Neetel Inside 文芸新都
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九、異変

「それじゃ、我々も出発しよう」
 船の残骸でつくり出された大きな荷台に20人ほどが乗る。そこにメイジが五、六人がかりでフライを唱えて宙へと浮かせた。
 身を起こせない者は直接一人のメイジが宙へと浮かせて運ぶようになった。
 ユウトとエルナは魔法が使えないので最前線で護衛にあたる。比較的遠距離魔法が得意なメイジは後衛で敵を警戒した。
「しかし、たったあれだけの人数で先に進むとは大した奴らだよ彼らは」
「王国神官クラスに加えて名のあるメイジばかりだったじゃないですか」
「所詮彼らは人の命より名誉が好きな連中だよ」
「名を馳せることがそんなに好きなら最初から飛空船になど乗らないでほしいわ」
 前を歩くユウトたちの耳には怪我をした彼らの陰口が否応無しに聞こえてくる。
「もう少し前を歩きましょうか、ユウト」
「え、どうして?」
「だって、酷い顔をしていますわ。彼らは力に憧れているだけで決して悪気はないはずですもの」
「うん……悪口を言っていることは別にいいんだ……ただ、レミルも名誉のために行ったのかと思って」
「あら、見当違いでした? そうですわ、もし剣を見つけて持ち帰ることができたらレミルは王国一の剣士となるでしょう。それはシャラ様と同位の名誉かそれ以上ですわ」
「シャラ姉さんってそんなに凄いの?」
「ええ、私たち剣士の国では三年に一度国の最高剣客を決める試合があるのです。それに優勝したのがシャラ様ですの。王宮最高剣士としての名誉は王の言葉に対して口を挟むことができるほどの権威を持つので、私たちにとってはまさに王と同じといっても過言ではありませんわね」
 エルナは早足で部隊の前へと出た。隊長の男バインがユウトたちにあまり遠くに行くなと言ったが強く阻止するつもりはないようだった。
「エルナも名を売るために来たって言ってたよね?」
 駆け足で追いついたユウトはエルナの横に並ぶ。金の髪が揺れて綺麗な横顔がふと現れた。
「そうだと思っていました。レミルに会うまでは」
「どういうこと?」
 それを聞くとエルナは黙った。その先の言葉は知らないとでもいうようにただ髪だけが風に揺れて時間を現している。整った輪郭と表情に変化があったのはユウトが他の話題をしようとしたときだった。
「ユウト、恥ずかしい話ですけれど私はあなたを少し気に入っていました。あの日に森であなたが剣を探していたときにふと言った言葉」
 神妙な声色で話し始めるエルナはいつもと違っていた。口調だけではなく何か大切なことを言おうとしているようだった。
「覚えています? 私の剣についてユウトは綺麗だと仰いました。あんな宝石の一つもない剣を綺麗と言える人間は少ないんですのよ」
 お世辞だとしてもそう言えるものではないとエルナは言うが、ユウトは単に造形の美しさを言ったのだと言うとエルナの顔は綻んだ。
「やはり一族の剣を褒められるのは中々に良い気分ですわ。私はあの剣をシャラ様に貸したと言いましたけれど、あれは嘘です。どんな場合でも何があってもそんなことにはなりません。だから不思議なのです、私があの船の上でユウトに会ったとき私は何故か救われた思いがしました。その理由も自分がどうなってしまったのかもわからないのですけれど」
 最後はエルナの声が震えていた。いつも気丈なエルナが自分の肩を抱いて握りしめていた。
「大丈夫だよ、きっと思い出す。本当だよ」
 ユウトは咄嗟に嘘をついた。何故ならこれでシャラがエルナの剣を持っていたことの理由がわかったからだ。何故ユウトの前にエルナが現れたのかはわからなかったが、ユウトはエルナの剣を取り返そうと思った。そうすればきっとエルナは全てを思い出すという確信がユウトに沸いてくる。
