Neetel Inside 文芸新都
表紙

歌舞伎町の嬢王
予兆

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東京都新宿区歌舞伎町二丁目。
憎悪愛欲渦巻く街。
戦前の街並みなど、一部を除けば、見る影もなく、今はただ、下品な街となり下がっている。
ここの治安を一手に引き受けるのが、そう、『歌舞伎町交番』だ。
地上四階、地下一階、PCを停車するスペースは二台分あり、作りはかなりモダンテイストとなっている。
交番正面向かって左側には大久保病院があり、これまたモダンテイストなつくりとなっていて、ここが織りなす空間はまさしくオフィス街新宿といってよかった。
交番正面向かって右側、こちらには一棟のみ、テナント形式のこぎれいなビルが建っていて、それを超えてしまうと、あまり体のよい、とは言い難い新宿が顔を出すのである。
細長い雑居ビルには数々のスナックが詰め込まれ、その周辺にはホテルがこれ見よがしに立っている。
昼間こそ、まだ見れたものであるが、夜ともなればこの街はいっきに表情を変える。
昼間の新宿としては比較的閑散としたほうであるここ二丁目も、やはり他の新宿区がそうであるように昼夜の二足わらじをはいていたのだ。
乱闘騒ぎから痴情のもつれによるいざこざ、はたまた薬の売買や売春、まじめな警官であればこれらを見逃すことができるわけもなく、警官の新任地としてはうってつけであった。
そう、新任にとっては。
大三和 義明(おおみわ よしあき)巡査部長は今年で、この歌舞伎町交番には勤務十年目となる中堅警官である。
中堅、とは言っても、勤務仲間で同階級である巡査部長の中では最年少の二十八歳である。
大三和は、高校を卒業してからはなんの迷いもなく警視庁に入り、もくもくと地域課警官としての役割をこなしてきた。
確かに着任早々、大半のものがそうであったように、大三和も正義感に燃える警官の一人であった。
しかしやはり年月というものは人を変えてしまう。
今や彼は堕落し、お世辞にも立派なお巡りさんとは言い難い体をなしていた。
大三和は不意に時計へと目を落とす。
一時四十五分。
完全なる深夜帯だ。
「警邏いってきます」
大三和は、仮眠をとっているであろう先輩たちに一応の言葉をかけ、自転車で交番を後にした。
大久保病院を右手に、さっそうと自転車を漕ぎ出す。
何度か、民間人に声をかけられることがあったが、それらを軽く受け流し、さらに大きい『点数』があるであろうところへと向かう。
十分ほど自転車を漕ぎ、ようやく国道302号線とぶつかる。
大三和は、そこでハンドルを西側、つまり西武線・山手線が頭上を通る高架下へと向かい、中に入ったところで、オレンジ色の光が点滅をするトンネル内でようやく自転車を止め、降りた。
大三和は降りるなり、後ろを振り向き、すぐに向き直る。
「よし、誰もいねーな・・・」
誰にいうわけでもなく、一人ごちるのだ。
右手で帽子のつばを、左手で帽子の後ろを抑え、かぶりなおした。
右、左、右、左、とゆっくり歩き出す。
目の前には男が一人。
十代後半から二十代前半、どうみたって子供だ。
そのような子供が、まるでアメリカのギャングのようにサイズのあわぬTシャツを着、ズボンはだらしなくたらし、帽子を逆にかぶっている。
そいつは地べたに座り込んで『福沢諭吉』の枚数を数えていた。
大三和はそれを食い入るように見つめ、ゆっくり、ゆっくりと、水中にて歩くのごとく、そこへ向かっている。
少年までの距離が、残り数メートルというところで、少年がはっと顔をあげ、警官である大三和へと向けた。
「やべっ」と小さく声を出し、手に持っていた幾枚もの諭吉を無造作にぽけっとに詰め込むや否や、駈け出した。
大三和はそれを見るなり、どなるわけでも、怒りに身を浸透させるわけでもなく、にやつき、再度後方を確認するなり、自らの腰の右側にぶら下がっている伸縮自在の棒、そう、『警棒』を引き抜き、伸ばす。
