「焦りませんか。」
「はぁ。」
「あなたのご子息が自害しかけて・・・
事情は、そちらの下女にすっかり話した筈ですが。」
「ええ、私もこちらの下女からすっかり聞きましたよ。
真に、あの、一がご迷惑をかけたそうで、申し訳ない限りです。」
いきなり話題の端に持ち上げられた下女は、驚いたのか、
おっとっと何をすると、ほんの少し身体をぐらつかせると、ぐいと顔を伏せてしまった。
下女の癖に余り人馴れをしていないらしい。
先程、ここの偉大なる玄関口において、桂とやり取りをした時も、
俯いたまま何だか蚊の鳴きまねをしていたような人物である。
であるから、それがまた癪に触った桂は、半ば皮肉のつもりで話に取り上げたのだった。
とは言え、下女を槍玉に奉る為に来たわけではない。それは分かっているのだ。
「聞いたのならもっと焦るでしょう。
え、自分の息子が、如何に人通りの少ない朝っぱらだからと言って、
外で、桜並木で断り無しに往生しようとしてたんですよ。
少しばかり散りかけて、ええ、殆んど散ってしまってはいますが、
桜と言うのは一種美の象徴でしょう。
それに死んだ人間がぶら下がってて、見た人はどんな気分になりますか。
一体どういう教育をしたら、そんな派手な真似が出来るようになるんです。
芸人にでもしようというつもりで、
あれは酒の席か何かでの見世物の練習だったんですか。ねえ。」
一気呵成の機銃掃射、しかも夏場の納豆のように無暗にネチネチして、
目標を一瞬で粘度の渦に巻き込む高等技術である。
初対面の相手にこれほど失敬な物言いができるくらいだから、確かにキチガイ三級程度の資格がある。
しかし、彦田の旦那も勝手に城をおっ建てて憚らない位だから、その程度では臆さない。
むしろ、道端で遊んで飛び跳ねる小僧っこを見るように穏やかであった。
「はい、ですから、どうかもう少し落ち着いて。
そう急ぐと舌を噛む恐れもありますから。」
「いや僕の弁舌は確かです。
それより、あなたは親としてどのような言い聞かせをしてきたのかということをね。」
「確かに・・・ そうですな。充分な教育は足りなかったようで。
深く反省しておりますから。お詫びさせていただきます。」
主人が頭を下げれば、下女だって頭を下げる。
こんな大物然とした人間に、子分共々低頭されたら、
大概は恐れ入りそうなものだが、そうはいかない。
「ふん。なら今後からは心がけると言えますか。」
桂がその言葉を切った瞬間、はた、と時が止まった。
凍土に疾風が走ったかのような、空間の緊張をして、
桂は身の芯が吹き晒されたかのような感覚を知った。
己を取り囲む、この城の、神経質にまで磨かれた純白の壁が、
その内部に無数の眼を持って、言葉無き責詬を叩き付けていた。
・・
主人は黙って、紅茶の杯からもつれる湯気を見つめている。
下女は、やはり俯いたまま、しばし握り拳を震わせていたようであったが、
短い嗚咽みたようなものを漏らすと、背を丸めて、
幽霊が滑るような仕草で、奥の扉から出て行ってしまった。
専ら生意気千万で通す身としても、
この氷の世界においては、唾と――
何か非常に苦しいものを飲み下す外はなかった。
だが、結局は主人の方が応えてくれたのは幸いであったろう。
「実は、あの者・・・ 一とは、勘当致しました。
ですから、先の事は何とも申されません。」