「ユウトに励まされるなんて、私も弱くなってしまったのかしら。会ってからまだ数ヶ月しか経っていないというのに……本当に強くなったのね」
「それがお世辞?」
「――そうですわね」
 エルナは他にユウトに言いたいことがあった。しかし、それは決して言わないことにした。エルナはユウトが強くなった理由はきっと他にあると確信する。レミルでも自分でもない何か大切なものをユウトは見つけて強くなった。自分には出来ない方法でユウトは心の拠り所を見つけたのだとそう感じ取ってしまった後には後悔が残った。
薄暗い荒野の中をひたすら東へ向かって歩いていた一行は救援隊と思われる影を発見した。
 先に発見したのはもちろんエルナとユウトの二人だった。ところが、ユウトの向上したはずの体はひしひしと戦慄に震えている。ユウトの眼球に映った影は皆が想像していた助けではなく、明らかに異様なそれだった。
「何かあの人たちおかしくありませんこと?」
「大変だ……」
 数多の軍勢は全てが人ではなかった。正確には人は1人しかいない。見たこともない男。その手には弓のようなものを持っている。その一部が妙な赤い光を放ちながらこちらへ向かってきていた。
「敵だよ、あれ。全部たぶん魔物だ」
「何を言っているのですかユウト。2万の援軍ですわ」
「エルナもさっきはおかしいって言ったじゃないか」
「言いましたわ、それは何となくぼやけて見えるからで――」
 後ろのメイジたちがその影に気づいて声を張り上げた。歓喜に打ち叫ぶ声がエルナの声をかき消してユウトたちは立ち止まったまま追い抜かれていく。
「エルナ、僕にはあれが魔物の軍勢にしか見えないんだよ」
「そんな、あり得ないですわ。何か幻を見ているのではありません?」
「でも本当にそう見えるんだ」
 エルナはユウトの目をじっと見てから踵を返した。
「逃げましょうユウト、それが本当ならこの先は誰1人助かりませんわ。仮にユウトの見間違いだったのならすぐに戻ればいいのですから」
「でも、みんなを置いていくの?」
 その時、徐にエルナは頭を抑えてしゃがみ込んだ。ユウトは心配になって駆け寄るとエルナは目蓋を堅く瞑って呻いている。
「大丈夫……?」
「大丈夫、ちょっと立ちくらみですわ。ユウトに従います、どうにも私は大事なことを思い出しそうになると頭痛が酷くなるようで……」
 皆が援軍に喜び向かって行く中、ユウトたちは走りながら荒野のどの方向へ向かうかを見渡す。前方の大群を考えれば後方に走り続けるしかないが、見渡す限り木の一本とない。隠れて逃げるのはほぼ不可能と思えた。
「――――ッ」
 その判断のすぐ後に地獄の蓋が開いたような叫声が響き渡った。
「幻惑の魔法だ! あいつら全部魔物だぞ!」
 誰かの声に皆が絶望に陥った。助かったと思った後にその圧倒的な恐怖と失意は皆の疲れ切った心を一瞬で手折るだけのものがあった。
「逃げろ! 逃げろお!」
 陣列を乱してしまった一行に軍勢に対する抵抗はまるでない。何重にも地面に飛び散る血飛沫、あっという間に多くのメイジたちが喰われ、引き千切られていった。オークや牙を持つ四足歩行の獣たちは数でメイジを引き離し、孤立させて喰らう惨劇が繰り広げられていった。
「とにかく走ろう」
 ユウトは全速力で元来た道を戻っていく。しかし、エルナはあっという間にユウトと距離が開いてしまい、ユウトはエルナを背負うことになった。
「エルナは速く走る魔法がないの?」
「魔法は使えないですわ。体内マナの出力変換をするレンゲルという秘技が我が国にはあるにはあります……。私は目と腕にはレンゲル出来ますけれど、脚はからきしですの」
 ユウトはそんなマナなどなくともエルナを背負って人間よりは速く走っていた。エルナはそれに驚いて目を丸くする。
