第三章 『君のご飯に、ライド、オンッッ!!』


 「オレっちや他の奴らも中国製品にはうんざりしてンだ」
 ”国産特選丸大豆醤油”はほとほとと、話し始めた。
 「未亜っちを助けンのには、すげぇ力が必要だ。だから、オレっち達が集められたのは、むしろ逆に運命みたいなモンだと思う」
 「……? どういうこと?」
 「オレっち達は、選ばれてココにいる、ってこった。あの母ちゃん、いい目してんだな。まぁ、アイツらみたいに余計なモンも混じッちまったが、他のそれぞれの奴ぁ、それぞれン中で最高級の品質、それと栄養価をもってる」
 つまり、活きのいいモノだけがここにいる、ということか。
 だがそれはきっと、母親のいい目云々の問題とはすこし違うのだろう。
 未亜ちゃんを想う、母の愛。
 それが、きっと、未亜ちゃんを救うことが出来るモノを選んだんだ。
 「実際、オレっちも、オメェみてぇなアグレッシブな卵は、初めて見た。普通、悲痛な、この世の終わりみてぇな顔してんのにな。 オメェは違った。 だから、力を貸す気になったンだ。 オメェは、選ばれた卵だ。未亜っちを救うことが出来る」
 それは一体どうやって……?
 テーブルがカタカタ鳴る。
 未亜ちゃんの顔がすぐ横にあった。
 「次はぁ、赤ういんなー!すごい、朝から赤ういんなーだ!」
 「それも、シャウエッセンの高級な品なの」
 「あじ違う? うー、よくわかんない」
 確実に、食指はこちらに近づいてきている。
 事態は、刻一刻を争う。
 未亜ちゃんを、守りたいんだ。
 「いいか、よく聞け。いずれオメェが未亜っちに食われる番がくる。オメェが今その姿でこのテーブルの上にいる、そいで今は朝飯、ってことから察するに、オメェの末路は、ほぼ間違いなく、一つしか無ェ」
 ……ゴクリ。
 俺は黙って、その宣告を待つ。
 「いいか、オメェは、これから”卵かけご飯”になるンだ」
 卵かけ……ご飯……?
 「ある種、荊の道だが、逆にこれがいい。コイツが今のオレっち達にゃ、一等理想的な形なんだ。そこのフレンチトーストやゆで卵見たろ。アイツらは加熱された時点で、もう逝っちまってンだ。 オメェは、生のまま、生きたままで、未亜っちの胃まで行くチャンスがある。 そこに、ヤツらがいる」
 引っかかる言い方だ。チャンスがある、というのは、辿りつけない可能性がある時に使う言葉だからだ。
 「だが、……いいか、オメェがご飯にかけられる前に、避けて通れない関門がある。オメェは……”変身”しなくちゃならねェんだ」
 「銀シャリぃっ~、アツアツ~」
 突然フッと、体が持ち上がる。
 未亜ちゃんだ。
 未亜ちゃんが俺の体を持ち上げている!
 早い、少しだけ早かった。
 遂に、もう、この時が来てしまった……
 「やべッ!!いいか、絶対に意識を失うな!!それほどまでに、オメェの”変身”は……」
 そこから醤油の声は、遠く聞きとれなくなってしまった。
 「未亜って卵、もう、うまく割れるんだっけ?」
 ヒッ…!
 その醤油の声を遮るように、母親の声が、俺の死を表す言葉を紡いだ。
 分かっていても、恐ろしいものがあった。
 知っている、俺はこれからこの身を叩きつけられて……死んでしまう。
 未亜ちゃんの手に、声色に、俄かに力がこもる……!
 「こないだできるようになったじゃん!ぇい!」
 (ぐぎゃあああああ!!!)
 ピシィ、と俺の殻が、割れた。
 それは、俺に今の今まではあった”未来”が、確実に潰えた事を意味していた。
 それと共に襲い来る、信じられないほどの激痛。
 アアアゥッ……ウッ……ッ……。
 痛みに耐える俺の中身が、未亜ちゃんのまだ不器用な指に抉られながら、即座に、乱暴に冷たい器の皿に叩きつけられる!
 (あっ、あああぎぃいいあああァァァアッァァっ!!!)
 正視に耐えかねるほど凄惨に、ぶちまけられた俺の中身。
 「あ、ちょっとしっぱい」
 「んもぅ、黄身破れちゃってるじゃない、ママやろうか?」
 「いいのっ!」
 嗚咽が、止められない。
 だが、息つく間無く、柄にウサハナがプリントされた、可愛らしいピンクのプラスチック箸の先が、俺自身である黄身の中心を容赦なく突き刺した!!
 (いぎあァァァァ!!!!!!!)
 意識が飛びそうになる。
 ――いいか、絶対に意識を失うな!!
