Neetel Inside 文芸新都
表紙

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四、シーナ。

 その日は寂しい夜を過ごしたユウトだった。朝になって人の気配が外に現れたので表へ出るとそこには見知った影がある。
「ようやくお目覚め? 1人であのオークを見つけたことにするなんて許せませんわ。ここで成敗して差し上げます」
 エルナは剣に手を掛けてユウトに近づいた。慌ててユウトは身を屈める。
 そうしているとにこやかに笑ってエルナはユウトの頭を撫でた。
「冗談ですわよ、ほんとうに」
 エルナの後ろからシャラが歩いてくるとエルナたちに声を荒げる。
「道を覚えていないと言ったな、どっちでもいいまず道を思い出せ」
「……しかし、私の記憶ですと彼の後ろを歩いていたのでどうにも曖昧ですの」
 シャラの言葉に頭から手を離したエルナ。ほっとするユウトはもう一つの影にも気が付いた。
「いくら優等生でも方向音痴の優等生なんてね。本当にこいつに道案内させる気?」
 赤毛のレミルは不満そうな目を隠そうともせずユウトに向けている。端正な目元が利かす睨みはユウトを強ばらせた。
「頼むぞユウト」
そこに遅れて甲冑を身に纏った兵士の十数人がけたたましくやってくる。
「彼らは我が国の民兵たちだ。どうにもこの件に国は金を使いたくないらしくてな。有志を募ったら民兵からこれほど集まったというわけだ」
 よく見るとその民兵たちは皆甲冑を着こなしているというよりは、甲冑に着られているといった風で中には明らかに体格との釣り合いが取れていない少女のような人も伺えた。
「見事討伐できれば我らが取り分6。君たちは4だ。国家級の犯罪者を捉えれば報奨金も多い、心して挑もう」
 おうと威勢の良い声が上がる。まだオークたちを見つけても居ないのにとユウトは不安になった。
「いいか、隊列はレミルが一番後ろで前をエルナと私とユウトで進む。戦闘の合図は私が指揮する」
 頷いた兵士の中で1人兜を落とし掛ける者がいた。
「す、すみません……」
「防具はしっかり身につけておけ」
 シャラがその兵士を注意するのと同時にエルナがユウトに呟く。
「危なくなったら私の後ろに隠れておきなさい」
 ユウトは注意された不満げな顔をしている兵士と巨人のオークが対峙する様子を想像して眉をしかめた。勝てるようには思えない。それだけがユウトの不安をいたずらに煽り続けた。
 森は天気の良さとは裏腹に影に潜み、憂鬱な様子を醸し出していた。
「ここを真っ直ぐ行けば昨日の場所です」
 ユウトの声にシャラが先頭へ出る。大きな獣道へ出るとそこには無数の足跡が付いていた。
「なるほど、これは間違いなくオークだ。全員陣形をしっかり組め。これより追跡を開始する。目標に気づかれるまでは音をなるべく立てるな」
 ユウトは一つ気になることがあった。それは敵の数だ。エルナと見た時は一匹しかいなかったが、果たしてそれが正しい数なのか。ユウトは隣を歩くエルナにそれを尋ねた。
「一匹か二匹だとシャラ様はお考えよ、もともとオークを調教するなんて人間には荷が重すぎるのですわ。例えそれ以上だったとしても奇襲を掛ければオークは統率が取れない生き物、散り散りになったところをシャラ様と戦っていれば負けることはないのですわ」
 心配無用という言葉にユウトは少しだけ安心した。
「止まれ」
 シャラの合図が後部のレミルまで伝達される。
「敵の数は……ここからだとよく見えないが、三匹はいる。私とエルナ、レミルの三人に各歩兵四人で付いてグループを組め、一斉にオークを取り囲み瞬殺する」
「了解」
 各々に事前に組まれたグループになる。ユウトはシャラの後ろだった。
「私の後ろで隠れていることにはならなさそうですわね」
