Neetel Inside 文芸新都
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 俺は今、最期の光に包まれている。
 突然の、目も眩むような光の中では全てが真っ白になる。
 目が慣れていくと、そこはキッチンという名の、笑顔溢れる場所だった。
 食事というのは、生きている以上欠かせないものながら、同時に楽しいものでもある。
 ……なんて事を思えるのは、連鎖の頂点にいる人間どもだけの特権だ。
 他の多くの、否、他の全ての動植物が、食われる事に怯えながら食っている。
 明日の我が身を、その目に写し、その舌で感じながら。
 ”食”への畏怖、それを忘れた人間たち。
 しかと思い出させてやる!
 俺は今、満たされている!
 死を意味する光の中運ばれていく俺は、三角コーナーの隅っこで息絶えた兄弟の亡殻を見つけた。
 待っていろ、必ず報いる。
 その時は、もう目の前だ。
 時計は午前7時を指していた。
 一般的な家庭ではそろそろ朝食となる時間のはず。
 ただ、今日は、特別な日の、特別な”フルコース”。
 少し準備に時間がかかっているようだ。
 特別な日、”誕生”日の。
 その間に未亜ちゃんが起きてきた。
 「おはよぉー」
 眠たそうに目を擦る、ピンク色のパジャマのそれは、可愛いらしく見えて、しかし大鎌を俺に振るい降ろす死神に他ならなかった。
 「おはよう未亜、まっててね、もうちょっとで出来るから」
 「うわぁ、すごい! 楽しみだなー。 あ、今日は先にハミガキしてくるっ! 味わいたいから! ごっちそー、ごっちそー……」
 そういって未亜ちゃんは洗面台の方へと消えた。
 俺がこんなに産まれたいのだ、人間だって同じように産まれてきた日を祝うのも、ある意味気持ちは分かる。
 分かるからこそ、憎いのだ。
 しかし、そんな特別な日に、未亜ちゃんは涙を流すことになる。
 お腹を抱えて、冷たい床の上に頬を擦りうずくまる未亜ちゃんの姿が、ありありと頭に浮かんだ。
 その滴る脂汗までも、鮮明に。
 ――そしてその像を、すぐに振り払った。
 ……何故?
 俺があれほど望んだ、怒りの妄想を現実に出来る。
 俺はその力を手に入れた。
 ならば、行使するのは当然だ。
 しかし、俺は不思議とその、俺の死後、来たる未亜ちゃんの姿を想像することを、嫌っているのだ。

