Neetel Inside 文芸新都
表紙

二君戯れよ
振子・二

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さても、何故に桂がこれほどまでに彦田家への関与を望むのかと言えば、
単に先の少年への心配という、生温いお節介からだけではない、
また別に、歴とした訳のある話である。
とは言え、以前に彦田一族と何らかの諍いがあったとか、直接の理由ではない、
飼っている動物類の挙動が目障りだ耳障りだという、間接の因縁でもない
彦田家の何が気に入らないか、それは、住居の面構えである。

ここいら周辺の住人で、彦田家と言えば――
そう、そもそも彦田姓そのものが、全国でも非常に珍しい為に、
桂は彦田一少年の所属を直に特定し得たのであるが――
まさに白亜と称すべき美しさを誇示する、瀟洒ながらも威圧感のある邸宅で、
見た人間の大抵は、必ず後日の雑談に引き合いに出すであろう程の存在感を持っている。
街の中心を横切る大通りに、堂々と面するその西洋二階造りは、
此処こそが我が領分とばかりに肩肘を張って腰を落ち着け、
目の前をこそこそする矮小な人間を一々睨め付けるようであった。
また、邸宅と通りとの間には、訪問客を威嚇する為かと思われる、偉大な黒門が備え付けられており、
これも独特の威風を醸すのに重大な役目を背負っていた。
更にその他、敷地内に敷き詰められた、よく手入れされた庭だとか、
泥棒君子などが内部へ侵入するのを阻もうと張り巡らされた、
槍を模したような銀製の囲いなどなど、
如何にも、資産家の家、という概念をそのまま物質化したような外観からして、
哀れな一般市民からは、畏怖と羨望と尊敬の念を込めて、「彦田城」とまで呼ばれている。

ここまで記しさえすれば、余計な説明は不要であろう。
桂はこの家の前を通る度、その傲慢なる体裁に対して、
自尊心か嫉妬心か、そういった不確かなところから、
悪意とも称すべき関心をぎらぎらと燃やして、
いつか、彦田家の主人と一対一で文句を言ってやろうという下心を持っていたのだった。
邪魔だから面積を縮めろとか、風土に不似合いだから撤退しろとか、
とりあえず常識人を装った難癖をつける算段、らしい。
ほとんどごろつきの仕業と言うべきであるが、
本人は至って真面目なつもりであるから始末が悪い。

であるからして、桂が彦田少年の一件をダシに使おうと目論むのは当然、
息子が自害しかけていましたよと、大事を告げれば、
いくら疑わしいからと言っても、そうそう門前払いにはすまい。

そして――事実、何もかも上手く事が運んで、今に至る次第である。

少々ぎこちなくも洋服を着こなした桂は、みっちりとした黒革張りのソファにもたれて、
「彦田城」の主人を欺く程にふんぞり返り、ふんと鼻息一つを荒げて見せた。
自宅に帰ってから、きちんと身支度を整えてきたらしく、
今朝方よりは一段二段と男前を上げたようで、細められた目が涼やかである。
また腹も満たしてきたようで、心なしか血色が良い。
心なし、と形容するからには、一体何を食べてきたのか聞くのは野暮である。

彼の真向い、艶やかに磨かれた一寸低めの洋卓を挟んだ先、
これまた同じ型のソファにゆるりと身を任せているのが、
紛うことなき、この城の誠の主人、彦田の旦那その人である。
人の良さそうな顔を緩めている、余裕ある風采からは、
隣に控える幸薄そうな下女から、つい先程、
坊ちゃんがお首をお括り遊ばされかけましたなどと聞かされたとは、到底思われない。
もしかすれば、既に彦田少年から事情を聞いた後かもしれないが、
それにしても気味の悪い程に落ち着き払っている。

「まあ、何です。どうぞまずは、菓子でもお上がりなさいませ。
 大事なお話の前でしょうから、互いに平静にならねばなりませんからな。」

とうに平静すら突き抜けているであろう、深く、どこか甘ったるいような声を出すと、
色々なもので膨れているのであろう、腹が波打ったように見えた。
主人の表情はますますにこやかになる。

桂は何も言わない。目の前の、皿上に佇むカステイラと、それに供した紅茶の杯とを、
しばしじいっと見比べる。見比べて、主人に目を遣る。睨め付ける。

     

