Neetel Inside 文芸新都
表紙

ホーの解
「白崎 思織の不測」

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七子がいなくなってそわそわしているのは私だけだ。他の人間は日常生活を計画的にこなしている。私は自分が混乱しているからこそ、他人がどれほど落ち着いているかを大いに理解することができた。

黒板に写されている数字の羅列を適当に模写して私はふと周りを見回した。ほとんどの人間がやや背中を曲げてシャーペンなり、鉛筆なりを手で掴み、無言で机と対面している。七子が小説を書くときと同じ姿勢なのにそれはどこか無機質で触ると冷たいような印象をうけた。

全てを投げ出して机を枕にしているあいつよりかはましなのだが、やはり今の私とはどこかずれを感じて私は授業に集中できなくなる。

七子の教室は一つ下の階にある。その部屋の様子はどうなっているのだろう。私はもう一度自分の教室を見回して見えないはずの七子の教室を想像する。私の予想は多分外れていない。七子の教室も同じなはずに決まっている。

授業をただ聞いているものと、熱心に聞くものと、聞いていないもの。どこに行っても彼らは必ずいる。

彼らは七子の無事を心配しているのだろうか。私は心配している側だからこそ、その答えが分かってしまう。七子のことを一番理解していると自負するからこそ、その答えにたどりついてしまう。

七子の教室にいる生徒たちも、私のいる教室にいる生徒たちも、そして学校中の生徒たちも七子の身を案じているものはおそらく私しかいない。その理由の中に七子が行方不明であることを知っているのが私だけというもの含まれている。

でも、もしも私の他に七子の現状を知った生徒が現れたとしても、私のようにずっと心に小波を立てていることはしない。

私が持っていたシャーペンの芯がぱきりとした音を立てて折れる。折れたシャーペンの芯は空中をくるくると舞った後にノートの上に音もなく着地した。私は不意のことに小さく声を漏らし、そのまま硬直する。

七子はどこに行ったのだろう。家出、誘拐、蒸発。それらの可能性を考えていち早く先生なり警察に届けたほうがいいのだろうか。それとも七子の家族に連絡すればいいのか。

けどまだ一日しか立っていない。警察が動いてくれるとは思わない。先生ならもうちょっと親身になって考えてくれるだろうか。

でも親身なふりをして、私にもうちょっと様子を見ることをやんわりと諭す可能性の方が大きいかもしれない。自分が面倒なことに携わりたくないがそれを表には出さず回りくどい説明をする。教師とは、大人とはそのような人間だ。

七子。心の中で呟いて小さくため息をつく。こんなにまで気が重たい一日は初めてだ。七子のことしか頭に入っていなく、今がどのような授業をしているのかも分からない。焦燥感がちりちりと胸の中で燻る。

私が心を取り乱している一番の理由は七子が今何をしているのか少しも想像できないからだった。七子は小説にしか興味を持っていなかった。そして私が寮に帰ると、七子は小説を読んでいるか、書いているかのどちらかでどこかに出かけているということは滅多になかった。

それにたまにどこかに出かけたとしても立ち寄るのはいくつもの古本屋で、持って帰ってくるのは安値で買ってきた本だけだ。

そのような本の虫の七子がどこか自分の意思で別の場所にいるということを想像できず、私は事が深刻であることの疑いを徐々に濃くしていく。そしてあのとき私が七子の傍にいたら、自分の趣味に走らないで、最近物騒という平坂先生の言葉をもう少し重く受け止めて、七子の近くにいたら、こういうことにはならなかったのではないか。

けれども一日はもう進んでいる。この一日は滞りなく進んでいく。七子がいないということも、私が不安に身を焦がしているということも関係ない。この一日は昨日の一日と大差なく、そして明日の一日とも見た目に違いがないのだろう。

授業の終わりを知らせるチャイムが鳴っている。のびのびとした音色のはずなのに私はそれをどこか受け付けられない。自分のもののように感じない腕を使い机の上を片付けるとどっとうるさくなった教室の中でただ一人座り続けていた。

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私の不安をよそに七子の失踪はそれほど大きな事件にはならなかった。その日の放課後に七子が帰ってきたからだ。

     

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七子がいる部屋を想像して、私は憂鬱になる。その光景は私が願っていることだけどそれは決して手に入らないものだった。クリーム色の自分の部屋の扉は蛍光灯の光を浴びて、気に求めなかった汚れが扉の上に現れた。

私は疲れた体を眠気で重くなったまぶたの二つを引きずりながらゆっくりと扉を開く。一人で使うにはどこか広い。だけど二人で使うにはちょっと狭い中途半端な広さのこの部屋にむわっとした暑い空気が充満している。

