Neetel Inside 文芸新都
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(八)、前進

「……俺は死ぬのか?」
 ユウトのそばで不意に声が上がった。ユウトは焚き火の横で負傷者たちの警護にあたっている途中だった。昨日とは違い、雲に覆われた天は黒一色。その下でユウトにだけ聞こえる声で呟かれた一言はまさに男の絶望と思えた。
「なあ、俺はもう助からないのかよ」
 男の脚はただ折れているだけだった。普通に栄養を取っていればいずれは治る。
 しかし、ここから無事に帰ることができるかどうかは全く別の問題だった。
 そうではなくても負傷者は生存者より多く、もしこれらを全員助けるというなら全員がこの任務を諦めることになる。だからこそ、健全な者はいち早くこの集団を離れて消えていったのだとユウトは思い至った。
「死ぬことはないよ、そんな骨折なら僕もしょっちゅうしたんだ」
「そうか……安心したぜ」
 ユウトを子供と思ってか、単に本心から安堵してか男は低く笑ってそれきり眠ったようだった。
「ユウト、そろそろ交代して差し上げます。あなたは私たちより年下なんだから早く寝なさいな」
 エルナが近づいてきたことに気が付いたのはユウトが目を懲らした時だった。
「凄く暗いね、火元から離れたところは何にも見えない」
「ふふ、それは単に夜目が利いていないからですわ」
 ユウトは腰の剣をエルナに渡した。エルナは武器を持っていなかったからだ。
「…………」
 受け取らないエルナにユウトは剣を腰に戻した。エルナの表情はどこか思い詰めていてそれがユウトには何なのかわからなかった。
「エルナ、どうしたのさ。武器はいらない?」
「……いえ、そういうわけではありません」
 エルナの顔色は闇の中でも土色に見える。どこか悪いのかと聞くと首を振るのでユウトは心配しながらも固い地面の上に布を敷いただけの寝床に横たわった。
「そこで寝るつもりですの?」
「別にいいでしょ、何かあったら一緒に戦えるし」
「一緒に……まあ、構いませんわ、とにかくよく眠ることです」
 ユウトはそこで前からの疑問を投げかけたくなった。寝る前に少し、この思い詰めた空気から逃げ出したかったユウトのほんの些細な問いかけのつもりだった。
「ね、エルナはどうしてそんな風に喋るの?」
 火の光にゆらゆらと照らされるエルナの顔が少し赤く染まったように見えた。ユウトはエルナの唇が曲がって行くのを見て少し後悔する。
「私だってレミルや他の皆さんと同じ口調で喋ろうとしたこともありましたわ。けれど、ずっと家の格式の中で育ってきましたから……汚い言葉は覚えるなと何度も注意されましたし、ワタクシと言うのも強要されましたわ。それもこれも、剣と人間的な美が我が一族の至高とされていたからですわ」
 エルナは自身に誇りを持って語った。
「お望みならこういう喋り方だって出来るわよ」
 エルナはレミルのように言った。それがおかしくてユウトは笑う。
「似てないよ」
「まあ、生意気な子ね」
 また笑うユウトにエルナもその気持ちを察したように微笑む。ひとしきり笑うとユウトは静かにエルナを見つめていた。
もう寝たらというエルナの優しげな言葉にユウトは素直に目を瞑り眠ることにする。それからユウトは朝まで起きることはなかった。

