Neetel Inside 文芸新都
表紙

そして俺はカレーを望んだ
――《残されていた嘘の被覆部》

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 この家に来て既に一週間が経とうとしていた。
 端的且つ正直に言わせてもらうと、暇。確かに最初は子供と大人のハートフルな光景を眺めるのも悪くは無いかなとか何とか思ってはいましたけれども、さすがに同じような光景を一週間。それも、“自分”を眺め続けるというのは非常に暇を持て余すわけで。
 これが知らない家の知らないガキだったらまだマシなのかもしれないけど、残念ながら今も目の前で暗そうな表情を浮かべているガキは俺なわけで、次に何が起こるかというのも何となくわかってしまうのだ。というか愛想の欠片もねえなこのガキ。俺が言うのもなんだけど。
 おぼろげに記憶に残っている通りの居間で、俺は日常風景を眺めていた。とは言うものの、今で言う日常とは大きくかけ離れている。何よりも、俺自身が特別今と違う。
「いらない……」
 “俺”はそう言うと、目の前に置かれていた料理から目を背ける。周りで同じ食卓を囲んでいる面々は非常に扱いにくそうな表情を浮かべた。まあそうだろうね。俺だってこの場に居たらそんな顔になるだろう。だがね、待って欲しい。“俺”はもうこの時点でカレー以外の食い物は受け付けなくなってたんですよ。今と違うのは、唯一であるカレーに出会っていないだけでございまして。
「こうちゃん、ダメでしょ食べなきゃ。大きくなれないよ」
「でも、これ」
 優しく食べるように促してきたのは母さん――涼子さんだ。この頃の母さんは非常に可愛らしい顔立ちをしてるね。この母さんに今の母さんを見せたらどう思うのだろうか。あの酒乱は一度なんとかどうにかしなくてはなるまい。
 と、論されても食べようとしない俺は、もう一度口を開いた。
「これ、おいしくない」
 心無い一言だとは思う。俺も小さいしね、何よりも本当に不味いとしか思えないのだから仕方がない。……けど、周りはそれを許容してはくれなかったんだよね。
「ふざけないで!」
 一番槍は叔母さんの怒声だった。こめかみを痙攣させながら、ああだこうだと怒鳴り散らしている。要するに俺が飯を食わないことに我慢がならなかっただけ。まあ当然の反応だけど、中々大人げない反応だとも思う。今見ても段々胸糞が悪くなってきたぞ。
 と、叔母さんの手が上がったところで、叔父さんがそれを止める。叔父さんと叔母さんを挟むように座っていた祖父ちゃん祖母ちゃんはおろおろするばかりだ。
 ああ、そう、この家は二世帯住んでるんだよね。叔父さん夫婦と、祖父ちゃん夫婦。叔父さん達の子供が母さんというわけだ。
「やめなさい、光史君が怯えてるじゃないか」
「でも、アナタ。この家に来てから全く食べないのよ! まるで当て付けよ!」
 何の当て付けだ、何の。言っておくが幼い俺はこの家が誰がどんな思惑で俺を引き取ってくれたのか分からないばかりか、そもそも誰が何を考えているのかなんて分かるわけがないのだ。もちろん今でもわからないんだけど。
 叔父さんは叔母さんをなだめながら居間から出て行ってしまった。残された母さんと俺、それに祖父ちゃん夫婦は、一緒に残された気まずい空気を扱いかねていた。



――《残されていた嘘の被覆部》



 景色が飛んだ。季節は春を迎えようとしている。隕石落下が冬だから、既に三ヶ月くらい経とうとしているのかね。
 それはともかく。時刻は夕方、暖かくなってきたと言っても、まだ日は短い。時計の短針が八に届く前に、外の景色は赤く染まっていた。
 室内灯を付けていない和室もその影響を受けて赤く染まっている。だが、陽を背にしている壁の隅に生まれた影の中で、うずくまっているものがいた。俺だ。自慢じゃないが俺はこの家に居る間は一度たりとも笑った覚えがない。俗に言う愛想のない子供だ。さぞ俺を引き取ったことを後悔していただろう、叔父叔母は。まあ、今となっちゃ後悔のしようも無いけどね。
 で、そうじゃないんだわ。問題は俺の愛想じゃあない。
「光史、なんで逃げるのかしら?」
 和室には隅で怯えている俺以外にもう一人居た。あんまり見たくないし近付きたくもないけど、まあ、端的に言えば裸の叔母だ。これまた端的に言えば、何を血迷ったのか、叔母は俺を襲おうとしているのだ。ファーストコンタクトってやつだわ。吐きそう。
「こちらへいらっしゃい。今まで辛く当たって悪かったわね、ほら、痛い事はしないわ」
 そう言いながら、叔母は両手を広げ、俺に対して薄気味悪い笑みを向けている。当然、俺は見向きもせずに隅でうずくまったままだ。
 正直に言わせてもらえばここから先は断固として見たくも聞きたくもないんだけど、残念ながらこの不思議時空はそれを許さないらしい。目の前では、叔母が俺の服を乱暴に脱がし始めていた。別に今触られているわけじゃないけど、非常に辛いものがある。だって俺、怒るどころか泣いてすらいないんだぜ? 今の俺としては心が痛くなる光景だよ。
 もしかしたら、ここで泣いてたら何かが変わっていたのかもしれない。大声で泣き叫べば、耄碌してる祖父さんが来てくれるかもしれないし、叔母さんは動揺してこれ以上を求めないかもしれない。けど、俺はそうしなかった。出来なかった。しようとも思わなかった。
 肉と肉がぶつかり合う音が和室に響く。やはり人間、年を取ると色々ストレートになるもんなんだね。AもBもCも無かったよ。というか、俺はこの頃そんな事すら知らなかったよ。今でも知らないよ。間違いなく“これ”が原因だよ。
俺が女に苦手意識を持った原因だよ。
 景色が飛ぶ。
 周りの景色が、早送りの要領で目まぐるしく変化していく。その中で、ちらほらと叔母に襲われる俺の姿が散見された。いやはや、これは、そろそろ終わるなあ。
 誰がどんな目的で、よりによってこの時期の過去を俺に見せているのか分からないけど、結末を知っている俺としては、これ以上みる必要が無いわけで。
「――こ、こうちゃん……それに、お、お母さん……?」
 早送りが終わり、行き着いた光景はまさにクライマックスとも呼べる状況だった。暗い部屋で襲われていた俺。だが、そこへ涼子さんがやってきた。見てしまった。この惨状を。ショックだっただろう。見たくもなかっただろうに。
 当時の俺は、ただひたすらに、涼子さんに見られたことが嫌だった。今でもこの家庭が抱えていた問題――叔母さんが俺を襲うような問題――は分からないし、知りたくない。だが、この時の俺は、上に跨るものをどうにかして無かったことにしたいと、そのことしか頭に無かった。
 景色が緩やかに早まっていく。叔母さんは慌てて涼子さんを追いかける為に部屋を出ていった。残された俺は、服を着ると、何事もなかったように台所へ向かった。そこで手にしたのは、鋭い銀色の光を放つ物。包丁だ。
 要するに、俺は叔母さんを殺した。騒ぎを聞いてやってきた祖父ちゃんも祖母ちゃんも殺した。遅れて帰ってきた叔父さんも殺した。その時の記憶はほとんどない。ただ、その事実だけが今も俺の記憶に残っている。
 状況は、俺の記憶通りに進みつつあった。涼子さんと話している叔母さんの背後に立った俺は、その手に持った包丁を振り上げて――刺せなかった。
「な、なに、どうしてそんなものを持って……まさか、殺す気? 私を殺す気だったのね!?」
 気配を察したのか、急に振り返った叔母さんは半狂乱になりながら、俺の包丁を持っている手を殴ると、そのまま俺を押し倒す。遅れて、包丁が床に落ちる音が耳に届いたが、それよりも、叔母さんの背後に居る涼子さんの表情が気になった。……無表情なんだ。
[……って、ちょっと待てよ! 俺はここで叔母さんを殺したはずだろ? そうだったはず、いや、覚えてない、けど、俺の記憶では、確かに叔母さんは死んでいて]
「アンタなんか、引き取らなければ、こんな、こんなァ!」
 叔母さんの手が振り上げられる。組み敷かれた俺は目を瞑り、そして。“俺”は見てしまった。
[――母さんが、殺したのかよ]
 ああ、違う、そんなわけはないんだ。けど。
 “俺”の顔に赤い液体が飛び散る。目を開けば、首から血を流す叔母の顔が見えた。包丁が貫通している。そして、それが抜かれた。またも、血が飛び散る。
「こうちゃん、大丈夫?」
「あ……え……?」
 俺は望んだ。無かったことにしたいと、確かに、望んだ。事実、俺は自らの手で叔母さんを殺そうとしていた、それは確かだ。確かなのに、結果が、違う。
 母さん……ああ、そうだ。

――それは、出来ないわ。

――光史、私は、自分の意思でやっている。

――この世界は、つらい事ばかり。

――“ファンタズムアイズ”。

 記憶の引き出し。カバーが徐々にずらされているかのように、“その”記憶は次々と姿を現す。
 なんで忘れていた。俺は何でここに居るんだ。……母さんは、俺を撃ったんじゃないか。
 なら、おかしいことなんて、ない。叔母さんを殺してたんだ、俺を撃つことくらい、それこそ、何の抵抗も無かっただろうな。あの、優しかった母さんが、俺を撃ったんだ。……涙が、出る。
「安心して、こうちゃん。こうちゃんは何も心配すること無いんだからね」
「ひ、あ……」
 母さんは笑顔で、そんなことを言った。記憶に無い。混乱する俺は、頭を真っ白にしたまま次に目に映る光景を見て、さらに混乱した。
「――受け止めに、きた」
「え?」
 涼子さんの顔から、笑みが消える。床に転がっていた俺は何事もなかったように半身を起すと、周囲を見渡して、少し考えるように目を瞑る。数秒後目を開けると、感情の籠らない目で、涼子さんを見た。
「“俺”にとっての、相羽涼子、何故こんなことをしたんだ」
「え? な、だ、誰? 誰なの?」
 さっき人を殺したとは思えない怯えっぷりで、母さんは俺を見つめながらそんなことを言う。
「私は、“俺”である相羽光史の“主観”だ。“俺”が限界を感じたため、受け止めに来た」
「主観……俺? 待って、貴方は、こうちゃんじゃないの?」
「こうちゃん……相羽光史……俺……全ては同一だ。しかし、私は違う。だからある意味、これは私が引き起こしたと言ってもいい」
「何を……」
「――相羽光史は正常な味覚を代償に、新たな能力を手に入れた。“俺”が望んだ未来を引き寄せる能力……それが、私だ」
「望んだ……未来……。待ちなさいよ、じゃあ、光史が“これ”を望んだっていうの!?」
「ああ」
 母さんがうろたえる。俺もうろたえる。
 今見えているものが本当だとしたら、俺は何で自分がやったと思っていたのか。“主観”やら何やら言っている奴に、記憶の改変までされたとは思えない。それは、俺の能力の範疇じゃあないと思う。あるとすれば、忘れさせる……いや、そもそも覚えないようにコイツが表に出てきて、受け止める。それだけなんだ。
 というか、俺がカレーしか美味しいと思えない代償がこれかよ。ぶっちゃけカレーは好きだから別にいいけどさ、それにしたってちょっとちょっとひどい話なんじゃねえの!
「……こうちゃんは、私がお母さんを殺した場面を見てしまった」
「そうだ」
「……じゃあ、そう、試してみるしかないよね」
 俺がうんだら考えている間に、見れば、母さんは“俺”にゆっくりと近付き始めていた。
 心臓に悪い。今の俺は言ってみれば、非常にネガティブだ。それはもう、“あの”母さんを思い出すと、この母さんも俺の事をぶすりと刺してしまうのではないのか、なんて考えてしまう。
 母さんは右手に包丁を持ったまま俺のすぐ目の前に来て、立ち止まった。
「ねえ、貴方。能力って言ったっけ。それ、名前とかあるの?」
「現実逃避《ワールドセレクション》、これが頭に浮かんだ」
「じゃあ、そう、名前、あるんだ」
 そう言って、母さんは俺の目を覆うように、開いた左手を被せた。
「幻想投影《ファンタズムアイズ》」
 そう言うと、“俺”は糸が切れたかのように、床へ倒れこんでしまった。
 この頃から、母さんは俺に対して能力を使ってたんだ。効果は分からないけど、多分、幻覚や記憶の操作、そんな感じだと思う。俺が、叔母さんを殺したのは自分だと記憶していたのも、その所為だろう。
 俺が最後に見た光景を思い出す。そう、撃たれた後、聞いたはずだ、今母さんが言った言葉を。
 なるほど。納得いった。納得いったけど、それで、俺はどうすりゃいいんだよ。
「絶対、幸せにしてあげるからね、こうちゃん――」
 景色が飛んだ。


       

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Neetsha