Neetel Inside 文芸新都
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17歳のころ
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第0章 まえがき

 これは僕が17歳のときの話だ。
 17歳のとき、僕には二人の仲の良い友人がいた。
 サッカー部の天野祐樹と、華道部の四宮雅彦。
 3人の共通点はクラスが同じということだけだった。

 僕のことについて、少し。
 17歳のとき、僕は大方の人がそうであるように高校生だった。
 僕の出た高校は片田舎の進学校だった。あまりに田舎過ぎて勉強以外あまりすることもないような町だった。
 僕は二人の友人とは違って、帰宅部で、といっても、放課後すぐに帰宅するわけではなく、もっぱら学校の図書館で本を読んでいた。
 そういう意味では、私設読書部とでもいったような感じだった。
 僕の高校は歴史の古い学校だったので、図書館の蔵書もさまざまなOBからの寄贈のものなどが多く、なかなか充実していた。
 僕はここでいろんな本を読んだ。日本のものも海外のものも。
 小説、図鑑、随筆、古典、漫画までこの図書館にはあったのだ。特に個人的にはなかなか買うことのできない文学全集を読むことが楽しかった。
 何しろ何もすることもなく、ろくな本屋もない町だったので、図書館にいる時間は僕にとってかなり充実した時間だった。
 要するに17歳の僕は読書好きなどこにでもいる高校生だったということだ。
 
 彼らのことについてもう少し。
 雅彦は火曜日と木曜日以外は僕と一緒に図書館で本を読んでいた。
 華道部は火曜日にミーティングを行い、木曜日には実際に花を活ける。
 雅彦が読んでいるのは図書館の本ではなく、自分の持っているいけばなの本のときが多い。華道部員とはいっても地元の名家の子息で子供の頃から母親に花の活け方を教わり、免状を持つにいたっている雅彦は部員の中でも指導的な立場にいるらしく、華道部のない日にはこうやって図書館でどう教えていこうか考えているらしい。

 そろそろ図書館もしまるかという頃になって、がたがたと大きな音を立てて汗臭い体を窮屈そうに(実際の図書館はとても広い上に人も少ないのだが……)かがめて祐樹が僕らの前に顔を出す。

 それを合図に僕らは立ち上がり、3人で帰宅するのが高校二年のときに同じクラスになった三人の日課になっていた。

 前書きの長い小説ほどつまらないものはないというのが、少ない僕の読書経験の中で発見した一つの事実あるが、自分がそうしてしまうのは、間違いなく自分にそれだけの力量がないからということになるだろう。
 力量がないから、物語の中で説明すべきことを文章としてしか説明できないというわけだ。とはいえ、これを説明しておかないと話が進めづらいのでもう少し本編へ入るのを待っていただきたい。

 僕らの帰宅経路について。
 前述のように僕らは田舎の高校生だった。どのくらい田舎かというと一般的に禁止されていることが多いバイクでの通学を認めなければまともに通学することのできない生徒がいるくらいだった。
 なにしろ、自宅近くから学校までの道のりが10kmを超え、しかも山を越え谷を渡らなくてはならないというのにバスが通っていないというところから通ってくる生徒がざらなのだ。
 僕らは三人ともご多分に漏れず、バイク通学生だった。
 図書館を出た僕らはそれぞれ愛車にまたがり、帰り道の途中にある駄菓子屋というか雑貨屋というか要するに田舎くさいそういう店に立ち寄る。なにしろ、ファーストフード店やコンビニなどという気のきいた店はないのだ。
 駄菓子屋には何世紀前からそこにいるのかわからないようなばあさんが一人いる。よって、僕らはそこに立ち寄ることを「ばあさんのところに行く。」という。
 そして、僕らは毎日のように「ばあさんのところ」に行った。
 ばあさんの店の裏には小さな小屋があり、店で買い物をすることを条件にそこで飲み食いをすることができた。とはいっても、それが許されているのはごく限られた人間だけで、僕ら三人以外の人間はほとんど見たことがなかった。
 そこでのルールは一つだけ。
 法律を守れ!
 つまりタバコをすうな、酒を飲むなということだ。それさえ守ればばあさんは何も言わなかった。時にはお茶の一杯も入れてくれた。
 
 そんなこんなで、僕ら三人は17歳の一年を過ごそうとしていた。
 これはそんな17歳の僕や雅彦や祐樹の話である。

       

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