Neetel Inside 文芸新都
表紙

落下
僕と、君

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『あ、あーあー、マイクテス、マイクテス』
 その日、僕は運動場の真ん中で私物化してしまったような拡声器で声を出していた。
『えー、それでは本日八月二十八日――』
 幸いな事に空は快晴に恵まれ、僕はその日差しを存分に浴びながら
『中央高校卒業式を行いたいと思います』
 と、正対した整列している生徒全員にそう言って頭を下げた。


「もう学校も役目を終えたんじゃないかな」
 諏訪先輩のその言葉に反対する人は誰もいなかった。
 僕達はだからと言ってただ解散をするのは寂しいしなにか出来ないだろうかと、話し合った結果当然と言うべきか卒業式をしよう、と言う結論に落ち着いた。
 校長の長い話も、卒業証書も用意は出来そうになかったが、せめて卒業式くらいはと、制服を着ることに決めた。


「おい、仙道、制服くらいちゃんと着ろよな」
「やーだー、めんどうくさいー」
 だらんと着崩した彼を見咎めて上級生がケチをつけているが、相変わらず彼は飄々とそれを交わしていた。
 僕は自分のクラスの列に戻ると、麻奈の隣に整列する。僕を見て久しぶりに見る制服姿の彼女がにこりと微笑んだ。
 運動場に用意されてある台の上に上がった諏訪先輩が進行をしているが、僕はそれを聞き流して麻奈にこそこそと耳打ちをしていた。
「なあなあ」
「なに?」
「卒業式終わったらさ、俺んち来ない?」
「いいけど、なにするの?」
「別になにもないけど。いいじゃん」
「そこ、黙ってちゃんと話聞け」
 耳聡い上級生に叱られ、僕は舌を出した。彼はしばらく僕を観察しているようだったが、しばらくして離れると僕はまた口を開いた。
「彼氏が彼女家に呼ぶの普通だろ」
「なんか言い方がいやらしい」
「え? ……い、やぁ、そんな事ないって」
 半眼で僕を睨む麻奈の台詞に、思わず声が裏返ると、彼女はますますその目を細くした。
「いいよ」
「マジで?」
「しょうがないなぁ」と言いながら、彼女は「やらしいことばっかり考えてたらだめだよ」と誰にもその台詞を聞かれたくなかったのかその身を乗り出して僕の耳元で囁いた。


「二人で最後までいようと思うんだ」
「そうだな、お前も最後くらい麻奈と二人でちゃんとゆっくりしたほうがいいよ」
 大体、康弘は集中すると他の事に気が回らなさ過ぎなんだよ、と智史に言われ、僕は全くだな、と反省した。
「智史はさぁ、どうすんの?」
「なにが?」
「ラジオもやったじゃん。やりたい事やり通して、それで、それからどうすんだ?」
「なんだ、そんな事か」
 彼はそんなの大した問題じゃないだろうと、当然のような顔をして言った。
 きっと僕と彼の間には精神年齢でおよそ十ほどの乖離があるのではないだろうか。
「普通さ。皆と楽しく暮らすよ」


「麻奈、今まで本当に楽しかった。大好きだよ」
「うん、私もだよ、真尋」
 卒業式が終わり、まばらになった運動場で抱き合っている二人を見ながら、僕は智史の脇を小突いた。
「お前、嘘ついたろ」
「え? なんだよ、嘘って」
「なにが普通に皆と楽しく暮らすだよ。真尋に最後まで一緒にいてやる、とか言いやがったんだって?」
「あぁ、ってなんでそれが嘘なんだよ?」
「やらしい! あぁ、やらしい! 付き合わないくせに最後まで一緒にいてやる、とか言うその精神がやらしい!」
「うるさいな、もう」
 猿のように周りをぐるぐる回る僕を、彼は鬱陶しそうに頭を掴んで引き離そうとした。
 僕はそれでも諦め悪く唸り声をあげたが、そんな僕に真尋が後ろから思い切り頭をはたいてきた。
「ちょっと、ほんと、卒業式の日にまであんたはなにやってんのよ?」
「なにやってんの? ってなんだよ!? 俺はむしろお前のためを思って言ってやってんだろうが!?」
「うるさいって」
 更に小突かれ、僕はようやく黙り込み小さくなる。
「あんたはガキだから分かんないのかもしれないけど」
「はぁ!?」
「いいじゃない、愛、って名前じゃなくてもさ。智史が最期にいる人に私を選んでくれただけで私は充分幸せなの」
「分かるなぁ、そういう二人いいと思うよ」
 僕は唯一の望みであった麻奈までも、彼女の隣で相槌を討っている姿を見て、ようやく諦めるとやれやれと嘆息した。
「ま、楽しくやれよな」
「お前もな、康弘」
「俺の事忘れんなよ」
「お互い様」
「世界で二番目に愛してるよ」
「気持ち悪いぞ」
 相変わらず冗談が通じない奴だなぁ、と僕は笑い、彼の胸を軽く小突いた。
 僕がゆっくりと引こうとするその拳に、こつん、と彼の拳が重なって音を立てる。
「お別れだな」
「あぁ」
「お互いよくやったな」
「本当に、よくやったよ。ありがとうな。康弘と会えて、俺本当によかったよ」
「おう」
 僕はちょっと泣きそうになったけど、こらえる事にした。
 だってさぁ、卒業式に泣くなんて、かっこ悪いじゃん。
「俺の方こそ、ありがとうな」


