Neetel Inside 文芸新都
表紙

4の使い魔たち
衝突

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 午後の授業はなくなったようで、スーシィとルーシェ、ユウトの三人はリリアを倒すべく裏庭に集まった。
「アリス、暇ならあなたも戦わない?」
 木の側に立っているアリスにスーシィが呼びかける。
「いやよ、大怪我したらどうすんの? それに寒いし、すぐ帰るわ」
「別に居るなとは言ってないのに」
 ユウトたちに向き直り、スーシィは説明を始める。
「まず、ルーシェさん。あなたがリリアと戦ったときどんな感じだった?」
 ハの字の眉はそのままにルーシェは首を傾げて一考する。
「……えっと、単に速い感じかな」
「そう、やっぱりそうなのね……」
「俺以上の規格外だよ、あの強さ」
 強さとは速さでもある。むしろ、速いことが強いことに直結しているリリアを越えるにはあれ以上の速さを習得しなければならない。
「ユウトの強さも速さみたいなものだし、困ったわね」
「私の雷魔法は避けられないよね?」
「多分だめだと思う。じっとしてる機会があれば、いけるだろうけどね……」
「そもそもリリアってシーナの使い魔なんだろ、倒してどうするんだよ」
「シーナの言うことを聞いて貰うのよ」
 単純な理由だった。
「戦いじゃなきゃならない理由は?」
「特にないわね」
「…………」

「では、作戦を説明する」
 スーシィが空き教室の一つを使ってユウト、カイン、ランス他二名の前に立つ。
「名付けて色仕掛け作戦」
 結局、正攻法では困難だということで、リリアと親密になり、友好関係での接触をまずは試みようと至ったわけである。
「何か質問は?」
「作戦名はともかく、なんでカインとランスなんだ? 見た目は違うが、こいつら似た雰囲気――」
「おっと、僕らの悪口はそこまでだ、使い魔ユウト」
「まぁ、仕方がないわね。他に知り合いもいないし、男の中では二人とも清潔感に気を遣ってる方でしょ」
「方、とか心外だな。僕はこれでもパーティでは大人の女性を相手にすることすらある――」
「私の悪口はそこまでよ」
 スーシィが言った。
「?」
「こほん、とにかく、あなたたちがこれからすることはリリアへの求愛だと思ってくれていいわ」
「おい、なんで僕がそんなことしなくちゃならないんだ!」
 カインは腰を引いて叫んだ。咄嗟にランスが言い出る。
「怖いのかい? 自分が使い魔ごときにあしらわれると、プライドが持たないんだろう?」
 違うかと問いただされ、カインは頬を染める。
「…………お前、前々から何か気にくわないと思ってたんだ。いいだろう、やってやる」
 二人ともバカなのは一緒なのねというアリスの声がユウトには聞こえた。
「求愛ってそんなの……」
「黙りなさいユウト、あなたですら倒せなかったアレをどうするかっていう話しなんだから嫌なら倒してみなさい」
 ルーシェは二の句が継げず、カインもランスもその姿をみて息を呑む。
「おい、あのシーナが召還した使い魔ってそんなに強いのか?」
「大先生(フラム)が本気を出して三秒掛かった相手であることに変わりはないわね」
「つまり、本気以外では勝負にはならなかったということか……?」
 わかったら無駄な戦闘はしないことと念を押されて三人は教室を追い出される。
「誰が先に行くか、じゃんけんで決めないか」
「い、いいだろう……」
 カイン、ランス、ユウトとなった。

