13.救世主の言葉 <1.29>


  13

 人々は一様に口をぽかんと開き、唖然とした表情で広場の中央を見つめていた。
 ロイを倒した筈の女が突然銃に撃たれ、背中から血を流してロイに覆いかぶさっている。その場にいる誰にも、何が起こったのかを理解できる者はいなかった。
 レイリはわけもわからず、二人に駆け寄ろうとした。
 その時、広場中に一人の男の笑い声が響き渡った。レイリは弾かれたように足を止める。
 人々は青ざめた。全ての民衆の脳裏に、忌まわしき過去の光景が蘇る。今聞こえた笑い声は、五年前に同じ場所で聞いた声と同じものだった。
 民衆は辺りを見回した。しばらくすると、城の方角から数人の兵士が、広場の中央に歩み寄ってくる。その中央にいるのは現在のネティオ王、ウルだった。
 広場に入ったウルは倒れているサナとロイの前で一旦止まり、二人を見下ろして笑みを浮かべる。
「いい様だな、女。自分で倒した男の身代わりか? お前の意味のない行動に免じて、その男を殺すのは後にしてやろう」
 ロイを狙った銃弾は、ウルの指揮する兵士が放ったものだった。カルツの命令で、隙があればロイを撃つように指示されていたのだ。
 誰もが動けずにいる中、兵士を引き連れたウルはゆっくりと足を進めた。座り込んだまま震えているレイリが視界に映る。
「なんだ、お前は?」
 ウルは無造作にレイリの顔面を蹴った。激しい衝撃に、レイリは悲鳴を上げる暇もなく地面に叩きつけられ、気を失った。仰向けになった彼女の鼻と口から血が流れ出す。
 ウルは、サナがレンガに置いた石の前に立った。
「これが、奇跡の石か……兄貴も人が悪いぜ、ギリギリまで内緒にしておくなんてな……おい、一人連れて来い」
「はっ」
 ウルの横にいた兵士二人が走り出し、近くにいた男に駆け寄った。
「えっ……何を、待ってくだ……」
「黙れ」
 兵士は抵抗しようとする男を殴り、二人で両肩を掴んでウルの前に連れて行った。石に向かって正座させ、後頭部に銃を突きつける。ウルは後ろから男に命令した。
「その石に手を触れてみろ」
「えっ……?」
 男はわけがわからず、激しく震えている。
「早くしろ。殺すぞ」
 言われるままに、男は恐る恐る石に手を触れた。
「あの……これで良――」
 男は最後まで言い終えることができなかった。突然喉に手を当てて激しく苦しみ始め、痙攣を起こして地面をのたうち、そのまま数秒後に呼吸を止めた。
 ウルは感情の篭らない目で、死んだ男を蹴り飛ばす。
「次」
「はっ」
 二人の兵士は再びウルの元を離れ、広場にいる別の男を捕まえた。捕まった男は絶望の表情を浮かべ、涙を流しながら石の前に正座する。
 言われるままに石に触れた二人目の男に、身体の異常は起こらなかった。しかし、彼は後頭部に突きつけられていた銃から放たれた弾丸によって命を失った。
 ウルはそれを数回繰り返した。石に触れた者が死ねば次の人間を探し、生きていれば即座に銃で殺し、次の人間を探した。
 連れて行かれれば必ず殺されるという状況の中で、広場の人々はその場から一歩も動かなかった。
 五年の年月を経て彼らに差した希望の光は既に失われ、人々の心は再び恐怖と絶望に支配されていた。

 三人の生贄が、連続で石の力を得る事ができずに命を失った時、ウルは笑みを浮かべた。
「よし……」
 ウルは最後に死んだ男を横に蹴り飛ばし、石の前に立った。側には二十を越える犠牲者が横たわっている。
 少し緊張した様子で額に汗を浮かべ、ウルは石に手を伸ばした。
「頼むぜ、奇跡の石よ……」
 ウルは石に手を触れた。
 張り詰めた空気の中、しばしの時が過ぎた。ウルの身体に異常は起こらない。
 ウルは笑い出した。腹の底から込み上げるような笑い声は徐々に大きくなり、王は高らかに声をあげて笑った。
 笑いがおさまると、ウルはゆっくりと首を回して辺りを見回した。一人の男と目が合い、突然ウルの姿が人々の視界から消えた。
 次に民衆が気付いたときには、ウルは男の首を片手で掴み、その体を持ち上げていた。ウルが手に力を込めると、男の首から骨の折れる音が聞こえ、ウルはそのまま男の首を握りつぶした。
 そのまま、ウルは絶命した男の頭をもう片方の手で掴み、捻った。気味の悪い音を立てながら男の首は一周回転し、胴体からちぎれた。
 ウルは男の首と胴体を地面に投げ捨て、自分の両手を前に掲げた。血に染まった両の拳を握り締めて自分の得た力を実感し、大声で笑った。
 ウルは振り返り、手を広げて叫んだ。
「やったぜ、兄貴……三人続けて死ねば次に成功する確立は高い……兄貴の言った通りだ! 俺は石の力を手に入れた……これで俺は無敵だ。もう俺達に歯向かう奴なんているわけがねえ!」
 人々は一斉に、ウルの視線の先に目を向けていた。
 そこには、数人の兵士に守られるようにしてローブを身に纏い、フードを深く被り顔を隠した一人の男が立っている。
 男は静かに溜息をついた。ゆっくりと、顔を隠していたフードに手をかける。
「相も変わらず、困った奴だ……ここで僕の正体を暴く必要がどこにある? ……まあ、いい。もはや隠しておく必要もないだろう」
 男はフードを上げ、人々の前に顔を見せた。
 民衆の多くに驚愕の表情が浮かんだ。彼が最後にその姿を国民に見せてから五年以上の月日が経つが、当時既に二十歳に近かったカルツの顔かたちは、さして変わるものではない。
「カルツ……様……」
「一体、これは……」
「生きておられたのか……」
 人々は口々に呟きを漏らす。
 カルツは余裕の表情を浮かべ、ウルの横に歩み寄った。
「理解の悪い国民達だな。まあ、そもそも君達に知能など求めてはいないが」
 カルツの口から漏れた悪態は確実に数人の民衆の耳に届いたが、彼らの頭の中には届かなかった。
 ウルとは異なり、幼少の頃から頭脳明晰で優しい心を持ち、穏やかな笑顔を絶やさない王子、カルツ。人々に植え付けられたそのイメージは、現状をさえ振り払った。
 人々は改めてカルツの言葉を待った。最悪の場面に登場した救世主が、自分達を救ってくれると信じて。
 カルツは溜息をついた。
「どうやら、まだ夢見心地の人が多いようだな。優しい王子のイメージを振り払う事ができないか。我ながら大した演技力だよ」
 カルツはウルの背中を叩き、笑い出した。ウルも一緒になって笑い出す。
 しばらくしてカルツは笑いを止め、冷たい表情で民衆達を見下ろした。
「ネティオ国民の諸君。今更かもしれないが、僕の口から五年前の事を簡単に説明しておこう。ウルが僕を殺して王位に就いた……と、君達は思っているが、実際は違う。僕が、ウルに、王位を継がせたんだ。つまり――」
 カルツはウルの前に出た。自分に注目する民衆に向かって両手を広げる。
「この国を変えたのは、僕だ。この僕こそが、この国の支配者だ」
 人々は耳を疑った。先程と違い、最初から意識を集中して聞いていたカルツの言葉は、確実に人々の頭の中に入り込んだ。
 数人がその場で気を失い、倒れた。多くの民衆は頭が混乱し、何も考える事ができなくなった。カルツは続ける。
「ウルが人を超えた力を手に入れた今、この国の体制は磐石となった。もはや君達に抵抗の余地はない。諦めて君達がいるべき場所に戻り、国の為に生涯かけて奉仕するんだ」
 カルツはそう言い捨てて振り返り、ウルを見上げた。ウルは嬉しそうに兄を見て笑う。
「流石だぜ、兄貴……兄貴の言うとおりにしていれば間違いはねえ。俺達は無敵だ」
 嬉しそうに話しかけてくる弟を見て、カルツは薄く笑った。
 三人続けて石に殺されればその次は成功する確率が高い――カルツはウルにそう説明したが、その論理は成立しない。しかしウルは彼の言葉を疑いなく受け入れた。安全な賭けだと信じ、容易に命を賭けて石に挑んだ。
 カルツにとって、ウルは駒の一つでしかなかった。力は強いが頭が弱く、自分を心から崇拝しているウルは利用価値が高かったが、仮に彼が今回の事で命を落としていたとしても、代わりになる駒はいくらでも用意できた。
 カルツはウルの胸を軽く叩いた。
「ウル、石はお前が持っておけ。眠っている時も起きている時も、肌身離さずな。油断せず、何者にも決して奪われるな。王としての大事な役割だ」
 ウルはにやりと笑い、頷いた。
「わかった。任しといてくれ、兄貴」
 言いながら、ウルは置いてあった石を手に取り、懐に入れた。
 その時、民衆の一人がふらつきながら立ち上がった。
「騙したな……俺達を……」
 カルツが笑みを浮かべながら振り向く。
「人聞きが悪いな。僕が殺されたという事は、君達が勝手にそう噂しただけのことだ。こちらからは一切、そんな報告はしていないよ」
「だ、黙れ……そう思うように仕向けたんじゃないか!」
 男は懐から銃を取り出し、震える手でカルツに銃口を向けた。
「ほう、やけに物騒なものを持っているな。武器の所持は大罪だぞ」
「う、うるさい!」
 男は叫び、そのまま銃を放った。銃声が轟く。
 しかしカルツは平然と笑い、男を見つめている。カルツの目の前には、横にいるウルが差し出した手があった。
 ウルが手を引き、自分の胸の前で拳を開いた。ウルの掌の上には、今カルツに向けて放たれた銃弾が転がっていた。
「そんな……う……うあ……」
 男はよろめき、ふらつきながら振り返り、二人に背を向けて走り出した。ウルがそれを見て残忍な笑みを浮かべ、手に持った銃弾を男の後頭部目掛けて投げつけた。
 ウルの投げた銃弾は男の後頭部に命中し、貫通して鼻を突き破った。男はその場に頭から倒れ込んだ。地面に血溜りができる。
 嬉々として兄を振り返ったウルの視界に、一人の少年の姿が映った。ウルの表情が引き締まる。カルツもそれに気付き、後ろを振り返った。
 そこには、全身に傷を負ったロイが足を震わせながら立ち、二人を睨み付けていた。