「焦りませんか。」
「はぁ。」
「あなたのご子息が自害しかけて・・・
 事情は、そちらの下女にすっかり話した筈ですが。」
「ええ、私もこちらの下女からすっかり聞きましたよ。
 真に、あの、一がご迷惑をかけたそうで、申し訳ない限りです。」

いきなり話題の端に持ち上げられた下女は、驚いたのか、
おっとっと何をすると、ほんの少し身体をぐらつかせると、ぐいと顔を伏せてしまった。
下女の癖に余り人馴れをしていないらしい。
先程、ここの偉大なる玄関口において、桂とやり取りをした時も、
俯いたまま何だか蚊の鳴きまねをしていたような人物である。
であるから、それがまた癪に触った桂は、半ば皮肉のつもりで話に取り上げたのだった。
とは言え、下女を槍玉に奉る為に来たわけではない。それは分かっているのだ。

「聞いたのならもっと焦るでしょう。
 え、自分の息子が、如何に人通りの少ない朝っぱらだからと言って、
 外で、桜並木で断り無しに往生しようとしてたんですよ。
 少しばかり散りかけて、ええ、殆んど散ってしまってはいますが、
 桜と言うのは一種美の象徴でしょう。
 それに死んだ人間がぶら下がってて、見た人はどんな気分になりますか。
 一体どういう教育をしたら、そんな派手な真似が出来るようになるんです。
 芸人にでもしようというつもりで、
 あれは酒の席か何かでの見世物の練習だったんですか。ねえ。」

一気呵成の機銃掃射、しかも夏場の納豆のように無暗にネチネチして、
目標を一瞬で粘度の渦に巻き込む高等技術である。
初対面の相手にこれほど失敬な物言いができるくらいだから、確かにキチガイ三級程度の資格がある。
しかし、彦田の旦那も勝手に城をおっ建てて憚らない位だから、その程度では臆さない。
むしろ、道端で遊んで飛び跳ねる小僧っこを見るように穏やかであった。

「はい、ですから、どうかもう少し落ち着いて。
 そう急ぐと舌を噛む恐れもありますから。」
「いや僕の弁舌は確かです。
 それより、あなたは親としてどのような言い聞かせをしてきたのかということをね。」
「確かに・・・ そうですな。充分な教育は足りなかったようで。
 深く反省しておりますから。お詫びさせていただきます。」

主人が頭を下げれば、下女だって頭を下げる。
こんな大物然とした人間に、子分共々低頭されたら、
大概は恐れ入りそうなものだが、そうはいかない。

「ふん。なら今後からは心がけると言えますか。」

桂がその言葉を切った瞬間、はた、と時が止まった。
凍土に疾風が走ったかのような、空間の緊張をして、
桂は身の芯が吹き晒されたかのような感覚を知った。
己を取り囲む、この城の、神経質にまで磨かれた純白の壁が、
その内部に無数の眼を持って、言葉無き責詬を叩き付けていた。
                 ・・
主人は黙って、紅茶の杯からもつれる湯気を見つめている。
下女は、やはり俯いたまま、しばし握り拳を震わせていたようであったが、
短い嗚咽みたようなものを漏らすと、背を丸めて、
幽霊が滑るような仕草で、奥の扉から出て行ってしまった。

専ら生意気千万で通す身としても、
この氷の世界においては、唾と――
何か非常に苦しいものを飲み下す外はなかった。

だが、結局は主人の方が応えてくれたのは幸いであったろう。

「実は、あの者・・・ 一とは、勘当致しました。
 ですから、先の事は何とも申されません。」

     

その一語は、確かに、並大抵の無礼な訪問者を、
多少ならず怯ませるだけの威力を持っていた。
只今の、空洞の如き主人の双眸と、
退出して行った下女の後姿とをも合計すると、薄暗い近づき難さがあった。
窓から春の日が覗いていたが、その重苦しさを払拭するには至らない。
それどころか、俯いた主人の顔に影を落とすのが憎い演出であった。
余りに気の毒な様である。
勘当と、さらりと言ってのけたものの、
その裏には様々思うところがあったはずである。

天候は、先の凍土の吹雪とは違う、湿原の煙雨である。
厳しく張り詰めた空気は、主人の一言により解凍され、
代わって、じっとりと肌に貼り付くような陰気臭さが立ち上っていた。
仄かな闇の中で漂う、霧がかった冷たさが、現在の主人そのものであった。
その存在感ある肉体も、どこか霞んで希薄なものに感ぜられた。

両氏の間、洋卓の上に横たわる憂鬱は、次第に溶けるようにして、
徐々に床に広がり、壁を伝い、天井を覆って、部屋に満ち満ちていた。
もはや居た堪れない。誰であろうと、これ以上触れてやるまいと、
ソファから尻を持ち上げて然るべき具合であった。
しかし。しかしである。

「勘当。じゃ、あなたは一君を捨てたんですか。
 どんな理由があったって、そうそう親が簡単に己の子を放り出しますか。
 つい先、一君が首括りに失敗した時に、僕は一寸彼と話してみましたが、
 とても勘当されるような子には見えませんでしたよ。
 勘当の件は、何らかあなたに問題があったのではないですか。
 一(はじめ)なんて簡潔な名前をつけるくらいだから、元々子供が嫌いで、
 いざとなったらいつでも捨てる気で育ててきたのではないですか。」

何度も言うが、桂章吾はどこまで言っても、野暮でしつこい性悪男である。
ひょっとすると、清浄なる花畑を見ても、
虫の居所が悪くさえあれば、目障りだと言って片端から引っこ抜きかねない性質である。
たかが太っ腹親父が、吹雪を吹こうと雨を降らせようと、
烈しい熱風の前では一瞬の内に霧散せられる。

「いえ、そうおっしゃられては恐れ入る・・・ なにとぞ、どうか・・・」

主人はすっかり獣か何かに威嚇されている体である。
その様子はただ桂の勢いに圧されかけているだけでない、
他に何か、急所を突かれたような焦りが見受けられた。

桂はまだ止まらない。

「いいえおっしゃいますよ。
 そう言えば先程、一君とは勘当したから、後の事は関知しない、
 というようなことをおっしゃいましたね。
 それなら、何故初めに私の咎めに対して謝ったのです。
 一君の自害は勘当の後。ならそれも関知しないと言い張ったら良かったでしょう。
 何故僕を招き入れて、とりあえず謝罪して、後から勘当の語を出したのです。
 僕がしつこいと分かったから、勘当という、触れ難い話題を出して、
 僕を退散させようという気だったのではないですか。」

     

これらの怒涛を耳に流し込まれる間、主人は顔を真っ青にしていたが、
次第に色を転じて、白、更に変わること赤へ、
それも火でも出づるかという紅蓮に近づいていた。
正に爆発寸前の体ではあったが、ようやく桂が口をつぐんだ頃には
どうにかして怒気を収められたのか、また元のようにしおしおと萎び返ってしまう。
それが、彼自身の人間性の成せる技であるのか、
あるいは体面などといった要素がそうさせたのか。
桂だけには分かりそうもない。

「そう思われますか。」
「ええ。あなたのような人種の言うことには、疑いを持って接するべきと考えていますから。」
「私の言動に、矛盾があるか、一貫性が無いか・・・
 私も、まだ心の整理が付ききっていないのですよ。」
「付かない割には冷静ですね。」
「それは、まあ。私は、あなたの言うところの、私のような人種でありますから。
 どうとでもお望みの通りに解釈すれば宜しいでしょう。」

主人の喉から漏れた、クツクツという苦しげな笑いが、
部屋の隅の影に流れて沈殿した。
その様を見て、桂はまた鼻息をふんと鳴らしてみせる。

邸宅を見て察せられる通り、彦田氏は並一通りの職業に就いてはいない、
全国でも中々名の通る実業家である。
その手の世界でのし上がってきた男である。
義理をかき、人情をかき、恥をかいて成功した、裏のある男である。
桂がやたらと彦田氏を疑るのも、庶民の妬みと言えばそれまでだが、
彼に言わせれば、理由のある話であった。