 教室の入り口から中を覗く三人。
 教室には珍しくシーナとリリアがいた。
 リリアはどうやらシーナと会話しているらしい。遠目からみてもシーナを越える我の強そうな美形をしていた。
「今がチャンスだな」
「行ってこい」
「……」
 カインは金髪を整えて歩み出た。
 途中、生徒がカインを避けるように進んで行く。
 ランスが風魔法でカインの言葉を運ぶように操作した。
「や、やぁ。ちょっといいかな」
 リリアは冷淡な表情をカインに突き刺す。
「…………」
「そ、そう剣呑になるなって。戦う気はないんだ、なんていうかその……」
「立ち去れ、私も彼女もお前に用はない」
「僕と付き合ってくれ!」
「突き合う? なんだそれは、表へ出ろ」
「あ、いや、悪かった。忘れてくれ」
 カインが戻ってくる。
「どうやら君は初心者も初心者。とんだ見込み違いだったようだ」
「うるさい、僕はあんな恐怖を前に理路整然としていられるほど鈍くはないんだ」
 ランスは風魔法をカインに頼み、見てるがいいと悠々と歩き出した。
「こんにちは、ミス」
 ランスが話し掛けたのはリリアではなくシーナだった。
「あいつ、相手を間違えてるぞ」
「いや、あれがランスの作戦なんだ」

 …………。
「今日は良い天気だ、良かったら気分を変えに外で散歩でもしませんか。そこのあなたも一緒にどうです、あなた方と一緒に陽の下を歩けたらきっと楽しい時間になる」
 ランスは得意の優美さで絵になるようなしぐさでシーナの手に触れる。
 シーナは困るでも喜ぶでもなく、
「ありがとうございます、でも私なんか誘わなくてもほら――」
 シーナの見る先にはランスを遠目から白い目で見る女子の群れ。ランスの顔から血の気が引く。
「……っぁ、違う。実は内々に頼まれたんだ。授業が終わったらサロマンの湖の草原のところでユウトが君と話しをしたいと」
「え、そうなんですか?」
「ああ、リリアも一緒にとのことだ」
「わかりました」
「それじゃ」
 ランスが怯えながら戻ってくる。

 …………。
「『それじゃ』じゃないぞ、ふざけるなよランス。お前はリリアにすら話し掛けていないじゃないか」
「そうだ、お前にはプライドってものがないのか? 見損なったぞ」
「こ、今回はフィールドが適切ではなかったんだ。海上で土魔法を使うのは無理だろう? それと同じ理屈だよ」
「最後は俺か……」
「シーナは露骨にユウト一筋だ、うまくやれよ」
「あ、ああ……」
 午後の授業が終わり、シーナが動き出したのを見てユウトたちも移動を始める。
 草原といっても寒いくらいの風が吹いている。
 ユウトは二人が隠れているところを一瞥して、シーナの前へ姿を現した。
「や、やぁ」
「ユウト、ごめんなさい。色々わからなくなってしまって……私」
「……進級はできそうなのか?」
 首を振るシーナ。
 リリアという相手を前にシーナに近づく者はいない。
 ましてやクエストではリリアが協力することはないという。
 リリアを見るとシーナの後ろにいるが、今にもユウトに襲いかかろうかというほどに目がぎらついていた。
「リリア、だったか。その子が問題の使い魔なんだろ?」
 シーナはゆっくりと横目でリリアを見る。
 歳はユウトらと変わらないくらいに見えるのになんと野生のような目だろうか。
 ユウトは息を呑んでリリアに話し掛ける。
「君がシーナの言うことを聞かないというなら、何処へでも行けばいいんじゃないのか。ここに留まる理由はなんだ」
「…………理由、敵がいるはずだから」
 シーナの前へじりと歩み出るリリア。
 するりと抜かれた黒剣は一瞬だけ霧のように見えた。
「やっぱり、戦うことしか知らないんだな」
 ユウトも蒼剣を抜き、構える。リリアは飄々と仁王立ちしている。
 リリアは小手先の剣術が故に踏み込まれるわけにはいかないとユウトは思った。
 ユウトは対する構えを突きから返しの連打に特化した裏の構えを選んだ。
「や、やめてください! そんなこと……」
 近づくシーナをリリアは軽く突き飛ばしたのと同時に二つの影は動いた。

「お、おい。どういうことだ? 何で戦うんだよ二人は」
「わかるわけないだろ、それより誰かに伝えないと」
「その心配なら無用よ」
 スーシィが男二人の後ろにいた。
 ルーシェもいるが、何処か落ち着きのない様子だ。
「いつの間に……」
「最初からに決まってるでしょ。存在を認識できない特別な魔法でね。あんたたち二人のへたれっぷりには正直呆れたとしか言いようがなかったわ」
「…………」
 それより、とスーシィは話しを続ける。
「少し、まずいことになってるわね。リリアがここまで好戦的だったなんて計算外だったわ」
「僕にはユウトが喧嘩を売ったように見えたんだが」
 そういうことじゃないとスーシィは杖を振る。
 上空に放たれた魔法は何かの合図だろう、教師の一人が特別なテレポートで瞬時に現れる。
「状況は?」
「生徒に被害が及ぶ状況ではありません。ただ、リリアという使い魔は少々深刻です」
 最悪、殺すことになるかもしれないという言葉がカインとランスを愕然とさせた。
「ちょっと待て。召喚した使い魔を殺すって、そんなことが許されると思ってるのか」
「異例中の異例でしょうね。けれど、あのままじゃ誰かが怪我じゃすまない傷を負わされる危険だってある。制御不能の使い魔は時に殺すこともやむを得ないことだってあるということよ」
 シーナだっていつ標的になるかわからないんだからとスーシィはユウトたちを尻目に言う。
 交差する光りの線はユウトが一本に対してリリアは五本というように見える。
 決定的なのはユウトがかろうじてリリアの攻撃を捌いているだけで、攻撃に移っていないことだった。
「何故だ、どうして俺を殺そうとする!」
「…………喋ると舌を噛みますよ」
 鋭い角度で伸縮する剣とでもいうのか、リリアの剣は時には長剣になり、時にはかぎ爪のようにユウトの心臓を目指して容赦なく迫る。
「ユウトも強いとは思ったけど、あの使い魔……あんな武器は反則だろ……」
 確実に増えるかすり傷は徐々にユウトの動きを鈍化させていく。
「ユウトが本気を出し始めたらお願いします」
「どのような?」
「恐らく、あの蒼い剣が不可解な動きをするはずです」
「わかりました、ですが彼女は……」
 シーナは狼狽した様子でなんとかリリアを止めようと、抑制の魔法を唱えようとしているが、上手く口が回っていないのかスペルを唱えられずにいた。
「本気を出していないっていうのか? ユウトが?」
「ええ、リリアの剣もなかなかだけどユウトのはもっと凄いはずだわ」
 ユウトはリリアが休むために図った間合いを好機と捉え、地面に一閃を放つ。
 巻き起こった土が風に乗ってユウトとリリアを一瞬隠す。
 リリアはこれを攻めの機会とし、ユウトの蒼剣を目印に突きの一撃を入れた。
「……っ?」
 確かにいるはずだった。剣を投げていなければ、そこに伝わるはずの感触があるはずだったのだ。
 リリアが一瞬の疑問に囚われた時、ユウトの蹴りがリリアの脇腹を穿った。
「うっ」
 咄嗟にリリアも反撃の一閃を行うが、それはユウトの手から離れた剣によって弾かれる。
「馬鹿な、ユウトの剣が今……独りでに動いたように見えた……」
 それを見て教師が本気と判断した。
「Delection onikis maziac...(一撃の下に死の法を)」
「俺ごとお願いします!」
「えっ、ユウトッ?」
「While azxxxxx (旋転白針)」
「先生、待って下さい!」
 高密度の風が白い実体を伴って一直線にリリアの頭部をめがける。強すぎるマナの練り上げがスペル詠唱の後半を乱した上に辺りの音をかすめ取る。
 気がつけばリリアのいた空間には人間大ほどの空洞が二つ出来ており、その中心にはユウトの剣があり、二人はその影にあった。
「ぐ、ぶ……」
 大気の高圧力を全身に受けたユウトとリリアが意識を保つことは困難だった。リリアは既に気を失っており、ユウトにしても立っている事実が驚愕に値するほどである。
「なんてことを……」
 スーシィや他の三人が駆け寄るのを見て、ユウトの意識はそこで途切れた。

