Neetel Inside 文芸新都
表紙

二君戯れよ
振子・三

見開き   最大化      

小ぢんまりとした木造建築は、中も外も満遍なく煤けて見えた。
その訳は、面している路地が全く整備されておらず、年中砂埃の吹き晒しに合うに起因し、
通行人も一々、その程度のみすぼらしさを咎める狭量さを持たぬ事も手伝って、
ずぼらな家主は碌すっぽ掃除をしない由に帰結する。
終にはお天道様も呆れて、天日の配当を見限ったのではないか知らん。
そのような湿窟でも、無事に蕎麦屋の看板を掲げており、
更には昼間から二人の客人に恵まれているのは、真に不思議千万の奇跡である。
本日二度目の奇跡である。

ただ、その客人の動向というのが奇天烈を極めていた。
他の蕎麦食い同志は一人もおらぬと言うのに、わざわざ、
店内の隅に押し付けられているかのような、帳場から最も離れた卓を陣として、
双方向かい合って、無言の内に緊張を払っていた。
背高のっぽの、年長と見える一人は、そっと銀縁の眼鏡を外して卓に落ち着ける。
それに相対する少年は、入店時からそわそわして落ち着かない。
蕎麦はとうに参上していた。しかし、客の人数に反して碗の数は一つである。
そのたった一つの碗に、一方はじっくりと、一方はちらちらと視線を降らせていた。
唯の碗ではない。峻峰聳える崇高なる碗である。

粉々と刻まれた長葱が、緑と白の爽やかな色彩を示しつつ、
堆くも微動だにせず鎮座して、その下の蕎麦本体の存在を完全に抹殺していた。
高さは、一寸、二寸、三寸。まだ足りない。頗る壮大である。
下部は碗の縁に沿って幅広に取られているが、
視線を上げるに従い、急勾配を以って徐々に窄まってくる。
この状態で僅かな刺激、喩え鼻息程度の軽微なものであろうと、一度干渉すれば、
瞬く間に全体の均衡の妙を失い、その奇観が雲散霧消するのは明らかである。
それだけに留まらず、今も帳場の影から慄き見守る家主もとい店主が、
崩れ落ちた葱の欠片を回収しに急襲する運びとなる。

当然、これは店主自身の趣向などではない。頼まれたってやりたくもない。
しかし、顔面蒼白の少年を伴った、知識人風の男性から、
この子は病気で、余命幾許もない。そこで、失礼とは思うが、
彼のたっての希望で、蕎麦の上に屹然と立つ葱の山を見せてはくれないか。
などと真面目ったらしい表情で言われれば、多少は考えざるを得ない。
こんなぼろ屋で、静かに蕎麦を友とする男である。金はない。
蕎麦ばかり食って滋養がないから、頭も良くなければ、腕っ節だって立たない。
とても門前払いを言い渡す甲斐性は無いのであった。

さても、そんなふざけた冗談を吐き、人を丸め込んで済ましていられるのは、
説明するまでもない、日本の誇る二君が片割れ、安西京その人である。
先の通り、現在は眼鏡を外していて特徴の一つを失ってはいるが、
顎ほどに伸ばして、前部をごっそり左分けた艶髪と、
穏やかな顔つきに似合わぬ鋭い細眉とで、充分判別が付く。
安西の言葉は大抵は嘘、或いは根拠の判然としないものであるから、
従って、先ほど店主に伝えた一節にも、事実は露ほども含まれていない。
もちろん、葱山は彼が見たかっただけの話である。

「見たまえ。緑と白という組み合わせは、実によく映える。
 そこを考えるに、葱とは、美の星の下に生まれた植物だね。
 瓜もそうだが、あれは駄目だ。形状がね、人に媚びてるよ。いや、その点葱は立派さ。
 真直ぐに伸びて、己の道に疑いを持っていないね。人間もこうありたいもんだ。」

如何に誉められようと、こうも無残な姿を晒されては、葱だって喜びようもない。
相手をさせられている少年は、居心地悪そうにつくねんと座っていた。

「で、君は葱ではなかったわけだ、一君。
 ともかく、腹も減ったろう。存分に食いたまえ。僕は食べなくても平気な性質だから。
 ――御主人。大丈夫だから、奥で煙草でも吸ってなさい。こちらは心配ないから。」

安西の雑言で、葱が少なからず散らばったのを認め、
主人は突入の体勢に入っていたが、このたった一言で厨房の方へ引っ込められてしまった。
一少年の伏目には、静かな憎悪が漂い始める。

       

表紙

景山才蔵 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha