Neetel Inside 文芸新都
表紙

親の七光り
偉大な父の息子として

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 馬の尻に鞭をくれた。いななく馬。同時に疾風が全身を掠めた。
 目を半開きにし、前方を見定める。
 見つけた。総大将。
 腰の弓を取る。片手で手綱を握りながら、矢を抜き取り、それを口の端にくわえた。
 姿勢を整え、手綱から手を離す。ここからは脚で馬を制御する。弓に矢をつがえ、構えた。
 総大将が何度もこちらを振り返っている。焦っているのか。命の危険が迫っていると感じているのか。
 手が汗ばむ。一矢。一矢で仕留めてみせる。
 耳の中で風が渦巻く。弦が震えた。矢を放ったのだ。稲妻の如く、矢が光と風を切り裂いていく。
 次の瞬間、総大将の身体が三日月にように反り返った。馬速が緩む。後方からニ連、三連と矢が飛び込んでいく。それらは全て、総大将の背に吸い込まれた。
 馬を脚で締め上げるのをやめた。総大将が馬から転げ落ちたのだ。ゆっくりと馬を寄せ、息があるかないかの総大将の首を、腰元の剣で掻き切った。
「わが軍の勝利だ」
 喚声。他愛も無い戦だった。勝利が約束されていたようなものだった。

「戻りました」
 自国。もはや周囲の国家など、恐れるに足りない。近頃の戦と言えば、小さな反乱分子を駆逐する程度のものだ。先ほどの戦もそうだった。
 人間など分かりやすい生き物で、突出したものが現れたら、そこに全てが集う。
 そして我が国、エクセラこそが、その突出した国家だった。
「で、どうだった。ラムサス」
 名を呼ばれた。この人はエクセラの王だ。人に自分の事を神王などと呼ばせている。
「他愛もありません。我が軍六万、敵軍二千。どうやったって、負ける戦ではありませんよ」
「皆殺しか?」
「分かりません。そうするように命令は出しておきましたが」
 皆殺しなど興味がない。神王がそうしろと言ったから、命令を出しただけだ。
 皆殺しに何の意味があるのか、と一度だけ聞いたことがあった。それに対し神王は、見せしめだ、と答えた。
「それではいかんな、ラムサス。君はそれでも軍神かね」
 軍神。いつの間にかついたあだ名だった。だが、功績らしいものは何も挙げていない。
 父が、偉大だった。他国から戦神と畏怖され、このエクセラを一大国家に築き上げた、最大の功労者だ、と聞いている。
 その父は病死し、その嫡男である俺が、後釜になったのだ。だから、軍神などとあだ名がついている。所詮は親の七光りでしかない。
「軍神、ですか」
 そう考えると、苦笑するしかなかった。
「お前の父、カルサスは偉大だったぞ。敵という敵を皆殺しだ」
「父と私は違います」
「・・・・・・。まぁよかろう。一応は忠実に命令をこなしているようだからな」
「また戦があれば、お呼び下さい」
 軍神だとか、皆殺しだとか、そんなものはどうでも良かった。ただ、俺は幼い頃から武芸ばかりをやっていた。だから、戦をしたい。
 戦をして、この培った武芸を遺憾なく発揮したい。ただそれだけだ。そこには神王の意思もエクセラの利害も存在しない。
 それに、このエクセラ広しと言えども、俺より強い奴は誰一人として居なかった。だからこそ、外に求める。外の世界で、自分の強さを確かめる。世界は広い、父カルサスの口癖だった。それがどういう意味なのか、まだ俺はよく分かっていない。

「ランド、馬の手入れを頼む」
「お、おかえりなさいませ。し、神王から何か言われませんでしたか」
「? 何かとは」
 兜を机に置き、鎧を脱ぐ。返り血が生々しかった。戦をしてきた。そう感じる一瞬だ。
「い、いえ、何でも・・・・・・ないです」
 ランドは普段からこうだ。オドオドとしている。これが少々気に食わないが、よく働く従者の一人だった。
「神王はいつもの通りだ。皆殺しにひどくこだわっておられる」
「そ、そうですか。しかし、ラムサス様も二十歳です。そ、そろそろ大きな、こ、功績を」
「分かっているさ。だが、戦がない。万単位の戦がな。もう残っている反乱分子も僅かだ。あと一年もせず、世は平定されるだろう」
 事実だった。父カルサスがやり過ぎたのだ。やり過ぎた、というのは変かもしれないが、父が、エクセラと対抗し得る国家を全て叩き潰していた。いわば、俺は残ったカスを掃除しているようなものだ。
「そ、そうですか」
「それよりランド、早く湯を沸かしてくれ。身体を洗いたい」
「わ、わかりました」
 自分の身体を眺める。どこにも傷はついていない。鎧に囲まれていたのだ。当然か。
 俺は幼少の頃から、周りと比べて頭抜けた体躯をしていた。今でもそうだ。阿修羅の如き肉体、と表現された事もある。
「宝の持ち腐れだな」
 独り言を呟き、苦笑した。
 この体躯があっても、使う場所が無い。父より早く産まれていれば。そう思う時もあった。
 父は、俺が十二歳の時に死んだ。死に目には会えなかった。朝起きて、使いの者から知らされただけだ。
 そして、14歳の初陣。思えば、あの時からずっと戦だ。勝って当たり前の戦ばかりで、鬱屈する日々が続いたものだ。

