Neetel Inside 文芸新都
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 夢――誰かがすすり泣く声を聞く。
 ユウトはそれがよく知る者の声だと思う。
 何とかしたい、何とかして彼女の涙を止めなければと思う。
 視界は徐々に明けて、シーナの後ろ姿が暗闇にぽつりと見える。
「シーナ……」
 ユウトの呼びかけにゆっくりと振り返るその姿は、まだ幼い頃のシーナだった。
「泣いちゃダメだ」
「泣くな――」
 アリスに召還されてからユウトの出会った人は皆、ユウトにこう言った。
「泣くな、ユウト――」
 訓練などとは名ばかりで、死にものぐるいだった毎日。
 シーナに出会うまでのユウトは、もう生きることに疲れ始めていた。
 殺さなければ、喰われる。喰わなければ死ぬ、極限の精神状態で叩き斬る命。
 勝つのではなく、殺す行為にユウトは麻痺していく。
「ねえ、泣かないで」
 そんな声が響いたのは囚われた人間たちの中にいる一風変わった少女のものだった。
 彼女が『生きている』女の子だと解ったのは、声を発したからだ。
 オークの集落で飼われていた数多の人間たち。
 そこを制圧はしたものの、既に手遅れの状態が無残にも残されていた。
 ユウトは力無く剣を落とし、自分の存在は死に死をもって応えることしかできないものだと、それくらいしかないのだと絶望したときだった。
「泣かないで……」
 血肉が転がっている足下から聞こえるか弱い声。
 やせ細った彼女は髪が抜け、眼球は既に光りを失っているようだった。
 今わの際であるはずの彼女が、一体何を懇願しているのだろう。
「お願い……」
 
 ふと急速に意識が覚醒する。
 ユウトは身体中に痛みを感じ、苦悶の声を上げる。
「ユウトっ」
 駆け寄ってきたシーナの後ろでそっぽを向くアリス。
 スーシィはほっとした表情で微笑んだ。
「調子はどう?」
 どこか素っ気ない様子で尋ねる。
「全身が痛い……何がどうなったんだ」
「リリアを庇った。ユウト、そうでしょ」
「あ、ああ……」
 物陰から何かを狙っている気配は感じていた。リリアを蹴り飛ばして時間を稼いだ後、その攻撃の過多を感じて受け止めようと飛び込んだのだ。
 突如アリスがもの凄い剣幕で近づいてくる。
「馬鹿ユウトっ、後一歩間違えれば死んでたんだからね!」
 声は震えて、肩も戦慄いているのに涙の欠片も見せないアリス。
「あんだが、そんなことで死んだら私が呼び戻してあげた意味がないでしょ……」
 そう言ってアリスは部屋を一人出ていく。
 シーナは依然として涙を隠そうとはせず、ただユウトにもたれているだけだった。
「あなたが倒れてから一週間。覚醒と昏睡を繰り返して、なんとか持ち直したけど、多分あと三週間は何も出来ないでしょうね」
「さ、三週って……げほ、ごほっ」
「それだけ大ダメージを食らったのよ。アリスはもう進級確定だし、後はうまくやるって言ってたわ。あ、そうそう。そこにいるルーシェがそのうち飛び込んで来るから覚悟した方がいいわ」
 そう言ってスーシィはにやりと微笑を残して廊下へ消えるのだった。
 窓辺を見ると床で毛布にくるまり、よく眠っているルーシェの姿がある。
「はは、のんきだな」
「ルーシェは五日間も寝ないでユウトの看病をしていたんですよ。これは私の仕事だって言って――」
「そうなのか、やっぱり……シーナには、話しておかないとな」
 かつてルーシェはユウトと共に戦ったことがあるということ。ルーシェの正体がイノセントドラゴンであるということなどを話す。
 シーナは少し興味深そうに相づちをうつ。
「それじゃあ、あの神話は本当だったんでしょうか……」
「神話?」
「はい、清い人間に命を救われた竜は美しい人間の姿となって恩返しにやってくるという創世記伝書(ジェネス)にあるイノセントドラゴンの伝承です」
「でも、俺は命なんて救ってないし、かといって特別何かしたわけでもないぞ……」
「きっと、何か大きな手助けをしたんでしょうね」
 あんなことは普通じゃ出来ないことですからとシーナは枯れた表情でルーシェを見た。
「あんなこと?」
「いえ、それよりもう横になっていた方がいいですよ。目が覚めたといってもまだ調子は出ていないはずですから」
 ユウトはなすがままにベッドへ横になる。
「それでは……」
「待ってくれ」
 シーナの動きが止まる。ユウトは疑問に思っていたことを聞くしかない。
「進級は……どうなったんだ」
 ユウトも召喚されたリリアも動けない今ではシーナのクエストは絶望的だと思えた。
「……気にしないでください、なんともありませんから」
 そう言ってシーナも部屋を後にして、残ったのはルーシェとユウトだけ。
 もしかしたらリリアが何とかしているのか、リリアはどうなったのだろう。
 取り留めのない考えがユウトの頭を巡る。
 辺りを見回してみても、窓辺に転がるルーシェしかいない。
 怪我がなければいいが、と思いベッドに仰向けになった時だった。
「――っ!」
 ユウトは一瞬言葉を失った。
「な、お前、そんなところで何してるんだ?」
 天井に張り付いていたのはリリア・リューレ本人だった。
 何か固定器具のようなものを四肢に着け、ユウトと対面するように張り付いている。
「…………」
 目を瞑ってはいるものの、時折目蓋がひくひくとして起きていることは明白だった。
「怪我はないのか」
「…………」
「おーい、リリア」
「……うるさい」
「怪我は――」
「ない、ほとんどな。あの時気絶した自分が恥ずかしいくらい」
 大の字で張り付いたぶっきらぼうなリリアを眺めながらユウトは徐々に吹き出る笑いが堪えられなくなってくる。
「なあ、なんでそんなところに張り付いてるんだ。降りて来いよ」
「はあぁっ? 降りられる状況に思えるっての? ……くそっ」
「どうしてそうなった」
「わからない、とりあえず目が覚めた時からこうで、私が話し掛けても全員無視だ。正直、ここでこのまま死ぬんじゃないかとさえ思った」
 あはははとユウトは笑い出す。どう考えてもこんなことをするのはスーシィしかいないからだ。
「わ、笑うなっ! これでも結構本気で困っているんだ」
「ちゃんと会話できるじゃないか。少しは頭が冷えたのか?」
「いや、正直まだ混乱している。蒼い色に強烈な敵意を感じるんだが、それ以外が一切思い出せない……って私はなんでこんなことをお前に……」
「俺と似たようなものだとすれば、そっちもどこかの世界から呼び出されたってことだろう。俺と違うのは記憶が思い出せないことくらいか」
「くそ、いくら考えてみてもだめだ。早く蒼を狩らなければならないのに」
「蒼を狩るって言ったな? それはどういうことだ?」
「よくわからないが、蒼い色は私の敵なんだ。私一人になっても倒すと決めた。その決意とその事実だけは覚えている」
 そして時間がないこともとリリアは付け加える。
「それであんなに好戦的だったのか。理解出来なくもないが、ここはお前がいた世界とは別の世界だと思った方が良いぞ」
「それはあの少女にも言われた。けれど、私の中で沸き起こる焦燥感は抑えられるものではなかったんだ」
 そこに現れた蒼剣を持つユウトがリリアにとっては格好の敵だったという。
「何故最初にシーナを敵だと思わなかったんだ?」
「あんな澄んだ眼を持つ子が私の敵であるはずがないからだ」
 好かないけどなとリリアは目を閉じる。
「そう、か」
「元のいた世界とは違うと言ったな、ではここへはどうやって来たのだ」
 召還についてユウトが話すとリリアは信じられないといった様子で眉をしかめた。
 話すことも一通り終えると、リリアは暫く一人で考えたいと天井にて元からの大の字で黙る。
 ルーシェに起きる気配はなくどうしたものかと思っていると不意に尿意を感じてくる。
「起きられるのか? 俺」
 というか今まで誰の世話になっていたのだろうか……。
 それはあまり考えたくない内容だった。

 なんとか自力で壁伝いに歩いて行き、用を足し終えてベッドへ戻るユウト。
 天井のリリアは相変わらず黙したままで、ほどよい倦怠感に身を委ねている時だった。
 ――ぽた。
 ユウトは何かが口元に落ちた気がした。
 驚きの余り、咄嗟にそれを拭ってみるがただの水のようにも見える。
「水……? 雨漏りか?」
 それともリリアが何か零したのだろうか、とユウトは声を上げる。
「っリリア、何か垂れて――」
 ぽたぽたぽた。
 うわっとユウトは身を翻してそれを避ける。
 よく見ると、リリアの口元から流れ出ている何かであるようだ。
「ヨダレじゃないか!」
 リリアは黙っているのではなく、寝ているのだとようやく理解したユウトはそのままリリアの涎をやり過ごす。
「リリア、起きろ! 起きてくれぇ!」
 呼び声も虚しく、ユウトの時間は過ぎていった。
 後日、スーシィがしたり顔をしてユウトの問い詰めに答えていたのは言うまでもない。

 結局、三週間ユウトは寝たきりだったし、リリアも食事と用を足すとき以外は天井に戻されるというのを生活にしていた。
 ルーシェが目覚めた時にはユウトは再び怪我を負いそうなくらい喜ばれた。
 そうして晴れて進級試験は無事終了し、三年生の卒業式と全生徒の進級式が行われようとしていた。
「ユウト、さっさと支度して」
 アリスはいつになく早く起きてユウトを迎えに来ていた。
 ユウトの方はルーシェに勉強やら人間としての知識だとかいう謎めいたものを夜中まで語られたことで、大層参っていた。
「酷い顔ね、洗って来なさいよ」
 どこかいつもより棘のない言葉づかいで、ユウトも呆気に取られるがそれを指摘してはやぶ蛇である。
「まさか、アリスが進級するなんてね。よくあの序盤から巻き返したもんだ」
 廊下を歩いてしばらくして、カインが通りで壁に背中を預けて腕を組んでいた。
「何してんのよ、こんなところで」
「これは僕なりのけじめのつもりだ。アリス、君は立派だった。出来ることなら、来年もそうなれば、いつか君の願うものも容易に叶っただろう」
「はっきり言ったらどうなの」
 アリスの怒気は勢い半分でカインもアリスをからかっているのとは少し違った。
「僕たちが生きているのは……いや、アリスがいたおかげで僕は生きていた、というべきだろう。だから、そのことを僕なりに返そうと思っていたんだ。でもそれは、勘違いだった。僕の一方的な考えの押し付けだったようだ。僕はただ、感謝を述べるだけで良かったんだ」
 ありがとう、とカインはアリスに向き直り頭を垂れた。
 アリスは返事をするでも声を掛けるでもなく踵を返すカインの後ろ姿を見送った。
 そしてわずかに呟かれたその言葉は別離する者へ向ける言葉だった。

       

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