Neetel Inside 文芸新都
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 リリアの言葉を待たずに廊下を走り去って行く5人。後ろ指をさされながら廊下に小さい悲鳴と笑いが溶けていった。
「……ありがとう」
 ユウトはそれだけを伝える。
「学園内で流血はなしだと言ったのはお前のはずだぞ」
「ああ……ごめん」
 ユウトは自分のしようとしていたことを顧みて溜息をついた。リリアはユウトの殺気に反応してやってきたに違いなかった。後ろ姿を見送ってからユウトはアリスの部屋を訪れる。
 ノックに返事はなく、ノブを回すと扉が開いた。
「あれ?」
 アリスは授業に出ていなかった。ベッドの中央が丸まっているのが見える。
「アリス、授業は?」
 白い片腕を上げて手招きするアリスにユウトはそっと近づく。
「全然起き上がれないのよ。起きると眩暈がして……今日は休むわ」
 風邪でも引いたのかと思うが、ユウトはスーシィの言葉を思い出した。
「何かほしいものはあるか? 食事は?」
「少しなら」
 アリスの容体の変化にユウトはただ狼狽を隠すのに必死だった。
 ユウトが部屋を出るとシーナが立っていた。手にはユウトが取りに行こうとしていた食事がある。
「おはようございます、ユウト」
「おはよう」
「今朝あ、アリスさんの様子を見に来たら何やら具合が優れなかったようで食事を取られたかどうか聞いたんです。そしたら怒られてしまって、でも授業も出てこられてないようだったので――」
 はたとユウトを見上げてその表情に気がつく。
「ごめんなさい、こんなこと聞いてないですよね……」
「大丈夫、聞いてるよ」
 今にも泣き出しそうなユウトにシーナの心は何かに踏みつぶされたように苦しくなった。
「アリスさんにこれを」
 震える手でシーナはそのトレイをユウトに渡した。
「ありがとう。伝えておくよ」
「私に出来ることはこれくらいしかないんですよね」
「アリスは本当にシーナのこと嫌ってるわけじゃないよ」
「それはいいんです、今は精一杯だから……」
 ユウトは震えるシーナの手を握る。胸に温かさが染み渡るような気がしてシーナはそっとユウトを見上げた。そこには自分より辛そうな顔があるだけでシーナは自分が何か罪を犯したような気分に恐怖する。
「シーナが居てくれて良かった」
 シーナは抑えきれない感情から逃げるように早足でその場を去って行く、人混みに紛れて見えなくなるまでユウトはその背中を見つめていた。

