに笑う大成の指摘を受け、僕はすぐさまネックレスを外す。家を出る前に「お洒落といったら髑髏だろ」とか考えていた自分が恥ずかしくなった。いっそこのまま消えてなくなりたい。
「ほ、他になんかマズい部分ありますかっ?」
 なぜか大成相手に敬語になってしまう。大成は鋭い目付きで僕を四方から見つめた。僕は緊張で直立不動になる。自分の息を飲む音が耳の後ろから聞こえた。
「……まぁ、いいんじゃね?」
 大成の言葉に、どっと力が抜けるのを感じる。
 僕のように何でも理屈で捉らえる人間より、感覚で物事を捉らえる人間の方が、お洒落をするのには向いているのだろう。感覚人類の筆頭である大成に、こういうセンスが問われるものでは勝てる気がしない。
「今日最初に会ったのが大成でよかったよ」
「そこまで言われるほどのことはしてないけどな」
 大成は僕の隣に並んで背中を壁に預けると、何かに気付いたらしく駅の方を指差した。指先を視線で追うと、遠くに二人の女性が見える。
「あれじゃないか?」
 こちらに向かって来ているし、恐らくそうだろう。僕は無言で頷いた。
「驚いたな……」
 大成は口を開けたまま固まってしまった。その気持ちは僕もわかる。なぜなら僕自身も大成と同じように、開いた口を塞ぐことが出来なかったからだ。それほどに清水さんたちの恰好は目を引いた。
「ウケる~。二人とも来るの早すぎっしょ」
 手をひらひらと振りながら朗らかに笑う清水さんは、ふとももまで届く長いセーターを着ていた。ショートパンツがセーターで隠れて、一見何も穿いていないように見える。すらりとしたふとももからニーハイに包まれたふくらはぎまで、その脚線美は視界を引き付けて放さなかった。
 なんだこの高揚感は。
「待ち合わせ10分前集合は基本だろー」
 大成は表情を一瞬で切り替え、いつもと変わらずに振る舞っていた。デキる男はやはり違う。
「あはは、10分前集合とかウケる~」
「んで、そっちの子は? 紹介してよ」
「あ、ごめーん」
 清水さんは後ろに隠れていた女の子の腕に絡み付くと、「ユキちーでーす」とその子を紹介した。
「大林幸音(おおばやしゆきね)です」
 ユキちーこと大林さんは、同年代とは思えないスマートさで、ひらりとお辞儀した。釣られて僕ら二人も頭を下げてしまう。
「松本大成でーす。よろしく」
「竹中真人です」
 大林さんは僕を見て一瞬固まると、また清水さんの後ろに隠れてしまった。
「ちょっとユカ、わたし竹中くんが来るなんて聞いてない!」
 本人は小声で言ってるつもりなのだろうが、残念ながら僕たちの方まで丸聞こえだった。
「えー、うち言ったよー」
 清水さんは口を尖らせてブーブー言っている。僕はというと、さっきの上品な挨拶から抱いた清楚で可憐なイメージが早くも崩されて戸惑っていた。
「真人、お前大林さんになんかしたのか?」
 大成が嫌味ったらしくにやりと笑う。僕は返事の代わりに肘で小突いた。
「何かをするどころか、会ったのだって今日が初めてだよ」
「え、竹っちとユキちーって同じクラスでしょ?」
 清水さんが僕の言葉に目を見開いて反応する。
「あれ、そうだっけ?」
 記憶の糸を手繰りよせてみる。しかし、そこに彼女を見つけることは出来なかった。
「うわー、そりゃありえねぇよ……」
 大成が露骨に僕を軽蔑する。女性陣を見ると、大成と同じ視線を僕に向けていた。
「いや、なんか、ごめんなさい」
 いかにクラスメイトへの興味がないとしても、流石に名前と顔を知らないのはまずかったようだ。僕はとりあえず謝っておくことにした。
 しかし、本当に大林さんは僕と同じクラスなのだろうか。
 僕は改めて大林さんを見つめた。通った鼻筋と卵型の輪郭が特徴的な、端正な顔立ちだった。どことなく気品を感じる膝丈のワンピースに包まれた身体は、無駄な肉のない洗練されたスタイルである。万人が認めるであろう美しさだ。
 高校生レベルでは飛び抜けた美貌をもつ彼女と同じクラスにいて、果たして記憶にないなんてことが起こりうるのだろうか。
「まぁ覚えてなかったなら今日仲良くなればいいんじゃん? 早く行こうぜ」
 大成はそう言ってまとめると、目的地へ向かって歩き始めた。清水さんがそれに続いて大成と並ぶ。
 そこで、僕は今日の真の目的を思い出した。主役は清水さんと大成の二人なのだ。僕の役目はアシスト。裏方に徹することだ。
 大林さんの方を見ると、どうやら想いは同じらしく、大成と清水さんの背中をほほえましく見守っていた。
 つまり、今日一日は大林さんと過ごさなければいけないわけだ。
 なんだか気まずいなぁ……。






 初めにたどり着いた場所は映画館だった。商店街に沿って作られた複合アミューズメント施設の一角にある、大きくも小さくもない程度の場所だ。集客の割には隅々まで掃除が行き届いており、地元住民の大半は1度来たことのあるメジャースポットである。
 わざわざコミュニケーションを図ることの難しい映画を選ぶことはないように感じたが、口を出せる立場ではないので黙っておくことにした。僕としても無言のまま2時間あまりを過ごすことが出来るのだから好都合である。まさに沈黙は金なりだ。
 しかし、その思惑は早くも崩れ去ることとなった。
「この席はないでしょ……」
 僕は誰に言うでもなく呟いた。

 清水さんが予め買っておいてくれたチケットは指定席のものだった。4人連番ではあるものの、中央に通路を挟んでいる。つまり、4人で映画を見に来たにも関わらず、2人ずつの座席になっていたのである。当然大成と清水さんが二人で座ることになり、僕は大林さんと映画を見ることになった。
 右隣りの大林さんを横目で覗くと、相変わらず無言のまま携帯電話に何かを入力している。かれこれこの状態が10分も続いていた。通路の向こうにいる二人は、仲良く世間話で盛り上がりながらポップコーンを食べている。
 はっきり言って気まずかった。大林さんは僕が覚えていなかったことを余程気にしているのか、ここまで一言も会話らしい会話をしていない。これなら清水さんの弾丸トークの方が数倍マシだった。今ではあの馴れ馴れしさにありがたみすら感じる。
「沈黙は金、か」
 とは言っても、いつまで沈黙を貫いているわけにはいかない。上映までまだ5分以上あるのだ。とりあえず僕は会話の糸口を見つけることにした。
「大林さん」
「ん? なに?」
 予想に反して大林さんの返事は明るかった。少し面食らってしまう。
「その、さっきはごめんね」
「ん?」
 大林さんは柔らかく微笑んだまま首を傾げた。
「あぁ、覚えていなかったことね」
 数秒して思い出したのか、大林さんは手の平をポンと叩いた。ジェスチャーが古い。
「仕方ないよ、普段は眼鏡だし。今日はコンタクトだから学校にいる時と印象違うのかも」
 彼女は鞄から眼鏡を取り出すと、右手で髪を引っ詰めながらそれを掛けた。野暮ったい黒渕のフレームは、華やかだった顔を一瞬で地味なものに変化させる。なるほど、これでは確かに記憶にないはずである。そこにはいつも教室の隅で本を読んでいる、目立たない少女がいた。
「これなら見たことあるでしょ?」
「……うん」
 驚いた。女は変わるとはよく言ったものだ。眼鏡と髪形一つでここまで印象が違うものなのか。僕は将来何人もの女性に騙されるような気がした。
「ならよかった。さすがにこの姿でも思い出してくれなかったらどうしようかと思っちゃった」
 大林さんはそう言って舌を出した。
 よかった。どうやら僕の心配は杞憂に終わったようだ。
「それに、謝るのはこっちの方だよ」
 大林さんは急に萎れると、姿勢を正しこちらに向き直った。
「わたしこそ、さっきはごめんね」
 彼女は眼鏡を鞄に仕舞い、髪に手櫛をかけながら言う。
「竹中くんの顔見て、その、驚いちゃって」
 待ち合わせ場所でのことを思い出す。確かに大林さんは僕の顔を見るなり清水さんの背中に隠れていた。今思うと露骨に避けているように受け取れなくもない。
「あんなの気にしてないよ」
「よかったぁ……」
 大林さんは表情をパッと明るくさせると、深く安堵の溜め息をついた。
「嫌われちゃったかなって心配してたんだ」
「その程度のことで嫌うわけないだろ」
 第一、今の今までそのことは頭の片隅に追いやられていた。嫌うほど話しているわけでもない。
 ここまでなんとなく話している内に、会話の糸口が見つかったような気がした。
 申し訳なさからお互いどことなく遠慮をしていたという図式が明らかになったからだろう。映画開始まであと僅か。とりあえず気まずい雰囲気は払拭して当初の目標は達成した。僕はこの勢いに乗って更に会話を繋げることにする。
「どうして僕を見て驚いたの?」
 同じクラスの男子が待ち合わせ場所にいたというだけの理由では、あそこまで露骨な反応はしないだろう。僕は単純に興味があったので聞いてみた。
 大林さんはせわしなく瞳を動かしながら、躊躇いがちに口を開く。
「それは、その……。た、竹中くん、何かと有名人だし……」
 何かと有名人、ね。ここ最近よく聞くフレーズだ。

 より深く詮索しようとしたところで、劇場が暗転し映画の予告編が始まった。自然とお互いの視線はスクリーンに奪われる。言葉を発するタイミングを失ってしまった。
 僕は大人しく、予告編から映画に没頭することにした。