 蘇る醤油の声。
 ダメだダメだ、ダメだ!!!
 ここで途絶えたら、全て終わる。
 俺だけじゃない、この一家の”未来”までもが。
 ウォォオオオオ!!
 俺を貫いたピンク色の箸は、俺の薄皮の中身を更に抉り、中身を白身に溶かしている。
 なんだ、一体、何が始まるんだ……。
 「とくのは、ちょっとむずかしいんだよねー。なんか、いっつもこぼれる」
 俺を貫いたままの箸は、そのまま、高速で、無情に俺をかき混ぜ始めた!
 (うぎぐごごごぎゃあああああ!!!)
 あまりの激痛に混濁していく意識の中、さっきの醤油の声がまた、俺の頭に木霊していた。
 ――――荊の道だが
 ――――それほどまでに、オメェの”変身”は……
 激痛を伴う、か。
 人間が、例えば腹を割かれ腸を取りだされたとしたら、痛みで死ぬのだろうか。
 違う。
 その場合、訪れる死のほとんどは、心因性のショックによるものだ。
 そこで盲腸でも切り落とされようものなら、体に害は無いはずでも、自分の未来までもが腸と一緒に体から切りはなされたように感じるはずだ。
 しかし、俺は今、それを他の臓腑と、かき混ぜられている。
 だんだん白く濁っていく視界。
 冷蔵庫の俺なら、痛みに耐えることなく、意識を飛ばしていただろう、それほどまでに、痛い、痛すぎる。
 そしてそれを、だんだん感じなくなっていってしまう。
 俺を入れた茶碗が、未亜ちゃんの左手の上で揺れている。
 ――もう目も霞んで視界も覚束ない俺は、俺全体を揺らしている、この船上のような感覚に、ふと、生まれてすぐの記憶を思い出していた……。
 ――養鶏場の横の卵売り場で、俺を乗せて、最後まで運ばれなかったあのカゴ。
 最後まで俺を救わなかった、あの箱船。
 ……結局このまま”未来”は無いのか。
 ……そもそも、誰にも未来なんてないんじゃないのか。
 次に俺が揺られたのは、母親に買われたあとの、買い物袋の中だ、そうして俺はここへやってきた……。
 遠く彼方から、救急車のサイレンが聞こえてくる。
 俺は、だんだんと真っ白い光に包まれていった。
 気持ちいい……。
 そうだ……この光……結局、俺にとって光とは一体なんだったんだろう。
 生まれて、死ぬまで26時間。
 光を見たのは、数回しかない。
 それは、鶏小屋では自由の代名詞であり、また冷蔵庫の内側から見たときには、絶望の象徴であった。
 ただ……、だけど、それを目にしたとき、俺の中に生まれたのは、「自由を手にするんだ」、「人間に報いてやる」、「未亜ちゃんを助けたい」、良かれ悪かれ、そんな”決意”だった。
 決意とは、俺の”未来”を、俺のこの手で創り出そうとする意志のはずだ。
 救急車のサイレンが大きくなっていく。
 未亜ちゃんは、もうじき、あの箱船に乗って、死へと連れ去られる……、幸せと共に、誕生出来た”未来”が……、死へと……俺がやらなければ……俺がやらなければ!!!
 そうか! 箱船に揺られて”未来”へ着くのをただ待っていた、それが、それが俺の間違いだったんだ……!!
 最初から、"未来"なんて、なかったんだッ!!
 だから……創り出さなくちゃ、この手で俺の……俺の”未来”をぉっ!!!!
 「オオオオォォおぉぉォォォおおォォおオオオオ!!!」
 ここで負けるわけにはいかないっ!!!