勢いよくかけだし、少年の前方へと回りこみ、その棒を使い、剣道で言う胴を少年にくらわした。
少年は肺にある空気をすべて吐き出し、声を出すことすらままならぬ様子であった。体を「く」の字にまげ、腹を両手で押さえ、しまいには跪く。
「おら、何逃げようとしてんだコラ」
大三和が言っても、少年はせき込んでいるだけであった。
大三和は左手で少年の帽子をむしりとり、地面へと投げ捨て、肩までかかっている金色の髪の毛を鷲掴みする。
「コラガキ、お巡りさんなめんじゃねーよ」
少年は何度か咳払いをし、ようやく返答をする。
「ちょ、やめてくださいよ大三和さん、逃げようとしたわけじゃないんですって」
そこで大三和はつかんでいた髪から手を離す。ワックスがついたのであろう、『警視庁』と甲の部分に高らかと刺しゅうされている白の手袋の平は、いやに脂っこい反射をしていた。
「出せよ、さっさとしろ」
少年は跪いたまま、白い袋を十、万札を十、出した。
「おい、パケは十五って約束だろうが、てめえ警官なめてんのか」
「すんません、今月ばかりはほんとに勘弁してください、今日これしかないんスよ」
大三和は右足を前へと突き出し、少年の胸部へと繰り出す。
少年は後方へと吹き飛び、地面に横たわった。
大三和はその時吹き飛んだパケ、つまり麻薬の袋を、万札を、拾う。
「くそが。しゃあねえな。今月だけだぞ、許すのは。で、何枚にさばいたんだよ」
枚とは、人数のことである。
「三人っス」
「どこでヤってんだ?」
「ドンキの裏の、公園っす」
返事はせず、大三和は自らの自転車のほうへと歩みをすすめる。
自転車に乗るすんで、大三和は振り返り、大音声をあげた。
「オイ!てめえ次、数ちょろまかしたらてめえが俺にウタってるのケツモチにタレてやっからな!覚悟しとけよ!」
新宿で、すぐに足のつくような薬の売買というものは、大抵は構成員ではなく、高額バイト感覚で働いてくれる不良ばかりだ。そして、そういったものを雇う総本家が『ケツモチ』、つまりバックについている暴力団ということなのだ。
大三和は302号線沿いを東へ進み、信号を二つ過ぎたところで、左折をした。
数分もたたないうちに公園へとつく。
公園に入ると、すでに出来上がっていると思われる男女三人がいた。
一人は赤髪の女、残り二人は男で、いずれも金髪の、見るからに反社会的な者たちであった。
大三和は、例の如く警棒を伸ばすと、最も手前にいた赤髪の女の頸筋へと警棒を振り下ろす。
大三和に気が付き、二人の男は立ち上がろうとした。
そこへ大三和は右足を大きく上げ、振り下ろすと、かかとが見事に男の脳天へと命中し、そのまま地面とへたりこんでしまう。
最後の一人は逃げだそうと走り出したが、クスリをキメたぼろぼろの体に、日々教練により鍛えられている大三和の肉体が負けるわけもなく、即座に羽交い絞めにすると、男をのし、二人の倒れこむとこへと引きずって行った。
大三和は彼ら三人から目を離すことなく、APR-WTB1、つまり無線へと手をのばし、スイッチを入れ、無線連絡を開始した。
「えー、こちら移動歌舞伎、本署へ。大久保国際友好会館裏にてジャンキー三名現逮。至急PC(パトカー)を」
一瞬のノイズののち、すぐさま携帯無線から返答があった。
「こちら新宿本署、移動歌舞伎了解、現場へ急行させます」
五分足らずでPCがつき、三人をそのまま連行した。
大三和はしばらくそこで立ちすくみ、チョッキの胸ポケットに入れてあったたばこの箱を取り出した。
ボックス、すきとおったブルー。DUNHILLだ。
たばこを一本咥え、紫煙を肺いっぱいに取り込み、吐き出す。
空を仰げば、スモッグ漂う新宿の夜空が広がっていた。
町中のネオンやビルの光を、その中で乱反射させている。
大三和は、時に思うことがあるのだ。
警察というのは、ある意味どこの民間企業もそうであるように、潜在的なノルマなるものがある。
それを無理にのしあげるために、警官の多く、特に地域課やボウタイの人間などはいわゆる『エス』、つまり警察に対して有利に動く犯罪者を作り、そうしてそのエスの安全を保証すると共に、他の犯罪者を逮捕し、ノルマを達成するのだ。
