Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 林がごうごうと大きくしなっている。
 閃光に起こった爆風は街に異常を知らせるのに充分だった。
 スーシィは肩に大きな傷を負いながら木の根元に背中を預けている。
 致命傷の傷口から流れる血の色は何故皆同じなのだろうとつまらぬことを考えていた。
 一方スーシィの気配を見つめているマリエには受けた傷などほとんどない。
 にも関わらず、追撃はしないでいた。
「……殺せない」
 マリエは一人闇の彼方へ呟き、あの女を殺すには自分も死ぬ覚悟が必要だと認識する。
 ――ガサ。
 マリエは半回転、黒柄のサーベルを後方の相手に突きつけた。
 そこにはフードの中から覗く、色白い女がいつの間にか無表情で立っている。
「いつからそこにいた」
「…………」
 頬にある十字のタトゥーはマリエも同じく持つ組織のものだ。
「生きていたのね、マリ」
 死人のような掠れた声がマリエの鼓膜を震わせる。
「やっぱり、お前の仕業だったの」
「……ガンダグルとルゼルには先に逝って貰ったわ……ゲートの鍵は、もう手に入ったのだから……」
「貴様一人で……あの二人を?」
 色白の女は応えず草のなびく音が流れる。
 女はゆっくりとその片腕を持ち上げて、手のひらを前へ突き出した。
「moruge agle(死者の総願)」
 どす黒いマナが手のひらから伝い漏れ出す。
「ッ――」
 ゆっくりと地中に呑まれたそれは大地を揺るがしながら何かを形作っていく。
 地中から無数に生えてくる異形の影。それはかろうじて人の影を保つ魔だった。
突如それらが一斉にマリエへと襲いかかる。数にして20、リゴの魔導師。それを証明する胸元の五芒星を見て容易に理解した。
 マリエは一瞬で勝算がないと見て、山峡へ向かって疾走していく。
「……そこにいるの、お出でなさい」
 女はぞっとするような冷たい目をして、スーシィのいる木蔭へ近づいてきた。
 何処かで聞いた気がする声。スーシィは諦観と共に影から身を現した。
「…………」
 女は何も言わない。ただ、スーシィは目を見開いて言葉を失った。
「奇縁とはあるものね、イシス」
 女はフードを軽く払うとそこにはスーシィと同じくした黒髪と紫の瞳があった。
「お母様――?」
 女はにやりと嗤うと片手を挙げる。
 それを合図に風が二人を包んだ。
「これは……」
 みるみるうちに二人の距離は開いていき、気づけば自分が風に乗って飛ばされているのがわかる。
 もうさきほどの女の姿は見えない。
「クゥ」
 竜化したルーシェが飛んでいるスーシィを見つけ背に乗せて浮遊する。
 今のところ追ってくる気配はなく、スーシィが学園へ戻れば治癒できると告げたときその意識は途切れた。

