Neetel Inside 文芸新都
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 シーナの霧からの攻撃は幾度となく黒きユウトには無効だった。
 話に聞いていた魔法を無力化するという力の代わりに黒きユウトには時間を超越するような動きが見られていた。
 絶対不可避の攻撃を避けたり、防御することが可能になっていた。
 それを退化とみるのか進化とみるのかは決めかねるもシーナはこの状況を打開する術を思いつかない。
「リースの恨み、ここで晴らす」
 聞き覚えのある声がシーナに届く。声の主は金髪のカインだった。カインの赤土の瞳がユウトを見据えて地面に何かを落とす。
 同時にシーナの支配していた周囲の環境マナが奪われて新たなスペルによって形を変える。
「ユウト、お前にはリースとアリスの死を償ってもらう」
 地面から現れる鎧の兵。兵。血に染めたその手には小瓶が握られ周囲に現れる鎧の数は留まるところを知らない。優に3000を超えたところで黒きユウトも叫びを上げた。
 それが戦慄だったのかはわからない。その叫びは進軍の地籟(ちらい)によってかき消えた。
「私も使い魔を殺された恨みを晴らす」
 カインの後ろにはまだ他の生徒が十数人連なって居る。しかし、シーナは悟る。
 数では勝てないと。

 黒きユウトの周囲に出現した3000のワルキューレは土塊ではなく鉄面を持つ金属の塊だった。ここまでの練成は偏にカインが土属性に秀でてあることと協力する生徒の数が十数人いたことによる。
 スーシィの技術を盗んだ彼らはただユウトを打倒したい一心であった。愛する使い魔を奪われ一矢報いるため。
 その願いは同時に多大な犠牲をもたらした。
「ぐっ――」
 握られた手から出る出血は止まることのないまま流れ続ける。
 黒きユウトに差し迫ったワルキューレが斬り掛かった。全身が鉄で練成されているためその重量は一太刀で馬をも両断しようかという勢いがある。地面をえぐる攻撃を躱して黒きユウトの剣が胴に叩き付けられる。
「ドゥアァ――」
 その渾身の剣を受けても鉄の戦士はよろめきすらしなかった。
「いける、いけるぞ!」
 カインの後ろにいる生徒はわずかな期待に眉を上げる。ところが、ワルキューレはそれ以上の攻撃を仕掛けなかった。カインの攻撃合図への反応を鈍らせている。
「何か、おかしい」
 黒きユウトは口元を歪ませていたようだった。
 それはワルキューレが一斉に斬り掛かる直前に見えたもので誰もその光景に確信は持てない。
 土埃の影より閃が光る。
 乱闘が収まり、視界が晴れていくと立っていたのは黄金に発色する髪を生やした誰かだった。
『伝えなければならぬことがある』
 黒き肢体は白く染まり、背中には白い羽が生えている。声はよく通った男のものになり誰とも覚え知れない。
「なんだよ、あれ……」
 唯一変わっていないのは剣の形状だけだった。青い剣は誰が見てもかつてのユウトの剣である。
『皆、死んではくれないか』
 天を仰いでいたそれは刹那に周囲のワルキューレ十数体を一度に斬り伏せた。
『これが人の器か。忌々しき小僧の肉もこれまで』
 肉が弾ける音はその男自身から発せられていた。
 かつてのユウトの肉体が限界を超える酷使によって弾け飛び、内から何か別のものが現れる。
 それはユウトだったものの肉体より一回り大きく、強靱な男の躰であった。
 人間の脱皮という形容がよく当てはまる光景に人のものではないと誰もが思う。
『この自分という存在を持たぬ業こそ神である証。これこそ、神の業である。すなわち神とは、自我なき我なり』
 ばきりと骨格が打ち響く音が妙に耳に残り、場の全員が凍り付いた。
「逃げろ……早く逃げろぉおお!」
 ユウトの叫びが背筋に冷たいものを押し当てる。まるでそれが合図となったかのように光の筋が周囲に張り巡らされた。
 その筋の中に居た者、触れた物は例外なく光の形に切断された。
