Neetel Inside 文芸新都
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 ルルーナは1人でユウトと対峙していた。
 それは僥倖だったか、はたまた不幸だったのかは他のしるところではない。
 ただ、簡単に遇うことができた。そう感じざるを得ないのは確かであった。
「コロス……コ、コ――」
 もはや理性をもった人間とは思えないそれは金の光に包まれた神々しい魔物だった。
「Delctent――(能力上昇)」
 ルルーナの四肢に赤い霧が吹き荒れる。身体組成をエレメンタル材質に変質させるリゴの魔導師と変わらぬ手法で強靱な体へ変化する。
「Abat jidtlrt――(使い魔召喚)」「Abat crea――(装甲顕現)」「Abat tecter――(磁力集束)」
 セットスペルによる同時呪文によってルルーナの周囲に3つの変化が訪れる。
「まず始めに言いたいこと、俺を道具のように扱うのは感心しない」
 隣りに現れた4の使い魔でもある彼は間違いなくルーンを宿したルルーナの使い魔だった。
 身長はユウトより頭1つ抜けている。武器はないが全身に纏う防具は洗練された外見であった。
「二番目に言いたいこと、剣士とやるなら相手の剣は何処かにやって欲しいかな」
 高い鼻筋の上から覗く双眸は鋭く勇ましい。眉が目蓋を隠すように近づくと男の足下が爆ぜた。
 肉迫した2人の攻防はイクシオンに見た女との攻防を凌ぐ素早さで交わされる。
 雨あられのごとき速さの炸裂音が響き終わると同時に2つの影が距離を取った。
「三番目。ルルーナ、こいつクラス5行ってるよ。まともにやってちゃ勝てない」
 それを合図にルルーナは再び詠唱を開始する。
 途端に周囲が暗くなり、男の拳に怪しげな影が集束していった。
「決死の覚悟か……」
 男は珍しく4番目を言わずして再び跳ねた。
 ユウトの一太刀は男の胸元を通り過ぎて行く。それと同時に炸裂する両手の連打はユウトの左手が全て防ぎきった。その様子は雨が地面に弾けるのと同じで寸分の狂いも無い。
 打撃に飽きた男は両手を広げて突き出す。
「Ba Kirle!――(波動)」
 ユウトの左腕が空間ごと圧搾されて体が矢のように飛び消える。
 紙くずのように変形しながら森の中を真っ直ぐに縫っていくユウトの体は誰が見ても絶命を思わせるものだった。何本の木々が打ち砕かれたか知れず埃と塵に充ちた森をゆっくりと2人が歩いて行く。
「なあ、こんな滅茶苦茶な魔力の使い方をしたんじゃ体が――」
「この魔物は魔力を消滅させる能力を持つ」
 それからの会話はなかった。ルルーナと男の関係はあまりにも淡泊だった。
「う、うぐ……」
 ユウトは地面に体を折って蹲っていた。男はそこにあるクレーターを見て息があるだけ、いや四肢がついているだけでも奇跡に思った。
「そんな」
 男の声を代弁するルルーナの声。ユウトはゆらりと立ち上がった。
「う、後ろだ」
 確かな人間の声を前から聞くと同時に背後に感じた気配に向かってルルーナは杖を振った。
 でたらめな魔力の放出は木々を焼き払い、大地を焦がす。フラムのように一瞬の放出だったがルルーナはわずかに加減したことを強く後悔した。
「まさか、神官風情が彼をここまで追い詰めるとは」
 現れた白髪の老人。老人というのは灰色の肌に窪んだ眼窩がそう見せるのであって実際の年齢はまったくわからない。皺よりも人間の血色を感じない不気味な肌を持つ細身の体は炎の中にあっても全く危ういところが無い。
「こいつ――」
 こいつはだめだ。ルルーナの五感がそう告げていた。撤退を合図するには時間がなかった。向かって行った使い魔がはじき飛ばされて足下に転がった。
 目の前の男の手に見える握られた杖は十本。ユウトはそれを扇子だと思ったが、ルルーナにとっては10の杖に見えた。
「Axeka- ma-a-…」
 木霊する10のスペルはもはや合唱と言って差し支えない。瞬間的に発動されたのは大魔法に他ならなかった。それぞれのスペルが互いに補完し合い、意味の違うスペルに組みかわり再び1つの体系をなすその様はビッグメイジが10人控えているかのようにすら感じる。
 今までに感じたことの無い悪寒は正真正銘の死を思わせた。