「ユウトはレンゲルが可能ですの? ただの人でどうやってこんな力をつけたのです?」
「最初は何もできなかったけど、だんだんと強くなっていったんだ。これだって昨日できるようになったんだよ」
「む、無理ですわ。いくら強くなるとはいっても限度があります。こんな際限なく強くなるなんてことは無理――ユウト、後ろから追って来ていますわ!」
 エルナが気が付くより早くユウトは感じ取っていた。この速さに追いつくような魔物は四足歩行のモンスターだと判断する。いち早く追って来ている一匹に狙いを定めてユウトは無我夢中で土煙を上げながら真後ろを向く。
「グオッ」
 狙い澄ましたかのように砂埃を裂く魔物の牙がユウトに射られた。エルナを担いだままだったユウトはその牙の顎下へ蹴りを放つべく上体を反らせて踵を突き上げる。ユウト自身が驚くほど巧く入った蹴りは針のように鋭く大砲のようにでかい音を立ててその顎と牙を打ち砕いた。
「…………」
 ぱらぱらと頭上に降り注ぐ砂と共に魔物が一緒に落ちてきた。
「ユウト、今のあなたがやったの?」
「そうみたいだ……」
 決して小さくはない四足歩行の魔物。リトルキレラよりは遙かに大きいそれをユウトは蹴りの一撃で倒してしまった。
「早く逃げましょう。走れます?」
「うん」
 その砂煙が幸をなしユウトたちの追っ手はそれ以上なかった。本隊を離れた二人の位置は誰にもわからず、ただ当てもなくユウトは歩いていた。
「そろそろ降ろして頂けます? もう大丈夫ですわ」
 ユウトはそっとエルナを降ろすと辺りの様子を見ることもなく歩き出す。
「ユウト? 泣いてらっしゃるの?」
 エルナから顔を逃がすようにしてユウトは目を擦った。
「僕が逃げなければあいつらを倒せたかもしれないのに、僕に勇気がないから……」
 エルナの青い瞳の端がきりとつり上がった。
「では死んでも良かったの?」
「僕のこの力があれば救えたかもしれないじゃないかっ――」
 ユウトはエルナの平手が自分の頬を打ったことに驚いた。ようやくエルナの顔を見たユウトはその表情に何も言えなくなる。
「あなたが死んでも誰も助かりませんわ。よろしいこと? 戦場で力があるならまずは生き延びることを考えなさい。何があっても、例えどんなことがあろうと死ぬことを顧みずに戦うことはその時点で敗北しか残されていないの!」
エルナは本当にユウトを心配していた。それはユウトにも感じられた。ユウトが謝ろうと口を開こうとしたときエルナがはたと目を見開いた。
「思い出しましたわ……私、シャラ様と会っています」
 その後もエルナは頭を片手で押さえて軽い頭痛を我慢し始める。
「……思い出そうとすると頭に釘を刺されるようですわ」
「無理に思い出そうとしちゃだめだよ……。それよりごめん、もう二度と死んでもなんて考え方はしない」
「……そうですわね、そんなことを考えるときは好きな子を守るときくらいにすることですわ」
 力無く発するエルナは疲労が垣間見えた。一日中歩き続けて、日が沈み始める。未だ辺りは荒野のままで一体自分たちがどこへ向かっているのか、二人には到底わからなかった。
 日も沈み駆けてきた頃エルナが足を止める。
「もう休みましょう。戦える気力も残っていないと魔物に遭遇しただけで終わってしまいそうですわ」
 どうやって休むのかというユウトの言葉にエルナは適当な場所に座れと指示した。
「こうやって背中を預け合って座ったまま眠るのですわ。剣士であれば休息時も気を抜けないことがありますから」
 エルナの背中は冷えていた。焚き火もなく、とうとう辺りは何も見えなくなってしまう。
「せめて月明かりが出ていればよろしいのに……」
 ユウトは暗闇で気配を感じ取る力が研ぎ澄まされていくように感じていた。
 そうして、エルナの体から心臓の音がしないことがわかってしまう。
「ユウト、起きてます?」
 不意にそれから声が上がってユウトはびくりと体を震わせた。
「ふふ、暗闇が怖いんですの? 私はなんだか懐かしい気がしますわ」
 ユウトはエルナに事実を伝えることは躊躇われた。何故だかそれを言ってしまうと全てが終わってしまうような気がする。
「昔の話ですが、暗闇で眠れない夜を過ごすときはどうして人は火を焚き、明かりを求めるのかと幼心に考えを巡らせていました」
「何かわかったの?」
「いいえ、そういうときは決まって蝋燭の火を灯した兄がやってきてくださいました。とても嬉しかったのを覚えていますわ。ただ目の前で蝋燭の火を置いて寝るまでいてくださいました。今思えば、私はきっと怖かったんだと思います。兄や父の強さでさえ敵わない敵が外には沢山いると教えられていましたから」
 それからエルナは急に口を噤んだ。どこからともなく遠くの方から何かの鳴き声がするのにユウトは耳を傾けていた。不意にエルナが立てた靴と砂の擦れ合う音がその意識を元の場に戻す。
「その後、私が剣術試験で合格すると同時に私は一族の分家として剣を授かり家を追い出されましたわ。娘というのは格式ある家には邪魔な存在だったようです、当然私にいたはずの優しい兄もいなくなりました。無用に本家に立ち入ることさえ禁じられた私は1人で名を上げるしか生きていく道はなくなった……」
 レミルに似ているとユウトは思った。それでも親に捨てられるということがどういうことかユウトには想像するだけで恐ろしい話に思える。
「それでこの任務についたの?」
「そうですわ。この任務は私の国の誰もが参加したかったはずです。私たちにとって名誉とは単なる飾りや稼ぎの手段ではなく人として扱われる温もりを得ることにさえ等しいものですから」
「そんなの哀しいよ。戦わないと人として扱われないってことでしょ?」
「哀しい? あの国ではごく当然のことですわよ。誰もが孤独な剣士です、だからこそ個の力が強いのですわ。集団に属しながら他を凌駕する1人の強さ、魔法と並ぶ強さを得ています。いずれ、ユウトにも見せるときがくるでしょうけれど」
 ユウトはそんな国の在り方に疑問を抱いた。強さだけを求めることがエルナの言った生き残る道なのだろうかと考えたからだ。
「ありがとうユウト。少し話したおかげで眠れそうですわ」
 エルナはそう言って静かになった。きっとエルナは今もまだ怖い夜の中にいるのだろうとユウトは思う。けれど、エルナにとって兄はもはや他人に近い存在、エルナはそれを耐えた。強くなったわけじゃなく、怖さを回避した。
 ユウトは何か答えのようなものを見つけた気がした。けれど、それは明確な言葉にならないままユウトは眠りに落ちていく。
 その夜、ユウトは元いた世界で暮らしている夢をみた。しかし、空腹と喉の渇きに目を覚ましてその夢はすぐに終わりを告げた。朝日が山の境界線を照らし始めた時分、エルナはとうに起きていてユウトの後ろで剣を手にしていた。ユウトは背中の寂しさを覚えながらゆっくりと立ち上がる。
「おはようございます、ユウト。その、昨日話したことは忘れてくださいな。はやく帰れるよう頑張りましょう」
 いつになくやる気のエルナにユウトは気圧されたが、ユウトも少し元気が出て行き先を相談した。
「日が昇る方向に秘境の地域があるはずですわ。日を頼りに反対側へ歩いていけばどこかに着くはずです」
「魔物の大群と出遭うことは?」
「もうとっくに私たちを追い抜いているはずですわよ」
 土地勘も地理もないユウトだったので、エルナの話に合わせて2人は歩き始めた。時折視界に入るのは魔物の類だが、彼らはユウトたちが疲れ切る頃合いを見計らって遠くから着けて来ていた。わずかに持ち歩いていた食べ物や飲み水はどんなに節約しても二日と持たない。
「何も悲観することはありませんわ。この領域が神域と呼ばれているのには未開の地というだけではなく、神が住んでいると云われているからですの。こうして生きているということは私たちが神の許しを得たということです。必ず抜けられますわ」
 本当に見渡す限りの荒野のそれをただひたすらに進み続け、2人はとうとう日が暮れるまで進んだのに何も発見できなかった。
 ユウトはその間、エルナといろいろな話をした。お互いの生まれた場所や出会った人たち。ここでの誕生日は300日で祝い、その後80日経つとマキナと呼ばれる本人に宿るマナを祝うのが一般的だという話もした。
「私たちは全てマナによって生かされていますわ。ユウトのいう科学というものも気になりますけれど、私たち人類はマナの力で生活を豊かにしてきましたのよ。それがない世界なんて私には想像できませんわ」
 火を起こすにもマナの力を使い、小さい魔法なら誰でもエレメンタルと呼ばれる鉱石を使えば起こせるという。
 ユウトの話でエルナが一番面白がったのは宇宙に行く話だった。
「この世界では空の星の光に近づこうとする者はおりませんわ。それは昔からの信仰のようなものですが、あの星の光がこの世界にマナを注いでいると伝えられております。ですからあの光一つ一つが神様でそれに近づくという発想はこの世界にはありません」
 エルナの話はユウトを楽しませた。こちらの世界では目に見えない力が当然のように認められていて、それを神の力でもあり、マナの力であると言っている。
 それを扱えない人間はメイジではないが、普通の人間ともならない。ある日突然マナに目覚める者がいて、そういう人間はライジという特別なメイジになるという。
 また、エルナのように体内のマナを肉体の強化に使う人間はフェクというなど、この世界の話にユウトは徐々に心が惹かれていった。そうしてエルナは最後にユウトへ言った。
「でも、ユウトの強さは多分そのどれとも違うものになるんでしょうね。望むだけ強くなれる人間がいるとしたらきっとあなたのような特別な存在なのですわ」
 ユウトは自分が使い魔であるということを言っているのだと思った。ユウトは自分が望んでいるだけ強くなっているとは思っていない。ただ、望むしかなかった場所に放り込まれた。そして、生き抜いただけだった。
 2人は日が沈みきるまでは歩こうと決める。体力の温存を考えていても今日の夜には背後の魔物に襲われる可能性が高かったからだ。それはほとんど目を瞑って戦うようなもので集中力と体力で勝ち目がないことは2人ともわかっていた。例え暗くなったとしても歩き続ける選択をするしかなかった。
 お互いの息づかいは視界が奪われると同時に明瞭となってくる。まず遠くの大地が消えた。そして空が大地が、徐々に電灯を消すようになくなり、2人は完全に闇の中に放り込まれる。
「背中と足元に気をつけて」
 エルナの声の場所は確かにユウトの隣だった。緊張や不安を含んだ声。ユウトは空から星の明かりが漏れないかと見上げたが、そこには厚い雲の層が広がっていた。
 ざらざらと2人分の足音が淡々と流れる闇にもう一つ、音を殺した魔物の気配が忍び寄るのがユウトにはわかる。まだ、魔物はユウトたちが戦えると見てか仕掛けてはこない。
 それはまさに殺意の読み合いだった。敵がゆっくりと距離を詰めてくることにユウトは死の想像をかき立てられていく。それとは打って変わってエルナはただ前だけを見て生き残る想像だけで歩み続けていた。エルナはユウトと違い、音を立てない魔物との正確な距離や殺意を読み取れていない。ただ、一歩でも多く足を踏み出すことがエルナにとっての戦いだった。
 ユウトがすぐ背後に迫った魔物の気配に息を呑んで振り返ったときだった。
「ユウト、明かりが見えませんか?」
 遙か先に点と光るもの。それは間違いなく人のものだった。
「走れ! エルナ!」
 緊張からユウトはそう叫んでいた。同時に魔物の咆哮が轟く。
