Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      


彼女自身の曲を聴けば、もしかしたらそれがわかるかもしれないと
考えていたのだ。今のところ全く検討のつかない、
正体の知れないその「何か」が。
もう少し食い下がって頼んでみようかとも考えたけど、
これまでの彼女の言動から察するにまず無理だろう。
仕方なく諦める事にした。

「外では、って言ったけど、じゃあ君は自分の作ったオリジナル曲は
 家でしか唄わないの?」
「外っていうのはこういう道ばたの事を言ってるの。私バンドやってる
 から、ライブハウスとかではちょくちょく自作の曲もやってる。
 まぁカヴァーの方が多いけど」
「へぇ、バンドを?」

彼女が誰かと組んで音楽をやっている、というのはちょっと意外な
感じがした。

「それなら一度ライブを観てみたいね。君の曲を聴きたいし。
 近々予定はないのかな?」

僕がそう言うと、ピックを握ったままグーにした手を軽く頬にあてて、
彼女は何かを考えはじめたようだった。
ややあって、ジーンズのポケットから財布を取り出すと(彼女は大きな
ギターケースは運んでいても、鞄は持ち合わせていなかったようだ)、
そこから一枚の紙を取り出し、僕に渡した。
何かのチケットだった。
ぴあ等で発行された物ではなく、会場側が作成した物のようだ。
どこかのライブハウスのようだが、僕の知らないところだった。
初めて目にするバンド名が並んでいる。それでこれが、インディーズ
のバンドが出演するイベントのチケットだという事が判った。

「このイベントに君がやっているバンドが出るんだね?」
僕は視線をチケットから彼女の方に移し、訊いた。
「そうよ。今買ってくれるって言うんなら渡すわ、それ」
再びチケットに目を通す。チケット代は1500円と書かれていた。
金額の隣に括弧して『ドリンク代は別途必要です』とある。
イベントが開催される日時を確認する。
来週の土曜日、開場が17:00で開演が18:00。
特に予定はないので行ける。場所はどこなんだろう?
チケットをひっくり返すと、裏面に簡単な地図が印刷されていた。
それでこのライブハウスが難波にある事がわかった。

「うん。この日は特に予定も無いし、行かせてもらうよ」
僕は財布から千円札と百円玉5枚を取り出し、払った。
「そういえば、君がやっているバンドはどれ?何て名前?」
彼女がそのお金を自分の財布にしまっている間、
チケットの文面を眺めながら訊ねる。
「マネー・フォー・ナッシング」彼女が答えた。
その名を探す。…あった。バンド名が並んでいるその一番下の欄に、
『Money For Nothing』と書かれていた。

ん?Money For Nothing?
聞き覚えのある響きだ。何だったっけ?
しばらくの間それについて考えを巡らせてみる。
………あ、思い出した!
ダイアー・ストレイツってバンドのヒット曲じゃないか。

「下らない事だけど訊いていい?」
「何?」
「このバンド名は誰が付けたの?」
「私」
「って事は、君はダイアー・ストレイツのファン?」
「聴いた事ないわ」
「え?じゃあ何でこの名前を?」偶然の一致とは考えにくい。
「別に。メンバーから決めろって言われたから、CD屋に入って
 適当にアルバムを手に取って、目に入った曲名をそのまま
 付けただけ。何だってよかったのよ、バンド名なんて」
「なるほどね」

特に異存はなかった。僕はチケットをしまう。
これで彼女の歌をまた聴く事が出来るのだ。

お礼を言って立ち去ろうとして、ふと思い留まった。

「ひとつお願いがあるんだけどいい?」
「何?」
「僕のリクエストした曲を弾いてくれないかな?」
「何で?」
「何でって、まぁ純粋に君の歌をもう一曲聴きたくなったから
 なんだけど。チケットを買ってもらったお礼、って事にでもして、
 やってもらう訳にはいかないかな?」
「…まぁ、いいわ。私の知ってる曲ならね」
「あ、本当?」

彼女と会話してきたこれまでの経験上、おそらく断られるんだろうな
と思いながらダメもとでお願いしてみたのだけど、蓋を開けてみれば
意外や意外、オッケーしてもらえた。何事も言ってみるもんである。
さてと、何をリクエストしよう?

「うーんそうだな…じゃあ、レベッカの『フレンズ』」
「知らない。パス」
「ダメか。ならWinkの『寂しい熱帯魚』」
「知らない。パス」
「これもダメか。では石井明美の『CHA-CHA-CHA』」
「何で全部80'Sヒットソングなのよ」
「知ってるじゃないか」
「どうでもいい曲だったからスルーしてたのよ」
「どうでもいいって、ヒドいな。結構本気で好きなのに…」

結構本気で好きな曲だった。悲しいもんだ。

「そんなのばっかり言うんなら私もう帰るわよ」
「わかったよ。よし、クリムゾンの『21世紀の精神異常者』」
「弾き語りしている人間に向かってキング・クリムゾンの曲を
 リクエストするバカがどこにいるのよ。世界中探したって
 あんたしかいないわ」
「ほんの冗談のつもりだったのに…。じゃあトーキング・ヘッズの
 『この本について』」
「それマジで知らない」
「マジで知らないか…なら仕方ない。ええと、デヴィッド・ボウイの
 『ブルー・ジーン』」
「何でボウイの中でその曲なの?」
「僕はボウイってあんまり詳しくないんだけど、好きな曲なんだよ」
「そう。でも今の気分に合わないからパス」
「君厳しいな。じゃあ『ボウイ』繋がりでBOφWYの
 『季節が君だけを変「興味ないわ、パス」

遮られた。

「まいったな、曲名を言い終える前に断られてしまうとは」
「私の嗜好を考えないからよ。そろそろ帰っていい?」
「わかったよ。じゃあ何かニルヴァーナの曲をやってくれないかな?
 一回女の子が唄っているのを聴いてみたかったんだ」

僕のその言葉を聞いて、さっきと同じように
頬に手をあてて考え始めた彼女。
ゆるやかな時間が流れていた。
しばらくして、彼女は曲を弾き始めた。


それは『レイプ・ミー』だった。
演奏を終えた彼女に、僕は言った。

「女の子にこの曲を唄われると何だか複雑な気分になるな」
「あんたがニルヴァーナって言ったんでしょ」

そう答えた彼女は、この時初めて微笑んだ。



       

表紙
Tweet

Neetsha