2.許された休息 <9.17>


  2

 木製の貧相なドアが外側から蹴られ、数人の兵士が部屋に入ってきた。
「起きろ!」
 兵士の声に、部屋で眠っていた者は皆飛び起きた。もたついていると何をされるかわからない。布団を抜け出して立ち上がり、次々と兵士の前に並ぶ。彼らは皆、薄汚れた作業着に身を包んでいた。
 既に目の覚めていたロイも、立ち上がって列に加わった。
 外はまだ暗い。住民達は日の出と共に起き出し仕事場に向かうことが義務付けられていた為、いつもはこのように兵士が起こしに来ることはなかった。
 普段より早く起こされたからといって、不満を顔に出すような者は誰一人としていない。怯えきった表情で俯き、黙って兵士の言葉を待つのみだった。
「これからは、夜が明けるまでに所定の仕事場についておけ」
「はい」
 兵士の言葉に、部屋の住民達は間髪入れずに返事をした。どんな無理な命令であろうが、逆らう事は許されない。
「よし、行け」
 住民達は言われるままに部屋を出て行き、ふらつく足で仕事場に向かった。

 ほぼ奴隷の状態で労働を強いられている住民達は、部屋によって仕事を振り分けられている。ロイのいる部屋には男女あわせて十五名がおり、彼らに課せられる仕事は主に農作業だった。
 振り分けの例外として、各部屋から一人ずつ調理を担当する者が決められ、他の者と別れて調理場へ向かう。
 ロイのいる部屋の調理係の名前はレイリと言った。ロイよりも一つ年下の女で、ロイよりも少し背が低く、整った顔立ちに細い身体をしていた。

 太陽がちょうど頭の真上に昇った頃、ロイは収穫した芋を布の袋に詰め、農場から数キロ離れた城まで運んでいた。彼の前後には同じように重い布袋を持った同僚が歩いている。
 労働の時間中、口を開く者は殆どいない。もし監視役の兵士に見つかれば、その場で鞭を打たれ、運が悪ければそのまま殺される。
 この日のロイ達も口を聞くことなく、黙々と長い道のりを歩いていた。
 突然、ロイの前を歩いていた男が足をふらつかせ、そのまま地面に倒れ込んだ。彼の持っていた袋から芋がこぼれ、道を転がる。
「トーニ?」
 ロイは顔を上げ、倒れた男の名を呼び、持っていた布袋を地面に置いて駆け寄った。
 幸いなことに、近くに監視役の兵士はいなかった。もし見られていれば、彼が倒れた瞬間に鞭が飛んできていただろう。
 後ろを歩いていた同僚も、近くに兵士がいないことを確認し、駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
 ロイは倒れているトーニの肩を揺さぶりながら、自分はなんて間抜けなことを口にしているのだろうと思った。自分達はいつも限界まで疲れ果てた状態で働かされている。「大丈夫」な者など、どこにもいない。
「ああ……すまない……」
 トーニは閉じていた目を細く開け、ロイの差し出した手を取って上体を起こした。ロイはトーニの手の体温を感じ、口を歪めた。
「トーニ、熱が――」
 言いかけてロイは口をつぐむ。自分達は奴隷同然である。病気になったとしても休めるわけではなく、逆に容赦なく鞭を浴びせられる。動けなくなればそこで終わりなのだ。
 ロイの気持ちを察したのか、トーニは苦しそうな顔で微かに笑った。
「大丈夫だよ」
 ロイの手を離し、トーニは自分の頬を軽く叩いた。
「ごめんな、心配かけて」
 言いながらトーニは立ち上がり、辺りに転がった芋を拾い始めた。ロイは答えることができず、無言でそれを手伝った。他の同僚達もそれに倣う。
 芋を拾い終わり、トーニは再び袋を背中に担いで歩き出した。ロイ達もそれに続く。前を歩くトーニの足がふらつくのを見るたび、ロイは顔を歪めて唇を噛んだ。