 午後の授業にユウトは1人で訪れていた。
 ルーシェとスーシィは2人で何やら準備を進めるらしく、手持ち無沙汰になったユウトはアリスが授業の内容に遅れないようにと出席する。
「ですから、対法のマナである火はこの場合風の法へ転換される働きを持ちます。同様に土の対法があればそこから水は発生しうるのです」
 ホールに響くアンナの小高い声にペンが走る音。その中に埋没したユウトは何かが遠のいていく焦燥感から独り呟いた。
「何やってんだろう、俺」
 授業を聞いて何になるのか、アリスはどうなるのか。自分は何の為にとユウトは考えが巡っていく。
「だめだ、こんなことをしていても」
 何も出来なくともユウトはただ座ってはいられなかった。真っ直ぐとホールを後にして冷たい廊下を歩き出す。研究室の扉を叩く頃には冷静な考えがやめろと告げていた。
「スーシィ、ルーシェ、何か手伝えることはないのか」
 返事はない。自分の力なさに打ちひしがれながらユウトは来た道を戻った。
 ふとその廊下の先に見知った姿を追う。
「アリス……?」
 少し土気色をした顔でアリスは誰もいない廊下で振り向いた。布団から抜け出したような姿のアリスはただ朧気に立っていた。授業はまだ続いているのを知ってか、ユウトを見るなりアリスは少し困ったような顔をして笑った。
「どうしたんだ、体調は?」
「もう快復したわよ。それよりあんた、使い魔のくせにあっちこっち行くのやめられないの?」
 どこかいつもより覇気が無く呆れたような口調のアリスだったが、いつもに増してアリスらしくユウトはそれが少し嬉しかった。
「悪かったよ、そんなことより何してたんだ?」
「さあ? あんたの顔を見たら忘れた」
 アリスはそのまま部屋への廊下を歩き出す。背中に流れるクリーム色の髪が珍しく少しよれていて櫛も梳かさず部屋を出て来たのだとユウトは思った。
「どうしたの? 着いて来なさいよ」
「部屋に戻るのか?」
「そうよ、こんな格好で食事には行けないでしょ」
 部屋にはいつもと変わらない光が差し込んでいた。この世界にも夕暮れというものがあることに最初は驚いたユウトだったが、今ではこの景色こそが自分の世界だと感じる。
「何ぼさっとしてるの」
 差し出された櫛にユウトは少したじろいだ。細い指先がユウトの手に触れる。
「梳かせっていうのか?」
「あんたに使い魔らしい命令をしてやろうって言ってるのよ」
 アリスの声は優しく落ち着いていて、椅子の上で脚を組んでいる。ユウトのやりたかったこととは少し違ったがアリスはユウトの気持ちを汲んでいるかのようであった。
「……最後になるかもしれないし」かき消えそうな声がユウトの心を見透かしたようなものだったことはユウトを動揺に震わせた。
 黙って背中を向けているアリスの肩は少し薄くなって、ユウトが壊れ物を触るように優しく髪を取ると静かに溜息をついた。
「私の髪、梳かしにくいでしょ」
「よくわからない」
 アリスは意地悪い口調でおどけてみせる。
「シーナにこういうことしたことないわけ?」
「ないよ。話す時間だってそんなに多くなかった」
「可哀想に、シーナは絶対やってほしいと思ってるわよ」
「そうかな」
 静かに調子を合わせて頷くアリスにユウトは不安になった。
「……ね、私の髪ってどんな感じがする?」
「さらさらして……なんだよ、突然」
 気恥ずかしくなってユウトは櫛の動きを止めるとアリスは濡れた目尻を手首で拭うように動く。
「気づけば1年だけど、思えば私たちあんまり学園以外のことを話す機会がなかったと思って」
 アリスの細い髪は櫛を入れるほど緩やかな膨らみを持って美しく光る。
「……その、綺麗だと思うよ、髪」
「ほんと?」
 夕に差した艶やかな光にアリスの白く浮いた顔が振り返った。驚きの後に嬉しさを噛みしめるような柔らかな微笑にユウトははたと自分を忘れる。
 その一瞬の微笑は何か暗い影に覆われてアリスは神妙に再び正面へ向き直った。
「私はユウトに私の使い魔として、私は1人の人間として最後に大事なことを話しておかなきゃならないの」
「なんだよ改まって、最後ってスーシィ達は必死にアリスが生き残る道を探してるんだぞ。それに――」
 いいからとアリスの声は語気を荒くする。頷きを返すとアリスはちょっとだけ鼻をすすった後にありがとうと呟く。
「いい? 私はこの呪いが解けたらある学院を目指すわ。リゴの魔導師よ」
 明るい口調の声は虚しく部屋に溶け込んで消えた。
「リゴの魔導師……」ユウトの声は繰り返す。
「そうよ、世界で最も優れた魔法使いの組織なんだけど、そこの一員になる」
「どうしてそんなところに?」
「あんたには特別に見せてあげる」
 ユウトは1つの指輪を見せられる。普通の銀色をした指輪だった。
「これはレジスタル家、私が養子になる前に持っていたお母さんの形見なの。私に呪いを掛けてまで欲しがったのは多分これだと思うのよ」
「どうしてそれをみんなには言わないんだ?」
「この指輪は本物じゃないからよ。言ったところで私がやろうとしていること、話せるわけないわ」
 だから今まで黙っていたんでしょとユウトはその言葉に返す言葉もない。
「それに、偽物といっても一応の力はあるの。普段なら何の役にも立たないけれど、私はこれを使わなくちゃいけないんだと思う。きっとユウトがこの世界に来た理由も同じよ」
 それは何なのかと尋ねるユウトにアリスは哀しげに視線を落とした。
「魔導師になったらね、世界中の困ってる人を助けてあげるの、そうして困らせてる人は懲らしめていく。そうしていつか本物の指輪を取り返すの。だって、力ってそういう使い方が一番でしょ」
 これも同じよと努めて明るい表情で指輪を見せる。アリスの顔は依然として青白い。
 頷くユウトにアリスはそっと肩を並べた。
「ありがとうユウト。私のところに来てくれて。そしてごめんなさい、あんたを元の世界に戻すことは出来ない。だって、私はどんな形であっても死にたくないしまだ役立てるもの」
 ポケットから抜く握られた手を開くと金色の玉が浮遊していく。
「何もしなければ、もうすぐ私は死ぬ。魔力がね、今日起きたら……もうなかったの。凄いでしょ、私も正直焦ったわ。気づいたらユウト、あなたを探してた。ユウトが私にとっての最後にいてほしい人だって最後になって気づいた。私は大馬鹿者だった」
 横顔は色のない哀しみを映す。
「アリス」
 ユウトの声はアリスの声によって遮られる。
「昨日まではまだ充分あった。なのに、不思議よね……ユウトは魔力がなくても生きてるのに私たちはこれがなくなると死ぬんだから。多分今動けてるのはきっと最後の、私自身最後の悪あがきみたいなものなんだわ」
 窓の奥にある夕暮れはいつもと変わらず空を黒く染めていく。立ち上がろうとするユウトの袖をアリスは握った。あまりに軽いその手をユウトははね除けられない。
「スーシィたちは間に合わない……のか?」
「ええ、施術者が消費した分だけ私の魔力は消えるのは分かってたし、ほんと言うとも、もうあまりよく見えないの」アリスの声は失望でも絶望でもなく、ただの説明だった。
「もっと早くに気づいていれば……良かったのか」
「それは違う。私は――」
 そこに一瞬影が差したのをユウトは見逃さなかった。小さく笑うアリス。
「いまさら……今さらだけど私は無意味に死にたくない。このまま何もしないで綺麗に終わることも考えた、けれど……」

