その一語は、確かに、並大抵の無礼な訪問者を、
多少ならず怯ませるだけの威力を持っていた。
只今の、空洞の如き主人の双眸と、
退出して行った下女の後姿とをも合計すると、薄暗い近づき難さがあった。
窓から春の日が覗いていたが、その重苦しさを払拭するには至らない。
それどころか、俯いた主人の顔に影を落とすのが憎い演出であった。
余りに気の毒な様である。
勘当と、さらりと言ってのけたものの、
その裏には様々思うところがあったはずである。
天候は、先の凍土の吹雪とは違う、湿原の煙雨である。
厳しく張り詰めた空気は、主人の一言により解凍され、
代わって、じっとりと肌に貼り付くような陰気臭さが立ち上っていた。
仄かな闇の中で漂う、霧がかった冷たさが、現在の主人そのものであった。
その存在感ある肉体も、どこか霞んで希薄なものに感ぜられた。
両氏の間、洋卓の上に横たわる憂鬱は、次第に溶けるようにして、
徐々に床に広がり、壁を伝い、天井を覆って、部屋に満ち満ちていた。
もはや居た堪れない。誰であろうと、これ以上触れてやるまいと、
ソファから尻を持ち上げて然るべき具合であった。
しかし。しかしである。
「勘当。じゃ、あなたは一君を捨てたんですか。
どんな理由があったって、そうそう親が簡単に己の子を放り出しますか。
つい先、一君が首括りに失敗した時に、僕は一寸彼と話してみましたが、
とても勘当されるような子には見えませんでしたよ。
勘当の件は、何らかあなたに問題があったのではないですか。
一(はじめ)なんて簡潔な名前をつけるくらいだから、元々子供が嫌いで、
いざとなったらいつでも捨てる気で育ててきたのではないですか。」
何度も言うが、桂章吾はどこまで言っても、野暮でしつこい性悪男である。
ひょっとすると、清浄なる花畑を見ても、
虫の居所が悪くさえあれば、目障りだと言って片端から引っこ抜きかねない性質である。
たかが太っ腹親父が、吹雪を吹こうと雨を降らせようと、
烈しい熱風の前では一瞬の内に霧散せられる。
「いえ、そうおっしゃられては恐れ入る・・・ なにとぞ、どうか・・・」
主人はすっかり獣か何かに威嚇されている体である。
その様子はただ桂の勢いに圧されかけているだけでない、
他に何か、急所を突かれたような焦りが見受けられた。
桂はまだ止まらない。
「いいえおっしゃいますよ。
そう言えば先程、一君とは勘当したから、後の事は関知しない、
というようなことをおっしゃいましたね。
それなら、何故初めに私の咎めに対して謝ったのです。
一君の自害は勘当の後。ならそれも関知しないと言い張ったら良かったでしょう。
何故僕を招き入れて、とりあえず謝罪して、後から勘当の語を出したのです。
僕がしつこいと分かったから、勘当という、触れ難い話題を出して、
僕を退散させようという気だったのではないですか。」