Neetel Inside 文芸新都
表紙

そして俺はカレーを望んだ
『世界の可能性』

見開き   最大化      

 

 暗い、という表現では足りない場所。上下左右の概念がなく、大気や重力が存在するのかもわからない。そんな場所に、周りの空間よりも若干明るく長い黒髪をなびかせながら漂う一人が居た。
 かつて“相羽光司”だったもの。では、今どのようなものになったのかは、“彼女”にもわかっていない。彼女が思うのはただ一つ、“相羽光司”と“私”の生存である。
 “生”を明確にとらえた瞬間、“自我”を強く認識し、それらを経て、初めて“生物”としてもっとも原始的な本能である“生存”が彼女の目的となったのだ。
 彼女はいま何もせず漂っているように見えているが、その存在そのものである“能力”を最大限に発揮している最中だった。能力とはすなわち世界に干渉する力のことであり、彼女にとっての能力とは、数多の平行世界を取捨選択する力を指す。
 一個人――相羽光司――を特異点とし、彼に彼女が芽生えてからの世界全てが対象となるこの能力は、“メテオ・チルドレン”と呼ばれる者達の中でも、極めて異常といえた。それもそのはず、他の能力者は言ってみれば“目の前で放射”しているだけなのだ。その行為に処理能力は必要なく、行使した者が“望む”という一工程で以って完成される。彼女が生まれたのは、特異点を設けているとはいえ世界という膨大な情報を処理する必要があった為なのだろう。事実、“人”に平行世界は認識できず、その枝分かれした世界が何万なのか、何兆なのかわかるはずもなく。
 彼女は認識している。今この瞬間にも分かれた世界を。その中で、相羽光司と彼女が望む最善の世界を掴み続けているのだ。
 そんな、膨大な作業を続けている彼女であったが、それが“普通”である以上、特に難しいことをしている感覚はなかった。さらに言えば余裕があり、自らの存在意義について思考する程度には余裕がある。だからだろうか、何もないことが当然のこの空間に微かな揺らぎが生じたのを、彼女は見逃さなかった。