 ガチャリ。

 冷たく分厚い扉の音に俺の思考は遮られた。
 まだ、例の彼らの姿は見えなかった。
 「後は、あれとあれをチンして……完成ね」
 母親の握られた手の中から、ヒヒヒッ、と漏れ出る、下卑た笑い声。
 俺の横、流しに置かれた彼らは、着くなり嬌声を上げた。
 「ひゃぁはー!!!娑婆の空気うんめぇぇぇっー!!!!」
 「たまんねぇ、これで極上の女でもいりゃ最高なんだけどなぁ!!」
 「お、おれ、おれやべぇ!!!やべぇよこれマジ!!マジやべぇぇ!!!」
 口々に喜びの声……?
 ととれる声をあげる、”チュウゴクセイ”の奴ら。
 やはり俺とはウマの合わなそうな奴らだが、そいつらはまた、俺の得た唯一の報復手段でもあった。
 「へへ、よぉガキんちょ、久しぶりだな!」
 「あ、ああ……」
 闇の中では見えなかった彼らの姿が、今初めて光の中で明らかになった。
 三人いる彼ら。
 一人は黒い瓶につめられた液体。
 一人は白くこんもりとした形の、人間の手のひらサイズのもの。
 もう一人は、表面は白くつるんとしているが、端にひらひらのフリルがついた牡蠣、とでもいえばいいのか、妙な形をしていた。
 いずれも、クスクスと、処刑場の上にいることを何ともしない、恐れを知らない態度だった。
 態度こそそれだが、また別段、食べ物として遜色があるようにも見えない。
 というより、どちらかと言えば美味しそうに見える部類なのではないか。
 本当に人体にとって有毒なのだろうか?
 そういえば俺は、具体的に彼らがどのように人間に報復を行うのかも、一切知ってはいなかった。
 「なぁ、あんたら」
 「んんー?なんだぁ?キヒヒ」
 「あんたら一体、どうやってあのデカい人間たちをヤるんだ? どうみたって、普通の食い物にしか見えないんだが」
 「ヒヒ、たりめぇだろ! オレら、そう作られてんだから」
 こんもり白い奴がくぐもった笑いを漏らす。
 「で、でもなぁ、ちっ、ち、違うんだなぁ!!」
 「お前、知ってっか?」
 黒い瓶の黒い液体が俺に向かって説明を始めた。
 「人間がなぁ、うめぇと思う成分てなぁゴマンとある。オレでいやぁ、アミノ酸っつー成分がそれに当たる。分かるか?」
 「あ、ああ、大体は」
 「オレ作ったやつぁ、めんどくさがりでなぁ、パパッと薬品中和させてそれつくっちまった。で、名残がオレん中残っててもおかしくねぇんじゃね?ってこった。塩酸とか」
 え、塩酸だとぉ?!
 もしそれが本当なら、加熱調理しようものなら塩化水素が肺を犯すし、ましてや経口摂取などありえない。
 「あと、なんか最近オレ、妙に体が鉛っぽくてなぁ!」
 「ケケ、甘ぇよ!オレにゃあ、なんか段ボール?お?中に入ってる?マジ意味わかんねぇ!!しかも、苛性ソーダで溶けてる(笑)、超ウケるwwwww!! 肉とか一応入ってる?薬まみれのやつ!!しかも病気で死んだ奴な!!マジ超バカウケ!!」
 か、かか、苛性ソーダ??!!!
 苛性ソーダと言えば、「毒物及び劇物取締法」で規制され、体重60kgの人間なら1g以下で人体を死に至らしめるという、強力な劇薬ではないか!?
 あり得ない!!
 あり得ないだろう、普通!
 なんだ、こいつら?!意味が分からないのはお前らのほうだ!
 「お、おれ、適当に、な、生ゴミ…う、うへへ」
 最後のは、色々と終わっていた。
 いずれも食品とは名ばかりの、劇物ぞろいだった。
 間違いない、彼らの申告が正しいのなら、一矢報いる以上の、食った人間の悶え苦しみぬく死に様が見られる。
 憎い憎い、人間の……
 「へっへっへ、わざわざ食材屋で、輸入モンの本場の品なんて選ばなきゃなぁ!!」
 「それ、アダ、愛、あだ!ひひひ!」
 そうだ、こいつらにまかせれば、未亜ちゃんも母親も、場合によっては病院送りでは済まされないのだ。
 そして俺は、それを望み、頼んでいる。
 「ママぁー!!歯磨き終わったー!!ぅわ!すごい、何皿あるの?」
 キラキラ目を輝かせて並べられた皿を見つめる未亜ちゃん。
 その目はともすれば、あと数時間で光を映さなくなる。
 それは間違いなく、俺自身の願い……だ。
 未来のない、俺の……
 「じゃーん!!ママ特製スーパーフルコースです!まってね、あとこれレンジで蒸して、おしまいだから!!」
 人間は俺を有精卵にした……。
 どうせ産まれられない運命を知って……。
 悲しみを感じさせる為に……。
 空しさを覚えさせる為だけに……。
 ――それは、はたして、未亜ちゃんがやったのか?
 この笑顔の溢れる幸せそうな家の人間たちの、業なのか?
 もうじき、血を吐き、地を這う人間の所行なのか。
 俺は正しいのか。
 「完成!!ママスペシャル!和洋中全部よ!自分の料理の腕が恐ろしいわ!!」
 たぶんフルコースの意味を間違っている。
 「お誕生日おっめでっとー!未亜!さぁ食べましょう」
 母親はこれから、仕事があるのだ。
 だが俺は、冷蔵庫の中で、この人間が、朝4時30分から準備をしているのを知っている。
 「わーい、お誕生日ー!!やったー!!」
 誕生……!!!!
 くっ……うぅ………うっ……。
 俺だって……俺だってこんなに産まれたいッ!!
 産まれたいさァッ……!!!
 もし、ひよことして産まれることが出来たら、張り裂けそうな程、嬉しいッ!!!!!
 決まっているっ!!
 考えるだけで、わくわくするさ!!
 想像するだけで……どれほど嬉しくて、どれほど幸せか…………。
 ………。
 ……。
 ……そして、それはきっと、人間も同じなんだ。
 きっと、今日、未亜ちゃんは喜びと共に産まれた。
 俺だからわかる、その喜び。
 今、俺はそれを摘み取ろうとしている。
 産まれて来ることが出来た”未来”を、閉ざそうとしている。
 悶えそうな苦しみと、泣きじゃくる顔とを、いっしょに。
 今日、とてもとても幸せな日に。
 人間が憎い、どうしようもなく。
 俺を有精卵にした人間たちが、……憎い!
 平然と、利益のために同じ人間に”チュウゴクセイ”の劇物を売れるような人間たちが、憎い!!
 それでも、それでも…だけど……俺は……
 彼女の笑顔が浮かぶんだ……
 俺は気づいた。
 彼女のそれは、俺を絆し、俺が欲し、俺が得られなかった”愛”そして”未来”そのものだったんだ。
 俺が絶つべき対象ではない。
 「未亜ちゃんを……」
 俺は……俺は……!!
 「未亜ちゃんを……守りたい……!!!!」

 ウオオオオオオオオオオオオオッ!!
 三たび、一つの卵が震えた。
 食卓に置かれた木のサラダボウルの上で、カタリ、と音がした。

       

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