Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      



 ともちゃんと部長に挨拶をしてプレハブを後にする。もうやることなかったしね。というか資料を読むことに飽きちゃったしね。帰るしかない。明日から活動とやらをしなくちゃいけないという事実から目を背けて、俺は下駄箱へ向かう。廊下の天井に設けられた時計を見れば、中々に遅い時間。このまま家に帰ってもいいけど、たぶんまだ母さんは帰ってきてないと思う。というわけで、少し空いた腹を鎮めるためにカレーのYAMASHITAへ行こう。
 靴を履き替えながら、帰り道に買い食いというちょい悪なことをしてしまう自分を想像して、身震いする。でもさ、よくよく考えてみると帰り道に買い食いとか何も悪くないよね。なんでそれがダメみたいなことになってんだろ。学校の陰謀だな。多分、制服を着たまま食い歩きとか行儀悪いですから! という落ちに違いない。帰り道にカレーたこ焼きすら変えないこんな世の中じゃポイゾナだ。誰か解毒してやってください。
 商店街まで来る頃には、もう陽が落ちていた。さすが冬間近、暗くなるのが早いぜ。夜道にはジェントルが潜んでいるからな、なるべく早く帰ろう。カレーアイスを食べて帰ろう。
 店名がおぼろげに光っている看板を見つけて、そこに向かう。店の前まで来て、思った。一週間前焼けたくせに、なんか普通に営業してる。やってるかわかんない場所に行こうとした俺もあれなんだけど、営業してたことにびっくり。ここも牛丼屋なんかと一緒で、外から食べている客が丸見えだったりするんだけど、店内には客が一人しかいなかった。暗くなったとは言えまだ早いしね、別に繁盛してないわけじゃないさ。多分。顔見知りの店長がいるのを確認して、俺は入店した。
「っしゃいやせー! と、誰かと思ったら相羽君じゃないか」
「どもども。とりあえずカレーアイスください」
「あいよ!」
 気さくな店長に迎えられて、俺はカウンター席に着きながら隣の椅子に鞄を置く。客といっても一人だけ、少し離れたとこに座ってる人しかいないし、べつにいいよね。
 もう一人の客にカレーアイスを渡しながらお冷を持ってきた店長に暇だから話しかける。
「そういや店長、一週間まえくらいに焼けたばっかりだってのに、営業再開するの早いね」
「そりゃあこの店はチェーン店とは言え、俺の魂みたいなもんだからな。一刻も早く再開したいと思って、頑張ったわけよ。まあ、バイトのへたれ共は怖がって軒並み辞めちまったがな」
 そう言って、店長は厨房の奥に行ってしまった。
 怖がって辞めたのか。いや、確かに火事は怖いと思うけど、辞めるほど怖いかね。そんなもやもやした思いを流し込むように、お冷を飲み干す。さすがにちょっと寒いな。早く香辛料で暖まりたいぜ。……そう、アイスとは言え、カレーなんだぜ。その辛さは俺のお墨付きだ。凍ってるんだから当然冷たいわけなんだけど、その中に舌を突き破るかのような辛さが秘められているのだ。カレーの味はどちらかと言えば濃厚で複雑な部類に入るんだけど、カレーアイスに限っていえばその真逆。一本の線を想像させる鋭い辛さと、食べたものに一瞬でわからせるシンプルなカレー味。カレーとわからせる一点のみに特化した、シンプルでベストなカレー味だ。その二つの要素に冷たさを加えることで、鋭利な刃物を彷彿とさせる平面的な味が実現したんだろう。さすがの俺もあれには脱帽せざるを得なかった。まさにジャパニーズカタナカリー。この味を出すために刀を打つのと変わりない苦労を積み重ねたに違いない。母さんのカレーこそが至高だと思ってたのに、まさかこんなチェーン店ごときに唸らされるとは。なんて思ったのも昔、今じゃ俺も立派なYAMASHITAカレー信者です。……まあ、この店には母さんともよく来るから、カレーアイスが無くとも好きなことには変わらないんだけどね。
 カレーアイスの味を思い出していると店長が戻ってきた。さすが早い、味さえ作ってしまえば後は作り置くことが出来るからな。いいね、すごくいいね。
 YAMASHITAカレーのマスコットキャラガ描かれた専用のスタンドに差してあるカレーアイスを受け取って、カウンターに置く。食べるのはひとまず待ち、さっきの話が気になったんで手持ち無沙汰にしている店長に話しかける。 
「さっきの話の続きだけどさ、バイトが怖がって辞めたってのは? そうそう火事ぐらいじゃ辞めるとは思えないんだけど」
「普通の火事ならそうなんだがなあ。ほら、最近ここらで起きてる、火元不明の火事があるだろ、それが俺んとこにも来たわけよ。その時俺もいたんだがね、さすがに怖かったさ。厨房の冷凍庫が急に燃え出しやがってよ、消火器ぶっかけても消えやしねえ。やむなく店から逃げて消防隊を呼んだ頃にゃ、内装は目も当てられないほどの状態だったわけだ」
「冷凍庫が燃えるって、なんかすごいな」
 店長の話を聞いて、部室で見たノートの内容を思い出す。確かに“不可解”だ。だって冷凍庫だろ、機械の部分がいかれて燃えたんだとしても異常には気がつくだろうし。なんというか怖いね、カレーすら落ち着いて食えない時代になってしまったのか。
 ここで俺はカレーアイスを思い出して、スタンドから取り外して食べ始める。……うまい。やっぱり冷たさと辛さというのは共存できるよ。現にこのカレーアイスは共存するだけじゃなく、互いを高めるかのように味への貢献を果たしている。このカレーアイスは飽くまでカレーだと主張するかのように、普通のアイスで言えばコーンである部分にナンが使われている。普通のナンよりも薄い生地なんだけど、これがまたカレーアイスとの絶妙なマッチング具合を味という結果で示している。カレー単体で作ればいいという輩もいるだろうが、それは違う。大きな辛さの中に、刀でいう刃紋のように緩やかな曲線をイメージさせる甘さが、このカレーアイスという作品を完成させているのだ。カレーだけでは成り立たない、バニラの柔らかな甘さあってこそのカレーアイスなのだ。素晴らしい。
「相変わらず美味そうに食ってくれやがるぜ。料理人冥利に尽きるってやつだな」
 食べながら喋るのは行儀が悪いので、もぐもぐしながら店長に親指を立てた拳を見せて、グッジョブと伝える。店長は気恥ずかしそうな笑って誤魔化した。
 口の中でとろけるカレーアイスの小宇宙を堪能したところで、俺は一気にアイスを頬張る。さすがに冷たいので、一気に食べるのは無理か。そうして俺が口をもごもごと動かしていると、不意に隣から大きな音がした。店長と一緒に音がしたほうを向くと、もう一人の客が席を立っていた。床を見てみると、カレーアイスが無残にも飛び散っている。……これは許しちゃいけないだろ、カレー的に考えて。何があったかは知らないけど、カレーアイスに謝るべきだ。そして店長にも謝るべきだ。ついでに怒った俺にも謝るべきだ。
 黒いロングコートを着た男が、ゆっくりと俺と店長のもとへ歩いてくる。……む、ロングコートか。ロングコートと言えば忘れもしない、公園で会ったロングコート男だよな。シルエット的にも、なんか見覚えがある。いやでも、この人はニット帽を被ってない。見た目的に派手な赤い髪だ。こんな特徴的なのをおぼえていないわけがないよね! それにイケメンだし、さすがにこの人がロングコート男ってわけはないだろう。うん、杞憂に違いない。ここに来るってことはカレーが好きだってことだろうし、カレー好きに悪い奴はいないからな! ちげえねえ!
 男は俺と店長のすぐ傍まで来ると、明らかに怒っている口調で話し始めた。
「まだカレーアイスなどというゲテモノを作っていたとはな。あれで懲りたと思ったのだが、なんだ、また焼かれるのをご所望か」
「なんだてめえは。焼くだのと、冗談でも今の俺にゃ言っちゃいけねえぞ」
 店長も喧嘩腰で応える。そうだ、そんな奴やっちまえ店長。俺は怖いから見てるけど、応援してるぜ。
「……俺は、冗談と辛いものが大嫌いなんだよ。怒りが収まらない。溢れるんだよ、俺の手からボルケーノだ」
「あ? 何言って――」
 店長が喋り終わる前に、厨房の奥が光った。直後に、熱気と何かが破裂するような音が店内に響いた。慌てて見てみれば、なんてことはない、とっても燃えていた。それはもう盛大に。
「ん、あ、ああ。あ、ああああ! お、俺の店があああああ! なんでまた、おお、うおおおおおおお!」
「店長! 危ないって! 焼けるから! 気合じゃなんともならないから! 落ち着いて番号は忘れたけど消防隊を呼ばなきゃ!」
 カウンターから身を乗り出して店長を押さえつける。中々にマッスルな体をしているからだろうな、すごい力だ。
「そう、そうだな、おう! ちげえねえ!」
「違いないっすよ!」
 俺の呼びかけに少し遅れて応えた店長。正気を取り戻してくれたか。さすがに目の前で人が焼かれるのは見たくないわ。カレーに魂を込めていた店長のことだ、普通に突っ込んで行きかねない。よかったよかった。
「おい」
 店長と一緒に店から出ようとしたところで、後ろから肩を掴まれる。……なんかね、そんな気がしてたんだ。ここ連日さ、ずっと“そう”だったじゃん。今日こそは学校に銀髪女もいなかったし、ゆったりとした普通の一日になると思ってたんだけど。
「相羽光史、杵褌から話は聞いている。ここで会ったのも何かの縁だ、ついてきてもらおうか」
 振り向けば、なんてことはない、空いた手でニット帽を被っているロングコート男がいた。




次回:第五話『見えないけど、見えるんです』

       

表紙
Tweet

Neetsha