 麻奈の手を引いて僕達はゆっくりと家までの帰路を歩いた。
 もうこの通学路を通る事はないのだと思うと、今まで見ていた景色が懐かしく思え、同時に今まで気付く事のなかった光景がまだこんなにも広がっているのだと言う事に気がついた。
 麻奈にその事を言うと、どの辺り? と尋ねられ、僕はほら、あそこ、と指を指す。その先を見る彼女に僕は僕が見ている景色がどんなものかを説明すると、彼女はその景色を見つけようと躍起になり、僕は更に彼女に詳しく語り、麻奈がぱっと顔を輝かせ、分かった! と喜びの声を上げるのを見て微笑ましい気持ちになった。目線の位置が違う僕達が、それでもこうやって全く同じ景色を見つめているというのは、とても素晴らしい事なのだと知り、今度は彼女が見ている景色を見ようと、僕は彼女の背の高さに合わせるように少し背を曲げたりした。
「えー……分かんねぇ」
「ほら、こっちから見てみて」
「こっち? ……あぁ! 分かったかも! あの影が三角になってるやつ!?」
「そう、それ!」
 僕達はそんな事で喜んでは、携帯についているカメラでその景色を撮り、そして僕達二人で並んだ写真も撮る事にした。
 ずっと以前、二人だけで撮った写真はお互いにどこか照れたような顔をしていた。そして今撮ったばかりの僕達はあの時よりも今はもっと自然に笑いあうような事が出来ていた気がした。
 そうしながら家に帰り着き、僕達は冷蔵庫に入れられてあるペットボトルから適当な飲み物を飲んだり、レンタルビデオ店から取ってきた映画を見たりした。涙もろい彼女は映画の終盤辺りでぽろぽろと涙を流し、僕はそんな彼女の涙を指で掬ってあげては頭を撫でた。彼女は誤魔化すように笑みを浮かべ「ごめんごめん」と言い、僕はそんな彼女の事を映画の内容はそっちのけで見ていたため、なぜ泣いたのかも曖昧にしか分からないまま可愛らしいなぁ、と間抜けな事を考えて、スタッフロールが流れ出し、映画の余韻に浸って落ちた沈黙の最中彼女の唇にキスをした。
 僕達は「好き」とか「愛してる」とか言葉をバカみたいに何度も繰り返し、制服姿の彼女をちょっと強引に押し倒しその上に重なった。突然の事で驚いた彼女の左手が中空をさ迷い、僕の額の辺りにこつんとあたる。指先の感触ではないその硬さは、彼女の左指に嵌められたシルバーのリングだった。
 幼馴染みが用意してくれたその指輪を僕も麻奈もしばらく見つめあい、やがてその視線が指輪からお互いへと重なると、僕達は先ほどまでの興奮から少し我に返ったように微笑みあった。
 ぼろくて効いているのか効いていないのかよく分からないエアコンだけの、蒸し暑い部屋の中で僕達は溶けるようにまどろみ、たゆたう海のようにその身を委ねた。


「ねぇ、康弘?」
「え?」
「康弘?」
「あ、いや、なんでもないよ。なに?」
「私、生まれてきてよかった」
「なんだよ、急に」
「本当はもうずっと前から思っていたと思うんだけど」
「うん」
「こうやって康弘と出会って、一緒になれて、こうしていられるのって本当に幸せだと思うの」
「俺もそう思うよ」
「本当に?」
「本当に。今だから言うけど、本当は今までやってきた事全部放り出してずっと、麻奈と二人きりでこうやってただ一緒にいたいって思う事もあったよ。内心お前に構ってやれなくてお前は寂しがってないかな、とかも思ったりしたし、けどそういう時、会いたいって思ってるのはお前じゃなくて、俺だった。あぁ、俺麻奈に会いてぇ、こっから逃げ出してただ麻奈と一緒にいたいとか、そういうの、ずっと考えてた」
「でも、私康弘のそういうところが好きだから。本当だよ、私康弘の事ずっと信じてたから。離れてても、誰といてもきっと最後には私のところに帰ってきてくれるって信じてたから」
「うん、俺も麻奈ならきっと信じてくれるって思ってた」
「でもちょっと寂しい時はあったけど」
「ごめんな」
「ううん。これからは二人だけでゆっくり出来るでしょ? 真尋と同じで、私も、最期に康弘と一緒にいられる事だけで幸せだから」
「そっか。なぁ、麻奈?」
「なに?」
「俺、この世界じゃなくて、お前だけの主役になれたかな」
「あはは、なにそれ」
「いや、なんつーか」
「もうずっと前から、主役だよ。康弘は私の」


 夜、僕は涙を流した。
 どうして僕達は、こんなところで終わってしまうのだろう、と彼女を抱きしめながら大きく声を出して泣いた。
 死にたくない。
 生きていたい。
 もっと、麻奈と二人で未来を歩んで行きたかった。
 あああ!
 あああああ!
 ああああああああああああああああ!
 なぁ、なにを恨めばいい?
 なぁ、なにを呪えばいい!?
 抗えない宣言された死を待ち受けることしか出来ない残酷な世界でなにを叫べばいい。
 たった十七年間で終わってしまうこの生涯の儚さすら最早泡沫でしかない世界でなにを――
 いっその事気が狂ってしまえばいい、とさえ思えた。
 僕は子供のように泣き叫び続けた。
 麻奈の温もりを感じれば感じるほどその思いは強くなり、それでも僕は今以上の温もりを求めた。
 彼女は、僕を柔らかく全身で包み、あやすように僕に触れた。
「大丈夫だよ」
 なにがだよ!?
「私はずっと、ずっと一緒だから」
 ずっとって、もう俺達終わっちまうんだぞ!?
「それでも、ずっと一緒だよ」


 僕は、彼女の中に、僕を放った。
 未来のない、生は、それでも今の僕達の生を、赦してくれたかのようだった。
 僕達は静かに、過ごし、愛し合い、求めた。
 その日が、やってくるまで。

       

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Neetsha