 エルナが苦笑混じりに言葉を発したとき、一本の風を切る音が静寂に響き渡った。
「なんだと! 偵察かッ」
「わぁぁああ」
 一息遅れての悲痛の叫び。兵士の甲冑をもろともしない石矢はざっくりとその頭を肉へ埋め込んで肩に突き立っていた。巨人のオークが放ったものに違いないと判断すると同時にシャラは散開を告げる。ユウトはすかさずシャラの後ろを追うが、負傷した兵士の方を振り返ると一人残っていた。
「何してるんだ、早く!」
 ユウトは遅れていた小柄な兵士を引っ張って走る。シャラに遅れてしまい、もはや陣形などない。次の瞬間には矢が何本も背中で甲高く鳴った。そこには逃げ遅れた先ほどの兵士がいる。
「いや、もう帰りたい……」
 脱げ落ちた兜の下にはユウトとあまり年の変わらない女の子の顔があった。黒い瞳に紫がかった髪は少年のように短く切り揃っている。その表情はどこか全てを諦め切ったものでユウトは走ることを一瞬ためらいそうにさえなる。
「――――ッ」
 どこからか怒声が鳴り響いた。恐らくはシャラが敵の注意を集めるために攻撃を仕掛けたのだろうと思うユウトだったが、こうも散り散りになっては各個撃破される道しか想像できなかった。
「来た道を逃げるんだ、僕はやらなきゃいけないことがある」
 女の子は首を振った。ユウトが歩くと後ろを着いてくるつもりのようだった。
ユウトはその女の子がエルナやレミルのようにある程度はできると信じて構わずシャラたちを探しに歩く。恐らくシャラは引き返さないという確信がユウトにはあった。その確信が悪い考えを呼ぶ。相手は巨人、もっと沢山の戦力でなければ太刀打ちできない。弓がオークの放ったものだとすればそのオークの数は矢の数だけ存在することになり途方もなくなる。シャラに引き返す説得をしなければならないとユウトは心に決めて走り始めた。
「あれ……」
 シャラたちの気配を追っていたのにいつの間にかユウトは開けた村落のような場所へ出て来てしまう。明らかにサイズ違いの丸太の組された小屋々々は彼らのアジトに違いなかった。
「引き返さないと……」
 ユウトがそう言って後ろを振り返ると少女は指を差してその光景を食い入っていた。
「なんだ……」
 そこには石の台座の前に並ぶ人々の姿があった。オークは台座の前で巨大な斧を構えている。
「やめて……」
 少女がそう言うまでそこで何が起きているかユウトには理解できなかった。
 重く鈍い骨と瑞々しい肉を断つ音が辺りに響いたかと思うと人間の首と胴が切り離されていた。
 その頭は大きな鍋のようなところに入れられ、首を失った胴はそのままオークが細切れに解体し貪り始めた。
「いっ――」
 ユウトは顔面が蒼白になった少女の口元を抑えて茂みに入る。ユウト自身もショックだったが、頭は冷静に何が起きているのかを考えていた。
 何故ならあの人間たちは奴隷でオークたちにとっては取引の材料のはずだったからだ。
「シャラ姉さん……」
 もしかすると前提が間違っているのではないかとユウトは思う。あの人間たちは実際は奴隷ではなくてただの捕虜だとすると、ユウトたちの襲撃は彼らの命を脅かす行為ではないのか。彼らは何故処刑され喰われているのか。
『――ッ』
 少女の目が見開かれた。自ら口を押さえて嘔吐いている。
「何故殺すんだ……」
 出て行っても殺されるだけだと分かるだけにユウトは苦虫を噛みつぶした思いだった。シャラはオークが調教されていて人間たちは奴隷になっていると言った。
 奴隷ならば殺す理由は金にならないからとしか考えられない。しかし、彼らは拘束されているしオークの言いなりとなって処刑され続けている。
 捕虜というのなら一人目が処刑された時点で騒ぎにならないのは不自然すぎないだろうか。考えが堂々巡りとなっている最中、ユウトたちの耳をつんざくような悲鳴があがった。
