Neetel Inside 文芸新都
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五、希望

 ユウトが目覚めた時に見た天井、それはあのシャラの山小屋でも学舎でもなく、かつての訓練所でもなかった。
 石壁の部屋、わずかに日の入り込む空間。冷たい壁に囲まれた薄暗いいところにユウトは寝ていた。
 ただ一つ感じる清涼感は森の川辺に似た涼しげな匂い。
「?」
 水色の髪がうっすらと頭に生えている少年のような子はユウトを見てにこりと笑う。
 細い手脚に見覚えがあったユウトは必死に記憶を探った。
「あの時の」
 その時ユウトを襲ったのは頭に響く激痛だった。何か大事なことを思い出そうとすると酷く頭痛がする。ユウトはその少年のような子が姫と呼ばれた少女であることを思い出すだけで精一杯だった。
「――っ」
 動けるのが不思議なほど痩せた体で少女は部屋を出て行く。しばらくして戻ってくると全身をマントに包んだ怪しげな老人がユウトを見下ろした。
「ふむ、水の巫女が回復を早めたようだ。何か覚えていることはあるかね」
「…………思い出せない」
「君だけが頼りだったのだが、まあ良い。この小娘があればぐに快復に近づくだろう」

 それから幾日か経つとユウトは立って動き回れるほどに快復した。逆に少女は日に日にやつれてしまった。少女の献身的な介護がユウトを救ったが同時に少女は起き上がれなくなる。
 そうなってから数日たったある日、ユウトがベッドから起き上がると老人は入り口で不思議な声を発した。
「傷は治癒したようじゃな。ならば、これを握ってみなさい」
 老人が部屋に持って来たのは一本の剣。ユウトはそれを手に重さはあまり感じないと思いながら一振りする。
「良いか、君にはこれからあらゆる訓練を課す。生き地獄だ、見事耐え抜いてゲフォンの予言を体現する使い魔となれ」
「それはなに?」
ユウトが言葉を発したのはその理解不能な言葉ではなく、後ろ手に引かれた荷台だった。
「君を介護して死にかけた小娘だよ。今日からお主の手駒とでも思えば良い。君が死ねば、この娘も死ぬし、君が戦って勝たねば食事すら与えられぬ存在になってしまったのだ」
 ユウトが感じたのは戦慄だった。老人は遊びや酔狂で言っているのではないとすぐに理解できたからだ。その荷台に寝ている少女は自力で起き上がれないのだろう。瞳は乾きはてて瘧に魘されるように身を抱いていた。
 それはユウトが目覚めてからは一切食事を取っていないことを意味しているに違いなかった。
「目つきが変わったか? 残酷だろう。君を献身的に世話していたのはこの小娘だが、これは何も無償で君を世話していたわけではない。君を世話することで食事を得ていたのだ」
 だから今度は君の番だと老人はゆっくりと言った。
「ここから出せ」
「良いのか? ここは森の中に位置する要塞のような場所だ。お前の実力では到底勝てない魔物も多くいるし、その小娘は私が飼っている魔物の餌として置いていってもらうことになるぞ?」
 戦いを選択するのなら後ろの通路を行けと老人は部屋から去っていく。
 荷台に寝た少女は動かない。肩を揺すってみても全く反応がない。死んでいるのかと思えば心臓は動いていた。わずかに強く、まだ生き得る心を持つように。
「こんなことになるなんて……」
 思い出せるのは訓練所というところに送り込まれて、誰かと共にそこを抜け出したところまでだった。ユウトはその誰かを思い出そうとすると酷く哀しい気持ちになるのだった。
「…………」
 荷台に眠る少女を見る。荒く細い息づかいは剣で解決できるものではなさそうだった。
剣を片手に、ユウトは後ろの通路を進み始めるほかはない。
『ワアァァァ……』
 暗い通路から出た途端、目を細めるほどの光の中に歓声が沸き起こる。何事かとユウトはあたりを伺うと円のかたちをした塀に囲まれた上に人の影が無数に見えた。
「なんだ……」