「「――――」」
 ユウトはその咆哮を冷静に聞いた。その瞬間、音の反射の鈍い場所に魔物がいることがわかる。空間にどれだけの魔物がいるかを瞬時に判断できたのはユウトの研ぎ澄まされた感性と才能といえた。
 砂を踏み込むわずかな音をユウトは逃さなかった。突きだした剣先に手応えが走る。
 びしゃりと土に転がった音は間違いなく、ユウトが斬り伏せた魔物だった。
「ユウト! あなたも早く!」
 エルナは走りながらユウトの後ろ遠くで叫んでいる。ユウトが背を見せれば目標は2人になる。ユウトの脚を持ってしても速さの勝負ではエルナが圧倒的に不利だった。だからユウトはここで魔物を討つと決めた。
 ユウトの必要とする剣術はシャラの見せた剣舞をさらに超える全方位に対して万全のものでなければならなかった。加えて身長が低く、武器が重たいユウトはここでさらに工夫が必要となる。
 魔物はそんなユウトの焦燥を嘲笑うかのように嘯(うそぶ)く。その度に伝わる魔物の位置。ユウトはそれが軽く20になることを識って冷たい汗が流れた。
 すっと2匹目の餓狼が跳び出した。ユウトの腕に一筋の朱が走る。すかさず反転させた身体から縦に一振りしたユウトの剣にまたも手応えが伝わる。
 ユウトは剣を逆手に持ち替えて体の中心に添えた。足は閉じて目を閉じる。余った腕を胸の前へと突き出して静止する。襲ってくる敵の足音に耳を傾けるだけの静態。
 一見愚行に見えるこの態勢がユウトの最善と導き出した姿勢だった。
魔物の気配が同時に動く。ユウトの脹ら脛と前に出された腕を狙って飛び出す。
 刹那、ユウトの剣が反転を繰り返し脚を狙った魔物の喉に食い込む。次いで空を切った牙の持ち主にはユウトの手が触れた。瞬間、その魔物は喉元を掴まれ地面に叩き付けられる勢いで一回転し、そのままユウトの手によって宙へと放り出される。
 この間、足音が再び鳴った。斬り伏せず宙に放り出したのは正確な位置を識るために地面へ音を響かせないためだった。
 4匹目は姿勢の低くなったユウトの脚に顔面を蹴り飛ばされ宙返りする。その衝撃に頸椎を骨折した魔物は死に耐えた。5匹目はユウトの首元を狙って飛びかかっていったが、ユウトの剣に下から串刺されてそのまま6匹目と衝突した。7、8匹目はユウトに怪我を負わせようとでたらめに飛びかかっていったが、ユウトの身がひらりと縦に回り空を切る。そのすれ違い様に剣が二体の胴を引き裂いて地面に下りる頃には内臓を散らして倒れた。
 9匹目から13匹目は仲間の死骸を飛び越えて襲いかかったのでタイミングがバラバラだった。ユウトの脚が軽快にタイミングを踏み、その後に続くように宙で滞空する隙間へ剣が走る。その剣捌きは重さを利用した切断機でそのままの状態で半分ずつになっていくそれはまるでバターでも切るかのようだった。
 14匹目は本気でユウトを殺すべく自身の限界に相当する速度で左右に音を立てながらジグザグに迫った。かくしてその撹乱法は幸をなし、ユウトの顔面に牙を肉迫させた。しかしその瞬間にまるで見えない空気の壁にユウトの身体が押されるかのように遠ざかるのを魔物はただ自分の武器が牙しかないことを呪う。
 ユウトは単純に魔物が飛び出すタイミングで身を仰け反らせて距離を稼いでいたのだった。魔物が重力に従って地面に降り立つと同時に上から降ってきた3匹目と同時に二つになってしまう。
 これがユウトの最初で最後に訪れた最大の隙だった。完全無防備になった背中に15匹目からの3匹が一斉に飛びかかる。ユウトはそれを察知して宙返りするように身をそのまま上空へ投げ出すといよいよ3匹がどのような配列で自分を襲ってくるかがわからなかった。
 何もない空間に死線を探るユウトに対して3匹の魔物はここぞとばかりに狙いを決めていた。ユウトはあえて闇雲に攻撃せず空中で初期の構えに戻ることを選んだ。
