Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 次の日、アリスは早朝から慌ただしくユウトの部屋を訪れた。
 朝の鍛錬を欠かさず行うようにしていたユウトは思わぬ人物に狐に摘まれたような顔で、アリスを見返す。
「どうせなんだから、隣り街まで遊びに行きましょ」
 今すぐよと息巻くアリスにユウトは少しばかりの不安と期待を寄せて学園を出た。
 しかし、アリスの機嫌はある人物によって損なわれる。
「――あんたが何といおうと二人だけよ」
「でも……」
 学園門の前で薄黄色の髪を揺らす碧と翆のオッドアイはルーシェの姿だった。
 誰もいない学園に制服で佇むルーシェは、一人時間が止まったかのようにユウトとアリスの顔を見比べている。
「でももだってもないッ。ユウトは私の使い魔よ」
「ユウトが断れば私は構わないよ、けど……旅先でフラムの術が発生してしまったら、どうするの?」
 ルーシェはただユウトのそばにいたいのではなく、自分が大会で掛けてしまったユウトへの呪いについて心配していた。
「まだ大会が終わって日が浅いし、このまま発てば無事ではすまないかも……クラスの全生徒が参加した術がどれほどの規模でユウトに働いているのかわからないんだよ」
 ルーシェは諭すようにアリスを説得するが、アリスは眉間に寄せたシワを戻さない。
「せめて、フラムに術を解いて貰って」
「そうだな、一応フラムに会ってから――」
「ッるさい!」
 アリスの中で何かがはじけ飛んだ。
 自分の思い通りにならない焦燥感と、刻一刻と募る不安の塊。ほんのささやかな時間すら手に入らない現実。
 学園に人気がなくなったことで、アリスは気丈な振る舞いで普段抑えていた感情がわずかに漏れてしまった。
「私の邪魔を……しないでよ……」
 ユウトにはアリスが何故そこまで怒るのか理解できないでいた。
 ルーシェもそれは同じで、アリスを怒らせてはユウトにも迷惑がかかると思い口を噤む。
「……わかった、行こう」
 アリスは俯いたままユウトの後ろを歩き出す。
「いいわよ、学園長に会ってくる……」
 そう言い残して一人学園へ戻っていくアリス。
 気まずい雰囲気がルーシェとの間に流れる。
「あの」「あのさ」
 お互いによそよそしく声をかける二人。
「ルーシェの方からでいいよ」
「あ、うん。……えっと、私もう行くから……」
「え? 一緒に来ないのか?」
「フラムに会いにってことは、私がいちゃ嫌なんだろうし……」
 それくらいわかるよとルーシェはぎこちない微笑を見せた。
 ユウトはそんなルーシェに疑問をぶつける。
「その、ルーシェはどこか学園の外に会いに行く人とかはいないのか」
 ルーシェの微笑が消える。
「私、迷惑だった?」
 捨てられた小動物を思わせる崩れ顔にユウトは慌てた。
「いやっ、そういうわけじゃない」
 ユウトはルーシェのことが気になっただけだった。肌寒い風が二人の間を吹き抜ける。
「そうだな……ルーシェはあの後どこへ行ったんだ?」
 大戦後に姿を消したルー。
 ドラゴンである目の前の少女は一度ユウトの前から姿を消した。
「私はあの大戦でお母さんを助けるために戦ってたの」
 聞けばイノセントドラゴンの血統はある時代を境に代々人間に姿を化けさせて生きてきたという。
 それが、不意の事故で母親の正体がイノセントドラゴンであると父親である夫にばれてしまう。
 最愛の妻が人間ですらないと知った父親は母とその子であるルーシェを酷く恐れ、国へ密告。そこから事態は急変していった。
「でも、ユウトは私がドラゴンになって喋っても全然平気そうで……一緒に命までかけてくれた……」
「それは、俺はこの世界の人間じゃないしな……」
「私だって似たようなものなの。人間の姿で子は残せるけど、人間じゃない……お母さんはそれを隠せっていうけど、私はそんなの嫌なの。だからユウトに――」
 不意に空間が歪み、白衣の老人が姿を現す。
「ほっほ、丁度そろっておるようで手間が省けたわ」
 フラムは白髭をひとなですると二人を交互にみやった。
「何か蜜語の途中だったのかの? 月下老人にはちと早いのう」