 その日の仕事が終わり、ロイ達は疲れ果てた顔で部屋に向かった。
 彼らがドアを開けると、部屋の中央で一人の兵士があぐらを掻いて座っていた。右手に持ったパンにかじりつきながら、時おり左手に持った皿を直接口につけ、スープを喉に流し込んでいる。
 その兵士の横には、調理係のレイリが怯えた表情で正座していた。
 この国の兵士は週に一度、自分の担当する住民の部屋で食事を取ることになっていた。普段は城で豪勢な食事をする彼らも、この日の食事は一般住民と同じものとなる。
「ちっ。週に一度とはいえ、くそまずい飯だぜ。お前ら、よく毎日こんなもん食ってられるな」
 しかめ面をした兵士に睨まれた住民達は、一様に引きつった愛想笑いを浮かべた。兵士は特に反応を期待していた風でもなく、何事もなかったように食事を続ける。
 レイリが立ち上がり、同僚達の食事の準備を始めた。

 ロイ達はいつものように、部屋の中央で輪になって食事を始めた。彼らにとっては一日で唯一の食事で、その献立はパン一つとジャガイモのスープである。スープと言っても味付けは塩のみであり、ろくな味はしなかった。
 黙々と食事を取るロイ達の輪から少し離れた所で、先に食事を終えた兵士が壁にもたれ掛かって座っている。兵士は退屈そうに、手に持った銃を弄んでいた。
 不意にトーニが食事の手を止め、震えながら皿を床に置いた。真向かいに座っていたロイがそれに気付き、眉をひそめる。
「……トーニ?」
 ロイの声に、隣に座っていたレイリも顔を上げた。俯いて食事を取っていた他の同僚達も手を止め、顔を上げる。
 トーニは青い顔をして手で口を押さえ、立ち上がった。そして数歩進んだところで膝から崩れ、地面に手をついて四つん這いになり、その場で胃の中の物を吐き出した。
 ロイと数名が慌てて皿を置き、トーニに駆け寄った。トーニを仰向けに寝かせ、口々に声をかける。苦しそうに喘ぐトーニの額に、ロイは手を当てた。昼に触れた時よりも更に熱が上がっている。
 他人事のようにその様子をみていた兵士が、ゆっくりと立ち上がった。面倒臭そうに歩き、トーニを囲う住民達の上から、その中心で倒れているトーニを見下ろす。
「ああ、駄目だなこりゃ」
 兵士のその言葉に、部屋の中は水をうったような静けさに包まれた。苦しそうなトーニの息が部屋に響く。
 ロイは動機が激しくなるのを感じた。肩を震わせて懸命に自分を奮い起こし、トーニを庇うように兵士の前に立つ。しかし恐怖のあまり足が震え、開いた口からは言葉が出てこない。
「なんだ、お前は? どけ」
 兵士は手に持った銃でロイの側頭部を殴った。ロイは激しい衝撃を受け、小さく悲鳴を上げてその場に倒れ込む。
 兵士が更に足を一歩踏み出すと、トーニの周りに集まっていた同僚達は座ったまま後ずさった。
「よし、うつ伏せになれ」
 兵士の言葉に、トーニは苦しそうに喘ぎながら、言われるままに身体を動かし、うつ伏せの体勢を取った。
 倒れていたロイが、血の流れる側頭部を手で押さえながら体を起こす。
 ロイが震えながら手を伸ばした時、部屋に乾いた銃声が響いた。
 真上から後頭部を撃ち抜かれたトーニは、顔面から地面に突っ伏している。
 その下の床には徐々に血溜りが広がっていく。同僚達は思わず目を背けた。
「ちゃんと片付けておけよ」
 兵士は感情の篭らない声でそう言い、ドアに向かって歩き出した。
 ロイは目に涙を浮かべ、激しく肩を震わせていた。何も言えなかった自分を責め、何の力もない自分を呪った。
 彼は拳を強く握り締め、側にあった皿を拾い、立ち上がって兵士の背中を睨みつけた。
 ロイが兵士に飛び掛ろうとしたその瞬間、皿を持った腕にレイリが抱きついた。ロイが振り向くと、レイリは涙を浮かべた瞳で訴えるようにロイを見上げ、無言で首を横に振る。
 ロイの腕から力が抜け、皿が床に落ちた。