「姫、ひめぇええッ!」
 その叫んだ女の視線の先に現れたのはオークに連れられたやせ細った少女。着物はぼろぼろに薄汚れているが、そのドレスは生地がとてもよいものだと伺える。
 ユウトはそこで全てに合点がいってしまった。昔見た映画に囚われた姫に忠節を尽くした兵たちは自らの命を対価に敵国へ交渉に行くというシーンを思い出したのだ。
「集落が襲われたんじゃない……どこかの国が襲われたんだ……」
 オークに負けるほどの何があったのかはわからないが、その少女はとても姫と呼べるような体躯ではなく、げっそりとやせ細った体は生きているのが不思議に映るほどで髪さえまともに生えていないように見えた。
「ひ、姫を放せ」
 細い叫びを上げながら男は台座に組み敷かれて首を撥ねられる。まだ幼いユウトにはとても直視できないものだったが、細った姫と呼ばれた少女はその光景をただじっと色のない瞳で見つめていた。
「や、やめろ! 姫にこんなものを見せるな。俺たちが何をしたというんだ!」
 痩せた男がオークに顎を砕かれて声も発せなくなった後、首を撥ねられる。オークは低い声を上げながら列をなす男と女たちに声を放った。
「ギュウエン、ギデル」
「俺たちは呼んでいない! 本当だ、俺たちはなにも――」
 抵抗を示した男は鎖に繋がれたまま斧で両断された。肩から股下まで割けた男の鮮血がオークの体に飛び散る。そうしてその体をそのまま巨大な手で掴み鶏肉でも食べるかのごとく頬張りはじめる。
「ふふっ、ふふふ」
 姫と呼ばれた少女だけがその様子をあどけない子供のように笑って見ていた。
「私たちが来たから、オークがみんなを殺し始めているの?」
 後ろで嘔吐いていた少女は険しい表情でユウトの前に出て行く。ユウトはそれを目で追うもすぐに後ろに続いた。
「だめだ、戻ろう! シャラ姉さんたちを待てば、すぐに……!」
「ダメ、私たちのせいであの人たちが死ぬことになったら救ったことにならない」
「救う? 僕たちだけであんな怪物の数を相手に戦えるわけないだろ! 戻るんだ」
「いいよ、君は戻って。私は行くから」
 少女は走り始める。ユウトは制止の言葉を投げかけるもまるで意味はなかった。
 ユウトは腰の剣を抜くほかない。いつか投げ捨てたブロンズソードはあの時よりずっと重い。樹海を背に村落の中へと歩み出したユウトに決意は微塵もなかった。
「オグ、アレドビギガ!」
 すぐにオークたちに気づかれた二人はよってきた一匹のオークを相手にすぐに苦戦する。
 体格が三倍近くも違う相手にはガードも攻撃もまるで通用しないようだった。
 その場だけにまるで暴風が吹き荒れているような攻撃が襲い来る。ユウトたちの体ほどある大きさの鉄棒が冗談のような速度で振るわれるのだ。
「早く逃げよう! こんなの、ぜったい死ぬ!」
 オークもそれはわかっているのか、この一匹以外に襲ってくる気配はない。完全に舐められていた。それはユウトたちにとって屈辱ではあるが幸運でもあった。
「ぜったい戦う! あの人たちを助ければ、私だってみんなに認めて貰えるから」
「死んだら、意味ないよ!」
 暴風が一度吹き荒れる度にユウトたちは何歩も後ろへ後退しなくてはならず、近づくどころか遠ざかっていく。
「いみ? 意味ならあるよ! あの人たちが死ぬのを少しでも遅らせることが出来れば、意味はあるの!」
 シャラたちをただ待つのではなく、戦って時間を稼いで待つ。そう考えれば少女はただ闇雲に命を投げ出しているわけではなかった。
「わかった、シャラ姉さんたちが来るまで戦おう。きっとすぐに駆けつけてくれるはずだ」