     


 夢――誰かがすすり泣く声を聞く。
 ユウトはそれがよく知る者の声だと思う。
 何とかしたい、何とかして彼女の涙を止めなければと思う。
 視界は徐々に明けて、シーナの後ろ姿が暗闇にぽつりと見える。
「シーナ……」
 ユウトの呼びかけにゆっくりと振り返るその姿は、まだ幼い頃のシーナだった。
「泣いちゃダメだ」
「泣くな――」
 アリスに召還されてからユウトの出会った人は皆、ユウトにこう言った。
「泣くな、ユウト――」
 訓練などとは名ばかりで、死にものぐるいだった毎日。
 シーナに出会うまでのユウトは、もう生きることに疲れ始めていた。
 殺さなければ、喰われる。喰わなければ死ぬ、極限の精神状態で叩き斬る命。
 勝つのではなく、殺す行為にユウトは麻痺していく。
「ねえ、泣かないで」
 そんな声が響いたのは囚われた人間たちの中にいる一風変わった少女のものだった。
 彼女が『生きている』女の子だと解ったのは、声を発したからだ。
 オークの集落で飼われていた数多の人間たち。
 そこを制圧はしたものの、既に手遅れの状態が無残にも残されていた。
 ユウトは力無く剣を落とし、自分の存在は死に死をもって応えることしかできないものだと、それくらいしかないのだと絶望したときだった。
「泣かないで……」
 血肉が転がっている足下から聞こえるか弱い声。
 やせ細った彼女は髪が抜け、眼球は既に光りを失っているようだった。
 今わの際であるはずの彼女が、一体何を懇願しているのだろう。
「お願い……」
 
 ふと急速に意識が覚醒する。
 ユウトは身体中に痛みを感じ、苦悶の声を上げる。
「ユウトっ」
 駆け寄ってきたシーナの後ろでそっぽを向くアリス。
 スーシィはほっとした表情で微笑んだ。
「調子はどう?」
 どこか素っ気ない様子で尋ねる。
「全身が痛い……何がどうなったんだ」
「リリアを庇った。ユウト、そうでしょ」
「あ、ああ……」
 物陰から何かを狙っている気配は感じていた。リリアを蹴り飛ばして時間を稼いだ後、その攻撃の過多を感じて受け止めようと飛び込んだのだ。
 突如アリスがもの凄い剣幕で近づいてくる。
「馬鹿ユウトっ、後一歩間違えれば死んでたんだからね!」
 声は震えて、肩も戦慄いているのに涙の欠片も見せないアリス。
「あんだが、そんなことで死んだら私が呼び戻してあげた意味がないでしょ……」
 そう言ってアリスは部屋を一人出ていく。
 シーナは依然として涙を隠そうとはせず、ただユウトにもたれているだけだった。
「あなたが倒れてから一週間。覚醒と昏睡を繰り返して、なんとか持ち直したけど、多分あと三週間は何も出来ないでしょうね」
「さ、三週って……げほ、ごほっ」
「それだけ大ダメージを食らったのよ。アリスはもう進級確定だし、後はうまくやるって言ってたわ。あ、そうそう。そこにいるルーシェがそのうち飛び込んで来るから覚悟した方がいいわ」
 そう言ってスーシィはにやりと微笑を残して廊下へ消えるのだった。
 窓辺を見ると床で毛布にくるまり、よく眠っているルーシェの姿がある。
「はは、のんきだな」
「ルーシェは五日間も寝ないでユウトの看病をしていたんですよ。これは私の仕事だって言って――」
「そうなのか、やっぱり……シーナには、話しておかないとな」
 かつてルーシェはユウトと共に戦ったことがあるということ。ルーシェの正体がイノセントドラゴンであるということなどを話す。
 シーナは少し興味深そうに相づちをうつ。
「それじゃあ、あの神話は本当だったんでしょうか……」
「神話?」
「はい、清い人間に命を救われた竜は美しい人間の姿となって恩返しにやってくるという創世記伝書(ジェネス)にあるイノセントドラゴンの伝承です」
「でも、俺は命なんて救ってないし、かといって特別何かしたわけでもないぞ……」
「きっと、何か大きな手助けをしたんでしょうね」
 あんなことは普通じゃ出来ないことですからとシーナは枯れた表情でルーシェを見た。
「あんなこと?」
「いえ、それよりもう横になっていた方がいいですよ。目が覚めたといってもまだ調子は出ていないはずですから」
 ユウトはなすがままにベッドへ横になる。
「それでは……」
「待ってくれ」
 シーナの動きが止まる。ユウトは疑問に思っていたことを聞くしかない。
「進級は……どうなったんだ」
 ユウトも召喚されたリリアも動けない今ではシーナのクエストは絶望的だと思えた。
「……気にしないでください、なんともありませんから」
 そう言ってシーナも部屋を後にして、残ったのはルーシェとユウトだけ。
 もしかしたらリリアが何とかしているのか、リリアはどうなったのだろう。
 取り留めのない考えがユウトの頭を巡る。
 辺りを見回してみても、窓辺に転がるルーシェしかいない。
 怪我がなければいいが、と思いベッドに仰向けになった時だった。
「――っ!」
 ユウトは一瞬言葉を失った。
「な、お前、そんなところで何してるんだ?」
 天井に張り付いていたのはリリア・リューレ本人だった。
 何か固定器具のようなものを四肢に着け、ユウトと対面するように張り付いている。
「…………」
 目を瞑ってはいるものの、時折目蓋がひくひくとして起きていることは明白だった。
「怪我はないのか」
「…………」
「おーい、リリア」
「……うるさい」
「怪我は――」
「ない、ほとんどな。あの時気絶した自分が恥ずかしいくらい」
 大の字で張り付いたぶっきらぼうなリリアを眺めながらユウトは徐々に吹き出る笑いが堪えられなくなってくる。
「なあ、なんでそんなところに張り付いてるんだ。降りて来いよ」
「はあぁっ? 降りられる状況に思えるっての? ……くそっ」
「どうしてそうなった」
「わからない、とりあえず目が覚めた時からこうで、私が話し掛けても全員無視だ。正直、ここでこのまま死ぬんじゃないかとさえ思った」
 あはははとユウトは笑い出す。どう考えてもこんなことをするのはスーシィしかいないからだ。
「わ、笑うなっ! これでも結構本気で困っているんだ」
「ちゃんと会話できるじゃないか。少しは頭が冷えたのか?」
「いや、正直まだ混乱している。蒼い色に強烈な敵意を感じるんだが、それ以外が一切思い出せない……って私はなんでこんなことをお前に……」
「俺と似たようなものだとすれば、そっちもどこかの世界から呼び出されたってことだろう。俺と違うのは記憶が思い出せないことくらいか」
「くそ、いくら考えてみてもだめだ。早く蒼を狩らなければならないのに」
「蒼を狩るって言ったな? それはどういうことだ?」
「よくわからないが、蒼い色は私の敵なんだ。私一人になっても倒すと決めた。その決意とその事実だけは覚えている」
 そして時間がないこともとリリアは付け加える。
「それであんなに好戦的だったのか。理解出来なくもないが、ここはお前がいた世界とは別の世界だと思った方が良いぞ」
「それはあの少女にも言われた。けれど、私の中で沸き起こる焦燥感は抑えられるものではなかったんだ」
 そこに現れた蒼剣を持つユウトがリリアにとっては格好の敵だったという。
「何故最初にシーナを敵だと思わなかったんだ?」
「あんな澄んだ眼を持つ子が私の敵であるはずがないからだ」
 好かないけどなとリリアは目を閉じる。
「そう、か」
「元のいた世界とは違うと言ったな、ではここへはどうやって来たのだ」
 召還についてユウトが話すとリリアは信じられないといった様子で眉をしかめた。
 話すことも一通り終えると、リリアは暫く一人で考えたいと天井にて元からの大の字で黙る。
 ルーシェに起きる気配はなくどうしたものかと思っていると不意に尿意を感じてくる。
「起きられるのか? 俺」
 というか今まで誰の世話になっていたのだろうか……。
 それはあまり考えたくない内容だった。