使い主を失ったと思った机の前で七子が座っていた。

「あっ」

思いがけない目の前のことに私は肩にかけていた鞄がずれ、床の上に落ちる。ぼさりと音ではないような音をだして、鞄は萎れるように形を変えていった。私は扉の前で呆然と立ち尽くし、七子はその私を見ている。

七子の両目はパッチリと開いている。瞳孔は墨のように黒々として、そして艶としたまなざしを作っていた。表情としては七子の何時もの顔と何一つ違いがない。

だけど私はあまりにも当然のように七子がいるのでその表情に違和感を感じていた。私が今日一日七子を見なかったのは白昼夢のようであるかのように、七子の顔は私がよく知る七子のものだった。

カチカチと時計の針が進むなか、お互いの時間は止まっているかのようだった。気まずい沈黙を何時も終わらせるのは私だった。だけど今どうすればいいのか少しも思いつかない。

「たらいま」

苦し紛れにこぼした言葉は発音がいい感じにめちゃくちゃで私は顔を赤らめそっぽをむく。七子は大きく開いた瞳を少しだけ細めると自分の机に向かっていった。ほとんどしゃべらない七子だけど最小限の動作だけを見ると私の言葉は届いたようだ。

七子はひざに下ろしていた両手を机の上に置く。机の上には白い紙が何本もあってそこには乱雑に一言二言関連性のない言葉が書かれていたり、人物同士を線で引いたりしている。そして机の真ん中には升目しか書かれていない原稿用紙があった。

私は荷物をその辺に投げ捨てると自分の机の上に座る。七子の机とは違って私のは驚くほどに綺麗だ。自分でも惚れ惚れとするほどに。ただその原因は私がこの机を利用しないという大してあっけない理由だけだったりする。

鞄の中から「羊の唄」を取り出し、椅子の上で体育すわりをして読み始める。以前に平坂先生からそんな小さくなっているから小さいままでいるのよとからかわれたけど私としてはこの体勢が一番落ち着くのだった。

ときどき本の端から目を出し七子の様子を探る。七子は原稿用紙に何かを綴っている。私はそろそろ我慢の限界が訪れてきた。あくまでもさりげなく私の心につかえていることを話す。

「昨日はどこに行っていたの?」

七子は答えない。

小説に夢中になっているのだろうか。それとも本当に私の言うことを無視しているのだろうか。以前は前者だと信じていた。だけど昨日から七子のことを考えるたびに私は自分の質問に答えて欲しいと願っていた。

しかし七子は振り向いてくれない。カリカリという鉛筆が削れる音が私に対して七子の意思を代弁してくれている。そしてそのたびに私は七子が私を無視してくれているということを疑ってしまう。

私は天秤のように二つの思いを動かしながら額にじっとにじむ汗に悪戦苦闘していた。そのときに気づいた。どうも暑いと感じていたのは窓を閉め切っていて、この一室がサウナのような密室になっていたからだ。

私はおもむろに立ち上がると、一つしかない窓に近づく。

「窓開いていい?ちょっと暑くて」

「だめ」

反射的に私は振り向く。七子が語尾をしっかりさせた言葉を言うのが珍しく、そしてこう即答で私を拒絶したことも滅多にない。そして私のことをこんな射抜くような瞳でにらみつけることは初めてだった。

私はただ狼狽して、体を動かせることを忘れたまま硬直していた。

「ごめん」

へんだな……私。なんで謝っているのだろう。私は二段ベットに上るとまた漫画を読み始めた。だけど開いた「羊の唄」の一ページも読むことはなく二段ベットから降りる。気まずい空気に耐え切れず私は漫画と鞄を持って寮の外へと飛び出した。

     

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私にとって空というものは黒いものだった。けど暗いという雰囲気は持っていない。私にとって空とは一人のときに見るものだ。けど寂しいという気持ちは抱かない。私にとって空とはかけがえのない友達のうちの一人だ。

そして私が空と触れ合える唯一の手段は天体観測だった。レンズ越しに映る空は私の心を躍らせる。私の眼では見つからない小さな星が数え切れない。その迫力に私は感嘆の声をあげる。

空が私だけに見せてくれるその姿を通して、私は空を理解する。望遠鏡の角度を変えてもっといろいろな空をみる。レンズを覗くたびに私に見せてくれる空の様子を私は空の喜怒哀楽だと考えていた。

天体観測をすると私は空だけを見ることができる。日ごろの生活で私の気に入らないことや、つらいことを忘れることができる。私の体が癒されるような気持ちよさを空は私に届けてくれるようだった。

天体観測をするときの私はいつも一人だ。だけど私が小さいとき、小学生でもなかったときは傍に誰かがいたような気がする。舞い上がる私の隣で微笑んで私の名前を呼んでいる人がいたような気がする。

思織ちゃんとその人は私を呼んでいた気がする。あいまいな記憶の中でそのことだけは私の中でしっかりと生きていた。

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そろそろ毎日の日課とでも言うべきか。天体観測を適当に終わらせて、平坂先生と憎まれ口を叩きあい、寮までお付き合いさせてもらう。平坂先生は眠そうに欠伸をこぼす。私はこれ以上皮肉を言われる前におとなしく自分の部屋に戻ることにした。

戻った部屋は真っ暗で、七子はごく普通に眠っている。私はもう何がなんだか分からなかった。七子はこの時間までに寝ているということはなかったのに。

私の不安はもう苛立ち取ったところにまできていたのかもしれない。むしゃくしゃする。でも今はおとなしくしているしかなかった。私はセーラー服から着替えるとそのまま寝る支度を始める。寝よう。明日になれば全部リセットされる。

「おやすみ。七子」

私の声が原因かというと違うと思うけど七子は寝返りをしてこちらに顔を見せた。定期的に健やかな寝息を立てて、布団の上からでも胸が上下しているのかが分かる。ぴっと筆で横に凪いだかのような目に比べ、唇は緩やかな曲線を描いていた。

七子の寝顔を見たのは久しぶりかもしれない。私はすぐ眠るつもりだったのに七子の安らかな寝顔に魅了されつくしていて、私を我に返らせたのは梟の鳴き声だった。、

ホーホーという何時も聞く鳴き声が、何時もより大きく聞こえたと思ったのは窓が開きっぱなしだったからで私はそれを閉めるとそのまま二段ベットの上に上がる。

七子と私の間に気まずい空気を一日中感じていたけどいつかは消え去るだろう。昨日みたいなことがあったから私が必要以上に七子を気にしているのかもしれない。うとうとしながら私は明日が今日よりも楽しくなることを願っていた。

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寝苦しい。自分の上に大きな何かが覆いかぶさっているような圧迫感がある。パジャマは汗でぐっしょりしていて、それが体にべっとりとくっついていた。体全体はだるく、腕一本も動かせない。

だけど脚と、腕を押さえつけられているように感じるのは疲れのためだろうか。私の四肢は物理的に拘束されているようだ。ぼやけていた視界が徐々にはっきりして、暗闇に目が慣れてくる。

私が感じていた圧迫感の原因を見た。それを作っていた人物は荒い息をしている。流れ落ちるような彼女の髪の毛が私の体の上で幾何学的な模様を作っていた。

「七子?」

からからに乾いた喉から漏れる声に反応して七子は薄く瞳を閉じ、妖艶に笑う。目の前の事態に頭が追いつかないのに、七子の笑みは脳裏に焼きつく。口の隙間から白い歯がきらりと月光を反射しる。

息ができない。緊張で神経が張り詰めたまま七子の動きを目で追っているしかなかった。目ははっきりと七子の動作を確認して、耳は私たちの衣擦れの音や、外を走る風のうねりの音をはっきりと拾っていた。

闇の中でも白いと分かる七子の掌が私の胸の辺りを這い、そしてパジャマのボタンを一つ取り外す。わずかに開き、パジャマの下に除く私の胸を見て七子は目を見開いた後に、すぅっと見据えたように目を細める。

「思織。いいでしょ?」

闇の中で七子の瞳が爛々と輝いている。私は何がいいのか分からず、七子のなすがままになっていた。私のおびえる様にくすりとした声を出し、七子は一つしたのボタンに指をかけていく。

窓の外が目にはいった。寮の裏側に生えている名前も知らない木の枝に数羽の梟が私たちの様子を観察していた。

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■場所

○学校

 思織や七子や香矢が通っている学校。それほど都会とは離れているわけ
 ではないが、やはり人気のない場所にある。
 ただ交通などの利便性は優れているため、バスや電車などの施設を
 生徒が利用する機会は多いかもね。
 コンビニなどの娯楽施設は歩いて三十分ほどの人でにぎわっている場所にある。
 不便のように思えるが生活品は学校の中で揃えるのでよほどのことがないと
 外には出かけない。
 高校であるものの、購買部や、学食、そして寮や銭湯が
 そろっているためそれなりに大きい。
 ただ周りが森林で囲まれているため外観は大きな山のように見えている。

       

表紙

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