 回避不能と感じるのは魔法が目に見えないだけが理由ではない。自分が躱せば使い魔もろとも消えるであろう事が容易に分かるからだった。
 白蓋は一瞬、それを離れた場所から見たシーナたちはその光の柱に足を竦ませる。
「神秘魔法を逃れたな」
 男の声、見た目からは想像のできない老人の声は目の前の人物によって紡がれていた。
「はやく逃げろ……俺の正気が無くなる前に」
 ユウトの体が周囲の魔力を弾き返している。目に見えるほどの密度でマナが白く覆い尽くすそこにはユウトによって守られるルルーナがいた。
「餌が餌を連れてくるというのは面白い。私は現人神にしか興味がないというのに」
 ルルーナは駆けた。ユウトを背にして全力で。自らの使い魔さえ置いて逃げることに余念はなかった。
「Tau-at-…」
 残響するスペルがルルーナの耳元に届くと足が石のように硬直する。
「敵わないと知れば逃げるのは適切だが、それはモゥトに言わせると死と同義だ」
 跪くユウトの脇を通ってルルーナの元へ歩く男は死神よりも死神らしい。
「君には私の魔力庫となってもらいたい。殺すとしても今ではない、才能があれば天寿を全うするまで生きていてもいい」
 そう告げるとルルーナの首筋に冷たい手が置かれた。
「や、やめろぉおおお!」
 ユウトは力の限り叫んだ。ずしりと空気が重くなった途端にルルーナの肢体が痙攣して地に倒れる。
 アリスの影がルルーナに重なり、ユウトの脚が弾ける。
 青の剣で斬り込んだ先は肉ではなく石のようだった。男は風のように剣の勢いに乗って後方へと飛ぶと無機質な表情でユウトと対峙する。
「アガリペラは何処へ行ったのか。モゥトに言わせれば遊びすぎたか……ああ、君はまだ完全体になりきれていないのだったな。どうも年を食うと結果ばかりが頭に浮かんで仕方が無い」
 男が杖を振ると目の前にアリスが現れる。
「もう、やめてくれ……」
 ユウトの声は誰にも届かなかった。目の前のアリスはただユウトを責めるように懇願する。
「言葉に支配されることを君は選んだ。愛する者を疑わない強さ。私は彼女の言葉を君に贈りたいだけなんだ」
 アリスの言葉にならない声は常にユウトへ向かって放たれていた。
『――して』
 アリスの魔力が全て目の前の男の中にあることはユウトも分かっている。しかし、目の前の男を倒そうとする度に知らない誰かが死んでいる。――はそれが次はアリスの望みであることを祈って剣を振る。
「殺さ、ないと……」
 目の前の何かを斬らずにはいられない。深い憎しみは内と外から沸いてきていた。アリスの魂が何かを取り戻せと叫ぶのだった。
「う、ウ……コロ、ス」
 


「こっち」
 カタルナが走る先に抉られた地面が連なっていた。向こう側は倒木の数々に埋もれている。
「もう、誰かと戦闘になったのでしょうか」
「ユウトの気配がする……」
 ルーシェは杖を取り出した。
 ぞくりと背筋を通る悪寒に全員が振り返る。
 木の葉の幾重も無言のままにその影を讃える。一陣の風にはっきりとする姿はかつての面影を目元に残した使い魔だった。
「ユ、ウト……?」
 シーナは驚愕に後ずさりした。黒い肢体から金の瞳が覗く。黒は全てが羅列したスペルだった。その異形に覚えがあるルーシェは下がった眉をわずかにつり上げる。
「黒いのは何? 聞いてない」
 カタルナが焦りに口を開くもその答えは誰も持っていなかった。カタルナの傍らにいるユウトは短剣を抜きながら焦る声を上げる。
「復活が近いのかも知れない。みんな、戦う準備を――」
「でもあれを具体的にどうする? 斬ってどうにかできるのか? あの赤い剣、あれは元々お前の剣だろう?」
 リリアは黒剣を構えながらシーナの前に出た。
「蒼剣セイラムがなんで赤くなってるのかは俺にもわからない。とりあえず全力で戦ってみないと」
「私がまずは視界を奪います。皆さんはひとまず攻撃体勢を」
 シーナが杖を構えて詠唱すると周囲に霧が立ちこめてくる。黒きユウトの挙動に変化はなく全員が散開するかたちで取り囲んだ。
「この霧じゃ何も見えない」
 カタルナはユウトの隣で静かに息を吐く。
「いいんだ、これで」
「ラグナという名前は嘘だったの」
「ごめん、これからはユウトって呼んでほしい」
「よろしくね、小さい子」
 白い霧の奥に光が弾けた。
「Knia sald zix(風の怒り)」
 轟く光は雷。耳を劈くような破裂音と共に空気が割れる。
「なに? これが魔法?」
「ルーシェの魔法だ。あの子はドラゴンなんだ」
「ドラゴン……」
 カタルナはそれで合点がいった。皮膚が鱗のように光沢していたことにも浮世離れした雰囲気にも理解が及ぶ。ただ1つの疑問を残しては――。
「ドラゴンが人間に擬態するなんて」
 雷撃は雨あられのように浴びせられ続けて周囲に焦げた臭いが立ち籠めてくる。
 これほどの攻撃で生きていられる生物など存在するのだろうかとカタルナは思った。
「ウガアアアァァ――」
 怒号が飛ぶと同時、地面の揺れと共に土が舞い上がる。
 カタルナとユウトは後方へ飛ぶと見えない霧の奥で落ち葉が降り注ぐ土砂によって細かく打ち鳴らされた。風の隙間からわずかに見えたリリアの姿が走る。
「いけない」
 リリアはこの霧の中にあってもルーシェの位置が正確に分かるのか次の瞬間に聞こえたのは剣と剣がぶつかる鉄の火花だった。
「ユウト! 目を覚ませ!」
 打ち合いは数合。リリアの伸縮する剣がユウトの肉を割く度にリリアの表情が苦しく歪む。もともとユウト本人の技術があればこそ対等の剣も今はリリアの敵では無かった。
 力任せの一撃をリリアは風を受ける蜻蛉のように受けて舞う。
「こんなかたちでお前と決着したくない……」
 油断と呼ぶにはあまりにも大きな失着は覚悟の内にあった。このままいけば相手を、ユウトを殺すかもしれないという一瞬の気おくれ、それが次の一撃を受けることになる。
 足下に飛来した剣の勢いを自らの剣に乗せてリリアは空中に踊り出た。
 天地が逆さに見えて腕から伸びた刃が黒きユウトの首元に迫る。
 残り半回転でその首を落とせるというところで黒きユウトの動きが急激な加速を見せた。
 それは生物が持つ速度の限界を何かで超えた瞬動だった。
「ばっ――」
 馬鹿なという言葉にならない声の続きをリリアは大木の根に打ち付けられながら脳内で発する。
「リリア!」
 血を吐きながら横たえた体に何が起こったのか冷静に思い出していく。しかしそれは叶わず、シーナの走る姿を瞳に映しながらリリアは暗闇に意識を手放した。
 打ち倒れたリリアを黒きユウトは足下に見てシーナは両手に杖を持ち息を呑む。
「迷いを、捨てる……」
 対峙した黒きユウトにシーナは強く自分に言い聞かせた。
「CFFEETS――(効果)」
 霧の質量が変わり空気の流れが滞る。
 シーナの体が変則的な速度で駆ける。ユウトの横を駆けていくと白の中へと姿を消した。
「ウゥ……」
 黒きユウトの獲物を探る様子はまるで飢えた獣のようでもある。
 音と視界が断たれた黒きユウトは心音に耳を澄ませながら荒い息を吐いた。
 金の瞳が黒い目蓋に隠れて棒立ちになる。
「…………」
 かさりと地面の葉が揺れる音にも黒きユウトは動じない。足音ではなかった。殺気も息遣いもない。
 生き物の気配はないというのに黒きユウトの指先は何かを掴まえるようにぴくりと動く。
 刹那の開幕。霧の中から現れた氷の刃は黒きユウトの背に迫る。
 手遅れの一撃は互いが同じ時間の流れに存在する場合にのみ起こるが、今回は違っていた。
 その様子を見ていたナインは自分がいつもしていることと同じことが目の前で起きているのを知ることになる。
「なんだと――」
 今まで背を向けていた黒きユウトが突如、氷の刃を腕に受けていた。
 その刃は腕を突き抜けたところで止まっている。
 咄嗟にシーナは刃を離して霧の中へと戻る。半歩遅れて赤い剣が地面に振り降ろされた。
 意表をついた攻撃によってシーナは無傷だったが、次は無いという殺気が黒きユウトから溢れていた。
 ナインだけは今の戦いを見てアリシアの手を取った。
「逃げるぞ」
「何言ってるの? みんなが戦ってるのに」
「おまえ、今の見たか? 俺の能力と同じか、それ以上だ。シーナって女の子には悪いがこれは勝てる戦いじゃねえよ」
「そうだ、これは戦いなんてもじゃない」
 不意に現れた気配は見たことのない男の姿のものだった。
「何だお前ら……」

       

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