Neetel Inside 文芸新都
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歌舞伎町の嬢王
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                     一

交番に戻ったとき、時刻は既に正午を過ぎようとしていた。
とっくに大三和の勤務時間は終わっている。
昨夜の事故について、みっちりと聴取されたのだ。
しかしながら大三和の不利に働くような情報は一切漏れることもなく、トラックの運転手が証言するように、少年が突然飛び出したということなので、大したおとがめもなく、警察が多少なりと絡んでいる事故にしては、比較的早い段階で出してもらえることができたのだ。ブンヤにかぎつけられることもなかった。
が、大三和にはまだ大きな仕事が一つ残っていた。
報告書である。
これと装備品を署に返したところでようやく彼は仕事から解放されるのだ。
大三和は、今日はでっちあげるまでもなく、事実だけで規定の字数に達するだろうと、悲しい安堵感を覚えていた。
報告書を提出、装備品を返却、寮へついたときには、もう時刻は十八時となっていた。
六月という季節もあってか、日はまだ出ていたが、空はもうオレンジ色に染まっている。
新宿署の独身寮は、『清和寮』といって、署の最上階にあるのだが、労働基準法では職場と住居を同地におくことは違法とされているが、警察は「待機所」という名目で、法の網の目を潜り抜けているのだ。
そして、大三和もその清和寮に住む一人であった。
部屋は、お世辞にも広いとは言い難い。
トイレ、台所、風呂場はすべて共有だ。
部屋も、交番の仮眠室とさほどかわらないと言ってよかった。
あるものはと言えば最低限のものしかない。
ベッド、テレビ、タンス、テーブル、その他生活必需品のみだけである。
大三和は、自らの部屋に入ると、いつものようにジャージ姿になり、ベッドへと身を投げ出した。
わずかとしないうちに、大三和は泥のような眠りにつく。

                     二

高橋 勉(たかはしつとむ)巡査部長四十三歳は、今年で勤続二十年を超えるベテランである。
今日も今日とて新宿警察署前の警邏に立つのである。
高橋の手には警棒が握られている。
近年は、警察官舎等の入口付近を警邏する場合は、義務付けられているわけではないが、警棒を持つことが許可されているのだ。しかし実質は上が命令を下すために、ほとんど義務といってよかった。
こうした行いが一層警察を権威として高める効果があるのだとか。
高橋はいつものように、制帽を目深にかぶってはいたものの、そこからは射るような視線が周囲に向け投げかけられていた。
すると、高橋はこの三、四十分ほどの警邏で、一つの成果を上げようとしていた。
年齢は20代前半から後半、少なくともそれ以上はいっていないようだ。服装は全身着物であり、髪型は、年ごろから推察するには珍しい黒、長さのほどはロングで、容姿は淡麗。
高橋は、その着物という性質からどうしても目にちらつき、気がそちらへ向いてしまうのだ。
あの女、さっきからずっと同じところに立ちすくんでいるな・・・。怪しい、怪しいぞぉ・・・!
高橋は、のっそのっそと、女へと歩みよる。
そこで一つのことに気がついた。
む、意外に背がたか・・・い・・・な・・・。
高橋は身長が172センチほどあるのであるが、女は確実にそれ以上であり、見上げる形となってしまった。
「ちょっ──」
高橋の声はさえぎられることとなった。
女の声によって。
「なにか?お巡りさん」
女は、左手を腹部に抱えるようにし、そこへ右肘を垂直にたてて、かなり高圧的態度をとっている。それをさらに増長させるのに役立っているのが、右手のキセルだ。
くっ、この女、警官をなめくさりやがって!
「ここは路上きつえ──」
女は紫煙を高橋の顔面めがけふきかけると、高橋は大きくむせこんだ。
「あらごめんなさい、わたくしこのあたりにはきたばかりでしたので」
はらわたが煮えくりかえろうとするのを抑えつつ、高橋は職質をかけようと試みたが、やはり先制は女からであった。
「ところで、大三和巡査はこちらにいらっしゃるのかしら?」
「え、あ、まぁ、一応ここの署の地域課警官だが・・・それよりも!」
「案内してくださらないかしら?」
ど、どうしたということだ・・・!?この女のこの威圧感はなんなんだ!?
明らかに高橋は同様している。
「えっ、いやっ」
「わたくし、あの方の親しい友人、いえ、恋仲でございますの。このたびは彼に、訃報をお知らせにまいらせていただきました。それで、彼は今、どちらに?」
「あっ、いや、えっと、その、し、署のほうで、その、署の待合室のほうでお待ちください」
「どうも」

                     三

決して心地のいい睡眠ではなかった。
目覚めも、快眠故ではなく、むしろ寝心地の悪さ、或いは不快感によるものだ。
気分の悪さから、水が欲しくなっていた。
大三和はベッドを降りることにする。
あれ・・・?
そこで大三和はひとつの事象に気がつく。
体がまったく動かないのだ。
目はまっさらな白いタイルが占める天井一点のみしか見ることができないし、体は大の字のまま動かなかった。
声を出そうにも出すことができない。
すると、不意に首の筋肉のみが圧迫から解放されたように、動くようになった。
上下左右と、見渡す。
ベッドから眺める景色、部屋の景色は全く違和感はない。
が、違和感、というにはあまりにも控え目すぎるし、これは目にはっきりと違いが見受けられるという点において「感覚」ということすらもはや誤りであった。
窓側に視線を向けたとき、大三和はもはや目を閉じることすらままらなかった。
その視線の向こうには、つい十数時間前までには生きていた、あの少年がたっていたのだ。
が、その容姿に、もはや生前の彼を見受け取ることはできず、あの「ひしゃげた」彼になっていたのだ。
血まみれの彼は外にいたが、徐々に歩み寄ってきて、ガラスの前で立ち止まった。
次の瞬間、ガラスを止めていた枠ががたがたと轟音を立て始め、ほどなくしてガラスは全て割れた。同時にビル風が大三和の室内を駆け巡り、ありとあらゆる物を吹き飛ばした。
無論であるが、その間も大三和は体を動かすことができなかった。
血まみれの少年は大三和の上に乗りかかると、金切り声で、叫び出す。
「オ前ガ殺シタオ前ガ殺シタオ前ガ殺シタオ前ガ殺シタ」
あらぬ方向へ曲がっている両腕がゆっくりと、しかし着実に伸び、大三和の首をとらえる。
両手が完全に大三和の首をつかむと、気管が押しとめられた。

                     四

高橋は受付の事務職員に大三和を呼び出すよう、内線を促していた。
が、返事はなかったという。
「いや、でも外出届は出ていないから中にいるんだろ?」
「はい」
事務職員は相変わらずのポーカーフェイスである。
高橋としてはあの得体のしれない不気味な和風女から早く解放されたい一心であったのだ。そんな高橋の内心などよそに、他の警官や職員たちのほとんどが、あの女に見とれていた。
くそ、おれの気持ちも知らないで。高橋は内心毒づく。
「なぁ、頼むよ、外出許可がないんだったら中にいるんだろ?さっさと呼び出し──」
高橋の声は、例の如くさえぎられる。
が、それはあの女によるものではなく、新宿署前の歩道から響く人々の絶叫によってだった。
寸分たがわぬうちに、警邏に立っていた若い巡査が新宿署ロビーに駆け入り、絶叫を始める。
「た、大変だ!!署の最上階のガラスが割れたぞ!!」

       

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