 しかし、それは厳密には間違いがあった。剣を持った手を前に出して、ユウト自身の壁としたのだった。3匹より一瞬早く着地したユウトがその状態なので魔物は中心の1匹を残して残りの2匹はユウトの脚の端を狙って飛びかかるしかなかった。
 ところが、魔物が見ていたユウトは一瞬のうちに剣とおなじ幅に重なって見える。
 見せていた体を横にして視覚の錯覚を利用したユウトに魔物は食いつく目標を追うためにユウトへ過剰に踏み込まなければならなかった。工程を一つ増やされたところで2匹は今更引くわけにもいかず、たかが服へ噛みつくために地面を踏み込むがその間が3匹の連携に致命的な隙を生んだ。
 ユウトの正面にそのまま迫っていった牙は剣が正眼に持ち替えられたことで剣先の上を滑るように下りてしまう。そのままユウトの首に迫る頃には半身が切れてしまい、ユウトもその手応えから身を引いていた。踏み込んだ2匹に至ってはユウトが身を躱す際に位置を把握されていたために靴の端を食いちぎっただけとなった。
 戦いは歴然としていた。半数以上を殺された魔物は圧倒的な実力差にもはや戦うことをやめて逃走に切り替えていく。
 やがてユウトの周りに明かりが灯り始めた。
「ユウト、大丈夫ですか? お怪我は?」
 エルナの顔は涙に濡れた後があった。ユウトを置いて逃げることに葛藤があった証である。ユウトは笑顔で大丈夫と告げると男たちから感嘆の声があがった。
「明かりもないのに魔物を殺したのか?」
 よく見ればその一団は武装していて、屈強そうな男たちばかりが連なっていた。
「そうだけど……」
 男たちは口々に驚きや興奮の言葉を口にする。すると、列の中から一際絢爛で派手な男が現れた。身に纏う甲冑が色鮮やかに装飾されているだけではなく、男の表情にはいくつもの死線をくぐり抜けてきたかのような深い彫りがあり、見るものを威圧するような表情でユウトに語りかける。
「我々はレレヌより派遣された任務助力、及び遂行のための援軍だ。君たちを飛空船撃沈における貴重な証人として保護する」
 その後、男の視線はユウトの殺した魔物に向いた。
「隊長、お言葉ですが相手は子供ですよ。私にはそっちの娘のほうがまともな証言を得られると思われます」
「隊長である私に意見する気か? この幼いながらにリゴの錬金術師を思わせるような強さ、これがただの人間の技でないことくらい貴様はわからんのか。我が国にとって利益ある者は極めて丁重に扱う。それが隊長としての私の決定だ」
 エルナは保護されるとは言われていない。ユウトは連れて行かれそうになるところを寸でのところで留まった。
「僕を連れて行くならエルナも一緒だよ」
 ユウトはそう言ったが、そばにいた兵士の1人は兜の下から不思議そうな声を上げた。
「エルナ? あの小娘のことか? なんだお前らその歳で一丁前に色気づいてるのか」
「そうだよ、悪いか!」
 ユウトはこのままではエルナが置いて行かれると思った。出任せに叫んだ言葉は兵士たちに思わぬ波紋を広げた。
「おい、みんな聞いたか?」
「ああ聞いたよ。こんな戦場で惚気を見せられるとはな」
「お前彼女いたよな。彼女相手にここまで叫んだことあったか?」
「いや、ない。こいつは末恐ろしいぞ」
「隊長! さっきの声聞きましたよね? そこの小娘はこいつの連れ添いだそうですよ」
「男に二言はない、伴侶なら丁重に扱ってやれ」
 エルナはいつの間にか縄を掛けられていたが、それが解かれてユウトの横に突き出される。
「丁重に扱ってくださるんではなかったですの?」
「こっちは楽しみが一つなくなったんだ。せいぜいそっちの王子様に良くしてもらえ」
 2人は隊列の後方へと送られて行くと、そこにはマントで身を包んだメイジが多くいた。
「この子たちは?」
