Neetel Inside 文芸新都
表紙


7.〜私の王子様〜 <11.21> <11.29>

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  7

 サナは幼い頃、事故で両親を亡くした。
 その当時十歳になったばかりのサナには両親以外に頼れる身内がいなかったが、両親と仲の良かった多くの隣人が、親代わりに彼女を支えた。
 優しい隣人達に見守られながら、サナは両親の残した家ですくすくと育っていった。
 美しく成長した彼女の明るく元気な笑顔は、道行く街の人々に活力を与えた。

「こんにちは、おじさん」
「おっ、買い物かいサナちゃん」
「ううん、ちょっと散歩がてら寄ってみたの」
「嬉しいねぇ。サナちゃんの顔を見れば今日一日、飲まず食わずでも頑張れるよ」
「大袈裟だなぁ、おじさんは」
「そうかい?」
 男は口を大きく開けて笑った。サナもつられてクスクスと笑う。
 しばらく雑談を交わした後、サナは男にさよならの挨拶をして歩き出した。
 サナの背中を満足そうに見つめている男に、後ろから声がかかる。
「綺麗になったねえ、サナちゃんも」
 男が驚いて振り向いた。肉付きのいい女が側に立っている。
「なんだ、いたのかおまえ」
「いちゃ悪いかい」
「いや、んなこと言ってねえけど……」
 男は再び、歩いていくサナの背中に目を向けた。
「しかしまぁ、ほんと綺麗になったよなあ。あれじゃ、そろそろ街の男どもがほっとかねえぞ」
「はぁ? 馬鹿だね、あんたは。サナちゃんにはもう、ちゃんと決まった相手がいるよ」
 男は血相を変えて目を見開いた。
「なんだと、本当か? どこのどいつだ、相手は」
「それは知らないけどね。あの子の顔を見てりゃわかるよ。ここ一、二年でぐっと女っぽくなったからね」
 女は嬉しそうにサナの背中をみて微笑む。男は口をぽかんと開け、溜息をついた。
「そうか……そうだよな、サナちゃんももう十六……十七だったか。そうか、もうそんな歳か……」
「なに残念そうな顔してるんだい、喜ばしいことじゃないか」
「まあ、そうだけどよ……」
「あと、あんた今日の飯抜きだからね」
「な? 何でだ」
「さっき、飲まず食わずでやれるって言ってたじゃないか」
「いや、あれはだな……」
「ほれ、お客さんだよ」
「お、おう……」
 渋々、接客に入る男を面白そうに微笑んで眺め、女は店の奥に戻っていった。

 サナが散歩を終えて自宅のドアを開けると、部屋の椅子に一人の青年が座っていた。
「おかえり、サナ」
 言いながら青年は立ち上がり、サナに微笑んでみせた。
「カルツ」
 サナは青年の名を口にし、ドアを閉めて彼に歩み寄った。二人はその場で抱き合い、そのまま口づけを交わした。
「来てたんだ」
「ああ。剣術の稽古を抜けてきたよ」
「大丈夫なの?」
「まあ、ウルの相手をするよりはマシかな。あいつは稽古でも手加減なしだからね」
 カルツはそう言って笑った。サナもつられて笑う。二人はもう一度、軽くキスをした。

 二人が最初に出会ったのはこれより二年前。
 サナが家で本を読んでいると、不意にドアをノックする音が聞こえた。サナがドアを開けると、そこには端麗な顔立ちをした青年が立っていた。生まれた時から田舎暮らしのサナはその時、その男がこの国の王子だと気がつかなかった。
 カルツはサナに頭を下げ、理由は聞かずに少しだけ匿って欲しいと頼んだ。サナは初めて会う青年を疑うことなく、彼を部屋の中に招き入れた。カルツは何度もサナに礼を言って感謝の意を表した。
 その後、カルツは度々城を抜け出しては、サナの家を訪れるようになった。
 カルツとの会話は、サナにとってとても楽しいものだった。彼と合う回数を重ねるにつれ、知性に溢れる彼の話とその穏やかな微笑みに、サナは惹かれていった。
 そして数週間が経った頃、カルツは自分がこの国の王子である事を明かし、サナに愛を告白した。
サナはカルツの身分に驚いたが、彼を想う気持ちは既に止められないものになっていた。サナは最初に彼を家に招きいれた時と同じように、躊躇いなくカルツの想いを受け入れた。

