Neetel Inside 文芸新都
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三、3人

 シャラは何の通達も待たずに自分の修練場である山小屋へとユウトを連れて行った。
 その日のうちに薪や食料を買い込み、荷台を2人で引きながら険しい山を進んだのだ。
ユウトはそれだけでひっくりかえるほどばててしまい、そんな様子を見てシャラは苦笑いしながらバケツを手に取る。
「ユウト、麓まで行って水を汲んでこい」
「ええ!?」
 もう一歩も動きたくないユウトだった。いくら山の生活がユウトを強くしたとはいえ、ここまで大変な労力を使ったのに麓に行ってまで水を汲むのは無理だと思う。
「行かないのか? もし私が行けばお前はここで食材の番をしなければならないぞ。モンスターから命がけで食料を守るのと、ただの水汲み。どっちがお前にとっての最善かな」
 ユウトは軋む体に鞭を打って起き上がる。
「なんだ、まだまだ動けそうだな。よしよし」
 優しく抱擁されるとユウトは泣きそうになった。軽い極限状態で心が折れそうになったからだ。
「安心しろ、お前は剣で食っていけるようになる。私がそうしてやる」
 背中を押し出され、とぼとぼと歩いて行くユウト。麓の川は来るときに見た。
「あら、ユルト泣いてるの?」
「………………」
 レミルが明るい陽気を纏って坂道を登ってきていた。ユウトは足元ばかりみていたのでその存在に気が付かなかった。レミルはこの険しい山を汗一つかかずに登ってきたらしい。
「泣いてない」
 ユウトの精一杯の虚勢はレミルに見透かされたようで、じろじろと顔を覗き込むレミルはわっと笑った。
「そんなに目を腫らして言っても信じられないよ。訓練が厳しかったの? それともどこか痛いの?」
 ユウトは若干の男の矜持というものが燻っていた。レミルはこの山を事も無げに登っている。頭がユウトより一つ分くらいしか変わらないのに泣くほどへばってしまったとは知られたくなかった。
「なんでもない。シャラ姉さんならこの先の小屋にいるよ」
「そ、ありがとう。そんな足取りで怪我しないようにねユルト」
「ユルトじゃないよ」
 何故レミルはああも自分の名前を間違えるのか。ユウトは不思議で仕方がなかった。
 さらに降りていくと今度はエルナが山を登ってきていた。
「あら、ご機嫌よう」
 挨拶を済ませるとエルナはユウトに近づいて口を尖らせる。
「せっかく私が用意した服が汚れすぎですわね。せめて私の前では綺麗にできません?」
「無理だよ……」
 エルナは自分の用意した制服が雑巾のごとく汚れているのがよほど気に入らないのか、ユウトの体を叩いて泥を落とし始めた。
「いいこと? 一流の剣士というのは自身の身だしなみも一流でなくてはならないのですわ。私の用意した服が雑巾のようになっているのは筆舌に尽くしがたいほど悔しいですが、あなたは一流の剣士の弟子として認められているのですから心は常に一流でいてほしいものですわ」
 そういって泥を払い終えたエルナはユウトの顔と近いことを気に止める様子もない。宝石のようなブルーの瞳がブロンドの前髪の奥から揺らめいていた。ユウトは気恥ずかしくなってそっと横目に流す。
「もう行きますわ。せいぜい愛想を尽かされないよう頑張りなさい」
 ユウトは2人に会ってなんだか心が軽くなった気分だった。何故かはわからないが、友達が出来たような気がしたのだ。それがユウトには無性に嬉しかった。

