Neetel Inside 文芸新都
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ごはんライダー
第二章 『圧倒的恐怖、克服する勇気』

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 いつのまにか眠りに落ちていた。
 幸い、固い殻に包まれている俺は、俺自身の内側にエネルギーが蓄えられているために、このような軟禁状態にあって飢えることはない。
 ただ辛いことはといえば、たまに冷蔵庫を空けられたとき以外には、光を見る手段のないことだ。
 不規則且つ一瞬で移り変わる暁と宵闇。
 だから、俺は、時間の感覚を全く失ってしまった。
 ……否、今は恐らく朝だろう。
 「牛乳、は……っと」
 パジャマ姿の上機嫌な母親が、ガチャリと分厚く重い扉を開け、俺の目の前の巨大な真白い四角柱を持ち上げる。
 そしてそのまま、光溢れる扉の外へと運び去った。
 再び沈黙の闇が訪れる。
 闇の中で俺は考える、という唯一できる作業を再び続行する。
 あの時と同じだ。
 あの時、産まれた直後と同じ様に、俺は扉の外、光の世界、自由な世界を牢獄の中から眺めている。
 何も知らなかったあの頃は、自分の知らない世界、光こそ自由と希望の象徴だと、盲信していたものだ。
 いや、実際産まれてすぐの、あの時だけはそうだったのだ。めんどり小屋から出た後、店頭に並ばず、係員によって別の場所へと持ち去られた二つのカゴ。
 あの二つに入っていた兄弟たちは、今頃きっと暖かい孵化器の中で、まだ、形もできていないその目に光宿す時を待っている。
 ……今の俺にとっての光とは、ここを出る合図。
 つまり、調理をされる前の、死の宣告に他ならない。
 今、俺から見える光は全て、闇よりも深き絶望。

 ふと昨日の言葉を思い出す。
 ―――「明日は未亜の誕生日」
 ―――「朝からフルコース」
 賞味期限まで待たれることなく、では、俺の命は今日―――――

 消費される。


 ガチャリ。


 重たい扉が開いた。
 「あとは、食パン、お砂糖……」
 大きな手が、伸びてくる。
 ま、まって……まってくれ。
 ウソだろ、早いって……。
 悪夢なら、覚めてほしい。
 しかし、痩せた手から伸びる爪の先端が、俺の視線を捉えて離さない……っ!!
 イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだぁっ!!!
 しかし、悪夢の吐息は俺たちの恐怖をまるで楽しんでいるかのごとく、耳元で弾むように囁いた。
 「……そうそう、卵ねっ」
 「ギャアあああああぁぁぁぁ!!!」
 悪魔の手は俺の隣にいた兄弟を一人鷲掴みにすると、そのまま目が眩むほどの白い光の中へ、連れ出した。
 「ヒイッ!!!!た、助け、たずげでくれぇ!!!死にたくない、じにだくないよぉぉぉ!!」

 ――がちゃん。
 ――――――
 ――――
 ――

 彼の断末魔はそれが最後だった。
 文字通り、手も足もでない。
 圧倒的すぎる恐怖。
 煮えたぎる怒りなど何にもならない。
 大きかった。
 物理的な大きさも、恐怖も、決まりきった現実も何もかも。
 そして俺にできることといえば、小さくなって6個パックの隅っこで泣きながらカタカタ震えることだけだった。
 ……。
 「呵哈。」
 闇の向こう、奥の方で我慢できず吹き出した、そんなような笑い声がした。
 「呵呵哈呵呵哈哈哈哈哈哈呵呵呵呵!! ??、常常怕太!! 呵哈哈哈、肚子痛!! 我没有肚子,不?!!
 (訳:あはっははっはっはははっははっは!!!おまっ、お前らビビりすぎだよぉっ!!あははっは、腹いてぇ!腹無ぇけど!!)」
 なに、何だ?
 この闇の中で平然と笑ってのける奴がいる、そんな奴がいるのか。
 俺には驚きだった。
 冷蔵庫の中に入っている、それが即ち死を待っている事には疑いようもないというのに。
 「呵ー呵ー。??,未熟者的孩子,?什?,那?做?人?方害怕?!!(訳:ひー、ひー。お前ら青坊主のガキどもはなんでそう人間相手にビクビクすんのかにぇ!!)」
 ダメだ、なんとなくバカにされている様な気がするが、いかんせん言語が理解できない。
 「なんだ、誰だ!、だれかそこにいるのか?!」
 生まれて、いや、まだ生まれてはいないが、とにかく初めて俺は、他者に問いかけるということをした。
 全てを吸い込みそうな暗黒の中へ、言葉を投げてみる。
 「?、?然、?等?大的大?的?言、不能理解。(訳:おう、そうか、お前等は偉大なる大陸の言語も、理解できないんだったな)」
 「コレならてめェにもワかるだろ」
 荒っぽい、それでいて雑な喋り方。
 いかにも、彼の粗野な性格が透けて見えるようだ。
 「ふうぅ、何者だ、あんたは」
 何故か不思議と、張りつめた糸が弛むような感覚を覚える。
 それは、相手の出方如何ではなく、この「他者と話す」行為によって起こる、”感情の共有”を期待したからだった。
 「俺は、いや、俺らはハ」
 「ま、とりアえず」
 「”中国製品”とだけ言っといてやる」
 チュウゴク?それはなんだ?生まれた土地の名だろうか?
 「すぐにわかるさ!」
 「どうせすぐまた会うしな、あの女の胃の中で。キャヒキャヒ!」
 なんなんだこいつら。
 「あんたら、これから食われるんだぞ?怖くないのか?」
 当然の疑問だった。
 死が怖くない者などいるはずがない。
 「ま、確かにそうなんだけどなー」
 「俺たちゃ、ただ食われて、はいさようなら、ってわけじゃないんでぇ」
 ケケケと甲高い笑いを発する”チュウゴクセイ”のモノ達。
 「どういうことだ」
 「お前さー、そこまで考える頭あるっちゃ、ただの無精卵じゃねぇだろぉ」
 「お、もしかして有精卵?お、めずらしー?この冷蔵庫に有精卵さま入りましたぁー、おお?」
 そうだ、俺は名もなき只の有精卵だ。何が悪い。
 「お前、じゃーさぁ、悔しいだろ、ほっとかれりゃ、産まれてんのに、シシシ」
 その一言に、俺はカチンときた。
 「あ?ああ!そうだ!何が悪い!貴様に何がわかる!!俺の、俺のこの悲しみが……」
 「おおっと、悪りぃ悪りぃ、そうカッカしなさんなって」
 「ここにくるやつぁ、野菜にしろ肉にしろ、大方、刈り取られたり殺されたりしてから来る奴ばかりでなぁ。未来が無ェ。お前みたいな奴は逆に珍しいんだよ」
 あ……そうか、確かにそうだ。
 皆一度、今の俺のような恐怖を経験して、大抵の者はそれに抗うすべなく殺され……そして今ここにいるのだろう。
 「すまない、熱くなりすぎた」
 「そいつはいい。ここは頭冷やすにはもってこいだ」
 「ははは、確かにな。」
 しかしだ、俺はどうして、こいつらを好きになることができそうになかった。
 何だろうかこの、軽薄極まる感覚。
 それでいて畏れを知らない。
 「なぁ、お前さ、さっきも言ったけど……悔しいだろ」
 暗闇から彼らの表情を窺い知ることはできないが、おそらくはニヤついているに違いない。
 そんな声色だ。
 「俺らがさ、カタキ討ってやんよ」
 な!!
 一介の食べ物に過ぎない俺たちに、そんなことが可能だというのか!?
 俺は自分の、ほぼタンパク質のみの体組成から言っても、にわかには信じられなかった。
 そもそもそれでは、”食べた者の栄養となる”という食物の定義を、根本から外してしまう。
 「俺なんかは即効性だからよ!!食って数時間で、ミア…ったけ?あれ、病院行きだぜ!!けっけけ!!2ヶ月はは軽く入院すんじゃね!?」
 「そんで俺は遅効性。長年かけて体に堆積すんのよ。ひひひ。例のミアって子、10年くらいたってよ、気付いた頃にゃまともなガキつくれねぇ体になってるって訳!ひっひひ!!!やべぇマジやべぇ!!!!」
 そんなことが可能なのか?!
 ……俺の願い、それは確かに彼らのそれと合致していた。
 間違いなく先ほどまでの俺は、それを望んでいた。
 人間なんて全て消えてしまえばいい。
 俺の絶望を人間たちにも味わせてやる、と。
 ……本当に?
 俺が望んでいたことは、正しいのか?
 いや、正しいのだ……。
 今も耳に残って離れない。
 ――――「ヒイッ!!!!た、助け、たずげでくれぇ!!!死にたくない、じにだくないよぉぉぉ!!」
 あの時、俺の横にいた、兄弟の断末魔。
 無慈悲な人間たちが、食物に対して感謝するでもなく淡々と行う”調理”という名の狂気が、俺の瞼の裏に焼きついて離れない。
 今、これを逃すと、もう俺には報復の手段は残されてはいない。
 しかし、その報復の成否に関わらず、俺が死ぬこともまた変わりはなかった。
 イヤ、いや。それは関係ない……。
 憎い憎い人間たちなど、俺の苦しみ以上の絶望を味わえばいい。
 そう、俺が受けた以上の苦しみを……受ければいいんだ……。
 ………。
 俺は、俺は……
 「……頼んだ」
 その一言を呟いていた。


       

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