 その日、ユウトはシーナの夢を見た。シーナが魔法を使ってユウトに自慢しているのだ。
 二人は自由なところにいて、仲の良い友達同士のように話し合う。そのうちにシーナはユウトを叩き始めた。あまりに痛いのではっと飛び上がると、ユウトは目が覚めて薄明るい景色に疑問を感じながら身を起こす。
「ユルト、寝る時間は終わりよ」
 はたと周囲を見回すと動ける者は何かを集めていた。昨日よりも遙かに多い人数の人が周りに居て一安心する。それと同時にレミルに至ってはユウトに目もくれずヴェズットの方へ歩いて行き、何かを話している。
「ユウト君、ちょっといいかい?」
 ヴェズットはレミルとの話を終えるとユウトに話し掛けてきた。その表情は昨日と変わらずで疲れを感じてはいないように見えた。苦虫を噛みつぶしたようにヴェズットは視線を倒れている者達に向ける。
「今朝方他の生存者と集合できたんだ。それでみんなは帰ることを決断した。怪我人を運んで帰るという人たちが大半だ。君も船に呼ばれただけになってしまったし、ここら辺で彼らに同行して帰ったほうがいい」
 ユウトはヴェズットの悩ましげな顔に疑問を抱く。
「もしかして、ヴェズットさんたちはこのまま進む?」
 その声にヴェズットは眼力を強めた。怒られるのかなと思ったユウトだったが、その声は酷く弱々しい。
「そうだ、我々は行かなければならない」
 ユウトと視線を合わせないままにヴェズットは背を向け歩き出したときだった。颯爽と走ってきた男の一人がヴェズットの脚を止める。
「たった今、確認が取れました。北レレヌ陸軍がこちらに向かって進行しています。数はおよそ2万。先日のイノセントドラゴンの影響か魔物の影も少なく、進軍は順調とのことです」
「そうか……ならば進める。こちらには負傷者も数多くいる。報酬目当ての人間とはいえ、見捨てるわけにもいくまい。負傷者千人ほどの帰還準備を整えるよう伝えてくれ」
「はっ」
 男は魔法で俊足にして走り去る。あんな使い方もあるのだとユウトが思ったとき、レミルも似たような魔法を使ったのを思い出した。
「ユウト、あなたは帰るのですか?」
 エルナは昨日は見ていなかった剣を腰に下げていた。それは普通の剣であったが、どこで見つけたのかそこそこ値打ちのしそうな装飾が施されている。
「帰るよ、もともとそのつもりだったんだ」
 エルナは何か強い意志を持った目で頷いた。
「なら私が途中まで同行しましょう。その……ユウトは少し心配なので」
「大丈夫だよ、ほとんどの人たちは帰るんでしょ?」
 エルナは聞こえていないという風にそのままどこかへ行ってしまう。ユウトには何がエルナの機嫌を損ねたのか分からなかった。
「おい、そこの。手が空いてるなら手伝ってくれ」
 それから皆にユウトの働きぶりを買われたおかげでユウトは時間が経つのも忘れて怪我人の荷台などに使う板を集めていた。護衛に徹していたレミルたちが出発するというので、そこでユウトは時間が経っているのを思い出した。
「ユウト、本当に帰るのですか?」
「うん、僕はもともとこの任務に興味はないから」
「そう、でも2万の軍隊で一つの剣を探すんだからすることはきっと何もないわ。私はヴェズットさんと組んでるから余計に暇そう」
 レミルがヴェズットに優しげな視線を向ける。ユウトは少し哀しい気分になったが、レミルが笑って振り返るとそのもやもやとした気持ちはなくなった。
「また会いましょう。同じ剣の道にいれば多分すぐだと思う」
「うん、また会おう」
「今度会ったときはちゃんとした剣士でいてね」
 ヴェズットの元へ早足に歩いて行くレミルの後ろ姿をユウトはぼうと眺めていた。自分にも魔法が使えたらとそんな風に考えてユウトは元の世界に帰りたかった自分を思い出して笑いそうになる。
「ちゃんと仕事してる?」
「え?」
 エルナが唐突にユウトの後ろから声を掛けてきて、ユウトは持っていた板の束を危うく落としそうになった。
「あの子は才能だけじゃなく、運も持ってるから狙うならもっとそばにいないとだめだわね」
「あの子ってレミル?」
「そうよ、それ以外に誰かいて?」
 ユウトは顔がなんとなく熱かった。なぜかはわからないが、ユウトはレミルの直向きな心に打たれていた。それはこの世界に来てからユウトが感じたことのない感情だったし、ユウトには持つことの叶わないほど剣へまっすぐな心の持ち主だと感じていた。
「エルナはもっとレミルのこと嫌ってるかと思ってた」
「あら、どうしてそう思うのかしら」
「だって、いつも喧嘩してたし」
「お互いにないものを持っていれば喧嘩もするでしょう。ですけど……」
 その後、エルナは声を発しなかった。ユウトはそこでふと、レミルとエルナが会ってから喧嘩どころかあまり会話していないことを思い出した。
「なにか嫌な予感がしますわ」
 その言葉にユウトは言い知れない不安を覚える。レミルは自分の目的意外が見えない。それを不安と言い換えるならレミルの目的とエルナの目的はどこまでも違っていた。

       

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