Neetel Inside 文芸新都
表紙

落下
「八月一日」

見開き   最大化      

 巨大隕石が追突します。それによって人類は滅亡します。
 簡単に言うとこうだ。テレビでは、僕が聞いたこともない単語や学者と言われている人達がサイズがどうだの、材質だのああだこうだと言っているが、それを僕が詳しく理解したところでなにがどうなる訳でもない。
 なんとか隕石の衝突を回避できないんですか!?
 それを聞いて僕はテレビを切った。一ヶ月前と同じ話題だからだ。映画「アルマゲドン」のような奇跡は現実では起こってくれなかったらしい。
 窓を全開にしてもうだるような暑さを、少しでもマシにしようと団扇を仰ぐ。外からは僕をあざ笑うかのように蝉がこれでもかと言わんばかりに泣き喚いていた。やれやれ、と思う。蝉達は隕石で死ぬだろうか? それとも寿命によって隕石の衝突を待つ事無く、天寿を真っ当する事が出来るのだろうか?
 僕は心臓に手を当ててみた。あるマンガで生まれてから死ぬまでの心臓の鼓動は、誰も皆一緒、だなんて事を書いていたからだ。だが、そうやって聞く自分の心音はいつもと変わらず静かなもので、とても老人と同じ回数を、これから一ヵ月後死ぬまでに鳴るとは到底思えなかった。
 黒のタンクトップと白のハーフパンツと言う楽な格好で玄関にてサンダルを履く。近くのコンビニでジュースを買うついでにエアコンで涼もうと思い、団扇を片手に外へと出る。
 僕が住んでいる家は通学に便利だからと言う理由で、親が勝手に選んで部屋で学校からさほど遠くもなく、夜うろついてたむろするような不良行為を働くつもりにもならない静かな場所だ。近所には公園もあって、小学生くらいの子供が砂場とかブランコで遊んだり、それより小さい子供と母親の集団がいたりする。
 一体なにを話しているんだろうか? と僕は始めてその集団に興味を持った。
 まさかあのスコップを奪って喜んだり、奪われて泣いている小さな子供達が死生観を語ったりなんてことはしてないだろうが、それを見ている二十代後半だろうと思われる母親達は一体どんな目でその光景を見ているのだろう。
 じゃあ、俺は?
 公園を通り過ぎる。なんだかこっぱずかしくなり後頭部あたりをボリボリと掻き毟った。自分も砂場で遊んでる子供と大した差はないじゃないか、と思えた。誰に知られるわけでもないが誤魔化すように、先程より強く団扇を仰いで僕はコンビニへと通じる十字路を左に曲がった。あと数十メートル歩けばそこにはいつもの、フリーターらしい派手な金髪の店員がやる気のない顔でレジにいて、常連となっている僕に「よう」と片手をあげるのだ。
「……あれ?」
 駐車場に足を踏み入れて、僕はそこで足を止め、首を傾げた。
 駐車場には何台か車が止まっていた。僕は最初買い物客だと思ったが、店を見るとどうもおかしい。電気がついていないのだ。戸惑っていると、開き放たれている自動ドアから人が出てきて目が合った。
「あの」
「ん? なに?」
「コンビニ、どうしたんですか、これ」
 貧乏な大学生。失礼だがそんな風にしか見えない男の人は、僕の質問にニヤニヤと笑って答えた。
「店長が夜逃げしたらしいよ。ま、夜逃げっつーか、多分地元に帰ったんじゃないかって皆言ってるけど。面倒になったんじゃないかな。商品とかはそのままだから今皆好き勝手頂戴してるって訳。明日には空っぽになってるかもね」
「んなっ」
 仰天して、視線を店内へと移す。薄暗くてよくは見えないが確かに数人の人影が、棚の商品をこれでもかと言わんばかりに漁っていた。
「君も今ならまだ余裕あると思うよ」
 そう言って大学生はレジからかっぱらったのだろう白い袋を自転車の籠やらハンドルやらにぶら下げてえっちらおっちらと駐車場から出て行ってしまった。
 なんて事だ。
 僕は照りつける日差しの厳しさを一瞬忘れて、目を閉じてその場に立ち尽くした。
(まさか人がどうしようか悩んでる昨日の今日で、もう行動に移ってる人がいるとは……)
 自分の不精具合をようやく実感した僕は、しかしとにかく店内へと足を踏み入れた。
 電気が消えているのと同様当然エアコンも点いていなかった。僕はちょっとした期待外れを感じながら、籠を手に取る。ちゃんと営業してればこんなものを使うほどの量を買う事もなかっただろうが。
「…………」
「…………」
「…………」
 僕達はただただ無言でカップラーメンやスナック菓子や、温くなっているジュースを籠へと放り込んだ。まるで自分以外の誰もここにはいないと言った感じで。時折欲しい物が重なって同時に棚に手を伸ばそうとしている人達がいたが、その時彼らはまるで何事もなかったかのように、二人ともその商品に手をつける事無く別の棚へと向き直り、そしてまた手を伸ばす。
 放棄されたからと言って、商品を盗む。そんな自分がやっている事がとてもあざとい。羞恥心で内心顔が赤くなりそう。罪悪感で息が詰まる。だけど皆やっているじゃないか。だから自分だけが責められる事もないはずだ。だけど自分は本当はこんな事するような人間じゃない。本当は違う。こいつらとは違う。
 その光景からそんな発想が沸いてきて、僕はなんだか居た堪れなくなった。ジュースを掴んでいる手を離そうとして……離そうとして、
「……」
 もう一度握りなおし、籠へと入れる。そして携帯電話を取り出した。友人の智史に電話をかける。たった数回のコールがやけに長く感じ取れた。
『もしもし?』
「おっす!!」
 僕は、無理やりなくらい明るい声を出す。店内にいた人達が少し驚いたように僕を見ている。その視線に少し萎縮しそうになった。
『な、なんだよ?』
 智史の突然の大声に面食らった態度も気にせず僕はまくし立てる。
「いや、今さ、俺ん家の近くにあるコンビニあるじゃん。分かるだろ? そう、あそこに来てるんだけどさ。やばいんだって。店長がバックれたらしくてさ。電気とか消えてんの。でさ、誰もいないけど商品はそのまんまだからさ。なんか自由に取っていけるんだって。凄くね? 俺今コンビニなんだけどジュースとか持ってかえろうと思うからさ。お前、後で俺ん家こねぇ?」
 自分でもなに言ってるのか分からない。だけど一気に続ける。智史はあまり理解出来てないようだったが、後で俺の家に来ると言う事には『あ、あぁ』と返事をした。
「分かった。じゃあ、お前の分のジュースも用意しとくから、なにがいい? カップラーメンとかもあるぞ」
『え、えーとそれじゃあ、カルピスソーダで』
「おう、分かった。じゃあ、また後でな」
 時間にして数分のそのやり取りを追え、僕は携帯電話をズボンのポケットにしまった。智史に言われていたカルピスソーダは左手のすぐ傍にあり、僕はまたそれを籠へと放り込む。
 そして、深呼吸。皆が僕を見ているのが分かった。いいさ。僕は思う。
「い、いやぁ、ラッキーですよね!」
 僕は振り向き、全員を見るように目線をぐるぐると回しながら、笑顔でそう言った。
「ほら、俺高校生なんですけど、なんつーか、あんまりお金に余裕ないし、まぁ、コンビニにそんな高いものなんてあんまりないですけど、でもやっぱ、ちょっといいなぁ、とか思ってたりしてたのあるけど、でもやっぱお金ないからやめとこう、とか思うこと結構あって。だ、だから、こんな風にただで色々なものが手に入るなんてラッキーだなって……思ったりしたんですよね」
 はは、って口から零れたような引きつった笑い声が出て、僕は自分の限界を悟った。
 僕の空回り気味の饒舌が終わり、さっきよりも重い沈黙が訪れる。後悔。誰もがどうすればいいのか分からないと言う顔を浮かべようとした。
「あー、分かるわ。俺それすげー分かる」
 僕も、皆もその声のほうへと振り向いた。そこにいたのは僕より少し年上と思える男の人だ。彼はただただ、僕のほうを見ながらしきりに頷き、持っていた籠を一度床へと置くと雑誌コーナーへと歩き一冊手に取った。
「コンビニってこういう風に紐で縛ってんじゃん。表紙見て気になったりするんだけど、買うほどでもねーよな、って思って結局スルーするんだよな。けど今タダだしせっかくだから貰っとくかぁ」
「私もそれ分かる。チョコレートとか新商品とか悩むけど、いつも元々好きな奴とかにしちゃう時あるもん」
「あー、だよな」
 その彼に調子を合わせたのはこれまた若い女の人だった。二人は笑いあうようにして、あれとかいいんじゃないか? とか商品を指差す。
「いや、あれは不味かったよ。前食べたから間違いない」
「え? マジすか?」
「本当です。メロン味とか言ってるけどあれは色がメロンってだけで甘いだけでくそ不味いです」
 僕は突然そうやって薀蓄を垂れだしたおじさんを見て笑ってしまった。
 おじさんは少し照れくさそうにしながらも「こっちの方がお勧め」とか言いながら商品を薦めだして、その姿に耐えられなくなったのか、皆笑いを必死にこらえようとしている。ただ、全然隠しきれてなかった。
「じゃあ、俺それ貰います。食ってみます」
 手を差し出した。おじさんが少し悩んだような顔をする。なんせこれは盗品。だけど俺はもう笑うのやめない。
「いいじゃないっすか」
「いいのかな?」
「いいんすよ。こんな時だし」
「そうか」
 ふぅ、と安堵のような溜め息が一つ。おじさんが俺にチョコレートを「はい」と手渡した。
「ありがとうございます」
「タダだけどね」
「盗品ですけどね」
「絶対食べてよ」
「絶対食べます」
「出来たら冷蔵庫で冷やしてからがいい」
 今更、そう今更だ。言い訳なんてしてどうする。僕達は今悪い事をしている。認めよう。そしてそんな悪い事をしてしまう自分がいた、と言う事も認めよう。そしてやってしまった事を、いつまでも恥だの卑屈に思ったりするくらいなら堂々としようじゃないか。
 残り短い命だと言うのに、最後まで自分を誤魔化す事になんの意味がある?
「あー、結構つめたなぁ」
 俺は床に置いていた山盛りの籠二つを見て苦笑いした。家まで持って帰るのはかなりの難儀に思える。
 まぁ、いい。制限時間はあと三十日程ある。それまでには充分帰れるだろう。そしてそれ以外の制限は、もうない。
「じゃ、お疲れっす」
 なんて挨拶したらいいか分からず、僕はそう言って頭を下げた。
 皆もそれぞれに適当な挨拶を返してきて、僕はもう一度頭を下げ、自動ではなくなった開け放たれたガラス戸を出る。
 一歩踏み出すたび、悲鳴を上げるように籠がミシリと言う。
 智史も多分、この商品の山を見たら驚くだろう。それを見るのが少し楽しみだった。

     

「しかし凄いなこれ」
「だろ」
 部屋の片隅に無造作に放り投げたコンビニの商品を見下ろしている智史に笑ってそう言った。
 冷蔵庫から、カルピスソーダとコーラを取り出し、智史に一つ渡しながら同じようにコンビニからこちらも大量に頂戴したマルボロを渡した。学校の寮とは違う事の一番のメリットがこれだ。僕らはしばらく黙り込んでゆっくりと煙を吐き出す。
 確かに、別にジュースが飲みたいからと言って智史もわざわざこの暑い中、わざわざこの暑い部屋にやってきたわけじゃないだろう。
 僕は沈黙を誤魔化すように白い壁際に置かれたCDに手を出した。適当に一枚を選びかける。
「お前、このCD買ったんだ」
「ん、ああ」
 流したのは一週間前に出たばかりの最新のものだった。曲調も歌詞もよくあるポップスでカラオケで歌えば盛り上がる事は間違いないだろう。
「俺も買おうかと思ってたんだよなぁ。CMで流れてちょっと気になってたんだよ」
「あぁ、俺も見た見た。あの女の子可愛いよな」
「分かる。名前分かんないけど」
「だよな。あー、カップラーメンでも食うかな」
 お湯を入れるためポットがあるキッチンへと向かおうと、智史の前を横切る。
 智史は僕の姿を眼に捉える事はせず、音楽を聴いていたようだったがポツリとこぼした。
「こいつらどんな気分で作詞したのかなぁ?」
 ジョボジョボ、とポットからお湯を出していた僕は「え?」と聞き返した。聞こえているとは思わなかったらしく、彼は一瞬呆けたような顔をこちらに向けた後「いや、あのさぁ」と奥歯に物が詰まったように切り出す。
「なんにも考えず盛り上がろう、とか嫌な事忘れてしまおう、だって」
「お前歌詞とかよく聞き取れるな」
「いや、そこはどうでもいいから」
 話の腰を折ってしまった僕の突っ込みに、顔を歪ませたがさっきよりも少し気が抜けた表情になる。
「いや、あれじゃん。歌とか作るのにどれくらいの時間かけるのか分からないけどさ。俺達もうすぐ死ぬって決まってたじゃん。そんな中どういう気持ちでこんな歌詞書いたのかな」
「……逆にこういう時だからこそ、楽しくやろうぜって心境かな」
「いや、全然楽しくならねえよ。マジでなに考えてんだっての。全然気持ち盛りあがらねえよ」
 吐き棄てるようにそう言うと「やっぱこれダメだ、ダメ」と言って勝手にCDを交換してしまう。相変わらず無駄に正義感に溢れた奴。……まさか内心俺の盗難にも嫌悪感を抱いてないだろうか。
「俺にもカップラーメンくれ」
 その言葉になぜか安堵。
 僕らは智史が入れなおした去年流行っていたバラードを聞き、カップラーメンを食べた。
 学校は夏休みに入っている。そう、僕達はちゃっかり夏休みに入るまで高校にちゃんと通い授業を受け、両親、そう殆どの生徒の殆どの両親はちゃんと学費を払ってもいた。当時、と言っても二週間も経っていないが、当時はまだ地球は大丈夫だと思われていたのだ。その事を思えば、きっと殆どの人がそう思っていただろう。なんだかんだ言ってきっとどこからか上手く助かる方法が見つかって、誰かが対応をしてくれると思っていたし、そうやって隕石は軌道をそらされて地球を横切る事になったり、跡形もなく消し去って「いやぁ、一時はどうなる事かと思ったよ」とか「でもどうにかなると思ってました」とか佐藤藍子みたいな事いう心づもりだけはきっと出来ていたのだと思う。そして何事もない日常がこれからもずっと続いていくはずで、だから今の生活を変えるような事もなかった。
 だから多分、こうやって終わりが現実になってしまい、中には絶望しきってああいう風になにもかも投げ出すようなコンビニオーナーとかが表れるんだろう。
 僕はふと終業式の光景を思い出す。メガネをかけた超堅物として有名な新藤先生。いつでも用件だけをまるで箇条書きみたいに伝えるだけの先生が最後に絞り出したような声でこう言った。
 ――二学期は、ありません。
 楽しくなるはずだった夏休みはその一言で終わった。いや、僕らはその事を朝の時点で分かっていた。せめてそれがあと一日遅かったら僕達の誰もがあんな気まずいホームルームを過ごす事はなかっただろう。僕は教壇から一番離れた席で、動揺している皆の背中と、今まで見た事がない新藤先生の今にも泣き出しそうな表情と、そして皆と同じく沈痛な顔をしている麻奈の横顔を見ていた。
 僕は目を伏せる。なので唐突に聞こえた誰かの泣き声が誰のものかは分からない。だけど誰も止めようとしなかったその泣き声を決して忘れる事はない。
「康弘はどうすんだよ」
「なにが?」
「地元に帰らないのか? お前県外だろ?」
「あぁ、昨日母さんにも言われたわ」
「だろうね。でどうすんの?」
「帰らん」
 汁だけになったカップラーメンをテーブルにどん、と置きまだ半分あるコーラには手をつけず新しくお茶の蓋を開ける。
「なんだ、お前。帰ったほうがいいとか寂しい事言う気か?」
「いや、そうじゃないけど、親御さんとか、最後とか一緒にいたほうがいいんじゃないかなって」
「まぁ、言いたい事は分かる。絶対おかんもそう思ってるのは間違いない」
 そう言いながら、智史の視線が少し痛い。それ以上に自分の発言に胸が痛い。なんだか自分はとても親不孝者なのではないだろうか。
「でも、ほら、俺にもこっちの生活があったじゃん。それをいきなり捨てて地元に帰ったら俺後悔しそうだし」
「そっか!」
 バシン、と肩を叩かれる。しかも二回、三回。痛いんだが彼の表情を見て黙っておく事にした。あぁ、なんか俺が残る事を喜んでくれてるのかな、これでも、と思ってさ。
「で! 残ってどうするんだ? なにかしたい事とかあるのか!?」
 俺の返事を楽しみに待っているような顔。楽しみとか期待とかそういうものが込められた感じ。
 俺は、少しの沈黙をして、更に一度深呼吸をして、答える。
「分からん」
「……は?」
「いや、だから、分からんって……もっかしたら、死ぬまでなにもないかも」


「なんだよ、それ」


 明らかに期待外れ。
 そんな思惑がありありと感じられる智文の顔を見ながら、俺は「なに見てんだよ」と目を逸らしながら、肩を小突いた。
 大体、お前はそんな俺を哀れむような目で見てるがお前はどうなんだ。お前は。
 とは言え、自信満々に俺はあるよ、と言われても切ないし、俺と同じで分からないとしても、同じく切ないとしか思えないので口にするのはやめた。
 僕だって、ない訳じゃない。ない訳ではない。

       

表紙

秋冬 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha