Neetel Inside 文芸新都
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 ――突如、学園の1室が吹き飛んだ。生徒達はどこに居たにも関わらず、地面の揺れを感じてよろめく。
「何?」
 スーシィは黒髪を耳に掻き上げて明かりの落ちた部屋を光魔法で照らす。
「何か、アリスの気配がおかしい」
 隣りにいたルーシェはそのおぞましい気配に毛を逆立てた。
 どっと天井から何か岩が転がるような音がしてスーシィは明かりを向ける。
「何故学園の明かりは復旧しないの? あの学園長が手を焼くような事態ということ?」
「わからないけど、アリスのマナがゼロになった気がする」
「なんですって?」
 スーシィの小さな手は俊敏に部屋の扉を開け放った。
 暗い廊下の先に蠢く他の生徒の影と光、悲鳴や喧騒。暗闇の中で何かが起こっていることは明白だった。
「ルーシェ、ここは2手に別れてアリスを探しましょう。何か嫌な予感がするわ」
「うん」
 レビテーションで身を包んだ2人は廊下全体を照らす光の筋を発生させて駆け出した。
「lolo ultulmerl…kiki uruikmel…dada slorijiol…imim aliekso….(エレメンタルに対なるものたちよ)」
 剪定の魔法で学園全体を透視する。
 そこにはアリスの影はないが、一際大きな混乱の場所があった。
「Kile nla Atem laylia!!(爆ぜ続け)」
 天井まで一気に吹き飛ばし3階建ての建物に大穴を穿つ。スーシィはその場所にフライで到着すると悲惨な光景が広がっていた。
「これは……ユウトの仕業……?」
 両断された使い魔たちは各々の場で息を引き取っていた。
「……カイン。あなたもなの」
「スーシィか? 俺のリースが……うくっ」
 肩から斬りつけられたリースはか細い息でカインの腕の中にいた。血溜まりにいるリースは一刻の猶予もなく死の瀬戸際である。
「相手は誰?」
「わからない! 一瞬だったんだ……!」
 スーシィの治癒魔法もリースの組織再生を促さない。虚しい魔法の光が闇に霞んで消えた。
 その時、学園の窓が一斉に光った。
「学園長……」
 校舎の庭にあらゆる教師と学園長が誰かを囲っている。
「アリス、あなたはやはりあの時私が殺さなければならなかったのね」
 
 ユウトは黄金の光の中にいると思っていた。何が始まり、何が終わるのか、不確かな予感がして目を懲らすと周囲に見えるのは厳しい顔をした教師や学園長の姿である。
「殺してよい。死の使い魔は主の意志と相成った、アリスは死の前に己が宿命を悟れなかった。ワシの禍敗(かはい)によって来たところ。じゃがせめてこの老いぼれに無調法を改めさせておくれ」
 青い剣は赤く染まり、根元には紅の炎が燻っている。
「……嗚呼、アリスは何処だ?」
 辺りを見回すユウトの脳裏にアリスの声が響く。
『殺して』
 痛みを抑えるように左手を頭に添えると誰かの姿が消えて目の前にフラムが立っていた。
「のう、ユウト。あの約束を覚えておるか? アリスの体に掛けられた呪いがワシの生徒達に害のあるものだったら、ワシは躊躇わず殺めるという話じゃ」
「覚えて……います」
「アリスはどうなったと思う?」
「ここに」
 ユウトは左手のルーンを見せた。そのルーンは手の甲から腕、そして恐らくは全身に伝って網の目のようにユウトの瞳にまで延びていた。
「左様。それがワシら本来の姿。ワシらは言霊によって生きとる。そしてお主ら使い魔はその言霊の願いを受けたもうた存在じゃ。ワシらは言霊によって支配され生きており、お主らはその屈強な肉体に支配されて生きておる。この世界の1つの真実じゃ」
 フラムは右腕を伸ばすと教師の1人が自らの杖をその手に持たせた。
「その禁忌を犯す者。これすなわち世界に仇なす者。ワシの生徒からそのような愚か者が出たこと誠に無念じゃ」
 継いで左腕を伸ばし、同様に他の教師が杖を持たせる。
「Ygnadio laginasord(形有する新地の陽剣)」
 杖に光が集まり周囲を照らし付ける。太陽が降り立ったような光の後にはフラムの両手に2本の光剣、舞い散る光の破片が囲う。
「剣術使いは剣で葬る。それがワシの昔からの流儀での」
 見ると教師の姿は1人もない。
『殺して』
 アリスの声が再びユウトの脳裏に響く。ユウトはその声をかき消すように力任せに剣を前に振った。
「Distako(新芽の園)」
 地中が揺れ、地面から大木が噴出する。2人はその大木に押し上げられながら遙か上空へと昇っていく。
「炎で焼き払いし地は樹木によって新たな森となる。森は再び焼かれ大地はまた種をあたためる。言霊は神に依る」
 ユウトはフラムに斬り掛かった。絶対に勝てる相手ではないと思いながらもユウトはそうせざるを得ない。それが自らの体の苦しみから解き放たれる方法だと確信しているからだ。
「すみません、先生」
 フラムは大剣を交差させた剣にて受け止めていた。
「ワシはもうお主の師ではない。もうお主はここの生徒ではないのじゃからの」
「Rilegeje neilo――(炎撃)」
 フラムの剣の一振りはユウトの想像を超えて滝のごとく伸びてきた。その先はもはや剣ではなく炎の光線となる。
 身を捻って躱すと肺が焼ける感覚と後方の雲が切り裂かれ真二つに割れる。
「Mleira orgnation――(同調)」
 白いマントが蒸気で沸き立つ。それは周囲に雲を造り、白い月を覆い隠し埋めていく。
「月は良いの、いつも変わらずワシらを照らし付け、いつも変わらず届かぬ位置にいる。じゃからこそ覆い隠さねばなるまいて」
「どうしてですか、フラム先生! アリスをどうして救ってやれなかった!」
 その叫びにフラムはスペルで持って返した。死こそ手向けと老人の全身が打ち震える。

「誰がアリスの哀しみを分かってやれる! アリスは誰を恨めばいいんだ、アリスは誰に愛された! 俺を殺してアリスを無かったことになんかさせない。お前たちのせいだ……お前たちのせいでアリスは救われなくなったんだ!」
 蒸気は雲に雲は霧にユウトの視界に朧気なフラムの姿が見える。しかし、その殺気は今までのどんな敵よりも強くユウトは身の危険を感じた。
 だから『コロシテ』その言葉(スペル)をユウトは受け入れる。全身のルーンが金色の光を徐々に放つ。
「アリスが俺に最期に頼んだことがこんなことだなんて……」
「言霊の支配を受け入れるか迷える使いの子よ。お主は真に死神の使い魔だったようだの」
 ユウトの黒い瞳が金色に瞬き始めた。剣は血のように赤く染まっていき、スペルは腕から金の蔓となって剣に絡みつく。大気がユウトに吸い寄せられ、豪風となって消滅していく。
「新たな神話か、ただの火糞(ほくそ)なのか」
 フラムの片目が開くと剣が爆炎と共に熱をまき散らす。大木の足下は燃え始めユウトは炎に囲まれた。
「もはやこの世界の魔力の影響もないようじゃの。なるほど、最初のルーンは絶縁のルーンじゃったの」
 フラムの剣の一振りは先ほどよりもひどい炎の暴虐だった。一瞬で呑み込まれるがユウトにはかすり傷1つ無い。
「ふむ、ならば」
 フラムは炎剣を消滅させると手の内に蒸気が集結し始める。
 不快な音と共に形成されていくのは氷の槍だった。それを地面に突き刺すと魔法陣が現れる。
「luture――(複製)」
 天より無数の槍の雨が降り注ぎ、ユウトの周囲に無数の魔法陣が現れた。
「Timeractivtram――(時限界)」
 ユウトの膝ががくりと折れ空間が重くなる。切り取られた真四角の空間は驚くほど緩慢に進み、ユウトも例外なくその効果を受ける。
「何をも受け付けぬのなら内から破壊するか外から別の理で支配するかじゃ」
 杖を2つに束ね、フラムは詠唱した鉄を杖に固める。
「Mnafuncture――(練成)」
 1本の長剣がフラムの腕から生えるのをユウトは見た。フラムの腕が剣に組成されたのだった。
 時間の流れが緩慢になったとはいえ、ユウトは地金の部分でこの世界の人間とは違っている。軽快な足取りを取り戻して切り取られた空間ごとフラムに駆け出すユウトは恐れを知らぬ猛獣のような眼であった。
「これで力は互角かの」
 赤い剣の一撃はフラムの身を沈めることは無かった。フラムの腕にある鉄剣は見事にユウトの剣を防ぎきっている。ユウトの顔色は変化しない、フラムは力任せにその剣を弾いた。