「お、お待たせしました」
「あぁ」
 明日は、戦があるだろうか。少しは、歯ごたえのある相手だろうか。
 湯に浸かっている間、俺は戦の事ばかりを考えていた。

     

「神王、お呼びでしょうか」
 翌朝、俺は神王から呼び出された。俺が呼び出される理由は、戦以外に無い。
「ラムサスか。昨日、あれだけ叩き潰したと言うのに、また反乱軍が現れたそうだ」
 神王は、白い猫を膝の上に乗せ、その身体を撫でながら言った。神王は肥沃な身体で、滅多に王座から動かない。
「ラムサス、本当に皆殺しにしたんだろうな。ん?」
 分からない、と言ったはずだ。俺はそこまで管理していない。
「何故、何も言わない」
「命令は出しました。私の兵は命令には忠実です。皆殺しにしているはずです」
「『私の兵』ではないだろう。『カルサスの兵』だ。お前は、カルサスの兵を受け取ったに過ぎん」
 確かにその通りだ。父が病死し、その兵をそのまま自分の管轄下に置くことになった。
鍛錬も、軍律も、個々の力も、全てが完成していた。俺は、父がやっていた事を真似しているに過ぎなかった。
「ラムサス、お前の父は偉大だったよ。カルサスが生きていれば、反乱軍はもっと大人しくしていたかもしれんな」
 何も言えない。全ては仮の話だ。
「まぁ良かろう。反乱軍を叩き潰して来い」
 猫が膝の上から飛び降りた。
「ワシのキュアルちゃんが。おい、捕まえろ」
 侍女に指示を出し、面倒そうに顔をこちらに向けてきた。
「まだ居たのか。早く行け」
「・・・・・・はっ」

「ランド、戦だ。武具を出してくれ」
「は、はい」
 厩に行く。馬の調子を調べるのだ。
「今日は、どこに行かれるのですか」
「西の方だ。また反乱軍が現れたらしいからな」
 鎧を着込む。鎖帷子の方が動きやすいのだが、指揮官は鎧にしろ、と神王が命令してきた。
わずらわしいが、仕方が無いことだった。
「デンコウの調子は良さそうだな」
 愛馬だった。16歳の頃から、乗り続けている。大きな馬で、足も速い。
何より、気性が攻撃的だった。俺と相性がバツグンに良いのだ。
「ぶ、武器は、剣ですか、や、槍ですか」
 何でも使える。だが、剣が好みだった。槍は強い。剣で槍をねじ伏せるのが好きなのだ。
「剣だ。あと短弓と矢を三十本だ」
 これで遠近、共にこなせる。
「ラムサス様、て、敵軍は二千五百との事です」
 また少数だ。今日の神王は、軍はいくら出せと数の指定はして来なかった。昨日は六万だ。
「こちらも二千五百で出るぞ」
「そんな」
「神王は数の指定をして来なかった。私の裁量に任せるということだ。残りの軍で、城の防備だ」
 父カルサス軍・・・・・・いや、元カルサス軍は十万という大軍だった。これは、エクセラの軍力の半数に値する。
軍の実権を、父は完全に掌握していた。そして俺は、それを引き継いだのだ。
「し、神王が何とおっしゃるか」
「勝てばいい」
 そして皆殺しにすればいい。それで神王は満足する。
「お、お願いです。六万、ろ、六万連れて」
「くどいぞ、ランド」
 何をそんなに慌てているのだ。俺の指揮がそんなに心許ないのか。そう考えると、苛立ちが湧いた。
「ラムサス様、反乱軍は西の関所を制圧しようとしています」
 諜報員だ。たかが二千五百で、関所を落とせるものか。関所の上から矢を放つだけで、壊滅する可能性だってある。
「この二千五百は手強いらしく、今までの反乱軍とは違うようです」
「違う? どういう意味だ」
「分かりません。ただ、関所が苦戦しているのは間違いありません」
 二千五百で関所を落とすのか。従来の戦では、その十倍は無いと落とす事など出来はしない。
それでも昼夜兼行で攻め続けて、五日はかかる。
「分かった。だが昼夜兼行で駆ける必要は無い。今回は二千五百だ。移動も軽いだろう」
「ら、ラムサス様」
「ランド、そんなに心配なら付いて来い。俺の戦を見せてやる」
「ち、違うんです」
 何が違うと言うのだ。相手はたかが反乱軍だ。
父の・・・・・・いや、俺の軍が負けるわけが無い。
「ならばお前は留守番だ」
「ら、ラムサ」
「くどいッ。もう喋るなッ」
 怒鳴った。ランドは俯き、身体を震わせている。少し悪い気がしたが、すぐに振り払った。
「ラムサス軍二千五百、出るぞッ。反乱軍を鎮圧するッ」
 関所が苦戦している。手強い。これらのキーワードが、頭の中で反芻されていく。
 やっと、やっと、自分の力を試す時が来た。功績もあがらないし、大した戦でもないと誰もが言うだろう。
だが、これは兵力で押す戦では無い。相手が援軍を手配してきたら? 途中で伏兵が居たら?
様々な疑問が湧いて出てくる。大兵力を率いていた時には無かった疑問だ。
「神王に、俺の力を見せる時が来た」
 緊張と躍動感が、身体の中で渦巻いていた。

     

 二千五百。
 当たり前だが、昨日の六万と比べると、いかにも頼りない軍勢だった。いや、軍勢と呼べるのかすらも怪しい。だが、進軍は素早かった。大軍になると隊列が乱れ、間延びしやすい。そして、その分だけ進軍が滞るのだ。
 軍は全て騎馬で固めた。圧倒的な攻撃力と素早さ。そして何より、俺自身が鍛え上げた兵科だ。父が鍛えた兵科ではない。父は、歩兵に力を入れていた。歩兵は全ての基本だ、と父が語っていたのを今でも憶えている。
 対抗心だった。父の兵科ではなく、俺の兵科で、少数で、戦に勝つ。
「ラムサス様、あと半日で関所に到着いたします」
「あぁ、分かった。ギリ、二千五百を五隊に分けろ。内ニ隊は弓を持たせる」
「はっ」
 ギリが駆け去っていく。
 ギリは俺の副官だ。戦は上手くないが、人望があった。そして何より、俺を戦神カルサスの息子としてではなく、ラムサスという一人の人間として見てくれていた。
 反乱軍。一体、どんな相手なのだろうか。進軍中にいくつも情報が入ってくるが、その八割は状況報告だ。相手の情報は数えるほどしか手に入らない。
 相手の軍は、騎馬を中心とした突貫型の軍勢という話だった。つまり、今の俺が率いている軍と同型という事だ。
「間もなく到着いたします」
「よし、陣形を組め。前衛と後衛で二段に構えるぞ。前衛は俺が指揮を執る。後衛はギリ、お前だ」
「はっ」
「右翼、左翼は槍。中央に俺が入る。俺の周りは近衛兵で固めろ。武器は剣だ」
 槍で圧力をかける。前に突き出すだけで、かなりの圧力になるのだ。俺の部隊を剣で固めれば、敵はこちらに向かってくる。向かってきた敵を、右翼・左翼で挟撃、そして中央隊で叩き潰せる。
「見えます。関所です」

「お待ちしておりました、ラムサス様っ」
 関所の指揮官だ。相手はたったの二千五百だと言うのに、必死の形相だ。
 神王は辺境の守りを手薄にしていた。反乱軍をおびき寄せるためなのかもしれないが、こんな無能な指揮官を置くぐらいなら、文官を持ってきた方がマシだと思える。
「状況はどうなっている」
 言いつつ、見晴らし場の方へ向かう。指揮官も、早足で追いかけてきた。
「関所は破損しておりません。ですが、すでに全兵力の半数が負傷兵です」
 情けない話だ。弓を射ていれば、敵は倒せるだろうに。
「敵は?」
「あの原野で陣を取っています」
 指揮官が指差す方向に、陣営があった。障害物はほとんど無い。
「なるほど。すぐにでも動けるわけだな、敵は」
「えぇ、そうです。我らが攻め入ったのですが、騎馬隊で蹴散らされるだけで」
 当たり前だ。関所を守っているのに出てどうする。あれが罠だと気付きもしないのか。
「兵糧は?」
 最も重要な点だ。食料が無ければ、飢えに苦しむ。そして士気に関る。
「蓄えは十分にあります」
「奪われてはないのだな?」
「それはもちろんです」
 さすがにそこまでの愚は犯していないか。
「所でラムサス様、今回は偉く少数のようで・・・・・・」
「二千五百だ。私はこれで十分だ」
 指揮官が目を見開いた。信じられない、とでも言いたそうだったが、放っておいた。
 国が大きくなると、数に頼る。数に頼れば、質が落ちる。先人が身を持って伝えてきた事だ。
「関所の戦える兵を、見晴らし場に上げろ。全員、武器は弓だ」
 本来なら投石器なども戦術として取り入れるが、辺境だった。弓矢しか無いのだ。
「我が軍は関所の前に出る」
 離れ際、敵軍の陣営に目をやった。陣形を組んでいるようだ。援軍を察知したのか。
「敵は無能ではないらしい」
 独り言だった。

「ラムサス様、敵軍が動きます」
 見晴らし場からの声。
「ギリ、矢の準備をさせろ」
「はっ」
 ギリが駆け去る。同時に大声で指示を出し始めた。
 土煙。
「槍を突き出せッ」
 同時に剣を抜く。一気に突撃してくるか。指揮官は勇猛果敢らしい。
「無謀とも取れるがな」
 独り言を呟いた。騎馬が見えた。突撃してくる。
「矢を放てッ」
 瞬間、敵軍から矢の雨が降り注いだ。
「なんだとッ」
 迫り来る矢を剣で切り払った。この程度、造作もない事だ。だが、敵の行動が早い。こちらの矢などお構いなしで突撃してくる。
「右翼・左翼、槍で牽制しろ。中央隊、前へ出る」
 剣を天に突き上げた。
「いけぇッ」
 剣を振り下ろす。右翼・左翼が飛び出した。続いて中央隊も突撃する。
「デンコウ、俺と一緒に敵を叩き潰すぞッ」
 愛馬デンコウがいなないた。足が速い。軍の先頭を突っ走る。敵。顔がはっきりと見えた。
「邪魔だッ」
 剣を横に薙ぐ。首が宙を舞った。すでに矢の牽制は無い。敵味方が入り乱れているのだ。逆に犠牲が出る。
「後衛は何をしてる」
 敵の槍を叩き斬り、身体をアジの開きのように真っ二つにした。
 関所の兵は弓矢を構えている。一度下がり、矢で数を減らすべきか。
「ちぃッ」
 槍が頬を掠めた。避け際に両腕を斬り飛ばす。
 一度下がる。いや、無理だ。敵の動きが思った以上に良い。関所に取り付かれれば、騎馬は使えない。
「兵科をミスったか。前衛、固まれッ」
 敵が陣形を整えている。その隙に、こちらも陣形を変えるのだ。
「クソッ。完全に後手だ」
 車輪のように陣形を組んだ。騎馬だからこそ出来る陣形だ。グルグルと円を描きながら、敵の前衛を剥ぎ取る。順番に攻撃し、徐々に数を減らしていくのだ。
 一度手合わせして分かったが、敵軍は個々の能力も高い。すでにこちらの兵、数十は死に、百少しの負傷兵が出ている。
「だが、まだこれからだ」
 円を描きつつ、敵の前衛へ突撃をかけた。

     

 中々やる。
 エクセラ軍は、数でしか力を示す事の出来ない、臆病者しか居ないと思ったが、どうやら違うらしい。
「ハンスさん、前衛陣が次々と削り取られていますよ。どうするんですか」
 私の鍛え上げた騎馬隊と互角とは。しかし、何故今になってエクセラ軍は少数なのだ。いつもは大軍だ。
「分かっている、ローレン。まずは引き込む。関所を見てみるが良い」
 ローレンが関所の方に目を向けた。
 ローレンは、我ら反乱軍の中で最も若い幹部だった。まだ二十歳にもなっていない。ヒゲも薄く、どこか頼りない印象だが、武芸に関しては天才だった。そして、戦も上手い。いずれは、この反乱軍を背負って立つ男だ。
「なるほど、弓矢を構えていますね」
 さすがに良い着眼点だ。
 おそらくだが、エクセラ軍は地の利を活かし、弓矢を中心に攻めたいはずだ。つまり、近距離戦ではなく、遠距離戦を軸にしたい。我らが間髪入れずに突撃したため、今は止む無く近距離戦を展開しているが、ゆくゆくは距離を取りたいはずなのだ。
 今の状況では、そのまま関所に向けて反転しても、距離が足りない。つまり、撤退しながら近距離戦を行う事になる。敵味方が入り乱れているせいで、当然弓矢も使えない。そして結果的に、関所という大きな壁を背負いながらの戦になる。完全に不利になるという事だ。
 そうなれば、距離を空けるしかない。それも、相手を押し潰す形で、圧倒的な力でだ。そうすれば、敵に圧力をかけられる。防御一辺倒にさせる事ができる。距離を十分に空ければ、あとは反転するだけで良い。弓矢を射て、相手の数を減らせる事が出来るのだ。
「そうだ、ローレン。今エクセラは、これ以上にない攻め方をしている」
「圧力をかけてきていますね。反撃させないように。あれは布石です」
「さすがだな」
「誰にでも分かることです」
 果たして、エクセラはどこまで押し込んでくるか。関所までの距離が開けば開くほど、反転する距離が伸びる。
「でも良いんですか? せっかく鍛え上げた兵ですよ」
「すでに手は打ってある」
 そう、今の状況はただの布石にしか過ぎない。相手も布石を置いているなら、我らも同じだ。
「だから、後衛で指揮を執ってるんですか。前衛の指揮官は誰です?」
 ローレンは、もう私の戦術に気付いたようだ。
「クラインだ」
 クラインは慎重な男だ。すでに、兵の損耗を抑えつつ、相手に気付かれないように下がれ、と命令は出している。戦も上手い。必ずやり遂げるはずだ。
「ローレン、右翼の指揮を頼んだ。私は左翼だ」
「分かりました。タイミングは?」
「前衛が固まったらだ。クラインなら、成し遂げる」
「了解しました。それじゃハンスさん、失敗しないでくださいよ」
「生意気な奴だ」

 あと少し。今の距離では、まだまだ矢の効果は挙がらない。
「叩き殺せッ。確実に数を減らしているぞッ」
 車輪の陣形、順番に攻撃し、徐々に数を減らす。敵からして見れば、勢いのついた新手を毎度相手にしなければならない。
 騎馬だからこそやれる。グルグルと円を描き、勢いを付けて敵を叩き潰す。確実に一人ずつだ。
「下がれッ。賊軍がッ」
 首を刎ねる。決死の表情だった。だが、迷いなど無い。
 周っている間、周囲の状況を確認する。あと少しだ。敵の数も減っている。敵軍の個々の能力は高い。だが、それはこちらも同じ事だ。
「ギリ、後衛に弓の用意をさせておけよ。雪崩れ込むと同時に、射落とす」
 呟く。敵が見えた。真っ二つにする。
「あと二周と言った所か」
 こちらの数は減っていない。敵軍は確実に消耗している。目に見える状況は、兵の士気を上げる。
 二周した。距離も十分。行ける。
「前衛、固まれッ。円は崩すなッ」
 俺の鍛えた騎馬隊だ。動きは迅速で、隙も無い。
「隊列を組めッ」
 円が丸になった。
「反転、関所に向けて駆ける。全力だッ」
 同時に駆ける。敵に背を向ける。今まで、ずっと守りだった敵だ。今が機だ、と攻め込んでくる。
 来た。思った通りだ。このまま関所まで駆け抜ける。地鳴り。馬蹄が、地鳴りのように聞こえてくる。
 その瞬間だった。
「なんだとッ」
 周囲の兵が、次々と馬から転がり落ちていくのだ。背に矢が立っている。振り返った。
「そんなバカな」
 敵の前衛陣は縮こまり、代わりに右翼・左翼から後衛が追ってきていた。武器は弓だ。しかも、射程の長い長弓。騎馬で長弓など、相性が悪すぎる。だから、そんな選択は有り得ない。いや、有り得ないと思っていた。
「ラムサス様」
「行け。しんがりは俺が務める」
 駆けながら言った。次々と矢が飛んでくる。全ては捌ききれない。だが、デンコウならば。
「我らも迎い討ちます」
「ダメだ。しんがりは俺一人でやる。関所の弓矢の射程範囲まで下がれば、俺たちの勝ちだ」
 違う。もう俺の戦術は看破されているのだ。今は、犠牲を最小限にする事だった。
 矢。剣で払い落とす。
「お前たちは全力で駆けろ」
 矢を捌く。兵たちが、関所に向けて駆けて行く。
「一、二・・・・・・七か」
 短弓の射程範囲に居る敵の数だ。デンコウ、関所に向かって駆けろ。だが、速度は抑えるんだ。脚で、デンコウの腹に伝える。
 剣の柄を歯でくわえ、弓に矢をつがえた。身体を目一杯ひねる。
 次の瞬間、右から左に掛けて、七連続で矢を放った。右翼・三人、左翼・四人。馬から落とす。さらに矢をつがえる。
「エクセラの総大将ッ。僕と一騎討ちしろッ」
 若い、まだ少年のような、白馬に乗った男だった。

     

 ローレン、何を言ってる。
 私は思わず、右翼に顔を向け、ローレンを探っていた。一騎討ちしろ、確かにそう言っていた。
「エクセラの総大将、答えろッ」
 まただ。ローレンの奴、何を考えている。
「触発されたか、ローレン」
 完璧に戦術が決まったと思った。前衛陣を囮にし、後衛の長弓部隊で敵を射落とす。右翼・左翼からだ。敵は背を向け、必死に逃げるしかないと思っていた。
 だが、違った。エクセラの前衛陣から、大きな茶色の馬に乗った、偉丈夫が出てきた。そこからは稲妻だった。瞬く間に、出すぎた兵を馬から落として見せたのだ。
 おそらく、これに触発された。ローレンはプライドが高い男だ。武芸に関しては、絶対の自信を持っている。
「まだ若すぎる。将軍にあげるのが早かったか」
 このまま距離を取って、長弓を射ていれば無傷で敵の数を減らせる。一騎討ちをする意味など無い。全体の情勢を見極めれば、簡単に分かる事だ。
「ローレン、抑えろッ」
 叫んだ。
「嫌です。ハンスさん、一騎討ちさせてくださいッ」
 思わず眉間にシワを寄せた。聞き入れない事は分かっていた。
「全体の情勢を見極めろッ」
「見極めてますよ。エクセラの総大将、答えろッ」

 白馬の男が、さかんに威嚇してきていた。
 一騎討ちしろ、と何度も叫んでいる。俺は、短弓で敵を射落としながら、白馬の男に目をやった。
「我が名はローレン、反乱軍、随一の武芸者だッ」
 名乗りを上げた。ならば、返すのが礼儀というもの。
「戦神カルサスの嫡男、ラムサスだッ。この軍神と剣を交えるかッ」
 弓を射る。もう二十人は馬から落とした。さすがにここまで落とすと、敵も距離を取り始めた。俺の弓の腕は百発百中だ。ミスは無い。
「ローレン、下がれッ」
 左翼からの声。低く、重みのある声だ。あの男の上官なのか。
 一騎討ち、それは願ってもいないことだ。緒戦は負けが決まっている。もうこうなってしまえば、関所まで一気に雪崩れ込むしかない。篭城戦になり得るのだ。
 だが、一騎討ちで勝てば、士気を一気に回復できる。逆に敵の士気はガタ落ちだ。勝てる見込みも出てくる。
「ローレンッ」
 あの上官は、若い男を抑え切れていない。情けない奴だ。部下も満足に扱えないのか。
「その勝負、受けて立つ。だが、条件があるッ」
 叫ぶ。エクセラに、俺より強い奴は居ない。エクセラは一大国家だ。辺境の軍の武芸者など、恐れるに足りん。
「軍を下げろ。でなければ、その申し入れは聞き入れんッ」
 若い男が口元を吊り上げた。笑っているのか。
「ハンスさん、軍を下げてくださいッ」

 ローレン、馬鹿な事を。
「お前が一騎討ちをして、我らに何の得がある。考え直せッ」
 もう関所まで僅かだ。このまま駆け続ければ、篭城線に持ち込める。関所を突破できるかもしれないのだ。
「もう作戦は失敗したも同然です。ならば、ここで名のある将軍をッ」
 そんな事を叫ぶな。エクセラの総大将に目を向ける。
「完全にやる気だな。当たり前か」
 総大将は、ローレンの目を睨みつけていた。
 確かに、もう我々の作戦は看破されている可能性が高い。何せエクセラ軍が少数で出てきたのだ。どこかで情報が漏れたのかもしれない。
 そう考えると、確かにローレンの言い分にも一理ある。だが、まだ若い。
「下げてくださいッ」
 仕方が無い。兵たちも一騎打ちを望んでいる節がある。ローレンめ、雰囲気を味方につけるのが上手い男だ。
「後衛、足を止めろッ」
 必ず討て。それが条件だ。

 反乱軍は軍を下げた。当然、俺の軍もだ。一騎討ち。何の邪魔も入らない、正当な命の奪い合いだ。
 若い男が、作戦は失敗した、と言っていた。これが気になるが、今は一騎討ちだ。目の前のコイツを殺す事だけを考えれば良い。
「僕は槍だ。お前は?」
「俺は剣で良い。槍に頼るほど、軟弱ではないからな」
 風が柔らかい。俺の軍は後方で陣を組み、相手を牽制していた。この小僧を殺した瞬間、雪崩れ込むためだ。それは相手も同じだった。
「僕が軟弱? あの程度の弓の腕で、よく大口を叩ける」
「やればわかる」
「フン」
 デンコウ、お前の方があの白馬よりデカい。威圧できる。俺も、あの小僧をすぐに斬り殺してやる。
「僕をなめるなッ」
 白馬が、若い男が槍を突き出し、駆けてきた。
 

     

 槍。速い。突き出しから急所へ飛び込んでくる速度が、並では無い。小僧め。
「殺戮の国、エクセラがッ」
 鎧を掠めた。剣を構える。攻撃に転じる。
「お前を討てばッ」
 切っ先が、鎧を削った。火花が散る。首を掻き切るつもりで、剣を横に薙ぐ。男は仰け反り、それをかわした。
 馬と馬が押し合っている。至近距離。剣の方が有利だ。
「小僧、命は大切にしろ」
 柄尻で胸を突いた。男が姿勢を崩す。次の瞬間、電光石火。見えたのは火花。
「それは僕のセリフだ」
 槍の柄で、剣を受け止めていた。運が良いのか、実力なのか。
「ちっ」
 剣を押し込み、距離を広げる。デンコウ、駆けろ。追ってこなければ、勢いを付けて叩き斬る。追ってくれば。
 デンコウが反転し、駆けた。男は動かない。追って来ないのか。
「追ってくれば、弓矢で終わらせたものを」
 反転。勢いのついた斬撃は、槍ごと叩き斬れる。
「ッ」
 その瞬間だった。矢が頬を掠めた。男が弓を構えていた。ニ射目が来る。
「小僧が」
 構わず駆けた。矢など視認できる。俺には関係が無い。
 矢。首を横に倒し、それをかわした。剣を振り上げる。
「僕をなめるなと言ったはずだッ」
 突進してきた。あの白馬、気性が攻撃的だ。デンコウに怯まずに向かってきた。勢いが消され、剣を振り切れない。
 交差。火花が散った。中途半端な攻撃だ。駆けた意味が無い。
「何でお前らエクセラは皆殺しにするッ」
 反転。今度こそ、勢いを付ける。
「神王がそうしろと言ったからだッ」
 槍。やはり速い。避けるのに集中しているせいで、急所に向けて振り切れない。だが、それは奴も同じ事。
「お前は神王の言いなりかッ」
「小僧に何が分かるッ」
 反転。あの男、戦闘センスが良すぎる。あの若さで。
「エクセラが何をしているか知りもしない奴が将軍なんてッ」
 片手で剣を持ち、片手で手綱を握った。攻めの方向を変える。あの男は強い。
「そんなもの関係無いッ」
「何故、お前はエクセラに与するッ」
 大した理由などない。父がエクセラの将軍だったから。生まれた場所がエクセラだったから。いや、何より俺は。
「戦がしたいからだッ」
「お前のような奴が居るから、平和がいつまで経っても訪れないんだッ」
 交差。片手だとさすがに痺れる。力もあるのか、あの男は。手綱を引き、馬首を巡らせた。男は流れで駆け去っている。追う。弓矢で仕留める。
「平和を望むなら、エクセラに降れば良いッ」
 男が身体をひねった。手には弓矢。信じられない。即座に対応してくるのか。
 構うものか。弓矢の腕なら、俺の方が上だ。奴は槍を持ちながら狙撃しなければならない。俺の方が有利だ。
「馬鹿な事をッ」
 剣を歯でくわえる。矢をつがえ、奴の身体に照準を合わせた。互いの馬の振動で、狙いが上下する。
「戦う意味を考えろ、エクセラッ」
 矢。身体をひねってかわす。間髪入れず、こちらも放った。だが、よけられた。動体視力も良いのか。
 二射目。矢をつがえようとしたが、男が、白馬が距離を離してきた。すでに奴は弓矢を収めている。
 射撃戦では決着がつかない。やはり、剣と槍。これで勝負をつける。
「意味など必要ない。戦が出来ればそれで良いんだッ」
 全速力。デンコウ、駆けろ。勢いを目一杯つけろ。
「圧倒的有利な国に従って、戦がしたいなどッ」
 火花。交差はしない。鍔迫り合いだ。力の強い者が勝つ。
「何とでも言え・・・・・・。俺は、父の・・・・・・父の名で」
 親の七光りだ。だから、何がなんでも功績を挙げなければいけないんだ。この兵力で、お前たちに勝たなければ。
「いつまでも腐った男だッ」
 押す。小僧に負けるほど、非力ではない。剣の距離。斬れる。
 瞬間、白馬が後ろに下がった。そんな馬鹿な。馬が下がるなど。槍の距離だ。急所に飛んでくる。
「串刺しだッ」

     

 その瞬間だった。デンコウが飛び込んだ。脚で何も伝えていない。手綱も持っていない。それなのに。
 距離が消される。再び剣の距離になった。いや、デンコウが剣の距離にした。
「なっ」
 男が目を見開いた。槍が脇を削り、火花が激しく飛び散る。今が好機。
 斬り上げた。槍が螺旋を描き、虚空へと吹き飛ぶ。間髪入れず、柄尻で胸を激しく突いた。男の身体が馬から落ちる。態勢を整える前に、剣の切っ先を喉元に突きつけた。
「終わりだ」
 同時に、槍が地面に突き刺さった。
「くっ・・・・・・」
 刃が、太陽の光を照り返していた。一瞬の出来事だ。デンコウでなければ、死んでいた。心臓を貫かれていた。
「僕の負けだ。首を刎ねろ」
 切っ先は動かさない。刎ねるつもりなどない。
「どうした、早くしろよ」
 俺の実力じゃない。俺が勝てたのは。
「馬だ。馬の差で勝った。俺に首を刎ねる権利などない」
「何を言ってる。馬の差でも、勝利者はお前だ」
 結果を言えばそうだ。だが、満足が行かない。それに小僧のくせに強い。実力伯仲。一言で言えば、こうだろう。
「ならば、兵を退け」
「首を刎ねろ」
「ダメだ。お前はまだ若い。俺は、またお前と勝負したい」
「・・・・・・本気で言ってるのか」
「本気だ。本来ならば、皆殺しにしなくてはいけないが、それ以上の物を得る事が出来た。だから、兵を退け」
 神王に何か言われる。もしかしたら、処罰が下るかもしれない。しかしそれでも、この小僧を生かしておく意味がある。
「ハンスさんに相談する」
「左翼の奴か?」
「そうだ。僕には甘い」
 だから、コイツを抑え切れなかったのか。どの道、情けない上官だ。
「分かった」
 剣を喉元から離した。一騎討ちで敗者が生き残る。それは生き恥を晒すのと同然だ。
「お前は負けていない。俺の軍では、そう言っておこう」
 何を馬鹿な事を言っているんだ、俺は。敵に情けをかけるとは。
「・・・・・・」
 男は、歯を食いしばっていた。
 俺は剣を鞘に収め、自分の陣へと帰還する。勝った。だが、殺していない。兵たちは、怪訝な表情で俺を見ていた。
「ラムサス様、騎馬隊は動かしませんでした。これで良かったでしょうか」
 ギリだ。さすがに、俺の性格をよく掴んでいる。
「あぁ。あれは、俺の実力で勝ったわけでは無いからな」
 そう。デンコウの力で勝った。つまり、俺はまだまだ未熟だという事だ。
「反乱軍の兵が退いたら、帰国するぞ」
 
 ローレンが敗れた。
 反乱軍の中で、ローレンに勝てる者は誰一人として居なかった。それは、自分とて例外では無い。武芸の天才だった。反射神経も、動体視力も、馬を操る技術も、どれを取っても一級品だった。だがそれでも、敗れた。
 意外だったのは、エクセラの総大将がローレンの首を取らなかった事だ。殺戮の国、エクセラの総大将が、ローレンを見逃した。
「ハンスさん、申し訳ありません」
 顔を伏せたローレンが戻ってきた。声が震えている。泣いているのだろう。
「あの総大将は強いな」
 ローレンが頷く。顔は伏せたままだ。
「兵を退くぞ。どの道、作戦は失敗だ」
 それに、ローレンが負けた事で兵の士気がガタ落ちだ。クラインの指揮する前衛部隊も疲弊していた。
 激しい攻撃だった。車輪の陣形、良いものを見せてもらった。外から見ていても、抗し難い圧力だと分かった。
「良いのですか」
 鼻をすすりながら、ローレンが言った。
「これ以上、ここに留まっても仕方が無い。兵も早く帰りたいだろうからな」
 ローレンが静かに頷いた。始めての負けだろう。だが、これをバネに大きく成長する。ローレンは、まだ若いのだ。
 ふと、作戦の事を思い浮かべた。
 エクセラは、どんな規模の小さい反乱でも、万単位の軍を導入してきた。そして例外なく、皆殺しだ。これは何年もかけて調べた事だ。だからこそ、ここに隙があると考えたのだ。
 エクセラは国土が広い。東から北にかけて、隙間なく大地を保有している。それに比べ、私たちは西から南にかけての『L』字型でしか領地を保有していない。
 今回の作戦は、これを利用したものだった。私の軍二千五百は、あくまで囮だ。エクセラ軍が大軍で攻め寄せてきた時の時間稼ぎ。だからこそ、精鋭で固めた。
 主力は南の方だった。兵力は四万。反乱軍の全兵力だった。西でエクセラの大軍を釘付けにし、南から大挙して攻め寄せる。エクセラは、北からやって来る異民族からも国土を守らないといけない。どうしても、兵力は分散されてしまうのだ。
 だが、何故か今回だけは二千五百で現れた。冗談だと思い、すぐさま突撃を仕掛けたが、本当だった。
 戦略が看破されたと思った。そしてすぐに南へ連絡の者を送り、作戦の中止を知らせたのだ。
 そして、この結果だ。
「エクセラは、やはり手強いな」
 思わず、苦笑してしまった。現実は甘くない。もう四十になるが、改めて身に染みた言葉だった。

       

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