Neetel Inside 文芸新都
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「さっき何か聴いてたわよね?」声が聞こえた。
僕はその声が自分に向けられている事に気付くのに数秒かかった。
彼女の方を見るとしっかりと目が合ったので空耳ではない。
演奏が終わって、向こうがこちらに話しかけてきたのである。

「…ああ、うん。いや、何でこんなところで弾き語りなんてしてるの
 かなと思って」
「タモリのレコードを探してたの」
「は?」
「だから、タモリのレコードを探してたのよ」

二回聞こえたので、どうやら聞き間違いではないらしい。
タモリ?タモリのレコード?
漠然と思い描いていた想像の、範疇外の回答だった。
というか、回答になっていない気もする。
僕は一瞬自分が何か違う質問をしてしまったのかと錯覚した。
だがすぐにそれを打ち消した。
何故ここで弾き語りをしているのか、と訊いた。それは間違いない。
確かにこの辺りにはレコード屋がちらほら存在している。
なので、全くの出まかせを言われている可能性もゼロではないだろう
けど、とりあえずその言葉を信じる事にした。
この目の前の端整な顔立ちのハーフっぽい女性は
『タモリのレコードを探していた』。オッケー、話を続けよう。

「念のために確認しとくけど、タモリってあのタモリ?」
「そう、あのタモリ。『笑っていいとも!』でおなじみの」
「そのケースにギター入れて、それを背負って歩き回ってたんだ?」
僕は彼女の右下の、ぱっくり口を開けたまま放置されている
アコギ用の黒いハードケースに目をやる。疲れそうだ。
「そうよ。ここら辺ってちょこちょこレコード屋あるでしょ?
 それで探してたんだけど…あんた、タモリのレコードって
 どんな内容か知ってる?」

この女性の話し方は、唄っている時の印象と比較すると
若干ではあるが幼い感じがした。
自分より年下かもしれない相手に初対面で「あんた」呼ばわり
されてしまったが、まぁよしとしよう。

「いや、よくは知らないね。何枚か出してるっていう事は知ってたけど」
「何だ、知らないの。知ってたら教えてもらおうと思ったのに」
「何?」
「知ってたら教えてもらおうと思ったのに、って言ったの。耳遠いの?」
「どんな内容かも知らずに探してたの?」
「そうよ、だって気になるじゃない。タモリのレコードって」
「…まぁ、いいか。それで、タモリのレコードを探している事と
 こんな寂れた通りで弾き語りをしている事とはどういう関係が
 あるのかな?」
「別にこの場所に意味なんてないわよ。レコードを探し回って、
 見つからなくて、イライラしてきたからおもいっきり唄って
 スッキリしようと思ったの。そう思い立ったのがたまたま
 ここだったってだけの話よ」

彼女は地面に利き手の人差し指を向けてそう言った。
中指と親指の間にはさっきまで弦をかき鳴らしていた
茶色いピックが挟まれている。
なるほど……。

「それであんなラウドな感じになってたんだ?」
「ラウド?」
「うん。さっきのビートルズだけど、どれもまるで『ヘルター・
 スケルター』を聴いている気分だったよ。ホワイトアルバムの中
 でも比較的穏やかな曲が選ばれていたハズなんだけどね。
 あれらがあそこまで熱く唄われているのを聴いたら、
 ジョンやポールらもさぞやビックリするんじゃないかな」
「別にビックリはしないと思う」
「ある種作為的なものすら感じたんだけど」
「作為?どういう事?」
「だってイライラしててスカッとしたかったんだろう?それなら普通
 もっとハードな曲を選ぶもんだと思うよ。同じアルバムの中でも
 『バースデイ』とか、『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』とか、
 前述した『ヘルター・スケルター』とか、ガツンとくるロックナンバー
 が他にあるしね。なのにあの選曲っていうのは、何らかの意図を
 もって敢えてやってるんじゃないかと思ったんだよ」
「思いつくまま適当に演奏しただけよ。あんたがどう感じようと勝手
 だけど」

そう答えた彼女の表情がかなり気だるい感じだったので、
選曲についてこれ以上触れるのはやめておく事にした。
本当は、あの『チェルシー・ガールズ』についても話を
訊きたかったのだけど…。別の質問をする事にした。

「いつもそうやってギター持ち歩いてるの?」
「まさか。そんなの煩わしくってしょうがないじゃない」
「じゃあ今日はどこか小さなハコで演奏してきて、
 その帰りだったって事?」
「別に。家からここまで来たんだけど」
「………」
「………」

よくわからない。が、何となくだけどここで「何で?」と訊ねても
マトモな返答は期待出来ないような気がする。
だからこの話はここで置いておこう。
いい感じにくすんだ色のフォークギター背負って、
タモリのレコードを求めて日本橋界隈を歩き回りたくなる事も
長い人生の中で一回ぐらいあるのだろう。

「あんたはここで何してたの?」
しばしの沈黙を破ったのは僕ではなかった。
彼女にも人に何かを訊ねたくなる事があるらしい。向こうの方から
質問されるとは思っていなかったので少々驚いた。

「僕?今はもう帰るところだったんだけど、『ペーパーボーイ』
 っていうファミコンのソフトを探してたんだ」
「何それ?」
「ファミコン知らない?」
「ファミコンは知ってる。マリオとかでしょ」
「何それ、って今訊かなかった?」
「だから、どんなゲームなのそれ?聞いた事ないタイトルなんだけど」

どの程度彼女がこのソフトについて知りたがっているのかは
判りかねたが、とりあえず僕は説明する事にした。

「自転車に乗った主人公を操作して、新聞を配達するゲームだよ。
 指定された家のポストに新聞を放り投げていくんだ。ただ街の人々
 は主人公を見つけると容赦なく襲いかかってくるから、
 うまくよけるか新聞で撃退する必要がある。ちなみに街の人々だけ
 でなく死神や竜巻からも命を狙われる宿命にあるから結構大変だ。
 撃退にあたって注意すべき点は、主人公は新聞を左にしか投げる事
 が出来ないというところ。右側から襲われた場合はよけるしかない。
 で、あまり新聞を投げ過ぎていると手持ちが無くなるから、そこら辺
 に落ちている新聞をうまく拾えば補充する事も可能。とまぁ、大体
 そんな感じ」
「ふーん。よくわからないゲームね」
「確かによくわからないな。ザ・洋ゲーだよ」
「それ見つかったの?」
「いや、見つからなかった。まぁこれを扱っている店って少ない
 だろうからね。インターネットで調べてみたら売ってるところが
 あったから、そこを利用すればまぁ買えるんだけど」
「何でそうしないの?」
「何でだろう?うーん多分、簡単に手に入れてしまうのが勿体ない
 からかな。苦労して手に入れるからこそ喜びもひとしお、って言うか。
 そういう達成感みたいなのを味わいたいんだろうね。
 それに、あるソフトを探し求めながら色んなファミコンソフトを
 扱っている店に入るのって、単純に楽しいんだよ」
「時間の無駄ね」
「全くその通りだと思うよ。一回もやった事のないソフトだから
 早く手に入れてやりたいんだけどね。無駄を好む傾向にあるのが
 僕の困ったところなんだ」
「………」

彼女はあきれているようだった。当然の反応だと言えるけど。

「それはそうと、君はオリジナルの曲を書いたりはしないの?」
「書くわ」
「本当?よかったら聴かせてほしいんだけど」
「外ではカヴァーしかやらないようにしてるの」
「それには何か理由が?」
「別に。ただ何となくそういう風に決めてるだけ」
「そうか。残念だな…」

僕は本当に残念に思った。


さっき聴かせてくれた鬼気迫るようなビートルズ。
あれは、目の前でその姿を捉えているにも関わらず、弾き語りである
事が信じられないほどに凄まじくヘヴィーだった。
レコードが見つからず憂さ晴らしでやった、
と言っていたけど、本当にそれだけなのだろうか。
彼女があの『チェルシー・ガールズ』を唄い始めた瞬間、
辺りの景色が一変したようだった。
あれは特別な時間だった。どこにも属する事のない、
ただ彼女が唄う時にだけ生まれる時間。
この世界とは隔絶された理想郷に向かって虹をかけているような
あの歌声。あの美しさを僕は忘れる事が出来ない。
どうしてあんな風に唄えるのだろうか。
何を感じているのだろうか。

       

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