 フラムによる追撃の斬撃はその音を山々に轟かせユウトの世界でいう機関銃を思わせる。
 その一方的な攻撃を以てしてもフラムは優勢に立てない。
 ユウトの剣捌きはフラムを徐々に追い詰めていった。

 その様子をスーシィは剪定の魔法を持って見ていた。突如出現した大木の上で異常な魔力のやり取りがあることだけは分かる。
「ユウトにスペル化したアリスが憑依した?」
 ルーシェがそばまでやってきてスーシィの言葉を聞いた。
「メイジのスペル化は契約のときにみんな使ってるよ」
「でもあれは――」
 ルーシェは同意の意味で頷く。
「太古の昔に人間は滅び掛けた。自分の意識をより強固な生命に移しかえる法、それが使い魔と契約のルーツだよ」
「それじゃやっぱりアリスはユウトに自分を刻んだのね……」
「殺すってユウトの声が聞こえる」
「誰を?」
「誰とは言ってないよ」
 スーシィの瞳は驚愕に開かれる。
「全てを殺すだとしたら? まさかそんなことをユウトが受け入れる?」
 哀しげな視線をユウトのいる先へ向けるルーシェ。スーシィはその言葉の真意を思って口を開いた。
「本当に馬鹿な子ね……ユウトを、あの子は使い魔を元の世界に帰すことも野に放つこともせず、行き場のない自分の感情を世界へ代弁させることを選んだなんて」
 野次馬の生徒が集まる中から青髪の影がスーシィに近づいてくる。
「……アリスさんはっ、神秘魔法から逃れるために何か大魔法を使ったんですか?」
 シーナは肩で息をしながら庭の中央に生えた巨大な大木を見上げた。
「私も残念よ。アリスは私たちの知らない禁忌の魔法を知っていたんだから」
 息も落ち着いてシーナは毅然と険しい表情になっていく。
「それって、それを教えた人がいるっていうことじゃないんですか?」
「……」
「ルーシェ」
「外れてはなさそうだよ。その禁忌はアリスの体にある神秘魔法と同じくらい条件が必要になりそうだし、下級メイジが使えるような難易度まで落とし込むなんて普通は無理だよ」
「そうだとしても問題は目的だわ」
「私はアリスさんに魔法を掛けた人がその方法を教えたように思えます。だって、アリスさんの使い魔はどの使い魔より特別です」
「方法を教えた人間は確かにそいつに間違いないでしょうけど。ここまで強くなる理由が分からない。フラムを相手にもう一刻よ、互角なんだわ。あの炎神と謳われた賢者であるビッグメイジと魔法を持たない使い魔のユウトが」
 息を呑む3人の耳に周囲の喧騒が飛び込む。
「誰か落ちてくる!」
「学園長先生だわ!」
 悲鳴と絶望、混乱と絶叫は3人の背後で飛び交った。誰もこの現実を受け止めることができない未熟さにスーシィは舌打ちをする。
「レビテーションを、早く!」
「はい」
 シーナのレビテーションの狙いが定まらずにいると、そこに一筋の光が走る。
「ユウトよ!」スーシィが叫んだ。
「え、でもこの高さじゃ――」
 その光はフラムを一瞬で追い抜き、地上に降り立つ。
「速い……」
 現れたユウトに怪我は1つもない。ユウトは目を瞑り剣を頭上に掲げる最中、身動きできる者は一人もいなかった。そしてフラムは地上に近づくにつれて絶命を思わせる姿。
「……全てを――」刹那の声をユウトは聞き捨てる。
 ――ずしゃり。水を撒いたような音がユウトの頭上で鳴った。
「――いやぁあああ」
 女子生徒の1人は叫んだ。老人は白いマントを真紅に染め散らせてユウトの剣を腹から突き出している。ユウトの形相はもはや人のそれではない。
「ユウト……」
「あれはもうだめだわ。完全に自我を失っている」
 スーシィが八方に光の光球を飛ばして周囲を明るくしてもまだユウト自身が放つ黄金色はそれ以上に瞬いていた。
「ルーシェは戦える?」
「ユウト!」シーナはユウトに駆け出す。
「もう1人馬鹿がいたようね」
「クゥウウウ――」
 ルーシェは竜化と共に叫び上げていた。本能に任せた竜化で息は荒く殺意を相手に送ってしまっている。
「それほどの相手というわけね」
 ルーシェの尾がシーナの首筋に当たりシーナはその場に倒れる。ユウトは仁王立ちしたままフラムを転がして制止した。
 ユウトは目蓋を薄らと開いていく。