 ユウトの悪い想像はそのまま現実となっていく。目の前に現れたもう一つの影は異形の魔物。砂の足場から照り返す灼熱はユウトの戦意を削いでいく。
「ワッ、ギュワッ」
 人の言葉などおおよそ介せそうにない犬のような頭部。ユウトの二倍はある胴体は熊のように巨大で体毛に覆われており、足は鶏のように鋭い爪がついていた。
「はぁ……はぁ……」
 訓練所での恐怖が蘇る。出遭ったその瞬間から命を握られているという錯覚。
 檻を介さない魔獣との対峙はいつでも水面化での命のやりとりが拮抗する。巨獣がユウトを見つけるのは時間の問題だった。
「……グググ」
 敵はユウトを獲物だと認識したようだった。しかし、ユウトの構える剣はあまりに弱小で頼りない。その状況を客席の人間たちは歓声をもって歓迎する。
「ふざけるな……僕はエサじゃない」
 剣を強く握るが、銀色の鉄は何も言わない。むしろ、冷ややかな感触を返すだけだった。
その時、前にいた獣が砂を蹴った。ユウトの頭を一呑みにできそうな口を開いて襲い来る。
「っ――」
 ユウトは完全に腰が引けてしまい、ただ剣を前に構えていると敵は頭の平を使ってユウトを吹き飛ばした。砂煙を上げてユウトが落下するとまたも客席から歓喜の声が上がる。
「くそ……」
 一息に殺されないのはユウトが剣をまだ握っているからだった。それが切れるものだと認識している獣は賢さがあるようにユウトは思った。
ユウトは図らずも敵に警戒されていたのだ。
 敵の二撃目の構えにユウトは呼応するように剣を構える。自分が死ぬ姿をイメージすると何もかも楽になるのと同時にまだ名前も何も知らない少女の死ぬ姿も見えた。脳裏に少女の笑顔が一瞬過ぎさり、それと重なる誰かの笑顔、打ち合う自分。
 そのときの自分は確かに少しだけ強かったような気がした。
「…………」
 意識を集中していくと大気が歪むようにユウトは感じられる。勝たねば死ぬという未来。そこに意識を集め、目の前の巨獣が走り出した瞬間にユウトも砂を蹴る。
 刹那、巨獣は全てを理解した。捕食から闘争に変化した気配を察知することにおいて、野生の本能がそれを告げる。刹那にユウトは限界まで引き延ばされた体感時間に身を委ねて巨獣の筋肉の動きと視線、その全てから相手の動きを読み自身の行動を選択する。
 二つの牙が交差する刹那は誰も予想の付かない音が生まれた。巨獣にはほんの一瞬、ユウトが加速したように映った。ユウトは巨獣がほんの一瞬止まったように見えていた。
 その二つが意味するところは歓声の静まりから伺える。
「はぁっはぁっ――」
 ユウトは勝利の余韻に浸る間もなく片膝を付く。腹の脇からの大量の出血はユウトの肉体が受けた獣の一撃。そして巨獣はその胸に剣を突き立てられたままゆらりとこちらへ向かってきていた。
「………はっ、はっ」
 呼吸すら難しいユウトに獣は流血しながらも近づいてくる。
 食われるとユウトが思った刹那。巨獣の瞳には闘争の色がなかった。
「グウ」
 何をされるのかわからないままユウトは意識を失った。

 その後、老人の話によるとユウトの腹は致命傷とも言うべき攻撃を受けており、本来ならば生きてはいられなかったと話した。ユウトが意識を失い床に伏せっていると寝たきりだったはずの少女が稀に起きあがってユウトの世話をするらしく、老人はそのおかげでユウトが助かったのは奇跡だと言った。
 そうしてユウトは辛い訓練と少女を助ける日々が始まった。シーナの存在は過酷なユウトの日常においてこの世界に来てからの唯一初めての安らぎになる。少女は次第によく喋るようになり、お互いに助け合っていた二人は打ち解けていった。
「今日は指を怪我したの?」
「ああ、でも大丈夫。すぐに治るよ」
「早く治るようにおまじないしてあげる」
 少女は自分をシーナだと思い出す以外に記憶を取り戻すことはなかった。月日が経つごとにシーナの髪は少しずつ伸びて少女らしくなる。逆にユウトはシーナに身だしなみを注意されることもあった。そうして一年が過ぎようとした頃、その話は唐突に訪れる。