大三和もしっかりその例から漏れることなく、先ほどの少年をとっちめたときのように、彼の安全を保障すると同時に数々の犯罪者を検挙してきた。
しかし、それではたしていいのだろうか、と大三和は思うのである。
彼が高校を卒業し、警察に入った理由は、正に警察官を警察官たらしめる所以である正義感が彼をしていたのだ。
だが、それがあろうことか、十年もたてばむしろまったく逆の立場にいることに、何か胸にぬぐえぬ、あるいは喉につっかかった小骨のごとく、もやもやした感が大三和を出口のない迷路へと押し込むのである。
「やめよう、考えるのは・・・」
大三和はそうひとりごちると、たばこを地面にたたきつけ、かかとで火種をつぶし、歌舞伎町交番へと戻ることにした。
自転車にまたがり、公園を出、つい数十分前までいた高架下まで通りかかると、まだ先ほどの少年が地べたへ座り込んでいた。
大三和は例の如く、高架下入口付近に自転車を止め、彼のもとへと歩みよっていった。
「おいてめえいつまでそこにいるつもりだ!」
今度もこちらから話しかけてやる。
少年も思い出したかのように顔をあげた。
今度は逃げ出さなかった。
「あ・・・いや・・・」
言うが早いか、大三和は少年の発言など産毛ほども気にしていないようで、自らの発言を押し通した。
「てめえからパケ買ってったさっきのジャンキーどもが署でゲロっちまったら俺の同僚がきててめえパクって俺もそのうちおじゃんだろうが!それとも何か!?ここで俺に殺してほしいわけか!?」
言いつつ、歩み寄っていたため、大三和が言い終わったときには少年と対峙する形となっていた。
「おい!なんとか言えよ!」
大三和は両手で少年を突き飛ばした。
すると、大三和は突如としてめまいに襲われ、一瞬視線を足元に落とし、壁によりかかるような形をとった。
顔をあげると、少年が不思議そうに大三和を覗きこんでいた。
「うわっ」
が、その少年の顔は、あたかも死人、それも腐乱死体、あるいは駅ホームへの投身自殺をしたそれのように、ひしゃげていた。
あまりの驚きに大三和は尻もちをつき、その場にへたりこんだ。
頭を左右にふり、もう一度目の前を見ると、少年の顔は元通りとなっていた。
が、少年は尻もちをついた大三和を見て、一瞬口元に笑みを浮かべると、踵を返し、走り出していった。
「あ、コラてめえ!」
大三和も立ち上がり、少年を追う。
少年は、大三和の形相に恐怖を感じたのであろう、歩道の手すりをつかみ、反対側の歩道へと移ろうと、車道に降りたところであった。
「おってこれねーだろ!」
少年は振り返り、大三和へと吐き捨てる。
「あっ、おま────」
大三和は、忠告しようと声を張り上げたが、遮られた。クラクションによって。
その後、鉄が柔らかい何かに当たる音、フロントガラスにひびがはいる音、最後に人が地面へと叩きつけられる音がトンネル内に響いた。
大三和は自らの目を疑わずにはいられなかった。
大型トラックがブレーキ痕をひきながら、斜めになり、道路のど真ん中で停車していたが、その前面にはべっとりと赤い血、脳漿がへばりついており、フロントガラスは蜘蛛の巣状になっている。
そしてそこから数メートルの位置には先ほどの少年が骸となって横たわっていた。
大三和は、手すりを乗り越えそこへと駆け寄る。
そこには二つの見覚えがある彼があった。
ひとつはまだ生きていた時の彼の容姿で、もう一つは、つい先ほど大三和が見たヴィジョンである。
腐乱死体そのものの少年、あれは幻覚でもなんでもなく、今そのまま、ヴィジョンそのままの少年が、寸分たがわぬ状況で、道路にころがっているのだ。
大三和は多大なショックを禁じえなかった。
それは彼、少年の死そのものに対してではなく、『少年の死を先読みした』ことに対するものであった。

       

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