ある独裁者が、国民の糾弾を受けてクーデターの末に家族とともに無人島へ流刑にされた。
新政権はせめてもの情けとして、その家族一人につき好きなものを何でもひとつだけ持っていくことを許可した。
プライドの高い元独裁者は言った。
「国家主席の座だ。わしは国家主席の座を持っていくぞ。誰にも渡すものか」
世間知らずの妻は言った。
「私は携帯電話を持っていくわ。世界中にたくさんいる友達に連絡して助けにきてもらうの」
冷徹で現実主義の息子は言った。
「僕は猟犬を連れていくよ。そいつを使って食料を集めるんだ。無人島だろうがどこだろうが絶対に生き延びてやる」
ドジでのろまで、家族にすら馬鹿にされている娘は言った。
「わたしはこの日記帳にします」
これには家族全員が呆れた。
「日記帳だって?」
「おいおい、こんなときになってもそのバカは治らないのか?」
「仕方ないわ。この子はうちの落ちこぼれだもの。好きにさせましょう」
どれだけ馬鹿にされても、娘は日記帳を大事に抱えたまま困ったように笑うだけだった。
やがて無人島に送られた一家は、自分たちがいかに無力な存在かを思い知ることになった。
携帯電話は電波が入らなかった。
猟犬は崖から落ちて死んだ。
権力はもちろん、何の役にも立たなかった。
寝ることも食べることもままならなかった一家は見る見るうちに衰弱していった。無人島への流刑とは実質的には死刑も同然だったのだ。
「このまま死んでしまうのか……」
絶望的な呟きを漏らす独裁者の隣で、娘は軽石を鉛筆代わりにして日記をつけていた。
「おい、ふざけるのも大概にしろ!」
独裁者はいよいよ怒って娘の手から日記を取り上げた。その日の日記にはこう書かれていた。
『今日も家族みんなと一緒でうれしいです。
食べ物もおフトンもなくて大変だけど、わたしはしあわせです。
だって昔に戻ったみたいだから。』
それを読んだ三人ははっとした。そして昔のことを思い出した。
娘が幼かった頃は一家はとても貧しい家庭だったこと。衣食住にさえ困るほどだったこと。物がない代わりに心の繋がりがあったこと。
日記はそのときの優しさと変わらないままの文体で綴られていた。元独裁者が軍人になり、独裁者の地位に登りつめるまでの間も終始あどけない、無垢な、愛に満ちた言葉で娘は日々を書き記していた。
「なんということだ……!」
三人は驚嘆し、忘れていた過去の優しさに涙した。そして悟った。
もう間もなく日記の続きは書かれなくなること。後日発見されることになるであろうこの日記帳は、ある乱世に生きた独裁者一家の生きざまを著した最後の記録になるだろうということ。
相変わらず困ったように笑う娘を三人は優しく抱きしめた。夜が更けていく中、一家は日記に綴られた優しい記録を真実にするため、強く強く抱き合った。
息子は愛犬を弔い、妻は暗闇に携帯電話のライトを灯し、元独裁者は権力をかなぐり捨てて一人の父親になった。
電池がなくなっていくにつれ、ライトはゆっくりと小さくなっていく。祭りの終わりのようにひっそりと彩りを失っていく。
誰もいない孤島の片隅で、幸せな家族の最後のともし火が消えていく。