「……」
 ユウトの目には周囲の白い光の筋が反射している。黄金の瞳、その目尻から流れ出る大粒の涙はユウトの最後の心のようにも見えた。
「やっぱりシーナには見せないで正解だわ」
「ルーシェ。もし、ユウトを救える可能性があるとしたら何がありそう?」
『考えて見る』
「今のところシーナとあなたが生き延びるくらいしか可能性がないかもしれない。私がここでユウトを押し止めるから後をお願いするわ」
 そう言うとスーシィはマントの中から小さいドラゴンを出して一声上げさせる。
「アリスは闇魔法ではなく古代魔法を調べていたのね。使い魔を取り込んだのではなく、使い魔に自らを取り込ませ何らかの方法で支配した。一体どちらが強いのかしら」
 突風と共に現れた巨大な影は砂埃を舞わせて粉塵の中に舞い降りる。ルーシェはシーナを乗せて飛び立った。竜同士思うところがあったのか、その一瞬の視線の交差はまるで語り合うように強固だった。
「私はユウトが持つ魔力に依存しない動力源を知りたかった。人々が魔力から解放される日を願っていた。それなのに、その結果がこれとはね」
 マントの中に大量に括り付けられた小瓶に杖を宛がっていく。
「私やフラムほどになれば、強力な切り札の1つや2つあるのが普通よユウト。例えば、私の国には死者を操る禁忌の魔法があったりね」
 スーシィの杖が触れた小瓶、10個が砕け散った。絶命していたフラムは雷に打たれたように弾かれる。
「誰もがこんな魔法を使い始めれば、この世界は悲劇に満ちてしまう。人間はどこまでも愚かで身勝手な生き物よね。私はあなたを留める為だけに死者を持て遊んでいるんだもの」
 地面に転がったフラムは人形のようにぎこちなく立ち上がると緑色の瞳を赤く変色させ、スーシィの横に歩き出す。それをユウトは黙って見つめていた。
「……お主の老体に鞭を打つ神経には恐れ入るわい」
「ごめんなさい。私も出来ればそのまま逝かせてあげたかったのだけれど、1人じゃとても無理よ。竜の血で一時的に生きてるだけだからあまり離れると土になるわ」
「肉体を変換したのじゃな。まあ、適切じゃよ。魔力の供給はあるがこれはワシの本来のものではない故、先のように真面には戦えぬ。死人の口が再び塞がる前に助言をしようかの」
 それは至極単純なものでスーシィは呆れた。
「もっと戦闘に役立つ助言を頂戴」
「ならば、魔法以外で倒すことじゃ。使い魔ユウトはこの世界の万象とは真逆にある。鏡からやってきたような存在じゃ。絶縁のルーンもそれ故に、触れればたちどころに魔力を消滅させる力を持つ」
「魔力の……消滅?」
「左様、神秘魔法のせいかな、アリスの魔力は逆転の世界よりあの者を呼び出したのじゃろう。使い魔が魔力の影響を受けていたのはヤツが魔力というものを信じていたからに他ならぬ。自らで自分の体を痛めつけていたのじゃ」
「それって思い込みで傷を負っていたってこと?」
「左様じゃ、そしてさらにユウトは物理干渉さえもルーンによって緩和する。あらゆる干渉を完全に遮断した今のあやつはもはやこの世のものではない。一度戦えば死を覚悟せねばならん」
「幽霊相手に殴りかかるようなものね」
 赤い剣はアリスの血を思わせた。自分が少しでも関係したアリスの問題にまったく手出しが出来ないという途方の無さに笑いしか出てこない。
 フラムは皺の奥に表情のないまま杖を構えた。スーシィの放った魔力が地面を緑色に照らし、土が仄かに夜を照らす。

 しかしその後、闘いは起こらなかった。
 幸いだったのは、ユウトはそれ以上何もせず森へ消えて行ったことだった。
 アリスの死と共に訪れた偉人の訃報は世界を震撼させる。
 伝説の炎神を屠った使い魔。神殺し、死神、ビッグスレイヤーと呼称はいくつにも及び各地に拡がりを見せた。
 使い魔ユウトを倒すことで自らを世に知らしめようとする冒険者もまた多くいた。
 そんな一時の呼称や揶揄もやがては不動の異名となり、ユウトという魔物は世界の大陸中を恐れさせる存在となる。
 それはおよそ2年後のことだった――。

       

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Neetsha