「いいから、話しを進めて頂戴」
 アリスは後ろから現れ、ユウトの手前へ行き、フラムとルーシェを見るように立つ。
「ふむ、告白大会での話しじゃがの、あの効果は切らせてもらうことにしようと思う」
「…………」
 ルーシェは何も言わずにフラムを見ていた。
「ただしじゃ、アリスの行く先にはミス・ラグランジェルの使い魔をつけて行って貰うのじゃ」
「は? なによそれ」
 アリスの反発にフラムは低い声を上げた。
「何か問題あるかの?」
「い、いえ……」
「お主らも知っての通り、ミス・ラグランジェルの強さは一流のメイジにも匹敵するじゃろう。そしてその使い魔は先の戦いで凄まじい強さを持っておった。護衛と利便性を考えれば完璧じゃ」
「……いいの?」
「良いぞ、ワシが許可する」
 かくして遊びに行くという行為はユウトのみぞ知るルーシェとアリスの三人で行くことになった。
「それじゃ、呼んでくるから」
 ルーシェは気まずそうに校舎裏の森へ消えていく。最後にユウトに見せた小さな微笑みが哀しげだった。
「そういえば、前回は召還したんだっけ? あの時ルーシェはどこにいたのかしら」
「さぁ……?」
 しばらくして上空からドラゴンが降り立つ。
「クルル……」
「なんか元気のない使い魔ね。こんなんで大丈夫なの」
 ルーシェはドラゴン化したものの、やはり騙しているのは気が引けるのか目を伏せていた。
「ほっほ、吉報を待っておる」
 ルーシェの翼が横に開かれた瞬間マナの気圧が高まり、わっと上昇する。途端にアリスが歓声を上げた。
「えっ、何これ凄い! スーシィやフラムのドラゴンよりずっと乗りやすいわ!」
「クゥ」
 辺りに充ち満ちたマナの大気はアリスたちが感じる風の一切を遮断し、安定した飛行に徹している。
 ユウトはルーシェがムリにそうした飛行をしていることを感じて少し気が重たくなった。
「――無理しなくていいんだぞ?」
「……」
「何よ、無理って」
 アリスは顔をしかめてユウトを見るが、ユウトには視線を逸らすくらいしかできない。
 あっという間に学園の姿は小さくなっていき、山々が連なる上空を飛行する。
「そのまま真っ直ぐ行ったところにあるはずよ」
 渓谷の間をくぐりながら見えてきたのは広大な海とそれに隣接する断壁の上に並ぶ街並みだった。
 中央には緩やかな傾斜があり、二つの巨大なU字型の港が構えられている。
「立派な都市じゃないか」
「凄いでしょ、この国の色んな物資がここから飛び交うのよ」
 ジャポルは陸の上にありながら世界一の国だと言われていたが、普通は逆で港が最も栄える街になるだろう。
 ユウトはそんな疑問をアリスに投げかけた。
「今じゃジャポルが世界一なのは力と富だけよ。物資の種類はそれなりにあるけど、こういった港には質量で全然及ばないでしょうね。それでもお金の為にみんなジャポルに商いをしに行きたがる、物価が高いから。結果としてジャポルは全ての国を中継するような大都市になったわけ」
 普段いろんな勉強が残念なアリスはやけに流通には詳しかった。
 ユウトより賢いことが主人としての矜持を取り戻させたのか、アリスはその後上機嫌で宿へたどり着いた。
「はぁ、疲れたわ」
 ルーシェの使い魔が街に入るのを拒んだために森から歩くはめになった。
 イノセントドラゴンであることはばれなくても、新種のように思われてしまっては大変なことになるだろう。
 ユウトはルーシェの行方が心配になりながらもアリスとこうして森を降りて宿まで歩いたのだった。
 黒のワンピースに身を包んだアリスからはわずかに火照った気が上がっている。
 ユウトに部屋まで荷物を運ばせると同時にお風呂を済ませたらしい。
「ジャポルで止まった宿よりはマシね」
 白壁に華柄の装飾が施された部屋はベッドとテーブル以外にこれといった物は置かれていない。
 森から歩いて来た途中で日は沈んでいたので、アリスとユウトは活動を明日にすることにした。
「何て言うか、ようやく解放された気分」
「そうだな」
 そう言うとアリスはベッドへ潜り込んでしまった。
「あんたも汗を流しておきなさいよね!」
 何かをはぐらかされたような気もするが、ユウトはこの世界に来てから風呂というものがあまり一般的ではないことを知った。
