Neetel Inside 文芸新都
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 それからまた私は酒瓶が好きになった。日本酒ブランデーワインリキュールそしてウイスキー。どこか遠くの国で醸造されてやってきたものから、近所の醸造元でつくられたもの。その瓶の中に入っている液体は赤青黄色茶色ほんのり緑色そして琥珀色。私はよく街の酒屋に行ってはそれらを眺め、どのような香り風味かを想像していた。夏の盛りの酒屋のあの空間はかき氷よりも納涼で、花火大会よりも迫力があった。

 そう。私はそれらをすべて想像力で補っていた。私は慢性的に貧乏であったのだ。そんな貧乏に救いとなるのは同じサークルのあの娘であった。
私がまだ大学生らしい大学生であったころはサークルに所属していた。彼女とはそこで仲良くなった。まるっこい顔にまるっこい髪。一重の眼はむしろ二重の眼より魅力的であったし、ケラケラと笑ったときに見せるその八重歯は例えようもなく美しかった。なにより一番はその性格であった。だれとでも気兼ねなく話をし、やたらに不平は言わず率先して行動し皆をひっぱっていく。どんな男相手でも嫌な顔せず話をする。私の凝り固まった女子大学生観は一変した。

 断言しよう。彼女は私が出会ったなかでとびきりの美少女であった。
この陰気でどうしようもない大学に降りてきた天使―これはいささか言い過ぎかもしれないが―であった。
もしどんな娘か想像できないのなら、君の一番好きな人を想像してほしい。
たぶん彼女はその中のだれよりも美しい。

 しかし、街を徘徊しナンバーガールの歌詞よろしく生活している私にとってその思い出はもはや逆に重荷となって私の心の中に巣くっているのだ。
さらに彼女は大学生ながら複数の中年たちの妾になっていた、というその事実を友人づてに知った瞬間にわたしの心で何かがすうっと消えていった。就職のため。そういえば彼女はテレビ局のアナウンサーになりたいと言っていた。
そして今となっては彼女の思い出はすべて幻だったような気さえしてくるのである。

 ある朝、日曜日。日曜という曜日の性質上、私は真白な部屋に取り残されたような気分になった。不安で外の世界に出ていきたいが外の世界までの距離感がつかめず、自分自身の大きささえもわからない。実は何も予定のない日曜の朝は精神衛生上全くといっていいほどよろしくない。そこにあるのは憂鬱とむなしさである。そしてサザエさんが始まって気づく「俺はなにを今日していたのだろうか」
そして日曜日は私の背後からぬうっと現れてこう言う「せっかくの休みなのだ。外に出ろ」
毎日が日曜日な私にとって日曜日はなにも意味を持たない。しかし、さらに日曜日は私を追い立てる「世間様はせっかくの休日なのだ。おまえも世間様をみならってどこかへでかけろ」
まったくキリストさまさまである。神が七日目にお休みになられたからといって人も休むというのはどういう了見なのだろうか。私は神を否定も肯定もしない。神を否定してはなぜ自分が存在しているのかわからない。しかし、神を肯定するのならばなぜわたしのような人間をこの世に誕生させたのか皆目見当がつかない。これは不思議な話である。

       

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