 夜の帳が下りた山中ではまだアリスとユウトが森を駆けていた。月夜の明かりが木々に遮られ木下は漆黒と化している。それを嫌ってユウトは大きく木の上を跳ぶように強いられていた。
「……もう、大丈夫なんじゃないかしら」
 無言のまま突き進むユウトには焦りの表情がある。枝先がユウトの頬に赤い筋を刻むのも構わず、ただ遠くへ逃げる行為。それを知ってか、月に照らされたアリスの顔にも影が潜む。川を飛び越え、崖をまたぐユウトは獣型の使い魔と遜色ない動きだった。それでも、ユウトは焦燥の表情をより深く浮かべて、何かに追われるように走り続けていた。
「くそ! なんなんだよ今日は!」
 唐突にユウトは脚を止めた。闇の中にユウトの声は消える。アリスの静かな呼吸とユウトの大きく吸い込む息。静まり返った森に息づくものたちの気配はない。
「……」
 次に何が来るのか。アリスは白い手先にしなと力を込めて不安を言葉にした。
「ユウト……これからあれと戦うの……?」
 近づく異様な気配にアリスは敗北を悟る。あれは敵というのも烏滸がましい何かであると直感してしまったのだ。アリスの開きかけた才かもしれない。
「アリス、一人で走れるか?」
 首を横に振るアリス。滅多なことでは気丈さを崩さないアリスが芯から怯えるそのしぐさはユウトの心を揺るがした。
ごうとしなる木々。この場に空気というものが存在すればアリスの叫びはユウトに聞こえたに違いない。
 巨人の脚ほどある木が次々と折れていく。焚き火に耳を近づけたか、川のせせらぎを森全体で奏るのような木々の傾倒音。
 音をかたちどる空間が抉られ、ユウトは剣を地面の腹まで突き刺してその爆風をやり過ごす。ユウトたちを森から浮き彫りにするようにして現れた影は人ならざる魔の影だった。
「これは……なに……?」
 ユウトの背中でアリスの体に力がこもる。全身がわなわなと震え、異質すぎる黒いマナの気配に現実から隔絶されたような錯覚が起きた。
「アリス、降ろすぞ」
 双眼は目の前の敵を睨め付け、気は鋭利に研ぎ澄まされる。
 たった一体の闇。それは全身から無数の手か触手のようなものを瞬くように一瞬生やした。異常さと強さだけなら先に見たマリアを超えていると確信してしまう。
 ユウトは逃げられないことを悟り、是非もなく蒼き剣を天に掲げて死闘の前触れに構える。黒い影には命がない。それに向かって行くのは死だとして、向かわないという選択肢がない。恐怖を原動力に変える他に活路がなかった。
ユウトは死の舞いへ駆け出した。
 直後の黒き影の反応は2人の想像を遙かに超えていた。月下におけるユウトの蒼い軌跡は分裂したように輝き、一撃が二撃になる。黒い影はユウトと同じ四肢になりて、ユウトの剣を事も無げに両手で受け止めてみせた。
「アリス! 魔法を!」
 言下にアリスの火属性魔法が二人の間に光として通る。刹那に光る2人の姿は闇と光。
「――」
「――」
 ユウトは持ちうる最大限の集中力によって引き延ばされた体感時間の中で相手の表情を見据える。炎が通り過ぎる間際、その造けいにユウトは息を呑む。顔が見えればユウトは相手のあらゆる戦闘心理を割り出せる、そのはずだった。
 黒い剣先がユウトの胸を掠める。影の斬撃は剣ではなく、影そのものだった。そしてその敵の表情がユウトには信じられなかった。
 これをアリスに見せてはいけない。どこかでユウトはそう感じてしまった。
「Flables explizt!(爆発の火)」
 爆ぜる黒煙に包まれながら影は無音の体躯をしならせる。まるで効いていない。蒼い剣に絡まる黒い斬撃は黒にとっては児戯だった。織り目を縫うように光と影が火明かりの中で交錯する。
敵の注意を引きアリスから遠ざけていくユウトは時間稼ぎに過ぎない攻防を繰り返す。その数はとうに千へ届こうとしていた。ユウトがいくら剣の魔力を解放して斬撃を1つ2つと増やそうとも決して影の本体にその剣が到達することはない。
 刹那、2つの斬撃が接触した瞬間に起こったのはマナの奔流だった。空間が一瞬引き縮み拡大される現象は周囲の風を呑み込んだ。
 それはマナと異物(イレギュラー)の衝突。マナは概念を質量とし、質量は物質として世界に存在している。敵は物質でもマナでもない何か。その2つがぶつかるとき、その場には不明の熱反応が生み出されていた。
『――Knia sald zix(風の怒り)』
 上空が光ると同時にユウトのそばにあった大木が切り裂かれる。裂けた傷は燃え上がり、耳を劈く音が山々を打ち鳴らした。
『Chaser..(さらなる追撃)』
 影はひるんだユウトへの追い打ちはせずに後方へ飛び上がった。しかし、空にいる追撃の主にとってはその程度の回避は逃げた内には入らない。二度目の閃光は影に走り、その物体は赤く光ったかと思うとコマにでも弾かれたように森の中へと吹き飛んだ。
「ルーシェ!」
 雷鳴が鳴り終わるとアリスがそう叫んだ。ユウトは上空を見る気にはなれない。
 影がいつまた襲ってくるかわからないのだ。
「ユウト、もう大丈夫だよ」
 その言葉でユウトはようやく地面に膝を立てて息をついた。ユウトも敵の気配が完全に途絶えたことは気が付いていたが恐怖がそれを許さないでいたのだ。
「本当に倒したのか?」
「うん、あれだけの自律行動を強制する魔法なら本人の防御力は考えられていないはずだから。しかも、レジストなしにあれを受けて動けるものはないはずだよ」
 ようやくルーシェの顔を見ることができたユウトはその蒼白な顔色に驚く。それに気が付いていたのはアリスの方が先だった。
「あなた具合が悪いの?」
「今の魔法は普通じゃないから……竜族に伝わる奥の手みたいなもので加減なしにやるとマナがほとんどなくなるの」
「私のマナを持っていって。ルーシェなら、出来るでしょ?」
「そんなことしちゃだめ。私の必要量はその……膨大すぎるから」
 ルーシェはもともとがドラゴンであるせいかアリスの申し出は断った。自然回復のほうが奪うより効率が良いことはユウトだけが知っていた。
「俺はちょっと敵を見てくる」
「うん、気をつけて」
 ユウトは茂みに横たわったその敵の顔を剣で潰すとアリスたちの元へと戻った。

       

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