No.53/言葉なき、疎通なき、犬泣き/ヨ




ボクは毎日おいしいものを食べさせて貰っている。いわば、居候。いわば、与太郎。
しかし、彼女はプーのボクを必要としていた。
いや、彼女はボクを足代わりとしていたのかもしれない。
たとえば、新聞紙を持ってこさせたり、散歩のお供にするが見返りはほとんどない。
彼女はニコりとも、謝辞垂れることもしない。僕は奴隷のような生き様だ。
そんな態度に澱はつのるが、爆発はしなかった。
いつの間にか教え込まれ、騙されていったのだろう。彼女に。誰かに。


だから、ボクはときどき好奇心から思いつく。『彼女に褒めて貰いたい』と。
とてつもないマゾ気味に、ボクも引いてしまうが、『これは好奇心だ。』と自己暗示する。


今日も彼女はボクと一緒に散策へ繰り出した。ボクはいつも彼女の前を歩き、先導する。
これが男としてのボクの権利であり、彼女を支えるボクの義務である。
だけど、彼女はボクの挙措に気を取られている節はない。
いつも一点を凝視し、ボクに喋りかけるでもなし。一体、彼女は何を見ているのだろう?

叉路を右に曲がった。すると「えんやわんや」と妖しい音頭が調子よく耳に入ってきた。
近くの神社で祭りをしているのだろう。

近づくにつれて、子供たちの華奢な声があちこちの屋台から聞こえてくる。

ボクは子供が好きなので高揚と、顔をほころばせたが彼女はしかめ面をしている。

彼女は子供、もとい群集が嫌いなのだ。

人ごみに向かおうとするボクを、彼女は右手で引いて静止した。


次の瞬間―彼女は叫んだ。目の前をカーキ色の手提げバックを持った自転車が往く。
後ろを振り向くと、彼女は両手を耳にあてがえ、不恰好な女座りをしていた。


すぐさま分かった。バックを盗まれたのだ。


彼女の全霊はボクに注意が向いていたので、左肩が不注意だった。
左肩には、盗まれたのと同じカーキ色をしたバックだった。


ボクは、自分でも驚くほど恐ろしく燃え上がった。
それは彼女が女の子だったから。ボクがオトコだったから。

その使命感に血を全身に滾らすと、犯人目掛けて駆けた。まだそう離れてはいない。
ボクは、本気で自転車を追った。人間なら到底無理な話かもしれない。
だけど、今ならボクは20キロをゆうに越えて走ることができる。

それは…


「ワン!ワン!」        僕が犬だからだ!


繁華街に突入して、どうにも遅くなった自転車に僕は飛びついた。


「うわっ、なにをするっ!」、「うわっ!」


男は僕を振り放そうとしたけれど、皮膚に達する爪牙が犯人を雁字搦めにした。
そして、男は自転車から放りだされ地面に直撃した。まともには起き上がれないだろう。


僕は血染めになりながらも、男の亡骸からバックを口に咥え、元来た道を戻って行く。


すると、どこからともなく大きな音がした。強烈な音なのに周りのヒトは気づいていない。


音の主に歩み寄るとそこには携帯電話を片手に蹲る、不恰好な彼女がいた。


「よかった。よかった。」

血塗れた体を気にもせず撫でていく。僕は仕事犬としてではなく、犬として寵愛受けた。