自説自論
セカイ系再定義
近年ではもはや蔑称や死語と成り果てたセカイ系と呼ばれるジャンルを再定義して見ようと思う。基本的にはwikipedia等で定義される「少数の人間関係が社会を飛び越えて世界まで膨張すること」を踏襲する。
そもそもの出自はあまり語られる事が無いがシェイクスピア等の古典やハリウッド映画にはセカイ系と同じような構造が度々見られる。ではこれらの物とセカイ系の大きな違いは何かというとそれらの作品に見られるイデオロギーが消失してるという点である。西欧の個人主義やアメリカの善悪二元論は日本に輸入される過程で骨抜きにされ殆ど意味を持たなくなっている。これを揶揄してカタカナでのセカイが用いられるわけである。
ここから個人主義批判やアメリカ批判にもっていこうとしたけど、それってゴミを見て社会批判だと思えってくらい無理あるからやめた