 ある日、黒服の老人は公文書をユウトに見せた。そこには「魔鉱山へ神の証明を試みる者を募る」と書いてあるという。報奨金は北の大国が出すというもので、その金額は参加するだけで300ゴールド。目的の聖剣の情報を手に入れた者については1000万ゴールドを支払うと確約が押してあった。
「聖剣?」
 ユウトはその響きについてよく知っていた。よくゲームで使われる伝説とか秘伝とか言われるものだ。
「聖剣というと、魔剣(マジックブレード)よりもさらに能力が高い剣ですか?」
 シーナは勉強に励んでいたのでユウトの当てつけの知識よりは確かだった。
「そうだ、かのラジエル国はこの剣を自分たちの物にしようと躍起になっているらしい。古の神族が錬成したと噂されているが、北の大国以外はその正体を正確には掴めていないようだ」
「これに行けっていうなら僕はイヤだよ」
 ユウトはこの手の内容に不安を感じて嫌だった。最後にやりかけだったゲームは伝説とか秘宝という内容に飛びつけば必ず試練が待つのが常識だった。どうしてもその不安がユウトには拭えない。
「出るだけで300ゴールドだ」
「…………」
「今回は戦わなくていい、参加して300ゴールドだけ手に入れて帰ってこい。最近はコロシアムも敵の数が減ったから丁度資金が足りない」
「行きたくない」
 ユウトは剣を引き抜いて拒否してみるが勝てないことはわかっていた。ユウトは自分が強くなると同時に相手の強さもだいたい分かるようになってきている。その本能がこの人間には逆らうなというが、ユウトもみすみす怪しい話に頷くことはしたくなかった。
「お前を鍛えてやったのは私だというのに、簡単に剣を向けるな。シーナ、君はどう思う?」
「ユウトが嫌なら行かなくていいと思う……」
「ほう、ならば君はまた飢えることになってしまうぞ」
 シーナは唇を震わせて明らかに怯えた。シーナは記憶はないとはいっても自分が飢え死に仕掛けていたことは覚えている。ユウトはそんな風に他人を操ろうとしている老人よりもシーナの方が気に掛かった。
「大丈夫だよ、僕がちゃんと戦えばお金は入るから」
「それが入らないのだ。私は言ったはずだぞ最近は戦う敵が少ないと。お前の実力ではもうコロシアムの中ではオッズが成立しなくなってきている」
「そんな……じゃあどうすれば……」
 まだ幼いユウトには勝つことがここでの生きることに等しい。老人は巧みにユウトを誘導していった。
「参加すればいい、私は参加するだけでいいと言ったのだ。危険などない、今のお前の強さなら大抵の敵からは逃げられる。もちろん行くのなら武器も防具もきちんと整えてやる、とびきり上等なやつだ。まさにオークに金棒だ」
 最後の一言は明らかにシーナを怯えさせた。ユウトの背中にしがみつくようにして震え始めるとユウトはもうこれ以上老人と話すことができなかった。
「明日の明朝、ここに馬車を呼ぶ。ゆっくり体を休めておきなさい」
 捉え所のない老人はそのまま部屋を出て行った。
「……ユウトは行かなくてもいいと思う」
 静かに呟くように言ったシーナの言葉にユウトは微笑を向ける。
「大丈夫、すぐ帰ってくるよ」
 ユウトは左手でシーナの肩を触ると、その手にルーンが見えた。何度も見てきたそのルーンが今は恨めしい。魔法使いがいれば心強いとユウトは思わずにいられなかった。
 その夜、二人は同じ布団の中でこれから始まる生死の賭けを前に震えて朝を迎える。
 老人の話は常に自分たちの命を左右することを知っていたからだった。一度は慣れたはずの死への恐怖もそれはユウトが強くなったということで薄れたに過ぎない。強大な見えない敵を前にしては想像は悪くなる一方で、ユウトの恐怖はそのままシーナの恐怖であった――。

       

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