 ――それって生きていなかったのと同じでしょ?――

 ユウトは声を耳を疑った。目を疑った。アリスの顔は笑っているのに泣いていた。
「死ぬことはこの学園では珍しくもない、みんなそれを覚悟して入学してくる。なのに、私は死ぬことしか考えてない。心の底では私を殺す人から誰かが守ってくれて、誰かが味方してくれるって勝手に望んでた。だって、私がそうなろうとしてるのに誰も助けてくれないなんてあるわけないってどこかで思ってて……」
 立ち上がったアリスの名をユウトは叫ぶ。
「言っちゃうとね。私は、ユウトあなたが好き。最初に見た時からずっと、けどずっと恥ずかしかった。こんな呪われた私は弱い私はメイジとしてずっと劣っていると思っていたから。ユウトが訓練所にいる間に私はせめて普通のメイジになろうって頑張った。魔力を少し奪われたくらいじゃ何ともない魔法使い。そうしたら、今度、あんたは、誰よりも強くなっていて、私は――ただ、呪われた弱いままあんたのそばにいようとすることが精一杯の――」
「そばにいればいいだろ!」
 ユウトの腕の中でアリスの頬は涙が伝う。
「本当に? ほんとう? 馬鹿なの……私の気持ちなんて何も、わからないくせに」
 アリスがその指輪を嵌めて取り出した金色に杖を当てる。いつかの使い魔判定のツールはユウトの全身を光で包んだ。
「もし、私をまだメイジとして主として受け入れてくれるならこの契約を受け入れて。私がこの世界から消えても私の魂はユウトと一緒にいるから――」
 黄金に輝く部屋はユウトに新たなルーンをながく長く刻み始める。同時にアリスの体が無数のスペルとなって消失していく。
「何だ……アリス、何をするつもりだッ」
「この指輪の力は命を代償にたった一つの命令を使い魔に与える指輪、私の最後の願い。神様はきっと私の願いを叶えるためにユウトを呼んでくれたのよ……」
 Luqal coded a.registal.eliss.bell Fifth……(ア・レジスタル・エリス・ベルの名の下に五芒星の命令をする)
 ユウトの脳裏にアリスとの思い出が蘇り、白く染まる。
『ユウト、さようなら』

       

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