 「こんなもんでいっかー」
 ピンク色の箸が抜き取られる。
 それは俺の変身の、終わりの合図だ。
 「おぅい、生きてっかぁ……」
 同時に未亜ちゃんに持ち上げられた”特選国産丸大豆醤油”が、俺の頭上からヒョイと顔を出した。
 「ああ!……なんとかな」
 「ひゅぅ、やっぱりオメェはすげぇわ。他のたまごなら、痛みで意識失ってそのまま消化されておしまい、ってなのにな」
 「危ないとこだったけどな」
 無事、変身が完了して、痛みも徐々に収まってきた。
 「ま、楽しいおしゃべりはあとだ、今から俺っちはオメェにユナイトするぜ、ごはんライダー!」
 未亜ちゃんの手が傾く。
 「フォーメーションG-ride! Go,Unit!!」
 俺の、黄身と白身の混ざった、変異した体に、黒い雨が降り注ぐ。
 ああ……、なんだろう、これは……すごい……。
 ぐんぐんと、俺の中で、うまみが増していくのがわかる。
 混ざり合うのが、心地いい……。
 「聞…こ……か……」
 ゆっくりと変化していく俺の意識に、直接、声が響いた。
 「聞こえるか?」
 この声、特選国産丸大豆醤油の声だ。
 「ああ、聞こえる」
 静かに意識の底から声を出す俺。今、二つの食材が一つとなった。
 「今、オレっちはオメェと融合した。もうオメェは、ただの有精卵じゃなくなっちまったわけだ。今はオレっちとオメェで一つの卵かけご飯の種、言うなれば”ごはんライダーRAN(卵)”だ」
 「ごはんライダーRAN……」
 それが、俺の名前……
 「今のこの状態が、RANの最も基本となる形、”モロミダイズド・フォーム(MollOnMe Dized・Form)”だ、よく覚えておけ」
 つまり今の俺は、卵かけご飯の最もベーシックな”醤油かけ”タイプ、というわけか。
 「それは、他にも色々なフォームになれる、ということなのか?」
 「まぁ、それは未亜っち次第なんだけドな、ただ、見る限りオレっち達に加勢する奴の方が多いことは間違いない。この勝負、勝てるぜ」
 「そうか」
 心強い言葉だ。
 仲間というにはこんなにも、俺を強くするのか。
 未亜ちゃん、待っててくれ、すぐ助ける。
 「と、おっと、そう、はやりなさんな。先に一つだけ注意事項があるからよく聞け」
 「あ、ああ…」
 「まず、オレっち達は食品として最高級だ、栄養価も高いが、反面、消化吸収も異常に早い。 食われた後、まともに戦えるのは……そうだな、5分強がいいとこだ。それがオレっち達の残り時間だ。 過ぎれば、腸へと流される。 それで、タイムオーバー」
 「5分か…」
 確かに短いな……、だが。
 「それまでに、おそらくまだ未亜っちの胃にいる、中国製品どもを追い出せなければ、未亜っちも死ぬ、わかるな」
 醤油が静かな声色で語りかける。
 「5分……ふっ、それだけあれば、充分だ!」
 「ひゅぅ、そうこなくっちゃな! じゃあ行くぜ!」
 ゴトッ、と俺を入れたお椀が持ち上がる!
 「やっぱり、日本の朝は、味噌汁とこれだよねー☆」
 「って未亜、あなたいくつ?」
 今俺の真下に未亜ちゃんの茶碗がある。
 座標のセット、完璧に完了だ。
 「わたしも今日でまたひとつ、としをとってしまいました……」
 「なぁ、国選特産丸大豆醤油?」
 「なんでぃ?」
 「どうやって未亜ちゃんの胃まで行くんだ」
 「それはなぁ、あれに乗るんだ!」
 ドボドボドボドボ。
 お椀が、返された。
 流れて、キラキラと光を反射しながら落ちていく、黄金と黒の俺。
 下にいた何かにぶつかった俺は、その熱々の何かにそのまま跨っていた。
 「これは…」
 飯粒の形をした銀色の自転車、まるで俺専用に誂えたようにしっくりくるそれに、俺は跨っていた。
 「”銀チャリ”、しかもこれまた最高級のシロモンだ!!これなら未亜っちの胃まで爆速だぜ!!」
 「いっただっきまーす」
 「未亜、3回目よ、それ」
 「おいしいものをたべるときの、かんしゃの気持ちのあらわれです」
 銀チャリに乗った俺が、箸という名のカタパルトに今、セットされた。
 目の前に、未亜ちゃんの大きな口の中の闇がある。
 ついに、ここまできた。
 「もう戻れねぇぜ、有精卵」
 醤油の声が響く。
 「ああ、そうだ、もう有精卵には戻れない。俺の命をかけた、生涯ただ一度きりの変身だ。」
 「……」
 「だから……最後の徒花、咲かせてやるさッ!」
 ――「俺なんかは即効性だからよ!!食って数時間で、ミア…ったけ?あれ、病院行きだぜ!!けっけけ!!」
 ――「ミアって子、10年くらいたってよ、気付いた頃にゃまともなガキつくれねぇ体になってるって訳!ひっひひ!!!」
 待っててくれ、未亜ちゃん。
 君の明日は、俺が守る!
 「行くぞ!ごはんライダー、GO!!!!」
 闇の中へ放り込まれていく。
 食道の蠕動に導かれ、深い深い闇の中、俺の最後の戦場へと、降下していく。
 滾る決意の中で――ふと、光漏れ出る入り口の方から、確かに「おいしい」という声が聞こえたのだ。
 未亜ちゃんの言葉、最後に聞けた、気持ち。
 「よかったな、オメェ」
 俺の頬を涙が伝って落ちた。
 俺は、俺は、泣いているのか?
 理由はわからないままに、しかし俺は、涙を止められないのだった。