「学園は風呂があるんだよな……」
 マナ入りの怪しい風呂だが、疲れを取るには大変優れた風呂だ。
 そうこうしているうちに脱衣所に来たが、どうも様子が変に見える。
 のれんが男女で分けられていない。
 見ると入り口の片隅に男女別に時間が割り当てられていた。
「これを見てアリスは先に入ったのか……」
 丁度アリスがあがった辺りで女性の入浴時間は終わっていた。
 のれんをくぐり入ると何だか妙な気分になる。
 間違えていないか時間をもう一度確かめようかと思いつつもユウトは脱ぎ終わってしまう。
「いや、人の気配がするせいか」
 湯気で中は見えないが、さきほどアリスが出てすぐに入った男がいるようだった。
 ――ガラガラ。
 なじみのある音を立てて湯気の中へと突き進む。
 しかし、直後ユウトの体は凍り付いた。
「え……」
 薄黄色のセミロングが視界に飛び込んできたのだ。
 後ろ姿のそれは見紛うことなく女の子のものだった。
 歳はアリスと同じくらいか、それより下だがかなり危機的状況にあることは間違いなかった。
 戻ろう、そう思った時だった。
 気配でも感じたのか、目の前の女の子は振り返ってしまう。
「…………」
 一瞬叫ばれるかと思ったが、その気配はない。
 しかし、女の顔はみるみるうちに上気し、たまらず俯いた。
「ごめん、すぐ出て行く」
「待って」
 聞き覚えのある声がそこから発せられた。
「……ルーシェ?」
「うん」
 それでも彼女を正視することができないユウトは後ろを向けながら話し掛ける。
「入り口の案内を見たか? あれによるとここはもう男湯になるみたいで――」
「私の記憶ではまだしばらく時間があったはずだけど……」
「え?」「え?」
 ――ガラガラ。
 まずいと思ったユウトは咄嗟に水浴びをしていたルーシェを抱えて岩場の影まで飛んだ。
「ひゃっ――」
 ルーシェが本当はドラゴンでなければ絶対に出来ない行動だった。
 今は人間化しているが、ドラゴンだと思えば容易くそれは行動に移すことが出来たのだ。
「な、なんで私まで」
「男だったらどうするんだ?」
 裸で接触している恥ずかしさはルーシェが一入だった。ユウトも相手が本当はドラゴンとはいえ今はただの女の子だ。その肌の柔らかさに思わず意識してしまいそうになる。
「んっ……でもユウトだって――」
「しっ」
 ユウトは入ってきた気配を確認すると、それは小さな子供の姿をしている。
「なんだ、子供か……」
 しかし、性別が分からない。頭にタオルを巻いているせいだ。
 顔立ちも遠くてよくわからないでいた。
「確かに入ったわよね」
 よく聞く声のようが気がして、ユウトは目を懲らしてみる。
「せっかく用事が早く済んで、ユウトの生体を調べるための格好の機会だったのに、どういうことかしら」
 スーシィだ! ユウトは確信した。
 何故かはわからないが、スーシィに後を着けられていた。
 そしてスーシィはあろうことか杖をタオルから取り出して呪文を唱え始める。
「Leye o navelia(剪定の眼)」
 わっと湯気が消え、スーシィの目の前にマナで作られた球体が出現する。
「ルーシェ、まずい、俺たちが隠れているのがバレる」
「でもどうしたらいいの」
「あれはマナの流れを見る魔法だ。ルーシェの周りに流れてるマナを察知されたら終わりだ。なんとかその辺を上手くする魔法を――」
 ルーシェは頷き、杖を持たない状態で詠唱を始める。
「――Ma kekuaiur(皇帝の審判)」
 ぽこりという音と共に急激に視野が低くなる。
 声が出せなくなり、息苦しささえ感じたユウトはルーシェに助けを求めようとした。
「ゲコゲ……」
 ユウトは聞いたこともないほどおかしな声を発した……。
 
「!」
 スーシィが何かに気がつく。
「おかしいわ、こんな旅館の一角に街を吹き飛ばすほどの魔法を使った痕跡があるなんて……私の魔法がおかしくなったのかしら」
 そこはユウトたちが先ほどまでいた岩場の影だった。
 スーシィの魔法がマナの動きを読み取り、そこに暴走した環境マナを捉えている。
「……そろそろ誰が入ってくるとも限らないわね」