 水を汲み終えてユウトは息も切れ切れに今度こそ泣き面で戻ってくると小屋の前は壮絶な嵐が吹き荒れていた。
「はっ」
 張り詰めた糸が目の前にあるような緊張感と共にその糸の正体が剣捌きだと知る。
 鳴り響く鉄と鉄の打ち付け合う音はユウトを否応なしに不安にさせた。
「やあっ」
 レミルとエルナが二人がかりでシャラを責めるが、シャラはたった一本の剣でその全てを躱していた。レミルとエルナは相当な数を打ち込んでいるのにそれを最低限の動きだけで躱すシャラは余裕さえ感じられる。
「はぁはぁ……」
「ユウトが帰ってきたから終わりだ。お前たちもユウトと同じ、水汲みをしてこい」
「はい!」「わかりました」
 とぼとぼと二人は桶を片手にユウトとすれ違う。
「もう少しの時間があれば掠ったかもしれないのに……」
「私の到着を待たずして始めたあなたは愚か者ですわ。あれで体力が――」
 何やら言い合いながらその姿は消えていった。ユウトはシャラに水を汲んできたことを伝えるとシャラは荷台の中から一本の剣を取りだした。
「刃のついていないブロンズソードだ。お前の剣だぞ」
「シャラ姉さん、僕はまだ剣を握りたいとは思っていないよ」
 ふむとシャラは一言唸ると自らの剣を引き抜いて流麗に構え始めた。
「無理にとは言わない。そうだな、私の剣を見ていろ。今はそれだけでいい」
 シャラの剣技の動きは一言で言ってしまえば舞だった。ユウトは剣なんて痛いだけだったし、好きで握っていたわけでもない。しかし、シャラの剣舞は剣への愛を感じられるほどに厳かで美しかった。ユウトの剣に対する考えが一瞬で変わりつつあった。
「シャラ様! 汲んで参りましたっ!」
「しっ、シャラ様は剣舞を舞ってられるわ」
 剣先が一枚の木の葉のように舞う。それは水が流れるように自然で淀みがない。
 見るものを惹きつける剣舞は半刻ほども続いた。その場にいた誰もがその剣舞を止めようとはしない。
 終わったと感じたのはシャラが動きを止めて剣を鞘に収めきったところだった。
「素晴らしい剣舞でした、シャラ様」
 ユウトは終わったことに気が付かなかった。脳裏でシャラの剣舞がまだ続いているような気がする。
「お前たちは今の剣舞を見て何を感じた?」
「はい、流れる山水と四季を織りなす自然の摂理のようなものを感じました」
「剣の頂点にのみ許された強さの象徴でしょうか」
 シャラは振り返りユウトにも尋ねた。
「僕?」
「そうだ、お前は何を感じた?」
 ユウトはシャラの剣舞を思い出した。それは哀しいほどにユウトには一つだけを訴えていた。
「剣は傷つけるために使わないという意志を感じた」
 シャラは真摯な面持ちで頷いた。
「感じ方は人それぞれだ。剣舞は何も語らない、しかしこの剣舞というのはかつて危機に瀕した一国が敵国の王に見せた無言の進言でもある。力、技、そして心。全てが統括されて剣舞が完成する。場合によっては剣舞でその者の強さがわかってしまうくらいにな」
 シャラが剣を優しく取り持つとレミルとエルナはがっかりしたように肩を落とした。
「お前たちはもう少し剣から身を引いて自分の内面を見つめたほうがいい」
 苦笑混じりに言うシャラに抗議の声が飛ぶ。ユウトはそんな三人が家族のようにすら映る。一人だけ仲間はずれになったような気分だった。
「さあ、食事にしよう。腹一杯は食べられないが、そこをカバーするお前たちの女子力も見てやろう」
 レミルとエルナは張り切っていたものの、ほとんどが野菜を煮込んだり焼いたりするだけの簡単なものだった。簡易テーブルをなるべく平らなところに置くとそれっぽく見える。
 不格好な椅子が並べられて四人の食事は始まった。
「そういえば、この場所はシャラ様の別荘か何かですか?」
「ああ、正確には私の師匠アレスト・ロジャーと共に建てた家……というより小屋だな」
「そうなんですか! じゃあ、シャラ様もここで剣術を?」
「そうだ。あの人は無骨な人だったからこういうところを好んでな。細かい椅子やらテーブルは私が作らされた」
「え、じゃあ今私たちが座っているのも?」
「そうだ、ほとんど失敗だがな。その度に木を切り倒していたら怒られたよ。森がなくなるってな」
 小さな花が咲く会話もユウトにはどこか遠くに感じられた。
「でも、ユルトが弟っていう話は……」
「こいつはな、もともとは私の弟じゃないんだ。隣国で人間を召喚したメイジがいるっていう話を聞きつけて見にいった。驚いたよ、アロの生まれ変わりみたいにそっくりなんだ」
「いくら嘘でもそれはちょっと信じられない話ですわ。第一レミルが最初に私に説明したのは……」
「あっちが嘘。私も頭がこんがらがってきた。私がついた嘘が本当に近かったってことなんだもん」
「そういえば、レミルはともかくエルナはどうしてこいつを知ったんだ?」
 ユウトは食事を終わらせて席を立った。小屋の裏に回り込んで息をつく。昼下がりで森の中には心地良い風が流れている。訓練所よりはマシだと思うユウトに楽しく会話して食事をしていた家族のことが脳裏を過ぎる。
「お父さん……お母さん……」
 召喚されてしばらくの間は泣きはらしていたユウトはもう泣かないと決めたはずだった。しかし、唐突にその哀しみが襲ってきても抗えなかった。あんな温かな食事をした後ではユウトの心はもろかった。
「こんな剣で僕が強くなったらどうなるっていうんだ」
 ブロンズソードは思いの外少し重い。試しに振ってみるとぶんと勢いのある音がした。
 アリスというあの少女を見返す? アリスを脅して元の世界に帰る方法を聞き出す?
 どれも違う気がした。アリスはユウトを役に立たないと言った。その上でそのままにしている。つまり、アリスはもうユウトを帰すことができないのだ。そのつもりもない。
 本当に強くして自分のために化け物と戦わせるつもりかもしれなかった。
 ユウトはままならない気持ちを剣に込めて思い切り投げ飛ばした。
 剣は放物線を描いて何処かへ消えていく。これでいい、シャラがこのことに気が付いたらユウトは一人どこかに行こうと決めた。

       

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