 光に触れたワルキューレ、その後ろにいた生徒。鮮血が神を称えるかのように吹き出した。足下に立ち籠める霧が雲の上での出来事のように感じる。カタルナは震えながらその様子を魅入った。
 剣などもはや飾りでしか無い。今目の前にしているのは「神」なのだと知る。
『お前も分かっているはずだ。今ここに命運は結ばれた。あの時、死ぬ定めにあった私という存在がお前にとって代わった』
「なぜだ、お前は消えたはずだ……」
『神を本当に殺せると思っているのか? 神はいつでも対峙した人間の中にある。だからこその現人神だ。そしてお前の肉が死んだ時、神である我は生まれたのだ』
 それは全く以て言葉の戯れでしかなかった。
 ユウトはその巨躯にワルキューレが襲いかかるのを見る。
「う、うわぁぁあああ」
 生徒の叫喚は焦りと恐怖、絶望の悲鳴だった。逃げる者、魔法を放つ者、悉くが瞬きのうちにその肉を断たれていく。
『ふむ、もう躰は慣れた』
 風が吹いたようにそう口にすると必死に魔法を撃ち続ける最後の生徒を全く意に介さず最後の断頭を行った。
「うっ……」
 アリシアは嘔吐きながら地に手を着く。
「命あっての物種ってな。アリシア、逃げてもいいだろ?」
 首を振るアリシアにナインは苛立つ。女の子を置いて逃げることもナインには出来なかった。その姿を尻目に神と名乗る男は遠巻きにユウトを見た。
「あの日、最後の一撃を食らったのはこの剣であった。忌々しき頂に突き立ったこの剣には我の半身が封印され動けなかった。だが、お前がこの剣を握り振るって来たとき、我はこの未来を見たのだ」
 ユウトは言葉を待った。シーナもルーシェもカタルナも戦う意欲など沸かない。
 アリシアは青ざめた表情でナインはただ目の前の大男を見据えている。
「我は剣の中で1つに戻りながら時を待った。もうすぐ死に行く人間の小娘を見た時、未来は過程を見せた」
 ユウトの目がゆっくりと見開かれていく。
「この人間に慈悲を与えれば、我は地上に再び君臨するという未来が、な」
 霧が裂けるのと同時、大男の目の前に小柄なユウトの姿があった。
「っち」
 ナインは指を打ち鳴らすと大男へ向かって走り出す。光の筋からユウトを抱きかかえるようにして逸らすと時間が元に戻った。
「なに……」
「神だか何だか知らねえけど、それすっごい痛いぜ」
 もう一度指を打ち鳴らすと同時に男から光の剣が向かってくる。全員が灰色に固まる時間の中でも光の攻撃だけはゆっくりと動いていた。
「半端ねえ」
 二度目の回避で大男もさすがにナインを敵と認識する。
「異能の持ち主よ、我をあまり怒らせぬ方が良いぞ」
 三度目に遅延する時間の中でナインは敵の位置を見失った。土がまくれ上がり壁になっていたのだ。
「神とか言って、戦い方はしっかりと考えるわけか」
 姿を眩ませたのを好機と捉えてナインはユウトに背中越しに叫ぶ。
「何とかしろよ、先輩」
 次の瞬間にナインの姿が消えた。ユウトは距離を取ると手段を考える。アガリペラを前に勝機を探るも有効な手段は思いつかない。あるとすれば、まだ試していないことが1つあるだけだった。
「くそ」
 剣もない状況のユウトの傍らにカタルナが立つ。
「契約を。手段がないならルーンの力に賭けるべき」
 ユウトが頷くと足下に円形の陣が現れた。
「みんな、魔力をこの円に注いで」
 拡張した声がシーナやルーシェに届くと、その意図に気づいて魔力が筋になって届く。
「カタルナさん? 契約魔法に他人の魔力は――」
「分かってる。でもただの契約に可能性はない。光の攻撃に対抗する力を手に入れるなら全員の契約を1つに重ねないと」
「アリシアもそこのチビに魔力とやらを回せ」
 ナインは土まみれになりながらも戦いの中でひたすら拮抗状態を保つ。
「でもっ――」
「いいから! 俺のルーンの力は気にするな」
 アリシアの魔力も受けてユウトの右腕にルーンの文字が刻まれていく。ユウトの後ろで詠唱するカタルナの杖がマナの総量に耐えきれず燃え尽きた。
 水色の光に包まれたユウトにカタルナは最後の契約を与える。
「っ――」
 光の中で唇に触れた感触でユウトは忘れていた息を取り戻す。