『世界の可能性』

 処理を停止する……必要はないか。
 “私”は揺らぎが波紋のように広がる光景を見ながら、能力の行使を中断するか自問するも、その必要がないと判断した。“相羽光司”が死亡する他に私の存在が消える可能性は今のところ存在しない。危険が感じられるのならば、対処に全力を向けるところだが、現状は傍観に徹するべきだろう。
 私が傍観を決めたところで、波紋が色を持ち始めた。極彩色とも言うべき何の関連性も見いだせない色彩が、黒い空間を彩ってゆく。別にこの場所に思い入れがあるわけではないが、どこの誰とも知れない者に汚されているような。
 どこまでが全部なのかはわからないが、見える範囲で半分ほど色が支配したころ、その波紋の中心部が一際強く揺れた。そこから、人間だと認識できる影が一つ。
 ここで歩くという行為に意味があるのかはともかく、その影は器用にもまるで地面があるように両足を下だと思われる方向に踏みしめながら、左手に持ったステッキを使い、ゆっくりとこちらに向かってくる。……一連の流れ、この影が只者ではないと判断するに十分すぎるほどの光景だった。
 その影の概ねが視覚で認識できる程度まで近付いてきた頃、さらに私は見た。頭部にはどこで手に入れたのか、人の前腕部ほどの長さはあるだろうシルクハット。全身は燕尾服に包まれており、左手には艶のある黒のステッキ。その表情は、“以前と比べて”皺が増えているものの、相変わらず食えない笑みを浮かべていた。
「――おや、おやおやおや。おかしいですね、確かに“相羽光司”君の内面世界へ飛んだはずなのですが。お嬢さん、貴女は一体ここで何をしているのですかね?」
 本当に困ったような表情を浮かべながら、男はそんなことを言い、溜息を漏らす。私は怒った。
「“私”の世界に土足で入ってきてよくもまあ抜け抜けと言う。“獄吏道元”、相変わらずな口振り、もう聞きたくないから帰っていいぞ」
 怒る。ああ、感情というものを吐露したことがない私でも、これは怒る。結構落ち着くこの場所を色彩感覚の欠如した滅茶苦茶な色で塗られた挙句、土足で断りもなしに入ってきたかと思えば、まるで私が侵入者扱い。お前だ。お前が侵入者なんだ。
「フム、どこかでお会いしましたかな? ワタクシこう見えても紳士です故、一度会ったレディーは忘れないのですがね」
 おかしい。確かに目の前の男はどこからどう見てもおかしいのだが、私もおかしい。
 そうだ、感情なんて、なかったはずなのだ。だというのに、“私個人”として動いた瞬間、信じられないくらいくらいの感情が溢れてくる。
「ともかく相羽君を出してもらわないと困るのですがねえ。何もしていないというのに、若干怒っているようにも見受けられる、心外ですぞ」
「若干? 若干どころか、怒っているぞ私は。常識で考えろ。自分が住んでいる場所にいきなり変な恰好をしているいい歳した男が土足で入ってきたと思えば、挙句私を侵入者扱いしているんだぞ。お前だ。お前なんだぞ侵入者は。もう一度言うぞ。侵入者はお前だ。帰れ」
 言い終わって、私は感情だけではなく、言動も少々おかしいことに気付く。まるで“外見”に引きずられているような感覚だ。
 自分のことで困惑している私であったが、目の前、獄吏道元も同じように困惑し始めたようだ。
「しん、にゅうしゃ……? ワタクシが?  それはおかしい、確かにアポはとっていませんが、侵入者とは、いやはや。知人の家に来たと思ったら“名前”も知らない女が我が物顔で怒っている、この状況でどうしろというのですかね」
「名前……」
 獄吏道元が喋っている内容はともかく、名前か。そうか、相羽光司ではなくなった今、私は何者でもない。個人である以上、名前は必要だ。
「そうだな、まずは自己紹介といこう。私の名はヒカリ、相羽光司だった者にして、相羽光司の能力を司る者だ」
 何の捻りもないと言えばそうだが、私自身、名前というものにはそこまでこだわりがない。
「だった、それに、能力……ほう、面白い。実に面白く、そして好都合。どうやら手間が省けそうですな」
 私の言葉を聞いて、獄吏道元は一人納得すると、再度口を開く。
「ヒカリさんと言いましたか、実は私、相羽君の味方なんですよ」
「それは奇遇だな、私もだ」
 この場に流れていた緊張が少し解ける。それを感じたのか獄吏道元は肩をすくめる。
「さっきまでのことはお互い水に流しませんかな? そんなことよりも、私は“提案”しにきたのですよ」
「そんなこととはなんだ、私は怒ったんだぞ」
「じゃあ謝りますので、ね? どうです?」
「謝り方が軽すぎる。余計に怒った。一発殴らせろ」
 言うが早く、私は拳を握ると獄吏道元の顔に向けて腕を伸ばす。だが、その拳は顔に届くより先に止められていた。
「失敬、ワタクシ、拳を見ると握りたくなるもので。はい、仲直りの握手ですぞ」
「ぬう……」
 まるで子供だ。私は一連の言動と行動を思い返し、にこやかに握手されている現状にげんなりとしたものを感じる。ああ、冷静になるんだ。主観は必要としなかったはずなのに、まるでこれでは話にならない。
 それでもすぐに行動に反映できず、少々乱暴に握手されていた手を引っ込める。
「わかった、水に流そう。で、提案とはなんだ?」
「おお、ようやくお話ができそうで何より。というのも提案なんですが、はい、順を追って説明しますと、ワタクシ、過去と未来が覗けるようになったんですね。あと、様々な空間に出入りできるようにもなりましたな」
「それはおかしい、私の知る獄吏道元は異空間に他人や自分を転移させる能力だったはずだ」
 そう、おかしな文言と共に。
「そうだった、が正しい。二年前の隕石が降ってきた時以来ですかね、どうも見えてしまうんですな、これが」
 二年前。それは、この街に隕石が“落とされた”時。……なるほど、私も自らの起源や原理を深く知るわけではないが、メテオ粒子に“二度”触れた結果なのかもしれない。
 そう言われると、あの開道寺の兄も二年前と比べ現在では炎の威力が上がっているように見えた。妹も同じく、思考を読むだけではなく、完全なテレパスも可能になっていた。
「その後色々あったわけなんですが、どうも、楠の下で働いているとワタクシ、すぐ死んでしまう未来が見えてしまいまして。そこから“アンチメテオ”なんて組織を作ったりもしました」
「アンチメテオ、あの氷の男、山田も所属している組織か。……おい、敵ではないか」
「いえ、いえ、待ってください。そもそも、なんで我々がここに来たかといえば、相羽君を確保しに来たのですよ。それがその、ええ、知っての通り、面真君と山田君は人格に難があると言いますか、いつの間にやら全員殺すなんて物騒な話になってしまいましてな」
「じゃあその二人は放っておいて、他の人員で確保したらいいだろう」
「それが出来たらよかったんですがね、相羽君を起こそうとちょっかい出してる間に全員死んでしまいまして」
 アンチメテオなんて大層な名前の組織だというのに弱いな。
「弱いな」
「おっしゃる通りです。ええ、実際のところ、ただでさえ少ないメテオ・チルドレンですが、楠の庇護下にないメテオ・チルドレンなんてさらに少ないわけでしてな。あっという間に全滅です」
「で、そんなどうしようもない状況となった今、わざわざ“ここ”に来てなにを提案するというのだ?」
「――ワタクシは、世界を変えたい」
 そう言った獄吏道元の顔は、先程までの人を馬鹿にしたような笑みを消し、歳相応の皺を刻んだ険しい顔となっていた。
「元々、ワタクシ、楠の会社員でして。そこで北海道に隕石が落ちてから、社長に適性があるとか何とかで、いわゆるセカンドとして能力が得ることに成功したわけなのです。紆余曲折ありました。思えばただの人体実験で犠牲になっていく子供を見続け。次は会社の犬となり、殺す殺されるの場を見続け。能力が進化した今、過去と未来を“ただ見ていることしか出来ない”」
 拳を握り、唇を震わせながら喋るその姿に、いつかの飄々とした姿が重ならない。一つ言えるとすれば、この男、意外とまともだったのかもしれない。
「なので、せめてワタクシだけは紳士であり続けようと、古今東西の紳士像をこれでもかと能力を駆使して学習し――」
「待て、紳士の下りはいらない。それはいらないだろう」
「ここからがワタクシのルーツを語る上で重要な点なのですがね。勿体ないことをしましたよ、ヒカリさん?」
 やはり獄吏道元はおかしい。私はそう結論付けた。
「話が逸れ過ぎだ。世界を変えると言ったが、具体的にどうしたいのだ」
「はい。ワタクシが過去・現在・未来の相羽君を見てきたところ、その能力はある程度の望んだ未来を選ぶ能力だと推測しました。まずここまでは合っていますかね?」
「ああ」
「しかしその範囲は現在、ないし限りなく未来に近い現在しか選ぶことができない。ここまでも合っていますかね?」
「結果としてそうだ。詳しい説明はしない」
「ええ、結構です。そこで提案です。世界を変えるにあたり、相羽君の能力では過去も未来も掌握できていない。ですが、私は過去も未来も掌握できていますが、過去にはもちろん直接干渉することはできず、未来に対しても精々現在において大きく異なる行動を起こすのみ」
 ここまで聞いて私は獄吏道元が何を言わんとしているか理解する。
「“協力”しましょう。世界を変えるのです。根本から、私と貴女で」
 全てを変えるつもりなのだ、この男は。私個人では、これから少し先に進んでいる平行世界から選ぶ形で望んだ未来を選択する。それはつまるところ、認識した世界を選択出来るのだ。獄吏道元が言うのは、その範囲を過去と未来にも及ぼすと、そういうことだ。
 相羽光司がメテオと繋がるだけでなく、この男の協力があれば。
「……わかった。それで、提案したからには既にその方法は考えているんだろうな?」
「それが全く」
 ここまで相当考えた末の提案なんだろう。聞いていた私でもそれは伝わるし、なにより、“やれそう”な話なのだ。それが、これ。
「おい」
「いえいえ、申し訳ございません、全くというのはジェントルジョークでして。実は大雑把ではありますが考えが……おや、怒りましたね? その顔、怒っていますね?」
「言わんでもいい! 余計怒りたくなるだろう!」
 いかん、これではまた先程と同じだ。手が出る前に、私は一呼吸置く。
「はあ。なんだ、その、大雑把な考え、それを早く言うんだ」
「はい。というのも完全な空論なんですが、干渉するにはやはり、認識しなければならないと思うのです。端的に言えば、貴女に未来と過去を認識してもらいます」
 獄吏道元の言うことは、確かにと思う部分がある。私は実際、相羽光司を介した直近の平行世界しか認識したことがない。その認識を広げられるのであれば、やる価値はある。
「意外とまともな話だ。それならば話は早いほうがいい。“現在”の相羽光司は予断を許さない状況だ、急ぐに越したことはない」
「ええ、わかりました」
 言いながら、獄吏道元はゆっくりと腰を下ろすと、右拳を握りながら体を捻る。
 私は数多の平行世界で相羽光司が受けていた仕打ちを今になって思い出す。それはいけない。
「待て、やはりそれはやめ――」
「それでは、やらせていただきますね、“投獄”」
 私の腹へ吸い込まれる拳を見ながら、以前は触るだけでよかっただろう、と考えたところで、意識が分散した。


       

表紙

人大甲 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha