Neetel Inside 文芸新都
表紙

ごはんライダー
第一章 『未誕生、復讐鬼!』

見開き   最大化      




 ……産まれてこのかた、これ程落胆したことはない。
 否、そもそも俺は、産まれることすら許されないのではないか。
 誰からも必要とされない、無為な魂なのだ。


 ――とある、山奥の農場。
 めんどりの鳴く小屋で産み落とされた俺は、他の打ち捨てられた兄弟達とは、少し違う扱いを受けた。
 俺の最初の記憶。
 至る所蜘蛛の巣だらけの、簡素な木組みの天井。
 背中を傷つける、枯れ草の苛立たしい感触。
 耳をつんざくめんどり共の鳴き声。
 俺が産まれたのは、そんな鶏小屋の中だった。

 今しがた産まれたばかりの俺にとっては、目に映る天井が視界の全て。そして、視界に映る物のみが世界の全てであった。
 俺は程なく横を向くことを覚えた。
 鶏小屋の先には光があって、その先に一人の人間が見えた。
 逆光に浮かぶシルエットは、まだ産まれたばかりの俺の心にに、畏怖という名の灼印を押し付けた。
 そのまばゆい光の中からシルエットが近づいてくる。
 マスクと帽子で肌の露出を最低限に抑えた彼らは、それでも俺や、俺の兄弟達を丁重に持ち上げて運搬用のカゴに載せた。
 一体、どういうことだ。
 まるで、なにか、実験動物のような扱い。
 丁寧な扱いと同時に、向けられる蔑んだ瞳。
 そのまま、俺らは外に連れ去られた。
 三人の人間が、それぞれカゴに載せた俺たちを運んで歩いていく。
 足並みを揃えてカゴを押す研究員然とした人間達は訓練された兵隊にも見える。感情が、窺い知れない。


 やがて俺たちは鶏小屋から少し離れたところにある小さなログハウスに運ばれた。
 ログハウスの中は、鶏小屋よりも頑丈に作り込まれた木組み、それに室内はしっかりとニスが塗られていた。
 どうやら来客用の部屋のようだ。
 しかし、そんな部屋に何故俺たちが?
 俺は恐怖に脅えた。
 ふと頭をよぎる不安。
――売られるのではないか?
 ここで品評めいた行為が行われ、俺は親兄弟と引き離され、知らない、しかし危険な人間に買われるのでは、と。
 しかし、産まれたばかりのこの身は、いまだ震えることすらできなかった。
 鶏小屋の中よりは、居心地が良いこの部屋とこのカゴも、俺にとってはアヌビスの心臓の計量とその天秤に等しい。
 俺が思案を巡らすその横で、三人の研究員たちはなにやら話し込んでいた。
 その内容は、産まれたばかりの俺には理解することは出来ない。今では思い出すことも困難だ。
 ……数分の後、―俺には数時間にも感じられた― 研究員たちの手によって、俺の前のカゴからひとつひとつ運ばれていく。
 よかった……俺はそこで一つの安堵を覚えていた。
 幼な心に、保育室や保育器のような場所に運ばれるのだろうと思ったのだ。
 それはなんの確証もないただの思いこみではあったが、ただ、この部屋から出る、ということ自体が、俺自身が売られてしまうという確たる恐怖を一つ消すということであるのは間違いなかった。
 三つのカゴに三人の研究員。
 一人一人が、また、それぞれのカゴの後ろに着いた。
 
 ――カラカラとなる、カゴの音、ひとつ。

 やった!!これでこの、ニス塗りの人売り部屋から抜けられる……。
 俺は横の兄弟が邪魔で首を動かすことができない。
 ただ、上を向いて天井を見つめるだけでも、音で、カゴがドアの外のスロープを下っているのがわかる。

 ――カラカラとなる、カゴの音、ふたつ。

 次だ、次でようやく胸をなで下ろして、暖かい保育ベッドのなかで明日の太陽を夢見ることが出来る……。

 …………。
 ……。

 俺の視界は一向に流れようとしない。
 視界の全てはこの部屋の天井で、この部屋の天井が俺の世界の全て――この人売り部屋が世界のスベテ。
 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だうそだ!!!
 俺らだけが取り残されるなんてそんなの、ないだろ!?
 だって、だってなんで……フコウヘイじゃないか。
 まだ、まだ、まだ来ない。揺れるカゴの感触が。俺の全身を揺らす、箱船の出航が。
 ひとり残った研究員がカゴをのぞき込んだ。
 俺をのぞきこむ漆黒の瞳は、如何なる光をも写してはいない。真っ黒な点があるというだけだった。
 どうした、早くカゴを押せ!!
 俺たちを連れ出すんだろ!!
 暖かい場所へ、連れてってくれるんだろぅっ……。
 研究員の目元が、つり上がった。
 ニヤニヤと、絞首台を眺める、観客の瞳……。
 それでも俺は縋るしかない。
 助けてくれ、他の兄弟達はどうなってもいい!!!
 俺だけでも!!
 お前だって生きてるんだろ!!
 なら分かるはずだろ、産まれてきたばかりの俺たちがどんな気持ちで生を受けたかを!!
 そんな時期がお前等にもあったハズだろ!?
 頼む、それを思い出してくれ……。
 大きな人間、俺にとっての絶対者たる研究員はカゴの中をなめるように吟味している。
 頼む、俺を助けてくれ……。
 その願いが届いたのか、彼の暗く深い瞳は、その先に俺を写して止まる。そして凄い力で俺をヒョイとつまみ上げた。
 あ、助かる……!
 彼は舌なめずりをして、一人呟いた。
 「コイツだけ、特別活きがいい気がするなァ、ヒヒッ」
 この一言で、一瞬で全てが絶望に塗りたくられる。
 裏目ッ……、今までのッ……努力……全部っ!
 ……裏目っ!!
 彼は同じようにして兄弟を6個選び出した。
 そして研究員は俺たちの体に「厳選有精卵 今朝取れ立て」という文字と、日付の入ったシールを貼った。
 俺は6個とも小さなパックに、それこそ寿司ずめにされ、そのままニス塗りの小屋にあるガラスケースに閉じこめられた。


 ここは、……とても寒い。
 俺はこの間、あまりの絶望の大きさに、声すらも出なかった。深すぎる心の闇が、思考を凍らせていた。
 刹那、俺の心の闇を、一筋の稲妻が走った。目映い光と、鋭い雷鳴。
 それは、人間に対する怒りだ。

 なぜ俺を有精卵にしたんだ……。

 どうせ産まれられないのなら……俺は……、俺は無精卵のままでよかったのに……!!!

 悲しみを感じさせる為に俺を創ったのか……?

 空しさを覚えさせる為だけに俺を産んだのかッ……!?

 人の、人の残忍なる業、如何程かぁっ!!!!

 許さない……許さないぞ人間!!!!

 ちくしょうっ!!チクショウ!!!


 「ちくしょぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!!!」


 ――最近、TVに取り上げられたり、手作りプリンがバカ売れした、そんな、ローカルだが有名な、農場の横に併設された新鮮な卵の直売店、そのショーケースの中で。
 この時、卵が一つ、小さく震えたことに、来店していたオーガニック志向のマダムたちは気が付かなかった。

       

表紙
Tweet

Neetsha