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yamiako
実験ノート

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実験の説明

 当実験の手段と目的を段階を追って説明する。まず第一に被験者はこの部屋から出てはいけない。この部屋で一週間を過ごすこととなる。そして次にこの文章を用意した日誌に書き写すこと。また、実験中考えたことなどは随時日誌に書き留めること。別紙の表で指示してある時間通りに注射器によって皮下注射を行う事。注射の主な成分はアルコールであり、それにより被験者は次第に泥酔状態に陥ることとなる。被験者はその後意識を取り戻した後に一日以内に部屋に設置されたカメラによって撮影された被験者の泥酔状態の映像を確認すること。これを一週間続けることによって実験を完了とする。


 以上がこの実験の概略として渡された紙を私が書き写したものであるが、まず書いていて気にかかったことは目的の説明が無いということだ。段階を追ってということだからこれから先にその説明がされるということかもしれない。もしかすると被験者である私が目的を知ってしまうと実験が正しく行われないということかもしれない。それにしても少し気にかかる、実験の手段こそ分かったもののその目的を知らないで行うということは少し不安ではある。私が名前を知っているような有名な大学の実験であるといっても絶対に私の身に何か起こらないということは保証されていないのではないか。

 別紙の表というのは私が注射を打つ時間を書き並べた表のことである。今日は正午過ぎに一度、そしてそれから半日ほど経った後にもう一度の日に二回の予定だ。これが一日ごとに三時間ほどずれていて丁度一週間で一回りするようになっている。深夜の注射の場合助手が起こしに来ると説明の時に言っていたが、しかし夜中にいきなり起こされて注射というのもちょっと不気味ではある。まあすぐに意識はなくなるであろうからそんなに気にしないでもいいのかもしれない。


 昼ご飯が運ばれてきた。しかし正直に言って食欲は無い。部屋の無機質さはさることながら部屋の中にカメラがあるというのもなかなか嫌なものだ。映像は注射を打った後にしか撮らないと言っていたがそれにしても気になる。何かロボットと一緒に暮らしているような居心地がする。食事を摂った後しばらくすると助手が来た。

「食器を片付けに来ました」

 そしてさもついでだと言わんばかりに注射を打ちましょうかと言った。自分で打ってもいいとのことだったのでそうすることにする。その前に日誌に今までのことを書き込めと言われたので書く。助手が置いて言った脱脂綿に消毒液を付け左腕の肘の裏あたりに塗り、注射を打つ。といってもそうしろと言われただけであってまだしていない。注射器は私の人差し指ほどの大きさでそれにたっぷりと液が入っている。正直に言って不安だ。



 頭の後ろに固い物を感じ、身体の痛みを感じるとともに起き上がる。まだ頭がぼんやりとして身体はちょっとふらふらとしている。時間を確認すると六時ということだからおそらく夕方の六時なのだろう。私は床に寝転がっていて椅子はうしろに倒れていた。私はなぜこのような状態になったのか多少の興味があった。そして早いうちにすませた方が良いだろうと日課の映像の確認を行う。モニターの電源を付けると私の姿が映し出されていた。しかし挙動がおかしい、何やら椅子に掛けながら椅子の後ろ脚を軸にして前脚を浮かしている。そのままの状態でしばらくゆらゆらと前後に揺れている。手はだらしなくほとんど弛緩したといった風に左右にぶらさげている。こんな映像が五分ほど続いてもう大方予想が付いていたが彼は情けなくバランスを取り誤って後ろに倒れた。今まだ少し痛む右腕はこの時に床に打ち付けたものだということがわかった。彼は口を開けて何か言っていたようだが音声が無いのでよくわからない。しばらくしてそのまま床に寝てしまった。

 夕食を食べる。あまり栄養のないものだったらこのような実験を続けたら体質が変わってしまうのではないかと思っていたがそうでもないので安心した。むしろ運動しないから太ってしまうのではないかと心配だ。その後ベッドに横たわり持ってきた本を読む。しかしあまり頭に入らず軽く眠ってしまった。それから私はぼんやりとこの一週間のことについて考える。一日目はもうすぐ終わろうとしている。


 さきほど私は画面に映った私自身を彼と記した。私は何やらその滑稽な様子を見てそう書かずにはいられなかった。あれは私では無いとすら思った。あの映像を見ていた時の印象はかなりの違和感と嫌悪感だけだった。けれど私は今の自分の映像というものを見たことが無かったからそのような印象は感じて当然であって、いずれ無くなるのではないかと考えた。何故なら彼はちゃんと私の記憶を持ち、そして意識をも持っているだろう。概要の中に意識を取り戻したらと書いてあるが、しかしそれは彼に対する人権の侵害ではないだろうかと考える。そして私は一つの退屈な生活を彩る催しとして彼に対してメッセージを送ることにした。ノートを一ページ切り取り、それに大きな文字で「お前は人権を侵害されている!それに対する不平を叫べ!」と書いた。助手が来てそれを見て私の意図を酌んだのかクスリと笑った。そして私は本日二度目の注射を打った。





 朝起きると二日酔いと同じ頭痛と気怠さが私を襲った。考えてみれば私のしていることは日に二度の酒盛りをしていることと同じだ。これを一週間続けるとなるとすこし気が滅入ってくる。酒ならばまだ楽しみというものがあるだろうに。そう考えながらしばらく横になっていたが映像の確認のことを思い出し起き上がり机に向かう。

 机の上には昨日私が書いておいたメッセージの紙がくしゃくしゃになって放り出されていた。その経緯を確認するためにもモニターを付ける。助手が出て行った後彼はまだしばらく椅子に座っている。昨日とおなじように前後にゆらゆらと揺れている。そういえば私も飲み会の時などにああやって揺れる癖があったかもしれない。また後ろに転ばないだろうかと思っていると今度は足がすべっって勢いよく前へつんのめる。彼は驚いたためか前方に視線が移ったためかその時初めて私が残したメッセージを見る。何だかよくわからないといった風に乱暴に紙を机の上に置いた。その後驚いたことに彼は机の中から鉛筆を取りだして私がメッセージを書いた裏側に何か書き始めた。私は映像よりもそのメッセージの確認を優先した。その紙の裏には乱雑にこう書いてあった。

「お前が何を思ってこれを書いたか私は知っているが、私が何を思ってこれを書いたかお前は知らないだろう」

 これを見て私は考えさせられた、確かに彼の言う通りである。しかし、ともすると私が彼のことを「彼」と書くことも概要で彼は意識を持たないと言うように彼の意志を認めていないのではないだろうか。私はしっかりと彼が私である、いや……あれは私であると認識するべきではないかと考える。先ほどから――いやもっと前から――私の頭の上にこの命題は度々上がっているのだが一向に答えを出す事ができない。このことを考えていると頭痛がさらに増していきそうに感じる。


 朝食なのか昼食なのか分からない食事が運ばれる。今後スケジュールの都合からこのような変動的な食事が多くなるから腹が減ったらいつでも言ってくれとのことだった。食後しばらく経って注射の時間となる。左腕にはもう二つ穴があるので右腕に打つことにする。


 起きると夕方の四時ごろだった。頭がふらふらしている……もはや意識のある時はいつもこのような状態である。そのうち常に酔っぱらっているようになるのではないかとすら思う。今日まだあと一回注射を打たねばならない事を思うと嫌になる。しかし厳密には今日ではなく日付が変わった後だ、それを考えてまた嫌になった。表をよく見ると昨日は日に二度打たなければならなかったがそれがずれていくと最後の日は一度しか打たなくていい。それは私にとって些細な気休めだった。しかし今はまだ最後の日がとても遠く感じる。

 思い出して映像を確認する。もはやあまり彼に対する違和感も無くなってきた。行動のパターンも大体揺れているだけかすぐに寝てしまうなど単純なことだった。しかし私は彼が両手を挙げて背伸びをした映像を見て突然その時の意識が喚起された。気楽にこの実験が終わったら何をしようかといろいろと考えていたのだということが頭の隅の記憶から這い出してきた。けれど私はその記憶――まさしく自分の記憶なのだろうが――それに対して他人の手垢が付いているような嫌悪感を感じた。なぜなら私はこの二日間でこの部屋の中でそのような想像はしたことがなかったからだ。この実験を終えた後のことなど途方に暮れたことだとしか思えない。私はいくら酒を飲んだ時だろうとそんな考えは無縁だろうと思うのだ。確かに人間は酒を飲めば楽観的になるかもしれないが、しかしそうなっても目の前にナイフを向けられればそう考えてはいられなくなるだろう。私にとってこの部屋の中に居るということはそれに近い心地がするのだ。

 それから私は彼のことを一人の荒くれ者だと思うようになり始めた。たびたび呼び起こされる記憶は私ではないと拒絶することによって一個の人格を作り始めるようになる。そして次第には画面の端で映っている彼が私とは別の人物であるように見えた。そこで私はジーキル博士がハイド氏を産み出す課程をなぞらされているのだと思った。このままだと私は二重人格者になってしまいそのうち精神に支障を起こしかねない。私はできるだけ彼を客観的に見ようと努める。しかし酒のためか目がくもっているようで何度も目をこすらなければならない。




 今彼は机の前の椅子に座って何かやっている。彼は……何だろうか机に向かって何かを見下ろしながら……よく見えないが……ペンのようなものが見えた……そうだ、彼は確かに今なにか書いている。時々その手を止めるが今まさに書いている。



また書き始めた。彼はさきほどまでは思索にふけっていたように見えたが今まさに文章を書いている。そういえば私もさっきまで考えていたのだが私はどうやらジーキル博士にならずには済んだようだ。今や彼の姿はとても明瞭となり、その一挙一動が手に取るようにわかる。この分ではもはや彼の行動を手中に収めたと言っていいほどである。彼はまだ書き続けている……



(同様な文章の羅列のため省略)

       

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