 ユウトはそう叫んでいた。本当は今頃撤退を始めているかもしれない。けれど、少女を見捨てていくことも勝つ気で戦うことも選べなかったユウトはただ一つ時間を稼ぐという行為を選択した。女の子が戦うと言っているのにユウトはそれを見捨てられるほど非情にはなれなかった。
「ぐっ……」
 巨人の鉄塊が振られるごとに歯を食いしばる。もともと世界の違いからその素質を異なるものとするユウトはその実力を開花し始めていた。命の瀬戸際で戦うユウトは驚くような身のこなしを急激に体得していく。そんな若干の拮抗状態が仲間のオークたちの目に留まった。
「オグ、アメアラデ……」
 少女の方はユウトの腕が上がっていくのを間近に感じるほど負担はほどんどなくなってきていた。しかし、そんな少女の目にオークが杖を構える姿が映る。
 それに気が付いたとき少女はユウトを突き飛ばす。それから遅れてユウトは磁石を全身に纏って対極の磁力に突っ込んだかのように吹き飛んだ。
 位置が災いした少女は何もない方へ、ユウトは茂みの方へと吹き飛んでいく。
 何が起こったのかわからないまま、全身から骨が消えたように力が抜けていき二人は意識を失う。

「………………」
 悲痛な叫び声も叫声に似た胴間声もユウトは意識の表層で捉えることが適わなかった。
 どれくらいの時間意識を失っていたのか、ユウトは唐突に肺の空気を炎に変えたような痛みが意識に走り、咳き込みながらその目に景色を取り戻す。
 必死に目蓋を開けると瞳に飛び込んで来た姿はやせ細った少女のものだった。月明かりに照らされた骨の形がわかる白い体躯。彼女は何かの魔法を行使していたようで、手からうっすらと光が点っている。それが自分を助ける力なのだと思い、ユウトは少女に口を開いた。
「あ、りがと…う…」
 やっとの思いで告げるユウトだったが、少女の焦点はユウトを捉えていなかった。そのまま後ろ手に倒れる少女はもはや屍と思われるほどに命を感じさせない。
「……だいじょ、うぶ?」
 眼窩が窪み、唇は乾ききって棒きれのような体躯。かろうじて生きているこの少女はどうやってオークたちの拘束を逃れたのかは定かではない。ユウトが戦っていた時間よりは日がとうに沈み、村落のほうからは何かが焼け焦げる悪臭が立ち籠めていた。
 意識のない少女を背中に背負い、恐る恐るその臭いのするほうへ近づいて行くと火は中央のほうで燃えていた。
「――シャラ姉さん?」
 忘れることのない大きな剣を片手に佇む姿は炎の光に揺られてかき消えそうにさえ見える。天に昇る火の根元には何故か人のかたちをして燃えているものがあった。
「……私が愚かだった」
 震えた声はユウトの耳朶を通り過ぎていった。「私はお前を連れ出すべきではなかった」「これからは使い魔として生きていけ」「私以外は誰も生きていない」。
 断片的に言葉がユウトに認識される。ユウトはシャラの言葉が信じられなかった。さらにユウトを狼狽させる赤い塊が甲冑に包まれている。
 自分を家族に思えと言ってくれた言葉を信じていたユウトはシャラの言葉が受け入れられなかった。そして、この結末もユウトは受け入れられそうにもない。
「みんな死んだ。私はこれから国の罪に問われる。お前もただでは済まなくなるだろう……だからその前に」
 シャラは異臭の立ちこめる炎を背にゆらゆらとこちらへ歩み寄ってきた。
「泣いているの?」
「私を恨めユウト。私が全て独断で行った任務にこれだけの犠牲、おそらくはお前に罪が着せられる。そうなれば、お前は殺されてしまう」
 ユウトがその顔を見たとき、シャラの姿はユウトの背中にあった。出来事は一瞬。わけもわからずユウトは首筋に深い一撃を受け、その場に伏せる。ユウトの耳朶に触れる燃えさかるその音は幾人もの死した者達が燃え続ける魂の叫びだった。

       

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