「命の危うい人間を放っておくような外道に、説教はされたくないと。」
「そう思われるのなら、そうなのでしょうな。」
「ここで騒ぎ立てているくらいなら、今すぐにでも一君の様子を見てくるべきだと。」
「ふむ。」
「そりゃ、子供を盾にするような物言いだ。
それでいて、あんたはもう勘当した子供は知らないと―― どういうつもりだ。」
桂はがっと牙を剥いたが、後に続く言葉も無く尻すぼみの体になってしまったので、
何ともなくカステイラを捕えて口へ放り込むと、千切れよとばかりに咀嚼する。
それが存外美味かったのか、僅かに、にやと口角を緩めたのは間抜けな話であった。
彦田氏に至っては、溜息を漏らすばかりである。
桂が言うことの大方は、よしや親子の縁を切ったとしても、
かつての息子が自害しかけたことについては、元親が責任を持つべきである。
ついでに言うなら、如何なる理由が有ろうと勘当は罪悪である、と。
対する彦田主人の弁は、勘当した以上は息子の事は一切関知しない。
また、つい先まで自害しようとしていた人間を野放しにする非人間から、
自分があれこれ訓戒をぶつけられる謂れは無い、なとどいう訳である。
二人の喧嘩がどれほど低俗を極めているのかはさておき、
最も恐ろしきは――
引き合いに出されている一少年に対し、両者何れとも全く心配を払っていない点である。
桂は己の癇癪を解消するために一君の件を出し、あれこれとありったけの難癖を並べ、
また彦田氏はその切先をかわさんとして、一君を出す。
一方は少年を剣とかざし、一方は少年を盾と為す。
一君は、血の通った一人の人間などでは決して無い、
相手の言い分に対応するための道具であり議題であり、
ともすれば抽象的な存在である。
実に、一君が只今どのような状況に置かれているのかは念頭に無い、
如何に有効に「一君」を使うかが、両者最大の苦心なのである。
一度捨てたはずの息子を、このような場で活用することになろうとは、
彦田氏にも思いもよらぬ皮肉であろう。
「もう結構。話は充分聞きました。いや、これ以上聞くこともない。
非常に気分が悪くなりましたよ。さよなら。」
言い放った桂は、もう二切れほど残っていたカステイラを完膚無く片付け、
その後から紅茶を流し込み、口をもごもごさせながら立ち上がる。
そうして形ばかりの一礼を残すと、ずかずかと部屋から出て行ってしまった。
その後ろから主人が、送って差し上げろ、と沈んだなりの大声を出した。
桂は下女を待つことなく、真っ白な壁の包む廊下を、
出来る限り大股で歩いて身勝手に怒りを示していた。
嵐の後には静けさの残るものである。彦田邸においても例外は無い。
だだっ広い部屋に一人佇む主人は、僅かに紅茶の残る杯の中身を眺めて、
琥珀色の水面が揺らめくのを楽しんでいた。
真に楽しんでいるかどうかは問題ではない。
彼の如くやんごとなき暮らしを営む者には、
何事においても、優雅な形容すれば間違いのないものだ。
であるから、たった今響いた舌打ちも、眉間の歪みも、
上流階級ならではの所作と言える。