 背後に光の壁を見てナインは1人諦観したような微笑を浮かべていた。
「上手く行ってなかったら元の世界に逃げ帰りたいね」
 大男の顔が自分へ向けられたと同時にナインは指を鳴らす。起こらない変化にアリシアの魔力が尽きたのだと悟った。
「奥の手……」
 ナインは身を低くしてポケットから銀の装飾品を突きだした。
「うわっ」
 投げ捨てたアリシアの手鏡は半分が溶解してナインの耳元の髪が無くなっている。
「少しは驚かされたな……」
 わずかに反射した光が森の木々を焼き切っているのを見てナインは少しだけ自分の寿命が伸びていたことを知った。
「だが、これで終わりだ」
 一瞬にして距離が詰まると大男の手の平にナインの頭が収まっていた。
 断頭の一閃はナインの首に掛かかろうとしている。その前にユウトの影がなければ大男はナインの首をものにしていた。
「ション便ちびるわ……」
 ユウトの手に握られた黒い剣が大男の胸元を掠めていく。
 全てを躱しきると巨体が後ろへ跳び退いた。
「どうやって我の邪魔をしたかは知らんが、ようやく運命を受け入れたか」
 ユウトはその声に答えること無くリリアの剣を両手に剣舞する。大男の背後にある翼が一振りされる度に無数の光がユウトを掠めて地面の奥深くへと消えていく。
 その光の中にあってユウトは小柄な体躯を生かして躍進していった。
「何故だ、人間如きが躱せる力では無いのだぞ」
 肉迫したユウトに焦りを浮かべ大木のような腕で剣を受け止める。
 その肉には骨があり、血があった。
 それを見て男の怒声が空に轟いた。
「我が名はアガリペラ! 時の力を司る慈愛の神に剣を立てるとは万死に値するッ!」
 ユウトの右腕が男の咆哮に呼応するように輝く。
「ルーンを解放する」
「何故だ、何故、その名のルーンが存在するッ」
 肘の先に翻った手の平に浮かぶ『アリス』を意味するルーンは瞬きのうちにユウトの体に8年の歳月を与えた。
「ウォオオオ――」
 アガリペラの咆哮が大地の草葉を吹き飛ばし、大嵐を呼び込む。
 ユウトの体がぶれるとアガリペラの背後に剣が通った。鮮血と共によろめくアガリペラが翼の光でもって背後を焼き尽くす。
「二度も、この我を二度も斬るとは神への冒涜。人の姿で死ねると思うな」
「……喚くな」
 ユウトの剣撃は光速だった。どこかにいるということしかわからない動きにアガリペラは身動きできないまま膝を折る。
「もはや――」
 アガリペラの肉が弾けて内包する光が形を伴う。
 右腕に蒼剣。背中に翼を携えたその神々しい姿は神そのものだった。上空に留まるアガリペラは地に這う人間を見下ろす。
「我は再び愚かな人間を待つ。時は輪廻するのだからな」
 
「ルーンを解放する……」
 ユウトだけはアガリペラを見上げて闘志を失っていない。アリスのルーンは光を増して黄色く輝き始める。ユウトの姿がアガリペラの目の前に現れた。
「ばかな……」
 空中でありながら剣撃の絶え間ない交差にアガリペラは光断を放つ暇もない。神に比肩するか、ユウトの動きはアガリペラを本気にさせるに充分だった。
「この世界で我と同等などッ恥を知れ!」
 蒼剣が打ち震える。かつてのユウトの剣がアガリペラを離れて動き出すと、ユウトは逃げ果せるアガリペラにそれ以上近づけなくなる。
「貴様の従える魂など我にも従える。灰燼に帰せ、異界の者」
 光が差し迫る一瞬の間にユウトの右腕が赤く光を放った。
「最後だ!」
 その声を聞いたのはユウトか、アガリペラか。
 一筋の光が地平線に沿って軌跡を残すと2つの影がゆっくりと地に墜ちていく。

       

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