主人は紅茶を口につけ、一息つく。

「あなたは私を責めに来たのですか。」
「結果としてそうなりました。
 ご子息―― 一君の件で相談しに来たところ、あなたの態度が気に入らなかったもので。」

桂は眉間に皺を寄せつつ、彦田家訪問の真の目的について、
そろそろ切り込もうかと考えを廻らす。

「成程、質問の仕方が悪かったようですな。
 一体あなたは、私への指斥と、一の安否とどちらが大切です。」
「何。」

そこで彦田氏がずいと身を乗り出す。

「あなたは今朝、自害しようとしていた少年を発見し、
 何でしょう、介抱したという形になったのですか。
 しかし下女から聞いた話だと、その後警察などに身柄を渡したわけではない。
 またこの通り、私の元へつれてきたのでもない。
 ならどうしたのです。放置したのですか。」
「逃げられたんです、どこかに。」
「追いかけなかったのですか。」
「それは。」

桂の旗色は少々褪せる。

「もしかすれば、あなたから逃れた後、また首を括る気かもしれませんよ。
 あなただって、そのくらいの予想はついたのでしょう。つくべきだと思いますよ。
 要はあなたは、人の死そのものは知ったことではない、
 私に何らか不満があって、それをぶつける為にこうして来たのではないですか。
 一の事は飽くまで私を責めるための材料として・・・」

こうまで綺麗に図星をつくのも不思議な話である。
桂の頭から濃黒色の思惑が漏れてはいまいか。

     

「命の危うい人間を放っておくような外道に、説教はされたくないと。」
「そう思われるのなら、そうなのでしょうな。」
「ここで騒ぎ立てているくらいなら、今すぐにでも一君の様子を見てくるべきだと。」
「ふむ。」
「そりゃ、子供を盾にするような物言いだ。
 それでいて、あんたはもう勘当した子供は知らないと―― どういうつもりだ。」

桂はがっと牙を剥いたが、後に続く言葉も無く尻すぼみの体になってしまったので、
何ともなくカステイラを捕えて口へ放り込むと、千切れよとばかりに咀嚼する。
それが存外美味かったのか、僅かに、にやと口角を緩めたのは間抜けな話であった。
彦田氏に至っては、溜息を漏らすばかりである。

桂が言うことの大方は、よしや親子の縁を切ったとしても、
かつての息子が自害しかけたことについては、元親が責任を持つべきである。
ついでに言うなら、如何なる理由が有ろうと勘当は罪悪である、と。
対する彦田主人の弁は、勘当した以上は息子の事は一切関知しない。
また、つい先まで自害しようとしていた人間を野放しにする非人間から、
自分があれこれ訓戒をぶつけられる謂れは無い、なとどいう訳である。

二人の喧嘩がどれほど低俗を極めているのかはさておき、
最も恐ろしきは――
引き合いに出されている一少年に対し、両者何れとも全く心配を払っていない点である。
桂は己の癇癪を解消するために一君の件を出し、あれこれとありったけの難癖を並べ、
また彦田氏はその切先をかわさんとして、一君を出す。
一方は少年を剣とかざし、一方は少年を盾と為す。
一君は、血の通った一人の人間などでは決して無い、
相手の言い分に対応するための道具であり議題であり、
ともすれば抽象的な存在である。
実に、一君が只今どのような状況に置かれているのかは念頭に無い、
如何に有効に「一君」を使うかが、両者最大の苦心なのである。

一度捨てたはずの息子を、このような場で活用することになろうとは、
彦田氏にも思いもよらぬ皮肉であろう。

「もう結構。話は充分聞きました。いや、これ以上聞くこともない。
 非常に気分が悪くなりましたよ。さよなら。」

言い放った桂は、もう二切れほど残っていたカステイラを完膚無く片付け、
その後から紅茶を流し込み、口をもごもごさせながら立ち上がる。
そうして形ばかりの一礼を残すと、ずかずかと部屋から出て行ってしまった。
その後ろから主人が、送って差し上げろ、と沈んだなりの大声を出した。
桂は下女を待つことなく、真っ白な壁の包む廊下を、
出来る限り大股で歩いて身勝手に怒りを示していた。

嵐の後には静けさの残るものである。彦田邸においても例外は無い。
だだっ広い部屋に一人佇む主人は、僅かに紅茶の残る杯の中身を眺めて、
琥珀色の水面が揺らめくのを楽しんでいた。
真に楽しんでいるかどうかは問題ではない。
彼の如くやんごとなき暮らしを営む者には、
何事においても、優雅な形容すれば間違いのないものだ。
であるから、たった今響いた舌打ちも、眉間の歪みも、
上流階級ならではの所作と言える。

     

ようやっと玄関から脱出した桂は、洋靴の窮屈さにむず痒い感覚を覚えながらも、
うんと思い切り伸びをして、全身にへばり付いた不快感を振り払おうとしていた。
いつの間にか日は大分昇っている。朝方に比べると非常に柔らかな光線である。
ただ、その不快感を浄化させるには些か威力が足りないようであった。
何と言っても、背後には未だ彦田城の荘厳なる玄関口が控えており、
その印象はしっかりと桂に圧し掛かったままなのである。

おぞましいものであった。
就寝前に吸った三本ばかりの煙草の残滓が、
起床その時まで粘り強く残っているのを思い知らされた心持である。
確かに、彦田氏の存在は煙草三本に匹敵している。
ただ、侮るべからざるは、そのタールの暗黒の濃度。
密かな筈の口腔を、まろやかにも刺激的な臭気を伴って、
ジワリジワリと侵食し、荒らし回る嫌あな異物感、
それが彦田氏、嫌味な子捨ての彦田氏であると、桂は考える。

こうなれば、生身だろうと死体だろうと構わない、
一君の身体をとっ捕まえて来て、彦田氏の眼前に放り出して様子を見てみるかと、
桂が一歩踏み出したところ、後方からお呼びがかかる。

「あの、お待ち下さいまし。一寸お話を。」

やはり白塗りのドアの隙間から、霧か霞か判別の付かない声を出すのは、
やはり件の下女であった。口に手まで添えているのは彼女なりの努力であろう。
桂は振り向き様、これ以上無いほどぶっきら棒に「何です。」と応える。
きちんと顔もしかめているところ、抜かりは無い。

「旦那様は、その、決してそのような気で仰ったのでは御座いませんから。」
「はあ。何、心配は要りませんよ。僕はこれでも真人間を名乗るつもりです。
 彼の、ええ、醜聞をあちこち吹聴する気はありません。」
「そうでは御座いませんわ。一坊ちゃんの事を、旦那様は――。」
「仕様の無い決断だったのでしょう。全く、そのような表情で語っていましたからな。」
「違います。ですから、違うんです。」

ここへ来て桂は猛然と玄関口へ歩み寄って、思い切りドアを開け放してやる。
下女は呆気に取られていたが、更に彼の憎憎しげな表情が猛烈な速度を以って、
己の鼻先へ接近してきたので、危うく卒倒しかけてよろめく。

「あなたはもう少し、はきはき喋れないのか。何と言ってるのか、分かりゃしませんよ。
 僕あ、はっきりしない人間は大嫌いですからね。」

怒声に及ばずとも、中々厳しい口撃を浴びせられて、
哀れな下女は細い目を目を潤ませ、わなわな震えていたが、
うんと生唾を飲み込んで、幾分か明瞭な調子で話し始めた。
もっとも、この下女の幾分明瞭では高が知れるのも確かである。

「彦田家にも様々の事情があるんです。旦那様も大いにお悩みになりました。
 芝居みたような遣り取りを経て、軽々しく勘当したんじゃ御座いませんわ。
 簡単に親子の縁を切るわけがない、そう言ったのはあなた様の方でしょう。
 辛いに極まっているじゃありませんか。お察しになれるでしょう。
 それを知っていて、まだずけずけ言い掛かりをつけるなんて法外です。
 それに、それに。あなた様があんな態度じゃ、誰だって嫌な気分になります。
 あなたは非道い人です。怒鳴って、罵倒して。あなたじゃ分かりっこありませんわ。」

下女風情が。桂の感情の坩堝に再び猛炎が盛るかというところであったが、
既の事でその上に蓋をする事に成功した。
下女風情に一々言い返すのも品を欠くかと、柄にも無い判断であったが、
とにかく今は、一刻も早くこの城から離れたい一心であった。
全く、主人を反映して下女まで横柄であるのか、と。

皮肉に引き攣られた口角と、毅然とした水々しい眼差しを遮って、
深く重苦しい影が立ちはだかった。
黒点を見下ろしつつ、白城は悠々と聳える。腸を氷点下と晒して。

       

表紙

景山才蔵 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha