Neetel Inside 文芸新都
表紙

親の七光り
二人の親の七光り、その進む道

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「陣を崩すな、槍を突き出せッ。敵も同じ兵科だぞ、当たり負けるなッ」
 騎馬隊が駆ける。丘の上で指揮を執っているせいか、デンコウが勇んでいた。戦列に加わりたい、と身体で言っている。
「デンコウ、落ち着け。これは調練だ」
 瞬間、騎馬隊が突き崩された。錐の先端の如く、陣を貫かれたのだ。攻撃力重視である逆V字型の偃月陣を貫いてきた。
「鋒矢の陣かッ」
 ↑型の陣形。突破力に優れている。これを機に一気に陣は乱れた。白旗を上げさせる。
「さすがと言うべきか」
 丘を駆け下りる。
「ラムサス、騎馬の扱いがなっとらん」
 白い毛が混じったあごひげを風になびかせ、壮年の男が兜を脱いだ。
「申し訳ありません、バリー将軍」
 反乱軍・グロリアスは、一気に飛躍した。僅か四万という兵力で、強大なエクセラを打ち破ったのだ。すでに兵力は二十万に達している。エクセラから数多くの兵が反乱軍に寝返ってきており、このバリー将軍もその一人だった。
「そなたの父、カルサス様はどの兵科を使わせても強かった」
 バリー将軍は父の代からの将軍で、騎馬隊の指揮を執っていた。幼少の頃、よく戦術を叩き込まれたものだった。
「父と私は違います」
「フハハ、お前は昔から、父と比べられるのを嫌がっておったな」
「武芸ならば、父にも負けませぬ」
「戦は一人でするものではない。エクセラのドーガも、武芸ばかりの男だった」
「分かっております。ですが、将が強くなくては、兵はついてきませぬ」
「分かった、分かった。ワシが悪かったわい。だが、騎馬の扱いはもっと上手くならんとな」
 バリーが声をあげて笑った。
 しかし、さすがに兵の数が五万を超えると、指揮系統に乱れが生じるようになっていた。数千ならば、誰とやっても負ける気はしないが、万単位、それも五万を超えてくると話が違ってくる。とにかく動きが遅いのだ。丘の上から指揮を執っていたが、これなら自らが先頭に立って指揮を執った方が良いだろう。そして俺はそれしか出来ない男でもあった。
「やはり、お前は自らが先頭に立った方が力を出し切れるらしいの。カルサス様は指揮が得意だったが」
「私は武器を振り回していないと、戦況を確認できません」
「馬鹿な事を」
 互いに笑う。
 すでに、バリーを始め、エクセラの旧将軍らはハンスと顔を合わせていた。そしてすぐに意気投合し、バリーらは俺たちに力を貸したい、と申し出てきた。これはありがたい事で、俺を含めてグロリアスには若い将軍が多い。つまり、歴戦の将軍という存在が欠落していた。アイオンやローレンは天才という言葉でそれを補っているが、やはり限界がある。兵たちの心の拠り所としては、頼りなさがあった。
「ラルフの方は終わったかの」
 槍術のラルフ。若い頃は槍の名手で、槍を使わせたら右に出る者は居ない、と言われていた。しかし、戦で左腕を失ってしまった。俺がまだ子供の頃の話だ。それからのラルフは、隻腕で戦を駆け抜けていた。
「ローレンは天才です。いかにラルフ将軍であろうとも、勝てはしませんよ」
「ラムサス、お前はどうだったんだ?」
「何がです」
「そのローレンとの勝負だよ」
「私は勝ちましたが」
 馬の差でだが。
「なら、ラルフは負けん」
 どういう意味だろうか。
「ラムサスよ」
「何です」
「お前とローレン、ワシとラルフで模擬戦をやるかの」
「別に私は構いませんが」
「うむ、それじゃ決まりじゃ」
 歴戦の将軍と、次代を担う将軍での調練。兵の質も、将の質も高められるだろう。
 そして何より、俺の血が騒いでいた。

     

「ラルフ将軍は強い。だけど、僕の相手じゃなかった」
 全身、泥だらけのローレンが半べそをかいていた。
「さすがに歴戦の将軍だな」
 ローレンには悪いが、その姿は少し笑える。何度も何度も立ち向かい、その回数だけ倒されたのだろう。
 しかし、ローレンの武芸の腕は確かだ。そのローレンをこうも打ちのめすとは、さすがにラルフ将軍だった。
「その泥の借りは、この模擬戦で返せばいい」
「わかってる」
 すでに陣を組んでいる。五万対五万。その半数を俺とローレンで分けた。俺は騎馬隊の指揮を、ローレンは歩兵と弓兵の指揮を執る。エクセラの頃から、俺はずっと騎馬隊を動かしてきた。先ほど、バリー将軍の騎馬隊に打ちのめされたが、今度は負けん。俺自身が戦場に居るのだ。
「ラムサス軍、先ほどの屈辱を晴らすぞッ」
 兵の喊声。士気は悪くない。行ける。
「ローレン軍、ラルフ軍だけには負けるなッ」
 こちらも兵の喊声だ。声が若い。ローレンは若い兵に人気があった。天才は伊達ではない。
「ラムサス、バリー将軍に勝てるのか?」
「正直な所、やってみないと分からん。だが、負けるつもりはない」
 角笛。開戦の合図だ。
「騎馬隊、武器を構えろッ、突撃態勢ッ」
 剣を天へと突き上げる。
「ラムサス、やめろ。それじゃ、バリー将軍の思う壺だ」
「黙って見ていろッ」
 剣を振り下ろす。そして同時に駆けた。疾風が全身を掠める。
「このまま一気に突っ込むッ」
 木剣を構えた。鉛の輪をいくつか付けている。普通の木剣だと、軽すぎるのだ。勝手が違って使いにくい。
「デンコウ、駆けろッ」
 速度を上げる。バリーが後方で指揮を執っていた。やはりあそこを目指したいが、順序がある。
 一人目、すぐさま馬から落とした。その瞬間、敵の陣形が変わった。動きが早い。鶴翼。V字型の陣形だ。誘い込むつもりなのだろう。だが、それには乗らない。
「騎馬隊、下がれッ」
 横陣を維持しつつ、歩を揃えて下がる。反転はしない。背を見せる意味がない。その間、バリーは騎馬を右翼と左翼に分けていた。瞬間、空いた中央から矢が飛んできた。
「弓兵かッ」
 剣で払い落とす。だが、周囲の兵は次々と馬から落とされていく。
「鶴翼は囮だったのか、くそッ」
 歩兵と合流したい。盾で矢を凌ぐべきだ。だが、そんな余裕はない。間隔が空くことなく、矢が乱舞しているのだ。
「騎馬隊、鋒矢の陣ッ。防御力の高い兵が先頭だ、最前衛は俺がつとめるッ」
 兵が矢で落とされながらも、↑型の陣に組みなおす。同時に、敵の矢が集束してきた。俺に狙いが絞られている。望むところだ。全て払い落としてやる。
 瞬間、敵の騎馬隊が突っ込んできた。右翼・左翼からだ。中央を空け、一気に突っ込んでくる。その空いた中央からは矢の乱舞だ。矢を払うのに精一杯で、騎馬隊に対応しきれない。まずい。
「踏み潰される、ローレンッ」
 叫んだ。瞬間、後方から矢が飛んできた。両脇を掠めて矢が飛んでいく。次々と敵の騎馬が落ちていく。
「鋒矢の陣なのが救いだ。僕に任せろッ」
 次いで歩兵が前進し始めた。矢は上空に放たれている。放射線を描きつつ、敵の後衛へと降り注いでいるのが、こちらからでもはっきりと分かった。
 敵の矢の勢いが衰えた。
「歩兵、駆けろッ」
 旗。歩兵が一気に駆け出す。だが、敵の騎馬が陣を組みなおしていた。歩兵が蹂躙される。
「ラムサス軍、右翼と左翼に分かれろッ。ギリ、左翼の指揮を任せるッ」
「はっ」
「歩兵を援護だ、駆けろ、いけぇッ」
 このまま一気に踏み潰す。バリー、借りを返させて貰うぞ。

     

 駆け抜ける。敵の騎馬を抑えれば、ローレンの歩兵が敵陣に切り込めるのだ。そこまで行けば勝てる。
「ラムサス、やはり槍は合わなかったか?」
 隻腕。右手に槍。
「ラルフ将軍かッ」
「ふん、若造がやるようになった。だが、将を倒されれば軍は瓦解するぞ」
 駆けてくる。良いだろう。やってやる。そしてそれは
「俺も望む所だ。デンコウ、駆けろ。ラルフを打ち倒すッ」
 方向を変える。ラルフへと一気に駆けた。陣形は崩さない。
 ギリの方を見た。騎馬をニ隊に分けているのだ。上手くやっている。心配しなくても良い。
「騎馬隊、ラルフ隊に突撃するぞッ。怯むな、喊声をあげろッ」
 喊声。天を突き上げる。
「ローレンという若造も良い筋だった。童の頃のお前と、よく似ていたぞ」
「俺はローレンとは違うッ」
 剣。激突。火花が四散する。
「騎馬隊、槍を突き出せッ。押し上げろッ」
「力任せで勝てると思うな」
「俺はそれで勝ってみせるッ」
 ラルフの槍。速い。いや、隻腕という事を考えると速すぎる。ローレンの稲妻の突きと見比べても、遜色が無い。だが、見える。かわせる。
 さらに槍。肩を削った。その隙は見逃さない。
「動きが荒い。一撃目を避けたからといって、攻撃に転じるのは浅はかだ。昔、何度もそう教え込んだだろう」
 瞬間、槍の柄でなぎ払われた。肩は囮か。姿勢が崩れる。デンコウの手綱を握り締め、何とか踏ん張った。
「終わりだ、ラムサス」
 槍。ラルフめ、俺を見くびり過ぎだ。もうガキの頃とは違う。今、それを見せてやる。
 飛んできた槍を剣で跳ね上げた。ラルフの肩が上がる。
「槍は落とさないか。さすがですよ、ラルフ将軍ッ」
 剣を突き出した。ラルフが身体をひねる。くそ、さすがに良い勘をしている。普通ならば、あれで心臓を突いて終わりだ。
「腕を上げたな、若造」
「将軍は逆に落ちたのでは? ちゃんと調練を積んだ方が良いかと思いますが」
「減らず口が」
 火花。やはり強い。ローレンが勝てなかったのも頷ける。ピンポイントで急所へと槍が飛んでくるのだ。しかも、その時で一番避けにくい急所を狙ってくる。この類の技術は、頭で分かっていても瞬間的には出来ない。経験が物を言う部分だ。さすがに歴戦の将軍だった。これで両腕ならば、俺はもう馬から落ちている。実戦なら死だ。隻腕でこれほど強いとは。年齢も四十を超えているはずだ。
 周囲を確認する。ローレンの歩兵が、バリーの陣へと食い込んだ。バリーの武芸はさほど脅威ではない。指揮で力を発揮する男だ。バリーの所まで押し込めば、ローレンが勝つ。そして戦に勝てる。
「下がった方が良いのでは、ラルフ将軍。ローレンは詰めの甘い男ではない」
 剣と槍が激突する。
「俺はバリーを信じる。まだまだ若造には引けを取らん。俺もバリーもな」
 瞬間、バリーの歩兵・弓兵が十隊に分かれた。それぞれがそれぞれの方向へ四散している。何をする気だ。バリーの居る隊は、ローレンへ向かって前進している。あのままかち合えば、ローレンが叩き伏せるだけだ。
 バリーとローレンがかち合う寸前、四散していた十隊が一斉にローレンへと矢を放った。全方面からの矢嵐である。ローレンの歩兵が次々と倒れていく。弓兵が決死に迎撃しているが、攻撃方向がバラバラのために統率が取れていない。
 立っている歩兵が僅かになった時、ローレンが白旗をあげた。
「あの馬鹿」
「どうする、ラムサス。続きをやるか?」
「ラルフ将軍との一騎討ちなら望みますが、兵の調練ではすでに勝ち目はありませぬ。降参です」
 まだまだ俺は青い。悔しさと共に、それを噛みしめた。

     

 エクセラは、かつての栄光を取り戻しつつある。内政をこなしながら、私はそう感じていた。
 ラナクに命じ、まずは人を集めた。身分や年齢は問わない。人が国を成すのだ。これは急務だった。最初の一年は募集をかけても微々たる集まりだったが、二年目で一気に人数が増えた。その中から、文官や武官、中には将軍を任せられる人材も見出した。
「五年後だな」
 反乱軍、いや、グロリアスと刃を交える。それまでは、両国とも自国の礎を築かなくてはならない。国力と国力の勝負だ。
 もう歳は二十五になっていた。ラムサスが追放された時は二十歳だ。だが、まだ私は若い。対するグロリアスの君主は、四十の後半だという。あとは死へと歩んでいくだけだ。だが、年の功という別の恐怖の存在もある。
「ラナク、私は間違っているだろうか」
 神王を殺し、私はエクセラの王となった。あれから、数年の時が経っている。良かれと思って、私は神王を殺した。だが、それは私の主観だ。
「ルース様のやることに、間違えはありませぬ」
「私はラムサスを国から追いやった」
「それは神王の命令でした」
「しかし、今思えば、私は心のどこかで、あいつを鬱陶しがっていたのだ」
 ラナクがうつむく。ラナクは、ラムサスを慕っていた。
「私は引き返せぬ。だから、エクセラで世を平定するという夢は変わりない。しかし、急ぎすぎたかもしれん」
「我らは、ルース様のために働きつくすだけです」
 目を閉じる。
 王となり、私は考え方が色々と変わった。ただの下僕、奴隷としてしか見ていなかった周囲の人間たちを、貴重な配下として見るようになったし、愚民と蔑んでいた民らを国の礎として見るようにもなった。つまり、私以外の存在が格上げされたのだ。これが良いことなのか、悪いことなのか、その判断はつかないが、見識は広がった。相手の立場、気持ち、感情が読み取れるようにもなった。
「ルース様は王となり、お優しくなられました」
「私は私だ。そして、私以上の人間など存在せぬ」
 本心ではない。そう感じた。
「フフ」
「何がおかしい、ラナク」
「いえ。さすがにルース様だ、と」
「もう良い。とにかく、反乱軍は急激に力を付けている。イドゥンがある限り、エクセラが落ちる事は無いが、巻き返しはせねばならん」
「はい。しかし、当分は反乱軍が動きを見せることはないでしょう」
「あぁ」
 反乱軍は連戦に次ぐ連戦だった。まさに破竹の勢いで、領土を拡大していった。結果だけ見れば、実に華々しいが、中身は凄惨な物だ。戦続きで兵は疲弊しきり、降参した兵らとは息も合わない。そして降参兵の忠誠心の有無の確認、質、占拠した地の情報など、未確認の部分が多すぎる。一気に領地を拡大するということは、同時にこれらのリスクを背負わなければならないのだ。
「今が機だ、と私は思うのですが」
「それは違う。確かに私が王となり、状況もひと段落ついた。だが、軍事面はまだまだ整っていないのだ」
 多くの人間を登用した。数だけ見れば、相当なものだろう。しかし、その質はまだ荒い。伸び白が有り余っていると言っていい。
「では、我らも」
「あぁ。国力を強化する。反乱軍と違って、我らには時がある」
 反乱軍の主は、四十代の後半なのだ。私が焦る理由など無い。
「ラナク」
「はっ」
「ラムサスが、エクセラに戻ってくると良いな」
 私は、不意にこう言っていた。

     

「ラムサス、お前を軍団長に任命する」
 ハンスが俺にこう言ってきた。
 軍団長、それは軍事の最高権力者だ。ハンスは、アイオン、ローレン、父の代からの将軍たちではなく、俺を軍団長に指名してきた。
「どうした、不満か?」
「いや」
「アイオンは軍事よりも、政務に当てた方が良いだろうと思ってな。まぁ、あいつは何でもこなしてしまうから、軍事・政務を行ったり来たりするだろうが」
 ハンスが苦笑する。
「もちろん、お前より優秀な人間はいくらでも居る。バリー将軍、ラルフ将軍らがそうだ。だが、総合的に見ると、お前が一番なんだ」
 人望、という事だろう。
「ここからが正念場だろう。私はもう時間がない。そう長くは生きられんだろう。十年後には死んでいるかもしれん」
「バカな事を」
「冗談だ。とにかく、軍事はお前に任せる」
「良いだろう」
「で、お前の目から見てどうだ。エクセラは。攻めてくると思うか」
 それはないだろう。ルースが王となってから、そんなに時が経っていない。軍はまだ乱れているはずだ。まして、神王の時代など俺直轄の軍と、一部の軍以外は機能していないも同然だったのだ。それらを整えなければならない事を考えると、とても戦が出来る状態とは思えない。
「しばらくは戦はないだろう」
「アイオンと同じ意見だな」
 ハンスはアイオンを信頼していた。そしてそれは俺もそうだ。グロリアス飛躍の戦で見せた、あの火計はまだ目に焼き付いている。
「ハンス、はっきり言って、今の俺たちはズタボロだ。外面は実に華々しいが、内面は荒れ果てていると言っていいだろう」
「あぁ、わかっている」
 だが、整える事ができる。そして、整えることができれば、それは大きな力となる。
「しばらくは調練だ。軍力が拡大した。将軍も増やさねばならん」
 兵の調練は、ラルフ将軍が適任だろう。あの人の槍さばきは目を見張るものがある。俺の剣とも互角だ。バリー将軍は将軍の育成を、ローレンは若い者らの中心人物として活躍するはずだ。つまり、軍を整える環境はすでに揃っているのだ。必要なのは時間だけだ。
「時が必要か、やはり」
 ハンスの声が弱まった。
「必要だ」
「私には子がない。後継者を、グロリアスの次期当主を決める時が、近々訪れる」
「ハンス」
「すまない。この話はやめだ。ラムサス、軍事は任せたぞ」
 ハンスが席を立ち、奥の部屋へと歩いて行く。
「お前は死なん。いや、死ぬ前に俺が天下へと連れて行く」
 俺はそう言ったが、ハンスから返事は無かった。

     

 戦線は膠着状態のまま、月日は流れた。しかし、確実に戦の時は近づいている。年を追うごとに、緊張感は増していた。
「ラムサス、前々からお前の言っていた騎馬の件だが」
 デンコウに跨り、調練を指揮している俺に、アイオンが話しかけてきた。
「金が無いのだろう。俺は政治は分からん。好きにしてくれ」
「バカか、お前は。金が出来たから、偉い偉い軍団長様に報告しに来てやったんだろうが」
 鼻で笑いながら、アイオンが言う。毎度思うが、この男は性格が悪い。
 俺は、騎馬を中心に軍を組もうとしていた。領土拡大前のグロリアスは山岳地帯が中心だったため、騎馬はさほど必要ではなかったが、今は違う。今は領土を拡大し、前線は平地ばかりだ。平地では機動力が物を言う騎馬が必須だった。騎馬が戦のカギを握っていると言っていい。しかし、金と時間が掛かる兵科だ。国の立て直しを図っていた今までは、騎馬に金を割く事が出来なかった。しかし、今それが出来るようになったのか。
「やっとか、アイオン」
「俺以外の人間なら、あと五年は掛かっていたぞ」
「感謝はしている」
「だが、馬の買い付けは自分でやってくれ。あいにく、俺も時間が無い。ハンス様もあの調子だからな」
 ハンスに老いが見え始めていた。身体は健康だが、覇気が無い。一方のルースは、天下統一を前面に押し出し、活力が満ち溢れている。それを補うべく、俺とアイオンが駆けずり回っているが、ハンスに変化は無かった。
「ハンスは君主だ。それを自覚してもらわなければ、どうにもならん」
「次期当主を決める時が近づいている。ハンス様は、もう統率者の椅子に座りたくないのだろう」
 しかし、ハンスには子が無かった。そうなると、誰が当主になるのか。アイオンが妥当な所だが、人望を盾に俺を推してくる可能性もあった。俺自身は死んでも統率者などお断りだ。俺がなるぐらいなら、ローレンにした方がまだマシだという気もする。
「とにかく、今のままでは国が揺れるぞ」
「俺もわかっているさ。まぁ、この事は良い。ラムサス、お前は早く騎馬を整えろ。早くしないと、その金は別の事に使うことになるぞ」
 それを聞いて、俺は思わず苦笑した。まずは目の前のことを片付けよう。そう思ったのだ。

「ギリ、悪いがしばらく空けるぞ」
「何を言っておられるのです。ラムサス様は軍団長ですぞ」
「馬を買いに行くだけだ」
「それならば、下の者に行かせれば」
「ダメだ。俺自身が見なければならん」
 馬は騎馬隊の生命線だ。兵の質の次に、馬の質が来る。いい加減な選別など許されない。
「ならば、私もお供いたします」
「いらん。かえって邪魔だ」
 早く帰れ、と口うるさいに決まっているのだ。
「……なるべく、早く帰って来られますように」
「わかっている」
 行き先は決まっていた。デンコウと出会った場所。今は、エクセラとグロリアスの国境間近にある牧場。
「お前の故郷に行こう。デンコウ」
 手綱を握り締め、俺は城を出た。

     

 4日ほど駆けた。デンコウと二人だけの旅だ。軍団長になってからというものの、こういう時間は全く取れなかった。当然と言えば当然だが、不満の一つでもあった。
「やぁ、見えてきたな。あの頃と変わりない」
 広大な牧場。見渡す限りの草原に、穏やかな風が流れていた。デンコウが歩を緩める。久々の故郷を見て、何かを感じ取ったのかもしれない。
「爺さん、居るか。ラムサスだ」
 草原の中にぽつんとある小さな家屋の前でデンコウを止め、俺は声をあげた。
 まだ父が生きていたころ、ここによく遊びに来た物だった。父は軍人で、滅多に顔を合わせる事はなかった。そして顔を合わせれば、いつも稽古だった。まだ幼少だった俺の逃げ場が、この牧場だったのだ。
 しかし、家屋から返事はなかった。
「留守か」
 突然の訪問だ。仕方ない。
 デンコウの傍に行き、首筋を撫でる。それに対しデンコウは、ゆっくりとまばたきをした。
「そうか、気持ちが良いか」
 この仕草は、喜んでいるのだ。
 デンコウをこの牧場から出してからは、ずっと戦だった。共に駈け抜け、共に生き、共に功を立てた。俺には、ハンス、アイオン、ローレン、ギリと信頼できる仲間は多く居るが、その誰よりもデンコウを信頼していた。
「初めてお前に乗った時は驚いた。まるで電撃のように速く、疲れを知らない力強い走りだったな」
 電光。俺はこの馬に乗った時、不意にそう感じていた。
 元々デンコウは、人になつかない馬だった。爺さんがいうには、プライドが高く、人間を格下と見ていたらしい。しかし、俺にはなついてきた。そんな俺を見て爺さんは、時代を超える英傑になれる、などと言ったものだった。
「あの頃から、周りから親の七光りと言われていたからな、俺は」
 風がなびく。目を閉じた。
 ずっと戦だった。穏やかで平和な日が頭に浮かんでこない。常に武器を握り、人を殺す術を、自分の身を守る術だけを考えてきた。何のために、俺は強くなるのか。エクセラに居た頃は、分からなかった。ランドが死んで、グロリアスに来て、世を平定するためだ、と分かった。
 しかし、それが正しいのかは分からない。これを言い出せばキリが無いが、結局の所は俺は戦いたかった。戦が好きだからだ。だが、こうして穏やかな風に当たっていると、心が澄んでいく。戦っている時とは違う気持ち良さが、ここにある。
「もしもし? お客さんかしら」
 女の声。俺は目を開けた。
「ふーん」
 女は、俺の姿をじろじろと見ている。
「あんた、軍人でしょ」
 女の目に殺意が宿った。強い殺気。無意識に、剣の束に手がいっていた。
「馬を買いに来た」
 言いつつ、剣の束から手を離す。こんな女に、俺は何を。心の中で苦笑する。
「軍人は馬を戦場にやる。戦場にいった馬は次々と死んでいく。そんな奴らに、馬なんか売れるものか」
「だが必要だ」
「売れないって言ってるだろ」
「爺さんはどうした」
「あたしの爺ちゃんは、もう死んだ。あんた達、軍人が殺したんだ」
 戦に巻き込まれたか。少し悲しい気持ちになったが、仕方がない。すぐにそう思った。
「そうか、死んだか。久し振りに顔を合わせられると思ったのだが」
「あんた、爺ちゃんの知り合い?」
「そういう事になる」
「名前は」
「ラムサス」
 俺がそう言った瞬間、女の目から、殺意が消えた。

     

「そうか、あんたが」
 女がデンコウに目をやった。
「この馬……」
「デンコウだ。この牧場で一番の馬だ、と爺さんは言っていた」
「あんたがラムサスだったの」
 目を大きく見開き、デンコウの傍へと寄って行く。
「おい、よせ。蹴り殺されるぞ」
 デンコウは気性が荒い。ランドも最初の頃はよく蹴り飛ばされ、骨の一本や二本は折っていた。しかし、構わず女は近づいていく。
「おい、聞いているのか。蹴り殺されるぞ」
 俺は立ち上がって、女の肩に手をやり、ぐいっと引っ張った。
「大丈夫だよ、あたしの馬だ」
 馬鹿が。蹴られて思い知れ。そう思い、俺は腰を下ろした。
 しかし、デンコウは首を女の顔に擦りつけた。
「そんなバカな」
「久し振りだね。そうか、まだ生きていたか」
 女がデンコウの首を撫でている。初対面の人間に、デンコウが懐くとは。いや、久し振り?
「女、お前」
「女じゃない。名前がある。リンだ」
「悪い。デンコウとは知り合いなのか、リン」
「いきなり呼び捨てか。ま、旦那になる男だから仕方ないか」
 旦那? いや、そんな事はどうでもいい。
「デンコウとは知り合いなのか」
「あんたが連れてくまで、あたしが面倒を見てたんだ」
「説明しろ」
 リンが言うには、デンコウは親から育児放棄されたらしい。それをリンが引き取り、大切に育てていたのだ。だが、リン以外の人間には決して懐くことは無かった。しかし、そこに俺が現れた。デンコウが自分以外の人間に懐く。それは、信じられない光景だったという。
「それで爺ちゃんが、将来はあの男の嫁になれって」
「悪いが、俺はその気がない。第一、デンコウを奪った俺が憎くないのか」
「爺ちゃんが、あんたしかデンコウを扱える人間は居ないって言ってたんだ」
 爺さんの言うことなら、なんでも聞くのか。この女は。
「俺は馬を買いにきただけだ」
「あたしを妻にするなら、馬を売ってやる。いや、牧場ごとあげてもいい」
 この女。
「お前が牧場主なのか」
「そうだ」
「本当に牧場ごとくれるんだろうな」
「約束する」
 軍の編成には、騎馬が絶対に必要だ。この平地を制するには、騎馬が絶対に必要なのだ。だが、俺に妻だと。ハンス……いや、アイオンが何を言うか。
 しかし、背に腹は代えられない。騎馬は絶対に必要なのだ。
「良いだろう、お前を妻にする。その代わり、牧場だ」
「当たり前だろ。嫁に行くんだ」
 改めて、女に目をやった。それに気づいたリンが、姿勢を正す。
「美人だろ?」
 細い。しかも、ルースを少し劣らせたぐらいの容姿だ。
「お前より容姿の優れた男が、俺の友人に居る」
 今は敵同士。互いに天下を争い、剣の切っ先を突きつけ合っている。
「はぁ? 男?」
 リンを見て思い出した。ルース、お前は王となり、何を見た。何を見据えるようになった。俺は、もうお前を殺す覚悟はできているぞ。

     

「ドーガの調子はどうだ」
 私は書類を書きながら、ラナクに尋ねた。
「大分、落ち着きを取り戻しました。火を見ても怯えぬようにもなりました」
 ドーガは、数年前のグロリアス飛躍の戦で、火計を仕掛けられた。ドーガ軍は全滅で、エクセラの国力もかなり削がれた。これを機に、ドーガは覇気を無くした。そして、火に対してトラウマを植え付けられていた。このままでは使い物にならない。そう考えた私は、ラナクにドーガの世話をさせていたのだ。
「戦には出られそうか」
「いえ、それはまだ無理でしょう」
「国力は充実しつつある。有能な人間は一人でも必要だ。ドーガは有能な部類に入る」
「はい」
 ドーガの容姿は醜い。大やけどのせいで、それはまさに正視に耐えぬ醜さで、吐き気がした。しかし有能だ。自分の感情で、大事を疎かにするわけにはいかない。
「まだドーガは、ラムサスを憎んでいるか」
「はい。親の七光りだけは許さぬ、と毎日のように申しております」
 親の七光り。私もそうなのかもしれない。私の父ルーファスは、政治の天才だった。ラムサスの父は浪費に次ぐ浪費で軍事を取り仕切っていた。父は、そんな内情でも国を支えていたのだ。そして、その子である私も、親の七光りなのか。
 違う。私は私だ。私は父を超える。いや、超えている。
「ラムサスは、出来れば殺したくないのだがな」
「ルース様」
「分かっている。今は敵同士だ。だが、こうして独りの時が続くと、唯一肩を並べたあいつが恋しくてな」
 離れてから分かった。ラムサスの存在は、私を支えていたのだ。そして唯一、私が認めた人間でもある。
「すまん、気分が悪い。下がってくれ」
 そんな事を考える自分に嫌悪した。こういう時は一人になった方が良い。
「はっ」
 ラナクが出ていく。その背を見つつ、私は独りで天下を取る。そう思い直した。
「ラムサス、お前はグロリアスで何を得る」
 情報では、ラムサスはグロリアスで軍団長になったという。軍団長と言えば、軍事の最高権力者だ。ラムサスの意思は定かではないが、祭り上げられている可能性はある。
「調べてみるか」
 ついでにグロリアスの内情も探る。ここからは諜報合戦になってくるのだ。相手の情報をどれだけ握って、自分の情報をどれだけ漏らさないかがカギになってくる。そしてそれは、グロリアスも分かっているはずだ。
「戦の時は近づいている。ラムサス、お前は」
 エクセラに戻ってこないのか。
 いや違う、私に仲間は必要ない。
「私は、王の器ではないのかもしれんな」
 独り言を呟き、思わず苦笑した。

     

「アイオン、金が必要なくなった。返すぞ」
 言ったが、アイオンは背を向け、忙しそうに何かを書いている。
「金? あぁ、馬のか。本当に良いんだろうな。俺は知らねーぞ」
 まだ背を向けている。
「牧場ごと手に入った。その金は別の事に使ってくれて構わん」
「あ? 牧場? お前、頭大丈夫か?」
 アイオンが振り返る。しかし、視線はすぐに隣のリンに移った。
「何だ、その女は」
「牧場代だ」
 アゴをリンの方にしゃくった。
「失礼だな。ちゃんと紹介してよ」
「本当の事だ。俺はお前が妻だということに興味はない」
「妻? 誰の?」
「初めまして、ラムサス将軍の妻、リンです」
「ラムサスの嫁か?」
 部屋を出た方が良い。鬱陶しい事になる。そう思いつつ、ドアノブに手をかけた。
「アイオンさん、歩兵の装備ですが」
 ローレン。タイミングが悪い。
「ラムサス、その女性は」
 俺は諦めた。

 この後、ハンスやラルフ将軍、バリー将軍などを呼んで、皆に事の成行きを話した。それぞれがそれぞれの反応を示したが、大半は祝福と皮肉だった。
 そんな中、アイオンだけが偉く落ち込んでいた。理由は分からないが、察するに女から好かれないのだろう。何でも無理なくこなす男だと思っていたが、とんだ弱点があったものだ。とにかく俺は結婚などには興味が無かった。家に一人、共に住む人間が増えただけの事なのだ。
「そうか、ラムサスが結婚か」
「子供はどうする」
「ラムサスの子となると、男でも女でも鬼のように強かろうな」
 アイオンを除く全員が声をあげて笑う。
「からかうのはよしてくれ。俺はこれから軍事がある。留守にしていた時間の分だけ、仕事が溜まっているのだ」
「馬鹿言うんじゃない。カルサス将軍の息子の婚儀となったら、祭りをせねばな」
 バリー将軍。その髭、全てむしり取ってくれるか。
「おなごよ、よくもまぁ、こんな無骨で面白くもない男を婿にしたもんだな」
 今度はラルフ将軍か。勘弁してくれ。
「あら、ラムサス様は素敵よ。だって、デンコウに乗れるんだもの」
「これは参った。馬が二人の縁結びとはなっ」
 全員が声をあげて笑う。いや、アイオン以外の全員だ。
 ふと、ハンスに目をやった。目に活力が宿っている。こんな事で、ハンスに活力が戻るのか。
「わかった、わかった。みんながそう言うなら仕方ない。こうなったら、盛大に婚儀を挙げてくれ」
 ハンスのためなら。そう考えると、自然と居心地も良くなった。

     

 リンとの婚儀を挙げて二年、デンコウに子が出来た。俺が結婚してしばらくした後、デンコウも妻を娶ったのだ。
「父に似て、立派な馬に育ちそうね」
 リンが目を細めて、嬉しそうに言う。むろん、俺も気持ちは嬉しかった。デンコウの子ならば、俺の子でもあるからだ。
「私たちの子はいつ作るのかしら」
「興味がない。それに、戦が近い」
「戦と房事は関係ないでしょ?」
「女のお前には分からん事だ」
 アイオンが戦略を立てていた。目標はイドゥン。エクセラの最重要拠点だ。ここさえ落とせば、エクセラを倒せる。天下を取れる。
「戦、戦って、いつもそればかり」
 すまん。口には出さなかった。リンと結婚して、もう二年だ。さすがに情の一つや二つは湧いていた。それは俺にとって、不思議な感覚でもあった。
「とにかく、子は戦が終わってからだ」
「そう……」
 今、子を作るわけにはいかなかった。俺が幼くして父を亡くしたように、俺も死ぬかもしれないのだ。乱世。俺は乱世に翻弄されていた。それを苦に思ったことはない。それが普通だったからだ。だが、グロリアスに来て、ハンスに会って、考え方が変わった。平穏は良いものだと感じた。それに俺のことだ。子が出来れば、男女問わずに武芸を叩き込むだろう。これも乱世だからだ。そんな思いを、子にさせようとは俺は思わなかった。
「戦が始まれば、今のような生活はできなくなる。一戦、一戦が国の存亡を賭けることになる」
「あなたは、それに毎回出ていくの?」
「そうなるだろう」
 グロリアスには、新たな人材がほとんど居なかった。ローレンが頭抜けているだけで、後は平凡なものだった。懸命に育ててはいるが、それでも俺から見ればどれも平凡だ。だから、今居る人材で勝負するしかない。今しかないのだ。アイオン、バリー将軍、ラルフ将軍、ローレン、これらの人間を中心に、今のグロリアス軍は形成されている。時は、人の生を奪っていく。バリー将軍、ラルフ将軍はすでに老齢だ。時の命を奪われるかもしれない。この二人が抜けた時の穴は、計り知れないほど大きいだろう。だから、今しかない。
「リン」
 すまない。口には出さない。いや、出せないのか。
「はいはい。それじゃ私は、デンコウの子の面倒を見てくるね」
「あぁ」
 リンの背中を、俺はじっと見つめていた。

 翌日、軍議に召集された。
「時は熟した。今こそがエクセラを倒し、我らが天下を取る時だ」
 ハンスが言う。俺が結婚してからというものの、ハンスは活力を取り戻していた。
「アイオン、戦略の説明を頼む」
「えぇ。まずは……」
 アイオンが戦略を説明していく。
 イドゥンは山岳要塞だった。最も注意すべきなのは、敵の騎馬隊の逆落としだ。これはどの兵科でも止める事が出来ない上、こちらの士気を根こそぎ、もぎ取る力を持っている戦法だ。ただ、使いどころが難しく、それを誤れば自滅する可能性もあった。
 こちらの兵力は十五万。グロリアスの全兵力の半数に値する数字だ。内、前衛が十万と決まった。それを三隊に分ける。俺、ラルフ、ローレンが指揮官に決まった。
「俺が若造二人の面倒を見ることになるのか」
「ご老人こそ、戦場に出ない方が良いんじゃないんですか」
 ローレンとラルフ将軍が火花を散らしている。しかし、こういうのは悪くない。気合も入る。
「後衛指揮はバリー将軍と俺が取る。総指揮官は俺だ」
 アイオンが言う。妥当な線だろう。
 続いて、戦略の説明がされた。所々に計略が混じっているが、最初はぶつかり合いだろう。そこで互いの兵の質を見極め合う。最後はやはり、兵の力なのだ。計略はそれを手助けするだけの物でしかない。
「よし、各自、準備に取り掛かれ。出陣は五日後だ」
 戦が、始まる。

       

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