「先のところで保護した。メイガン少佐の言伝だ、飛空船から生還したと思われるが詳しいことは聞いていないため今後の重要証言者として丁重に扱え」
 男が去っていくと、メイジの1人がエルナとユウトを交互に見た。
「治療が必要な状態ではないようね」
 木の棒にくべられた明かりが再び一列に並び列を成す。その列はいくつか横にあったが、数が多すぎて判断がつかない。2人がわずかな水を分けられてそれを飲み干している間も隊列は進行を止めなかった。
「大隊ですの?」
「そうよ、我が国レレヌは飛空船撃沈の報せを受けてクエストにさらなる兵力を投入した。私はマレージ師団の三個大隊の1つに属しているわ。他の師団の後続部隊もいるから安心していいわよ」
「でも、このままだと任務遂行に付き添うことにならない?」
「何、不安なの? 坊や」
 女の声ばかりが聞こえてくるので、エルナはここが軍医の部隊なのだと思った。
「何故夜に進行されているの?」
「目の利かない夜に疲弊していては襲われたときに被害が大きくなるという大隊長の判断よ。見通しの良い昼間に警戒に当たれば、哨戒する負担を減らせるでしょ」
 2人はそのまま帰る予定があったことを仄めかした。
「それは無理な相談ね。ただでさえ無理して三個大隊の先行投入をしたのにたった2人のために人員は割けないわ。私たちは任務の遂行を目的としているから個人をテレポートするための道具も持ち歩いていないし、大隊規模のテレポートが認められているのは大隊長が撤退を指示した時か任務を無事に遂行できたときだけ。残念だけれど警護をつけて帰還するのは論外よ」
 ユウトはもう何も言えなかった。300ゴールドどころか1ゴールドも得られないまま命の危険に晒されている。しかも、帰る手段は今のところない。1人でこんな闇の中をまた行く気には到底ならなかった。
「(ユウト、今は従いましょう)」
 ユウトは頷く他なかった。
「大隊長がテレポートを使う判断ができない場合はどうなりますの?」
「大丈夫よ、不足の事態に備えてマナピースと呼ばれる私たちの国にしかない魔導具があるの。それを潰すとテレポートの魔導具にマナが装填されて一定量を満たすと自動でテレポートするわ。これは私も知らないんだけれど、私たちの一定人数がマグピースを破棄して帰還する意志を示すと隊長の意志とは関係なく総意によって帰還できるって優れものよ」
 それを聞いて2人はようやく人心地ついた気分になる。
「安心してくれたみたいね。大丈夫って言ったでしょう?」
 ダジープの荷台で休むことも出来ると言われユウトはそれに甘えることにした。
「エルナは休まなくても平気なの?」
 ユウトの何気ない言葉にメイジの隊は少し黄色い声に包まれた。
「いくら君がその子を好きでもその歳で女の子を寝床に誘っちゃだめよ。そういうときは君が女の子を休ませてあげないと」
「彼に女性の扱いを教えても良いことがないと思いますわ。むしろ、哀しむ女性が増えるだけですもの」
 エルナの言葉にメイジの女は感心した。何かよくないことを納得されているようでユウトは機嫌が悪くなる。
「怒ったの? 顔に出ちゃってますわ」
 そう言って近づいてきたエルナをユウトは拒まなかった。魔物との連戦で疲労していたユウトは当然それを避けるような力もない。
「かっこよかったからご褒美ですわ」
「なに? この男の子の虜なの?」
 メイジの冷やかしをよそにユウトは額に残る冷たい手の感触に素直に喜ぶことが出来なかった。むしろ、エルナを休ませたらそのまま目覚めないのではないかという不安さえ沸き上がってくる。
「私が虜なんて御免ですわ、女は男を虜にするものです」
 女性陣が盛り上がる中、緊張感のないそれに叱咤が飛ぶまでユウトは嫌な予感に締め付けられていた。


       

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