 なんとか自力で壁伝いに歩いて行き、用を足し終えてベッドへ戻るユウト。
 天井のリリアは相変わらず黙したままで、ほどよい倦怠感に身を委ねている時だった。
 ――ぽた。
 ユウトは何かが口元に落ちた気がした。
 驚きの余り、咄嗟にそれを拭ってみるがただの水のようにも見える。
「水……? 雨漏りか?」
 それともリリアが何か零したのだろうか、とユウトは声を上げる。
「っリリア、何か垂れて――」
 ぽたぽたぽた。
 うわっとユウトは身を翻してそれを避ける。
 よく見ると、リリアの口元から流れ出ている何かであるようだ。
「ヨダレじゃないか!」
 リリアは黙っているのではなく、寝ているのだとようやく理解したユウトはそのままリリアの涎をやり過ごす。
「リリア、起きろ! 起きてくれぇ!」
 呼び声も虚しく、ユウトの時間は過ぎていった。
 後日、スーシィがしたり顔をしてユウトの問い詰めに答えていたのは言うまでもない。

 結局、三週間ユウトは寝たきりだったし、リリアも食事と用を足すとき以外は天井に戻されるというのを生活にしていた。
 ルーシェが目覚めた時にはユウトは再び怪我を負いそうなくらい喜ばれた。
 そうして晴れて進級試験は無事終了し、三年生の卒業式と全生徒の進級式が行われようとしていた。
「ユウト、さっさと支度して」
 アリスはいつになく早く起きてユウトを迎えに来ていた。
 ユウトの方はルーシェに勉強やら人間としての知識だとかいう謎めいたものを夜中まで語られたことで、大層参っていた。
「酷い顔ね、洗って来なさいよ」
 どこかいつもより棘のない言葉づかいで、ユウトも呆気に取られるがそれを指摘してはやぶ蛇である。
「まさか、アリスが進級するなんてね。よくあの序盤から巻き返したもんだ」
 廊下を歩いてしばらくして、カインが通りで壁に背中を預けて腕を組んでいた。
「何してんのよ、こんなところで」
「これは僕なりのけじめのつもりだ。アリス、君は立派だった。出来ることなら、来年もそうなれば、いつか君の願うものも容易に叶っただろう」
「はっきり言ったらどうなの」
 アリスの怒気は勢い半分でカインもアリスをからかっているのとは少し違った。
「僕たちが生きているのは……いや、アリスがいたおかげで僕は生きていた、というべきだろう。だから、そのことを僕なりに返そうと思っていたんだ。でもそれは、勘違いだった。僕の一方的な考えの押し付けだったようだ。僕はただ、感謝を述べるだけで良かったんだ」
 ありがとう、とカインはアリスに向き直り頭を垂れた。
 アリスは返事をするでも声を掛けるでもなく踵を返すカインの後ろ姿を見送った。
 そしてわずかに呟かれたその言葉は別離する者へ向ける言葉だった。

       

表紙

ゆの舞 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha