Neetel Inside 文芸新都
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二、罷免。

 次の日、部屋で気が付いたユウトは寝間着を着替えるレミルの背中を眺めているうちにいくつかの疑問が思い浮かんだ。丁度椅子に座って髪を梳き始めたとき、ユウトは声をかける。
「部屋は本当にいいの?」
髪を梳いている途中だったレミルがユウトの声に一瞬たじろいだものの、すぐにいつもの調子でぶっきらぼうに鏡に向かった。
「突然話し掛けないで、驚くから。……だいたいそんなの、この学舎はいっつも缶詰みたいにぎゅうぎゅうなの。どうにもならないの!」
 レミルは億劫そうに立つと腰に剣を差す。
「僕の服は……?」
 妙に風通しがいいユウトの体は体験したことのない生地で包まれていた。立ち上がると股下に何か風を感じる。
「ないよ。前のやつは汚いし臭いから捨てたし。感謝してよね、重くて大変だったんだから」
「……すてた?」
 ユウトは耳を疑った。自分でも少し汚いとは思っていたものの、それほど安いものでもなかったように感じる。何しろ訓練所では見合ったサイズがなくユウトのために誰かが作ったと聞いていたからだ。
「こんな格好で外へなんて行けないよ」
 ひらひらとした薄着に文句を付けるとレミルは再び髪を梳かしながら不機嫌そうに頬を膨らませる。
「私の服しかないんだから我慢してよ。私だって貸したくないけどここで男の服なんて揃えられないんだから」
 ユウトも言葉に詰まる。お互い溜息をつくと不意に扉が開いた。入り口にブロンズの髪をした少女が立っている。カールした長髪と端正な鼻筋、少女は可愛らしい小口を開いた。
「あら、まだここの扉は壊れたままなのです? ノックで扉が開いてしまいましたわ」
 ユウトにとっては見知らぬ女の子。レミルにとっては目の上のコブだった。
「あんたねえ……朝から何しにきたのよ」
「どうせ男性の衣類はないと思いまして、持って来て差し上げましたの」
 ユウトの目が輝いた。その手にはレミルたちと同じ制服がある。白と茶色の生地がうまく織り合って模様を描く上下の服はまさしくユウトが気に入ったデザインだった。
「スカートもない男用の制服ですわ。どう、これがほしいでしょう?」
「うん」
 ユウトはその瞬間背中から強い衝撃を受けて吹き飛んだ。
「ちょっと、いくら魔物だからって少し乱暴にすぎませんこと?」
「それをどうやって手に入れたか知らないけれど、あんたがただで人に物を渡すなんてありえないわ。何が望み?」
「あらまあ、話がはやくて助かりますわ。――あなた、これからシャラ様に稽古をつけて頂くのではなくて?」
「な、なんでしってるの……」
「学舎中で噂になっておりますわ。知らぬは本人ばかりのようね」
「私にどうしろっていうのよ」
「簡単よ、私も参加させなさい」
「はあ?」
 レミルには到底受け入れられないことだった。何のために我慢して同居していると思っているのかと頭に血が上る。
「ユルトの世話をしていないエルナには無理よ」
「だからこうして衣服を持って来たんじゃない。それとも何かしら? 自分の服も満足に持たないあなたがこの子の服を新調できるって言う?」
 レミルは歯を噛みしめて言葉をのみ込むように耐えた。
「わかった……でも部屋を提供してるのは私なんだから訓練量は私が八割よ」
「五割」
「……あんたね、服くらいで調子にのらないでくれる?」
「五割ったら五割よ。私がその気になればこの使い魔に一室用意することくらい他愛ないことだと分からないかしら?」
 レミルは考えた。
 学年一位の実力を持つエルナは当然教師陣からも絶大な期待を持たれている。そのエルナが部屋を一つだけ開けて欲しいと誰かに言えば成績最下者は問答無用で自主退学するだろう。それほどまでにこの国では剣の力が権力に直結していることもよく知っている。
「わかった、でも五割までだわ。それ以上はぜったい譲れないから」
「交渉成立~でよろしいわね。この子にかかるお金は全て私が持たせて頂くわ。あなたはせいぜい襲われないようにしてなさいな」
「……おそ……え?」
 レミルは話の横で着替えに勤しんでいたユウトを睨んだ。当然ユウトは何のことかわからず首を振るしかない。小さな鼻息を鳴らすとレミルはそのままユウトの横を通り過ぎて廊下に出て行く。
「何処に行くのさ」
「ご飯よ。言っておくけどユルトは連れて行けないから」
「え、僕もお腹は空いたよ」
「ふふ、一人前に口だけは喋るんだから」
 口元だけで一笑するレミルにエルナは厳しい視線を送った。
「なによエルナ、エサの面倒まで見る必要ある? エルナ本気?」
「当然ですわ。見たところ人間と大差はないように思えます。昨日確認したじゃありませんこと?」
 レミルとエルナの頬がわずかに染まった。ユウトは話についていけない。
「でも無理よ。まずこの姿でいること自体が見つかったとき誰かの逢い引きに思われる。ここの男女同舎せずって掟はエルナもよく分かってるでしょ?」
「ではまずシャラ様に会いましょう。これについては袋でも被せておけばいいのではないかしら」
「エルナあんた、ほんと頭の中おかしい……それを誰かに見られたら私たちは女の子に男の子の格好をさせて袋を頭に被せて、それを連れ歩いているおバカかいじめにしか見えなくない?」
「ではお聞きしますけれど、あなた今年の学年順位は何位でしたの?」
「三位よ……あんたが準決勝で私の新しい剣をへし折った」
「まあ、そんなひどいことしたかしら。でもそれなら問題はないわね、私たちが誰かをいじめているように見えていたとしてもそれは強者によるいじめ。私たちに楯突こうと考える人間は返り討ちが怖くて手出しはしてこないでしょう」
 レミルはこめかみに手を当てた。とりあえず、他に代案も浮かばないので怯えるユウトに袋を被せて廊下へと連れ出す。
 窓の外にはうっすらと日が昇り始め、砂色の建物たちが朱い光のインクを伸ばしていた。
「あ、あの……おはようございます」
 階段を降りると下級生が挨拶してくる。2人は袋を被ったユウトを背後ににこやかに挨拶を返した。
「ひいっ」
「どうして逃げるのかしら」
 背中を向けて掛けていく少女。それを見送る2人の後ろには紙袋を頭から被ったユウトがいる。廊下を歩くエルナとレミルの2人は他の女子たちが怯えるのを見て口を開いた。
「エルナ……二年前の剣魔術大会の決勝で火系の剣魔法で顔面を焼かれた生徒がいたのを覚えてる?」
「相手は水系の魔法剣で戦っていた試合のことですわね」
「あれ、負けた方は顔面が焼けただれて酷いからって一日だけ紙袋を被せて生活してたのよ。その噂は面白おかしく丸一年流された」
「それでその生徒はどうしたのかしら」
「死んだ、女の子だったし自殺じゃないかな。1人で不可能な任務に行ったって……」
「修行不足ね、そんな理由で剣を取るなんて」
「あなたは自分の顔が魔法や傷でずたずたになったらどうするの?」
「低いレベルの問題ね、どうもしませんわ。私たちの命は国の剣でしかない、私一人の顔がどうなろうと命があって剣を握れる限りは戦うのがこの国の民のはずですわよ」
 レミルはエルナを無言で見つめた。エルナはその視線に気が付かないまま歩き続けていく。レミルとエルナはまだユウトと歳が変わらない。ユウトよりはいくらか身長はあっても心はまだ幼かった。
「…………」
 廊下を歩く足音の繰り返しの中でレミルは兄のことを思い出していた。小さい頃、まだレミルが中層階級だったとき兄は任務に就いて殉職した。聞けばその友人達も大勢死んだらしく部隊の隊長を務めていた兄の家系であるレミルの一家は責任の追及から貴族の証を奪われた。この国の剣は隣国に畏怖や敬意を持たせるがその犠牲は大きなものなのだと父はいつも言っていた。
家族を失っても剣を取れるか? 父は口癖のようにそれを言うようになり、いつしか父の剣は息子を失ったことで曇ってしまったと周りは囁いていた。
やがて父が息子の後を追うように殉職するとレミルの家族と呼べる人は今は娼館で身を粉にする母一人となった。残酷だとは思わないし、レミルはそういう周りの同年代を多く知っているつもりだった。
「そうね……ここは剣の国だものね」
「ええ」
 二人は教職官の棟へ行くと受付のような小窓からシャラを尋ねた。
「教官たちは今朝方リクルド様のところに召集を掛けられていて全員出払っている」
 用があるなら学舎でと追い返されたレミルは眉を曲げて不満を隠さなかった。
「リクルド様って確か学園理事だったわよね?」
「ええ、でも理事は確か肩書きだけのはず。滅多にお姿をお見せになられないから王宮の剣客総帥という話もありますし……」
 学舎まで戻ってきた三人が今度は多数の生徒に奇異の目を向けられる。
「あ……」
「この紙袋。取らない方がいいですわね」
 エルナは独り言のようにその紙袋を直して正面を向いた。ユウトはなすがままにされている。
「私は取った方がいいと思う。これがバレれば私たちはユルトを隠そうとしていたことになる。それって私たちが男子禁制と知ってて『男』を連れ込んでいたという意味合いになるわ。そうじゃない、私たちは女の子に男装させているのよ。だから最初が肝心」
「確かに一理ありますわね。けれど、最初はいじめの現場で押し通そうという話でまとまったじゃありませんこと?」
「そうだけど、シャラ様がいないんじゃこれ以上は私たちにメリットはないのよ」
「なるほどですわ」
 紙袋が取られるとユウトはその光の加減に目を細める。一面の景色は人だかりだった。
「きゃああ――――」
「いやぁっ、男よ!」
「風紀委員を呼んで!」
 大パニックである。まるでユウトがそこにいるだけで爆弾かモンスターでも見るような目つきだった。
「みんな、聞いてよ」
 レミルが必死にそれを説得して回ろうとするが、まるで聞き入れられない。
「レミル、あなた……大馬鹿なのかしら」

 事が集束したのはその騒ぎに教師たちが駆けつけてからだった。緊急の職員会議が開かれ、シャラは半ば尋問に掛けられるようなかたちで詰問にあっていた。
「ではシャラ教官、あなたは教え子に自分の親族の面倒を見させようとしたのですか?」
「そうです、西棟へ連れて行ったのには驚かれたでしょうが」
「シャラ教官、問題はそこではありません。試験も通っていない者をあなたの推薦で入学させた。この意味がお分かりですか!」
 年に一万人を超える入学志願者がいる本校においては年功序列によってクラスが別れている。同い年でも体格の違いから試験をパスできない者も多い。彼らは国の民として毎年試験を受けている。そういうものをシャラは全て無視して入学させようとした。もちろん、本人はそれを秘密にしたかったのだが、シャラは細かいところまで気が回らなかった。
「学舎の全員を黙らせることができなければ、弟は生活できないか」
「そうです、当然でしょう。死にものぐるいで入学した彼らが誰も異議を唱えないなどありえません。恐らくは数日中に決闘の申し込みがはいるでしょうな」
「あー、そういうことならこうしよう。今度の私の任務にあいつを連れて行く。生きて帰ってきたら入学ということで」
 シャラは面倒になってきていた。この国の息苦しい態勢、旧態依然とした縦社会にも反感を感じてしまうのだった。シャラがユウトを見た時、一つだけ感じたことは自分と同じ人間を生み出してはいけないということだった。
「そんな無茶を申されましてもな」
 シャラは腰の剣に手を置く。男たちの顔が突然頼りなくなった。
「いいか、お前たちの仕事はこの学舎を管理することだ。私が弟をここに推薦したのにはそれなりの理由がある。それを困るだの出来ないなどと言うのであれば私はこの国を抜けることになるぞ」
「そ、それはお考え直しを――」
 補佐官程度に過ぎない彼らがシャラを浪人に追い込んだとなれば自らの首がなくなる。沈黙が続くのでシャラは一方的に職員室を後にした。職員室では男達が息を吹き返したように思い思いを口にする。
「大剣士アレスト・ロジャー様の一番弟子だからと生意気な……」
 シャラの背中に揺れるポニーテールがその声を聞いたように揺れ去っていった。

「シャラ様……」
 レミルの部屋で待機していた3人はシャラの姿に恐縮する思いだった。自分たちの独断で学舎に連れ込んだユウトがこれほど大きな問題になるとは思いもしていなかったのだ。
「すまないな、お前達」
 シャラはそんなこととは裏腹に2人に優しい瞳を向けた。
「……シャラ様が謝られる理由などはありません」
「いや、これは私のけじめの問題だ。私の問題に巻き込んでしまってすまない。お前達はもうユウトの世話をしなくていい」
「ど、どういうことですか?」
「もちろん、お前との約束を反故にするつもりはない。私はじきに教官を罷免させられるだろう、教職ではなくなった私でも良ければ剣を見てやることくらいはできる。ただ、ここでは無理だろうがな」
「そんな、罷免だなんて」
 反応したのはエルナただ1人だった。
「ひめんって何ですか?」
 エルナはレミルの頭をこづいた。
「失礼なことは慎みなさい。シャラ様はここの学舎をやめられると仰ってるのよ」
「え、ウソですよね」
 シャラは小さく首を振った。
「上官の態度は始終変わらなかったよ。ユウトをここに置くことはできないの一点張りだ。私の権力なんて所詮は剣だけの駒としてしか見られていないことがよくわかったんだ。私は直にここを出る」
「シャラ様……」
「ユウト、支度するんだ。君に剣の面白さを教えるにはやはりこういう辛気くさい場所は不向きだからな」
 唐突に矛先が自分に向いたような気分になってユウトはレミルとエルナを見た。
「そんな情けない顔をして、あんた本当に男なの? 服を脱いでいけとは言われないわよ。私はシャラ様に剣を見て貰えれば何でもいいし」
「本当に君は私に剣ばかり求めるな。すぐに根を吐くことをになるかもしれないぞ」
「あの、良ければ私も見て頂けませんか?」
 エルナはレミルとの話が破綻したことを理解し頭を下げる。シャラはそれを快く受け入れた。来たければ来ればいい。そう言ってシャラはユウトを連れて二人の前を後にした。

       

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