Neetel Inside 文芸新都
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4の使い魔たち
七年前――

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 七年前。
 ユウトが召喚されてから数日経ったある日のこと。

 ――――。
 小気味良い音が室内に響いた。ベッドから半身を起こしていたユウトに会いたいという人物が尋ねてきたのは霧が廊下にまで入り込む冷え込んだ朝だった。
「ほう」
 ゆらりと現れた影はベッドの上で肩を抱くユウトを見つめるなり、溜息を吐くように声を漏らす。
「だれ?」
 ユウトは先月、大怪我をしてようやく起き上がれるようになった。もうなにもかもが恐怖であるユウトは叫ばなかっただけ奇跡に近い。
「人型の使い魔がいると聞いてな、お前であっているのか?」
「…………」
 ユウトはこの人をあまり好きではないと感じた。短く結わいたオレンジの髪は見たこともないほどに眩しいし、白装束は幽霊の着物だと思った。さらにその小柄な体躯には不釣り合いなほど大きな剣、そこには無言の威圧感がある。
 どうせまた怖いことが始まるんだ、そう思いユウトは目に見えて脅える表情を見せた。
「そう怖がるな。聞いたぞ、キメラを一撃で倒したって?」
「……あれは僕じゃない」
「そうか? ま、何でもいい。主に愛想尽かされたんだろ? どうだ、私と一緒に冒険しないか」
 あれ、この人は女の人なんだとユウトはその時初めて知った。母のような優しい声に純粋な瞳。優しく頭を撫でられてユウトは人の温もりがとても有り難く感じたのだった。
「返事がないなら勝手に連れて行くぞ」
「……うん」
「なら決まりだな」
 これが後に死ぬように辛い試練の始まりだとはユウトにはわからなかった。
 大剣を背負った謎の女はユウトの手を引いて施設を後にする。その数時間後、ユウトが移譲されたという件はアリスにも伝わることになった。訓練場に訪れたメイジが使い魔を連れていったと思っていたアリスは後にその思い込みを後悔することとなる。
 彼女は魔法使いでさえなかったのだから――。
 ただ、唯一の手掛かりはユウトのベッドの上にあった羊皮紙に『タ・ニェムシャヴチ・ライン』という名が書かれていたことだけだった。



「ねえ、何処に行くの?」
 ユウトの声に女は問う。
「お前が自分を好きになれる場所だな」
 ユウトには意味がわからなかった。辺りはもう暗くなり始めているのに自分の手を引くこの人は何も動じていないようだった。
「もうすぐ暗くなるよ、どこかに入らないと寒いよ……」
「暗い方が都合がいいんだ。疲れたなら負ぶってやるぞ」
 ユウトは茂みに視線を這わせながらその夜の森に戦慄した。人を食べる猛獣が出てきたらこの人はこの大きな剣で戦うのだろうかと心配になる。
「しかしそうはいっても霧まで出てきたな。この辺で休もう」
 女は男のようなしぐさで大剣を地面に突き立てた後、そのまま地べたに座った。

「え、その……」
「来い、寒いんだろう」
 木に背中を預ける女はあぐらを掻いて座っている。ユウトはどこに行けば良いのかと近づいて行くと女の手がユウトの腰を取った。
 胸の中に収まったユウトは背中から僅かな緊張と母に抱かれたときのような安堵を覚える。
 やがて女は寝息を立て始め、ユウトは天井の葉からわずかに漏れる空の明かりを女の胸の中で追っていた。
 そうだ、自分よりこの人の方が良い匂いもするし、おいしそうだからきっと大丈夫だ。
 ユウトはそう思うことにして膝を抱えながら意識を闇へと沈め始める。女の腕の中で座ったまま眠るのはこれが初めての経験だった。

 ――――。
「起きろ」
 脚の痺れる感覚にゆっくり目を覚ましたユウトは女の際立った凛とした表情を見た。
「いいか、ここから先は自分の身は自分で守ってもらわなきゃならん」
 そういって女は歩き出す。ユウトはその木々に呑まれていく姿を必死で追った。
 霧がユウトの視界を遮るが、ユウトはそのうちこの女がとても強い気配を発していることに気が付いてくる。女の姿を目で探さなくとも何となくわかるのだった。
 次第に霧が晴れてくると、女は立ち止まって木の上を伺っていた。
「どうしたの」
 女が指さす先には垂直な一本の木しかない。ユウトが不思議に思っていると女は言った。
「鳥の巣がある。食事にありつけるぞ」
 それまで出されたものしか食べてこなかったユウトはその言葉の意味するところが全く理解できなかった。そもそも、鳥の巣なんて見えはしない。
「鳥の赤ちゃんを食べるってこと?」
呆然と立ち尽くすユウトに片笑みを見せると、女は両足と両手にロープを渡して木を抱きかかえた毛虫のような動きで巧みに登り始める。
 小さな鳥が勢いよく女の頭上を掠めていった。親鳥が巣に近づく敵を排除しようと戦うその姿が健気に映る。
 女は高い位置まで登ると、木にしがみついて小さなナイフを振りかざし始めた。
 なるほど巣は木の中にあったのかと思うと同時に中から黒い塊が二、三個落ちてくる。
 女はその後ねじれたロープのよりを戻すようにするすると木を滑り降りた。
「アカマナドリ、食用にはちょっと小さいが栄養は高い」
 鳴いている雛はまるで親を探して泣き喚いているようだった。
「よし、これを食ったら下山する」
 ユウトはそれを開いた口で聞いた。
「それ、食べるの?」
「なんだ、おかしいか? お前も空腹だろう? これが食べ物じゃなかったらお前は何を食べる?」
「木の実……とか」
 女は笑った。肺が痙攣するように笑ってから、ユウトに雛を一匹渡した。
「木の実をお前が食べれば、森で木の実を食べる昆虫や動物は何を食べる? 昆虫がいなくなれば、昆虫を食べる動物は何を食べる? 木の実を食えない動物は何を食べるんだ?」
「動物だって木の実を食べるよ」
「食べるやつもいるだろうな。だがそいつらは肉を食べられないから木の実を食べている。違うか?」
 ユウトのしっている動物は確かに肉食ではなかった。
「木の実も肉も取って食べるなんていうのはな、人間だけだ。食事が生きているかそうでないかで迷うのなら、お前は生きているのとは違う」
 ユウトは手元の雛を見る。母親が恋しいのか、身の危険を感じてか必死に泣き喚いている。それを見ると同時にユウトは感情を揺さぶられた。
「巣に戻そうなんて考えるなよ、お前が戻したところで親はもうそいつを子供とは見ない。他の動物の臭いがついたらあいつらは子育てを放棄するのさ」
 女は腰に下げた革袋にその雛を仕舞い、木の枝を拾いながら歩き始めた。
 ユウトは何も言い返せなかった。もう何日もまともなものを食べていないユウトにとってこれを食べることができなければ、自分は死ぬという実感を強く感じてきている。手に小さな命を握ったまま、ユウトは女の後を追った。

「そろそろいいか」
 女の手に抱えられたのはいくつもの木の枝。ユウトは途中、川の水を飲むこともあったが、意識が朦朧としかけていて女の後を着いていくのもやっとになる。
「喋る気力もなさそうだな、まあほとんど飲まず食わずで歩き続けたんだ。当然か」
 ユウトが自分のことで何より驚いたのはこんな状態になっても自分はまだこの雛を食べる決心がついていないということだった。
「寄越せ」
 ユウトは気が付くと雛を取られていた。どうやって枝の山に火をつけたのか、そんなことを考えながらユウトは香ばしい臭いがしてくるのに意識を寄せている。
「いいか、良く噛んで食べろ。小骨が刺さってもここじゃどうにもならんからな」
 口元にある何かをユウトは夢中で食べ始める。まだ二日なのにユウトの体力は極限になっていたのだ。
「う、うぅ……」
「どうした? 小骨が刺さったのか?」
 ユウトは泣いていた。自分が雛を食べた事実にようやく気が付いたのだった。
「お前は優しすぎるな、私は涙は流すなと教わった。体内の水分を消費するとな」
 女の言うことなどユウトには聞こえていない。ただ、ユウトはそれから少しだけ気丈になった。

       

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