「やっぱり落ち着くな、ここは」
 カルツは手に持った紅茶のカップをテーブルに置き、椅子にもたれかかった。向かいに座っているサナも、口につけていたカップをテーブルに置く。
「変わった人。他人の家の方が落ち着くなんて」
「ここにはサナがいるからね」
 サナは照れたように微笑み、カルツの目を見た。カルツは穏やかな微笑を浮かべたまま、じっとサナを見つめている。
「……君と一緒に暮らしたい」
 カルツの言葉にサナは一瞬動きを止めた。そしてごまかすように目を逸らし、息を吐いて微かに笑う。
「無理だよ。一国の王子が、街の娘に何言ってるの」
「プロポーズの言葉をかけてる。自分の一番大切な人に」
 サナは椅子から立ち上がり、仰々しくお辞儀した。
「身に余る光栄ですわ、カルツ王子」
 顔を上げて笑うサナを見て、カルツは声を上げて笑った。
「茶化したな、僕は真剣なのに」
 サナは答えず、ただ笑いながら二人のカップを手に取り、台所に向かった。その背中に、カルツが声をかける。
「……父の容態が良くないんだ」
「えっ?」
 サナが振り返った。
「まだ街の人達には隠しているけど、医者の診断によれば、もう永くないらしい」
「そんな……」
「おそらく、父の後は僕が継ぐことになる。それまでに、父がまだ元気なうちに……君を紹介したいんだ。父にも、城の皆にも」
「でも、あたしは……」
 カルツは立ち上がり、サナに歩み寄った。
「サナだって知ってるだろう、父は立派な人だ。それに僕のことを心から信頼してくれている。僕が決めた人に反対なんてしない。身分違いだなんてくだらない考え方をするのは、頭の古い年寄り連中だけさ。僕が必ず説得する」
 サナは口をきゅっと結び、カルツの胸に額を当てた。カルツはサナを抱き寄せ、サナはカルツの背中に腕を回した。
「カルツの気持ちはすごく嬉しい。あたしだって、あなたとずっと一緒にいたいと思う」
「それなら――」
 その時、ドアをノックする音が聞こえ、カルツの言葉は遮られた。サナは顔を上げ、切なげな表情でカルツを見上げる。カルツは苦笑した。
「ばあやか……まいったな、今日は随分早い」
 サナは振り返り、ドアに歩み寄った。
「はい」
「ベリアでございます。カルツ様はおいででしょうか?」
 ドア越しに聞こえる声を確認し、サナはカルツを振り返った。カルツは仕方ない、というように頷く。
サナはゆっくりとドアを開けた。ベリアと名乗った老女がサナを見上げ、微笑んだ。
「こんにちは、サナさん」
「こんにちは、ばあや」
「……ばあや、少しだけ外で待っていてくれないか。大事な話の途中なんだ」
 ベリアはゆっくりと視線をカルツに合わせ、穏やかな表情で頷いた。ドアのノブを握り、後ろに下がりながらドアを閉める。
 ドアの閉まる音を背に、サナはカルツを振り返った。
「いいの? 早く帰ってあげないと」
「いいんだ。どうしても今、ちゃんと言っておきたい」
「でも……」
「今すぐに返事をくれっていうわけじゃないんだ。ただ、自分の気持ちを言葉にして、君にきちんと伝えたい」
 カルツは軽く咳払いをし、サナの目をじっと見つめた。
「サナ」
「はい」
「僕は何よりも君を大切に思ってる」
「……あたしも」
「この命の限り、君だけを愛することを神に誓う」
 サナは、形式ばったカルツの言葉に笑おうとした。しかし唇は笑うどころか震えだし、目に涙が浮かんだ。
 カルツは言葉の出ないサナをそっと抱き締めた。サナも腕を回して力を込め、涙声を搾り出した。
「すぐに返事できないけど……あたしも自分の気持ち……言葉にして、言う……」
 カルツは無言で頷いた。腕の中のサナが顔を上げ、涙に濡れた顔で微笑んだ。
「嬉しい……」
 二人は口づけた。
 ゆっくりと唇を離し、カルツが微笑む。
「今のは誓いの口づけだね」
「えっ」
「冗談、冗談。ちゃんとした返事、待ってるよ」
「……うん」
「じゃあ、そろそろ行くよ。あまり長い事待たせても、ばあやが可哀想だしね」
「そうだね、じゃあ気をつけて」
「また明日来るよ」
「うん、待ってる」
 カルツはサナの耳に顔を近づけ、囁いた。
「またゆっくり話そう。今度はベッドの中で」
 サナは少し頬を赤らめ、カルツの胸を軽く叩いた。
「もう」
 カルツは笑い、ドアノブに手をかけた。
「じゃあ、また」
 サナは家を出て行くカルツを、手を振って見送った。

 次の日、カルツはサナの家に来なかった。
 その次の日も、それから一週間が経ってもカルツは現れなかった。
 王が余命幾ばくもないという噂が街に流れ始め、どこもかしこも後継者の話で持ちきりとなった。
 サナは胸を覆う不安に押しつぶされそうになりながら、姿の見えない恋人を想い、彼の笑顔を夢に見て過ごした。

     


 カルツが現れないまま数日が経ち、王の死と、弟王子であるウルが後を継ぐ事が街に知らされた。
 サナは知らせを聞いて愕然となった。兄王子であるカルツが王位を継ぐだろうということは、大多数の国民が予想していたことであった上に、サナは本人からもそう聞いていたのだ。
 何かあったに違いない。サナはいてもたってもいられず、訪れたこともない城に直接話を聞きに行こうと立ち上がった。
 その時、玄関のドアをノックする音が聞こえた。サナは目に涙を滲ませ、ドアの向こうにいるのがカルツであることを祈りながらドアに駆け寄り、返事もせずにドアを開けた。
「……ばあや……」
 ドアの向こうには、カルツの世話役であり、いつもこの家にカルツを迎えに来ていた、老女のベリアが立っていた。
「大事なお話があります……入ってもよろしいでしょうか」
 サナは頷き、ベリアを部屋に招き入れた。

「ご存知だと思いますが……前国王が亡くなり、ウル様がその後を継がれました」
 サナは神妙な顔で頷いた。不安に胸が痛み、顔が青ざめている。ベリアは続けた。
「本来ならば、カルツ様が世継ぎとなる筈でした。実際、王はベッドの上で最期にカルツ様の手を握り、後を任せたと言って息を引き取られたのです。しかしそのすぐ後……ウル様と、その取り巻きの兵士達が突然武器を抜き、その場でカルツ様を人質に取ったのです」
 サナは目を見開き、震えだした。
「カルツが人質って……何、どういうこと……?」
 ベリアの目から静かに涙が流れ、頬を伝った。
「城には、カルツ様を心から慕う兵士達が沢山います。その数はウル様を慕う人よりも遥かに多いのです。もし、カルツ様を慕う人を皆殺しにしてしまえば、残った者だけではおそらく国政が機能しない。ウル様……いえ、ウルは……そう考えたのでしょう。カルツ様を人質にし、城の兵士達を全て自分に従わせたのです」
「そんな……じゃあカルツは?」
「城のどこかに幽閉されております。おそらく、この事は国民に知らせられないでしょう。カルツ様は殺された……そういう事にされる筈です」
「何て事を……なんとか助け出せないの? そんなこと、許されるわけないよ!」
 ベリアは俯き、静かに首を横に振った。そして少し間を置き、顔を上げてサナを見つめた。
「サナさん……よくお聞きください。私は、カルツ様から伝言をお預かりしてきたのです。捕らえられた時、私に耳打ちで……もしかしたら、カルツ様はこうなる事を予期されていたのかもしれません」
「カルツから、伝言……?」
 ベリアは頷いた。
「ウルがこれから始めようとしている事は、暴力による恐怖政治です。それが始まってしまえば、もうこの国から逃れる事はできず、国民に先はありません。その前に、この国を出るようにと」
「えっ? そんな、それなら街の人達に早くそのことを――」
「それはいけません。もう既に街には兵士が送り込まれ始めています。もし集団でこの国を抜けようとすれば……その場で全員が殺されてしまうでしょう。武装した兵士の前では、一般国民の力など無いに等しいのです」
「まさか、いくらなんでもそんな事……」
「ウルを甘く見てはいけません。幼少の頃から、あの男は他人の命など何とも思っていないのです。彼につく兵士達も同類です」
「だからって……無理だよ、あたし一人で逃げるなんて。だいたいカルツを見捨てるなんて、とてもできない……できるわけない」
「わかってあげてください。サナさんには生き延びて欲しい……あなたを危険に晒したくない……それがカルツ様の望みなのです」
 サナは顔を歪め、カルツとの最後の会話を思い出した。彼から受けたプロポーズに、サナは未だ返事ができていない。
 涙が込み上げ、手を口に当てた。唇から小さく呟きが漏れる。
「こんな……こんな事になるなら……」
 サナは後悔の念に襲われた。あの時、どうして素直に「はい」と言えなかったのか。どこに返事を躊躇う理由があったのか。自分が彼を慕う気持ちに、疑いは全くないというのに。
「なにか方法は……カルツを助け出す方法はないの?」
 気がつけばサナは涙を流しながら、ベリアの服を掴んでいた。先程と同じ問いをかけてくるサナの手に、ベリアは優しく自分の手を当てた。ベリアの手のぬくもりにサナは我に返り、鼻をすする。
 しばしの沈黙の後、ベリアは躊躇いがちに口を開いた。
「一つだけ……可能性はとても低いですが、方法があります……危険な方法ですが……」
 サナは目を見開いた。
「教えて、ばあや。あたし、何でもする。何でもするから」
 ベリアはサナをじっと見つめ、しばし口をつぐみ、諦めたように話し始めた。
「ウルが用いているのは、力そのもの。力には力で対抗するのです」
「力……?」
「このネティオより、日の昇る方角に半日ほど歩いたところに、スントーという村があります。その村に伝わるとされる奇跡の石……その石に触れた者は、人を超えた力を得ると言われています」
「その石の力で、カルツを助け出す……」
「はい。しかし……その石に触れた者のうち、半数は死ぬと言われています。まさに命懸け……ということになります」
「構わない。このままカルツに会えないなら、生きていないのと同じだよ」
 一度は乾いていたベリアの目に、再び涙が滲み出した。
「本当は……こんな話をサナさんにすることは、カルツ様の望むところではありません。しかし、私もサナさんと同じなのです。カルツ様を何とかして救い出したい……申し訳ありません……」
 泣き崩れたベリアを、サナは抱き締めた。
「謝ることなんてないよ、ばあや。安心して、カルツはあたしが必ず助け出すから」
「ありがとうございます、サナさん……」

 お役に立てば良いのですが、そう言ってベリアはサナに数枚の紙を渡した。城内の見取り図と、城への裏口を示した地図だった。
「奇跡の石は、その力の強大さと危険さゆえに、その存在はほとんど表に出ておりません。ただ、最後にその力を継承した者が、その石を肌身離さずに持つ決まりとか……」
「ありがとう。必ずその石を見つけて、ここに戻ってくるからね」
「どうか、サナさんも無理をなさらずに……」
「うん。あ、カルツに伝言を頼んでもいいかな」
 ベリアは悲しそうに首を横に振った。
「申し訳ありませんが、おそらく私はもうカルツ様に会う事はできません……城を抜け出した私が戻れば、カルツ様に会う前に、ウルの兵士に殺されてしまうでしょう」
「あっ……」
 ベリアが城を抜け出してきた事に、サナはここで気付いた。カルツを慕う人間が、城から自由に出られるわけがないのだ。
 サナはベリアの手を取った。
「一緒にこの国を出よう、ばあや」
 ばあやはサナを見上げ、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、サナさん。お優しいですね……。ですが私はもうこの歳です。今更この国を出て行く力はありません」
「でも、ばあやは追われる身なんでしょ? 駄目だよ」
「サナさんに……私と一緒に行動させるわけにはいきません」
「そんな事言っちゃ――」
 サナは言葉の途中で口をつぐんだ。自分を見上げるベリアの表情に、強い決意を感じたからだった。
ベリアは気持ちの伝わった事を理解し、にっこりと微笑んだ。
「カルツ様をよろしくお願いします、サナさん」
「……!」
 サナの目から涙が溢れた。サナはベリアを抱き締めた。ベリアは孫を抱くようにサナの背中に手を回し、ぽんぽんと軽く肩を叩いた。
 サナはベリアから体を離し、涙に濡れた顔を近づけ、頬に軽くキスをした。
 そのままサナは振り返り、ベリアの顔を見ないでドアを開け、涙を拭って家を後にし、スントーの村を目指して走り出した。

       

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Neetsha