 スーシィは物足りない顔をしながら浴場を後にした。
「はぁ……」
 気のゆるみと同時にルーシェのかけた魔法が解かれる。
 そこは最初の岩場と反対に位置する岩場。
 ルーシェとユウトはここで動物に化けていた。
 ――ぼん。
 ユウトは一瞬のうちに視界が高くなるのを感じた。
「うわっ――」
 覚束ない脚に思わず倒れてしまう。
 勢いがてらにルーシェのほうに倒れたユウトは覆い被さる。
「……あっ……」
 ルーシェの顔が上気し、ユウトも徐々にその行動のなんたるかを理解する。
「ご、ごめん」
 慌てて離れるもルーシェはどこか呆けたように無言のままだった。
「あの、あのね、私は――」
 その先の言葉がユウトには聞きとれなかった。聞き返すとルーシェは一瞬少し悲しげな表情をした後に湯泉から出て行ってしまう。すっかり待たせたアリスのことを思い出したユウトだったが、戻ってみればアリスはベッドの上で小さく息を立てていた。



 次の日、なかなか起きないアリスを見かねてユウトは一人街の中を散歩していた。
 浴場で言ったことは結局なんだったのか、あの後からルーシェは顔を真っ赤にして慌ててどこかへ行ってしまっていた。
「大事……なのかな」
 ユウトは街角を曲がり、停船所へいく。
そこでは今まさに船が入ろうとしているところだった。
「へぇ……」
 広大な海をバックに独特な雰囲気を持つこの停船所は大きな活気に満ちあふれていた。
「どいたどいた!」
 ユウトの背後から筋肉質の巨漢と大の男が数十人がやってきて港の淵へ走っていく。
 停船した船に足場を掛けながら巨漢は指示を叫び、迅速な行動を開始する。
 積み荷はほとんどが木箱に入っており、何が運ばれているのかわからなかった。
 ユウトはそのまま立ち去ろうとする。
「兄ちゃん、ちょっと待ちな」
 その声にユウトは振り返る。巨漢が一人腕を組んでユウトを睨め付けていた。
「その格好、この辺のもんじゃないだろ。どうだ、バイトがてらに手伝いでもしないか」
 意外な台詞にユウトは思わず目を白黒させる。
 思えばユウトはアリスと会ってからは一銭も所持していなかった。
 少しくらい自分のお金がなければこれから必要になることが来るかもしれない。
「少しくらいなら」
「お、話しのわかる兄ちゃんだな」
 男は嬉々としてユウトを迎えた。
 どうやら人手は相当に足りなかったらしく、ユウトは一人で木箱を何百と積み降ろした。
「はぁ、いい体してるとは思ったが、予想以上にやるじゃねぇか」
 汗一つかかずにそれだけの仕事をやり終えてしまったユウトはしまったと思いつつも男の賞賛を素直に喜んだ。
「役に立てたようで良かった」
「役になんてもんじゃねえ、このままうちで雇いたいくらいでぇ」
 そういって男は気前よくユウトに十ゴールドを握らせた。
「え、こんなに……」
「ははは、あの働きに比べたら少ないくらいじゃないか。この先どこかで働くことがあったら是非うちに来てくれ」
 快活な笑いを飛ばすと男は貿易商人のところへ歩いて行った。
「やばい、遅くなったかもしれない」
 ユウトも夢中になっていたため、時間の感覚がない。
 急いで宿へ戻る。
カウンターを抜けて、アリスの部屋へ行くとちょうど寝間着姿で現れる人影があった。
「アリス?」
「ん、うん……」
 どこか間の抜けた表情でほわほわとした空気に包まれているようだった。
「先に着替えないと――うわ、下着が落ちてるよっ」
 アリスの踝のあたりに白い衣が輪になってかかっている。
 しばらくアリスはそれを見つめた後、そのままの脚でユウトを蹴り飛ばした。
「!」
 勢いよく閉まる扉。
 どっちがふざけているのかとユウトは思った。
 入り口から放たれてそのまま廊下で待つこと数分、ユウトの前にしおらしくも俯いたアリスの姿があった。
「あの、なんか勘違いしたみたい……」
「あ? ああ……」
 いつものアリスらしくない。時刻はとっくに朝食の時間を過ぎてるし、元気も覇気も切れ切れだった。
「いくわよ」

       

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Neetsha